第二章「幕開け」
演奏を終え、アコーディオンの鍵盤から手を離すと
サヨはカウンターの向こうから拍手をしてくれた。
「・・・素敵。
なんだか柔らかくて優しいメロディだったわ。」
「ほんと?」
私は嬉しくなって、緩んだ顔で思わず聞き返してしまった。
「ええ、それになんだか懐かしいような切ないような
不思議なメロディだった・・・」
私はサヨの言葉に驚きが隠せなかった。
私が演奏しながら感じていたものと同じ感情を、サヨも抱いていたのだ。
音楽は時として、その人が歩んできた人生そのものを映し出す。
今の即興のメロディは
自然とサヨの人生に共鳴してできあがった、ひとつの物語だったのかもしれない。
「あっ、いけない!紅茶が冷めちゃう!」
私は演奏に夢中になっていて、すっかり忘れていた紅茶のカップを
慌てて持ち上げた。
「あつっ!?」
「ふふ、そんなすぐに冷めたりしないから大丈夫よ。
まったく慌てんぼうな子ね。」
「えへへ・・・よく言われる。」
サヨはしょんぼりした私の顔を
カウンターに頬杖をつきながら、優しい面持ちで見つめていた。
私は不思議にもこの同い年ほどの
女の子に声も姿も記憶にない母親の影を重ねていた。
「聞こうか迷ったけど、その耳と尻尾・・・」
サヨは私の頭から生える獣耳と猫のように
緩やかな曲線を描いて動いていた尻尾に目をやり言った。
「うん、見ての通り獣人だよ。」
私は紅茶にふーふーと息を吹きかけながら答えた。
普通の人間から見て、まずこの風貌が気にならないはずもない。
事実、旅をしている途中
この耳と尻尾のことで、何度からかわれたか分からない。
この子もきっと、心の底では私を軽蔑しているに違いない。
「・・・かわいい。」
「・・・だよね。こんな耳と尻尾、気味が悪いよね。」
・・・
・・・?
「えっ!?今、なんて?」
「あ、ごめんなさい。思わず・・・
でも獣人なんて絵本でしか見たことなかったけど、やっぱりかわいい。」
私はその言葉に、思わず顔が赤くなってしまい
カップを持ち上げる素振りをして顔を隠した。
この顔の熱さは火の灯った暖炉の熱気のせいだけじゃない。
生まれてはじめて、自分の見た目を褒められたことが
嬉しいやら恥ずかしいやら、そういった感情がそのまま顔に出てしまった。
「め、めずらしいこと言うね。君・・・」
私は持ち上げたままのカップから、少しだけ顔をのぞかせて言った。
「・・・そう?ペルチェットは自分のこと、かわいいと思わないの?」
「そんなこと思ったことないよ・・・」
事実、私は鏡の前に立つたびに、この姿を軽蔑の眼差しで見てきた。
当然、自分の姿を肯定的に見れたことなど一度もない。
「・・・そうだ!」
サヨは突然、カウンターに手をつき立ち上がった。
「あなた、この冬の間うちで働かない?」
「わ、私がここで!?」
「そう!昼は喫茶店の手伝いをしてもらって
夜はここでアコーディオンの演奏をしてもらうの。」
突拍子もない発言に、私は思わず目を丸くした。
確かに宿は探していたが、まさかここに置いてもらおうなどとは
微塵も考えていなかったからだ。
「で、でも私みたいなのがお店にいたら
ますますお客さん、来なくなっちゃうんじゃないかな・・・」
「それ!その自信のなさ、もったいないわよ。
あなた、かわいいしアコーディオンも上手なんだからもっと自信持ちなさい。」
サヨに圧倒されて、私は思わずイスを引いて後ろに下がってしまった。
するとサヨは、トーンを下げてゆっくりと語り出した。
「私もね・・・ずっと自分に自信がなかったの。」
「お母さんから継いだこの喫茶店も
私のせいで、お客さんが来なくなっちゃったんじゃないかって。」
「サヨ・・・」
「だけど、なんだかさっきのあなたの演奏を聴いて
私もうつむいてるばかりじゃなくて、もっとがんばらなきゃって思えたの。」
「きっとあなたの演奏には人を変える、不思議な力があるのよ。」
「だから私はお店を再興するため・・・
あなたは自分に自信を持つために、一緒にがんばってみない?」
自分の演奏にそんな力があるなんて、にわかには信じられなかった。
だけど、確かにはじめて見た時は物静かな雰囲気を帯びていた
この少女が、気づけば店の再興に熱い思いをたぎらせている。
私もサヨの語った決意に、熱い思いがふつふつと湧き上がってきた。
「分かった!やろう!」
私はサヨの両手をにぎって顔を近づけた。
「この冬の間に、絶対にこのル・プティニュイを
行列ができるほどの大人気店にしよう!」
「ええ!」
こうして私とサヨのひと冬の路地裏物語は幕を開けた・・・
しかしこれが、同時に自らの今と過去を巡る物語のはじまりになるとは
この時、私は知る由もなかった。