<第六章 視察>
八月になった。
エアコンの無い生活はつらい。ユンボに乗ってエアコンを付ける手もあるけど、できるだけ保存したいので我慢する。
生活はというと、相変わらず中尉との会話ばかりだ。いい加減飽きた。
俺からの話だと思いつくことも無くなったので、中尉からの質問がほとんどだ。
それに俺がメインで話すと筋道立てて説明できないので、やり方を変えたみたい。
『榊原の世界だと、旅行はどうするんだ』みたいな世間話から話を膨らませて、中尉が分からない点を質問してくる。
俺の当たり前が、中尉はそうではないので、いまだに驚かれることが多い。
一つ気になるのがいまだに中尉が俺のことを名字で呼ぶことだ。それで一度あだ名のカッキーと呼んで欲しいと言った。
サカキバラ、サカキー、サカッキーでカッキーだ。
すると、『男がそんな呼び方できるかぁ』と怒られた。この人は固すぎる。
ある日、許可が出たらしく。外出できることになった。初めてのお出かけだ。
この時代の実際を見た方が違いが良く分かり、元の世界のことを思い出すだろうという中尉のアイデアらしい。
この日以来、俺と中尉とメシ係の三人で色々な所へ出かけた。
俺は99%今は大正時代だと信じてたけど、残り1%は信じてなかった。信じたくなかった。
でも、東京の街を見せられたら完全に信じるしかない。東京タワーもスカイツリーも無い。
ここで生きていくしかないと思い知らされた。そして、悲しくなった。
街を歩いてると色々気付くことがある。
最初の印象は高い建物が無い。車が少ない。着物の人が多い。
一番の違いは密度が違うことだ。人が少ないし、道路はすいてる。銀座へ連れてってもらったけどスカスカだ。
これから、どんどん人が増えていくんだろうと思う。
ふと思い出して、
「この辺の土地は、坪何千万とかになるんですよ」というと、
「それは今のお金だといくらだ」と中尉が聞いてきた。
中尉と話してるとよく金額の話になるので、大卒初任給二十万円を単位にしてる。
「えーと、二、三十年分くらいですか」
「何ぃー、二、三十年だとーー」
中尉がここ最近で一番驚いてる。
たしかに、この土地一坪で新品の中型ユンボが二台買えるというのは変な話だ。
ちょっと中尉が考え込んでる。
最初中尉は怖くて固い人だと思ってたけど、意外と腹黒いところもありそうだ。よからぬことを考えてるのかもしれない。
銀座から海へ向かって歩いてて工事現場を見つけたので寄ってもらう。同業者としてこれは外せない。
そこで俺は衝撃を受けた。
最初は何かの冗談かと思った。
何と土を運ぶのに、二人が棒を肩にかけてそこからカゴを吊るし、そこに土を乗せていた。モッコというそうだ。
ダンプカーが普及してないのは分かるけど、せめて、ネコ車かリヤカーぐらいは使ってると思ってた。
さらに、地固めのやり方は衝撃どころの驚きではなくて、自分の目を信じられなかった。
木の棒を組んで高さ三メートルくらいのやぐらを作り、そこから滑車をつるして大きな重りを下げている。それを大勢で『ヨイトマケー』と言いながら引っ張りあげて、落としてる。最初は何かの儀式かと思った。
そりゃ、日本でも、狭い所は通称タコという重りに棒を付けただけの道具を使うけど、普通はロードローラーか転圧機だ。
こんな、ヨイトマケーとかやってたらいつまでたっても終わらない。日が暮れてしまう。
そりゃ、アメリカに負けるよと思う。こんなんでよく戦争しようと思ったよ。
たしか、この時代にアメリカではロードローラーとかトラクターとかが普及し始めたはずだ。
頑張って俺が何とかするしかないな。俺は決意してしまった。
そして九月一日。
この世界へきてもうすぐ三か月。そういえば今日は防災の日だなと気付いた。
避難訓練とか親のお迎えとか色々あったなと思いだす。確か、関東大震災の日なんだよな。
んっ!
えっ?
俺って関東大震災を中尉に説明したっけ?
言ってないような気がする。こんな大事なことを忘れてるなんて。
慌てて中尉を呼ぶ。
「中尉、中尉、大変なこと思い出した」
なんだ、どうしたと中尉がやって来る。
「九月一日、関東大震災が起こります」
「何だ、それは」
「三浦半島の近くを震源にして関東に大地震が起こって、十万人位死ぬんです」
「何ぃーー! なぜ、そんな大事なことを早く言わん。いつだ。今日か」
「ちょっ、ちょっと、待って。今、思い出すから。えーっと、たしか……、去年の防災の日に、今年は九十周年だとテレビで言ってた気が……。おととしじゃないよな、去年だよな。ということは2013から90を引くと――、西暦1923年だ」
「1923年。大正だと十二年だな。五年後か。今から起きるのかと思って焦ったぞ」
中尉がふぅーっと大きく息を吐いた。
普段の中尉は頭の回転が速いし威厳があるけど、たまに慌てるのが面白い。
それにしても、年号を俺は西暦と平成で、中尉は大正で考えるので変換が面倒だ。
「それで、どんな地震だ。どうなるんだ」
「人が立ってられないくらいの凄い揺れで、建物とかも崩れます。その下敷きになった被害も大きいんですが、それよりも火事が凄いんです。大火事が発生して何万人も焼け死ぬんです。助かった人も家が燃えて大変だったみたいです」
「なんと、そんなことが」
「中尉、地図ありますか、東京の」
「持って来よう、少し待て」
中尉が小走りで部屋を出て行った。
戻ってきたときには何枚かの東京の地図を持っていた。
俺は二十三区くらいが一枚に描かれてる地図を手に取った。
皇居から海まで、皇居から荒川までの全部と江戸川の手前までを鉛筆で囲んで斜線を入れた。たしか、江戸川までは火は行かなかったはず。
「かなり、うろ覚えなんですけど、だいたいこの辺が燃えて無くなります」
「これは、宮城以外ほとんど全てではないか……。陸軍省もか……」
中尉が絶句している。言葉が出ない。
「細かいところは覚えてないんで、だいたいですよ。他に、横浜、横須賀は震源に近いからほぼ全滅で、相模湾沿岸も凄い被害だったと思いますよ。もしかしたら、津波も発生したかも」
「何だと、横須賀には海軍工廠があるんだぞ。そんな大被害で日本は大丈夫なのか」
「家を無くした人がたくさんいて、その後不況が来て、それと、朝鮮人が殺されたはず」
「なぜ、朝鮮人が?」
「朝鮮人が毒を撒いたとかのデマが広まったんです」
「デマ?」
「あぁ、嘘の噂です」
「そうか……」
中尉は黙ってしまった。
まあ、すぐには信じられないだろうな。俺も東日本大震災前に、その被害のことを聞かされてもすぐには信じない。
津波で何千人も死ぬとか、原発が壊れるとか、日本中で電力不足が起きるとか、嘘くさすぎる。
「榊原の世界で火消しはどうなっているんだ」
「日本中に消防署があって、消防車と救急車があります。それで電話をしたらすぐに火を消しに来てくれるんです。それから各町に消防団があって民間の人が火を消すんです。後、何があったかな……。他には消火器とかスプリンクラーとか」
「待て、待て、一度に言われても分からん。一つずついこう。まず消防署からだ」
「警察署みたいに市内に何か所かあるんです。熊谷だと大きな消防署が、えーと、三つと小さいのが何個かあったと思います――」
こうして、中尉に二時間ほど地震と消防とついでに救急の話をした。疲れた。
その後、中尉と世間話をしていたら、以前話に出た陸軍の暗号のことを教えてもらった。
実際の暗号文と軍隊用語の一覧表を渡したら言語学者と数学者と学生が一か月かかりきりで解いたそうだ。
それで関係者は大ショックらしい。
俺が、元の世界では難しい数学を使って暗号を作るみたいですよと言ったので数学の先生を呼んだのが効いたのかも。運が良かったのもあるだろう。
聞いたけど解き方は教えてくれなかった。
これで日本の暗号が強くなってくれたらいいんだけど。
でも、暗号って乱数を使うんじゃないの。俺のイメージだとスパイは捕まりそうになったら数字がいっぱい書かれてる乱数表をトイレに流すんだけど。違うのかな?
分からないけど、一応中尉には言っといた。
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