<第四十八章 日米停戦>
昭和十七(1942)年八月下旬。
宮城のとある一室に政府関係者、軍人が集まった。
陛下もおわすし、俺も中尉も居る。
会議は中尉による状況説明から始まった。
中尉は作戦部から兵站部へ移ったのにまだ司会みたいなことをするんだろうかと思う。
だが、良く考えてみたら、中尉は本当の中尉だった頃から会議の事務局みたいなことをしてきたことを思い出した。
「まず我が軍の状況についてご説明します。
陸軍はハルビン、ウラジオストックを安定的に確保しております。
ソ連からの攻撃はハルビン確保後から急速に減少しており、現在はこちらが一方的に攻撃するだけになっております。
現在は瀋陽、清津、ウラジオストックの三か所からハルビンまでの鉄道が運行されており、補給物資、人員ともに必要十分な量が運ばれております。
ハルビン、長春には張一族から官吏が派遣され、治安もほぼ回復してきたといえます。
問題としてはソ連占領期間中に共産主義へ転向した者が居ることです。
ですが、アカのあぶり出しは住民自らが率先して行っており、近い内に改善されると思われます。
今後につきましてはハルビン、ウラジオストックの防備を固めつつ次の越冬へ向けての準備を行うべきところですが、大本営ではチチハルまでの進撃も検討しております。
理由につきましては、のちほどソ連の状況と合わせてご説明させていただきます」
陸軍のお偉方には話が通っているのか。鷹揚にうなずいている。
「次にハワイですが、こちらは多少問題がございます。
オアフ島は大まかにいって、島の北西から南東にかけて山地が続き、島を二分しております。
日本はその左下部分を確保しております。米軍はその反対の右上側に集まっています。
右上部分は山地で区切られている地形上、攻略しにくい地形です。
現在は被害を抑える為、空爆及び大口径砲による砲撃で敵に休養を与えぬようにしております。
米の残存部隊は一個師団相当三万人弱まで減っております。
通常ならば食糧不足が起きそうなものですが、どうやら上陸作戦前からかなりの物資を備蓄していたようです。
また、潜水艦による補給も行われている様子で、まだ数か月は持ちこたえそうです。
民間人はロサンゼルスまで月に四往復の頻度で移送しており、白人の女子供は希望者全員を運び終えました。
現在は白人男性の移送を行っております。
日系人も日本国籍を持つ者のうち希望者はハワイへ物資を運ぶ輸送船の帰りの便に乗せて本土へ移送しております。
約一年で十万人を米本土および日本本土へ移送した結果、占領地域の食糧問題はほぼ解消したといえます。
今後はハワイ諸島全域の早期占領を目指して兵力の増強を行います。
最後にフィリピンです。
米国人捕虜は台湾への移送が終了し、アパリ、バギオ、マニラの飛行場を運用し対潜哨戒を行っております。
ただ治安はあまりよろしくありません。
米国の統治機構がかろうじて機能しておりますが、現地民の間では日本に負けたアメリカがなぜ支配しているのかという考えが広まっています。
我が国は食料輸入で協力しておりますが、手を引いた途端に政治が荒れるのは必至と思われます」
ここまで、特に誰も何も発言しない。
既知の話なのだろう。
詳しいことを知らなかったのは俺一人なのかもしれない。
ということは俺の為にわざわざ説明してくれてるのかと一瞬思ったが、そんなはずはないと思い直した。
情報の整理と再確認の為なんだろう。
「海軍は現在、艦艇の改装と空母艦載機の訓練に取り掛かっております。
艦艇は電探と逆探の搭載、対潜対空兵器の増設が主な内容です。全ての戦艦、空母には既に電探を装備済みですので、戦隊旗艦の巡洋艦、駆逐艦に順次搭載しております。
これが終わり次第、潜水艦への搭載を行います。
艦載機につきましては懸命に搭乗員の訓練を行っておりますが、いまだ定数充足が出来ていない状態です。
また、石油不足も深刻です。
ハワイ、パナマ、シアトルの三大作戦で二百万トン以上の石油を消費しました。その為、備蓄はほぼ底を突き、製油所で精製される端から艦へ給油しております。
造船所では油槽船――タンカーを最優先で建造しておりますが、この逼迫した状況が改善されるのは半年以上先との予想です」
「ということは海軍は半年は動けんということか」と総理大臣。
「船団護衛や小規模な作戦は可能ですが、米本土を再度攻撃するような大規模なものは半年以上先になります」
出席者は皆、考え込んでしまう。
海軍関係者は心なし縮こまっているようにも見える。
「では、我が国の方針を討議する前に、欧州の状況を説明させていただきます。
ドイツはモスクワを完全包囲しもうすぐ一年になります。
次の目標をスターリングラードに定め、ボロネシとロストフの二方向から進撃しました。
ですが、ソ連側の抵抗は強く、現在はスターリングラード市街地外縁で一進一退の攻防を続けています。
この街が他と違うのはボルガ川の川沿いにある点です。包囲ができず、川を使って物資を運びこまれてしまいます。
地理的特性ではドニエプル川沿いにあるキエフやドニエプロペトロフスクに近いです。
この二つの街はまだドイツ軍に勢いがあり補給線も短かった時に攻撃したため容易に攻略できました。
ですが、補給線が伸び、新兵の割合が増えている今は、ソ連が本気で守るこの街を落とすのは困難です。
ただし、後方基地から爆撃機を飛ばしてボルガ川の船舶を攻撃しており、輸送妨害の面ではある程度目的を達しております。
ちなみに、イタリア軍はクリミア半島攻略後、グルジア目指して黒海沿いに進撃しております」
「ドイツはなぜモスクワを占領せんのだ」
参謀総長の発言に、中尉は総理と目配せをした。
「これはドイツがソ連との停戦交渉の交渉材料にしようとしていると思われます。
モスクワを占領してソ連国民の士気を下げるのが良いか、占領するぞと脅して停戦にこぎつけるのが良いか。
また、占領にはかなりの損害が予想されます。ざっと十万人以上の死傷者が出るでしょう。
その辺りを考慮して占領しないのでしょう。
それに、もうすぐ包囲して一年になります。いくら事前に食料を溜めこんでいたとしても、いずれそれも尽きるでしょう。
そうすると、戦うことなくモスクワを手に入れられます」
参謀総長は得心できないみたいだが、とりあえず引いた。
「ソ連は食糧不足が厳しい。秋の収穫までもたないかもしれません。
ですが、肝心のドイツ軍も攻勢の限界でソ連を攻めきれない。
それを踏まえて我が国がどうするかですが、アメリカの状況をご説明した後に御討議頂きます」
「それで、かまわん。進めてくれ」
総理が素早く中尉の言葉を拾って先に進めさせた。
中尉と総理の間で何かが打合せ済みなのは間違いないだろう。
「米軍は本土、アラスカ、キューバ等のカリブ海北西部、アイスランドに展開しております。
このうちアイスランドは補給がほとんど途絶え軍事面ではほぼ無視して良い状態です。
陸軍は装備、練度ともに申し分ないが、連敗続きで士気は下がる一方。
海軍は壊滅に近い状態で、国内輸送の安全確保もままならない。
かろうじて航空機による哨戒で対潜活動をしている状態で被害は減らない。
艦艇だけは造船所で次々建造されていますが、それを動かす人間が足りない。
退役軍人や元船乗りを集めて人員を確保しようとしていますが、それも限界があります。
日英相手にまともに戦えるようになるのは数年単位の時間が必要となります。
また、米国内をみると一部物資の不足が深刻化しております。
天然ゴムの不足により民間用自動車の新規生産停止、民間へのタイヤ販売禁止が行われています。
合成ゴムでのタイヤが製造されていますが、実用に適さない品質の悪さで、かつ生産量が少ない。
一度自動車の便利さを知った者が馬車へ戻るのは辛い物です。
ガソリン、コーヒー、砂糖は配給制になり、バナナなど熱帯性作物は市場から消えた。
工業用ダイアの不足で国民に宝石の供出を呼びかけています。さらにルビーまでも使われています。
はんだ付け用の錫の不足で金や銀の使用も行っているが電子製品の品質悪化が出始めています。
工業用塩も不足。ニッケル、水銀も不足。膨大な工業力を十分に生かせなくなってきています。
物資不足の状況は米西海岸ではさらにひどい。
西海岸には人口の二割、三千万人が住んでいます。
これだけの人間に必要物資を送るのは簡単ではありません。東で余っている物でも西では足りない。
鉄道とトラックで運ぶのは効率が悪く限界がある。
このようにアメリカは大国といえど、万全の状態ではないといえるでしょう」
「それで、アメリカは停戦に応じるのかね」と総理。
「アメリカの方針を予想するには三つの対象ごとに考える必要があります。
それは国民、政党、財界です。
まずアメリカ国民ですが、今度の戦争はそもそもの大義が薄い。
ヨーロッパの出来事はモンロー主義の考えが根深いアメリカでは対岸の火事に過ぎない。
それが自国船の被害をきっかけとしてマスコミに踊らされ一時的に熱狂していただけです。
連敗が続き熱がさめてみれば、戦争が本当に必要だったのか疑問に思っても仕方が無い。
参戦しないで武器や物資を売るだけの方が良かったと考えてしまう。
そうなると、国民の戦争意欲が上がるはずがありません。
口に出さないまでも、早く戦争が終わって欲しいと考えている人間は多いでしょう。
そこで、米国内で反戦運動を始めます。
これは開戦前から仕込んでいた者達を使います。
アメリカ人は名誉を重んじますから、世界平和の為の名誉ある停戦を題目にします。
最初は反対する者も多いでしょうが、このまま手詰まりの状態が続けば賛同者は少しずつ増えるでしょう。
それから裏社会の人間にも接触しております」
ここで一部の人間の顔が曇る。
陛下も表情を変えないようにされているようだが、良い気持ちではないだろう。
「援助は何もしておりませんし、何も約束しておりません。
ただ、一時でも早い停戦。終戦を望んでいるというこちらの希望を伝えただけです。
彼らは戦争では儲かりません。そもそも主な収入源である男が街から消えている訳ですから。
残っているのは女、子供に年寄りで、酒は飲まず、博打は打たず、女を買いません。
儲かるのは軍需産業ばかり。
彼らは男が街に帰ってこないと商売になりません。
積極的に反戦活動をしないまでも、消極的賛成に傾き、邪魔をしないだけで良い。
それから黒人勢力や少数民族――アメリカ原住民、中国系、メキシコ系にも接触しております。
こちらには人種差別撤廃を支持すると伝えています。
資金援助をしても良いのですが、植民地を抱えるイギリスが良い顔をしないと考え接触にとどめています。
次に政界についてですが、スイス、ポルトガル、スウェーデンなどの在欧州米国大使に接触しております。
海戦のきっかけとなったメディナ号事件をうやむやにすると伝えています。
この事件は米国の謀略だと考えますが、それが事実であり、事実が公表されるとなると民主党が吹き飛んでしまう。
次の選挙で負けるどころの話ではなく、党消滅の危機です。
また、講和条件に付いても非公式で我が国の考えを打診しています。
これは英独と調整したものではないのですが、米本土には手を付けない、占領軍を派遣しない、賠償金は請求しないなど穏便な条件にしてあります。
野党の共和党に対しては別段策を講じる必要はないと考えます。
国民に終戦の気運さえ盛り上がれば、何もしなくても終戦へと動くでしょう。
最後に財界に対してですが、アメリカの中南米資産の没収を免除する手を考えています。
かといって、そのまま残したのでは英国が反対するでしょうし、アメリカの力を削ぐことにならない。
そこで没収ではなく強制買取にしようと思います。
現地政府がポンド建てで国債を発行、枢軸国側でそれを買い取ります。
現地政府は手に入れた資金で米国資本を強制買取りし国有化または自国内資本へ売却します。
米資本家は買取額にもよりますが、イエスというはずです。
拒否する場合、米国が完全に敗戦国になると賠償金として海外資産は没収すると脅すことになります」
大蔵大臣が手を上げ発言を求めた。
「そのやり方だと、海外資産が米国内に還流することになり、米国経済が発展してしまうのではないか」
「その可能性はもちろんあります。
ですが、お考えいただきたいのは、戦後の世界構造がどうなるのが我が国にとって一番良いのかということです。
開戦前の世界はアメリカが超大国として存在し、二番手に大国ソ連が続き、その後を英独仏伊日が続いていました。
そして、米ソが極端な拡大主義を持っていたことが問題だったのです。
ですから戦後は拡大主義ではない普通の大国になった米ソの二カ国を、残りの国で抑える形にしたい。
そのためには米国の海外拠点はできるだけ潰さないといけませんし、米国が飲める条件で話を進めなければいけません。
もちろんソ連はこれ以上共産主義を広めないように徹底的に叩かないといけませんが。
この案は試案であり、経済の専門家の意見を聞く必要があります。
今回、お考えいただきたいのは米国との講和条件の方向性です。
米国を完膚なきまで叩くのではなく、大国として生き残ることを許容し、かつ、海外拠点は潰すという方向性です」
ここで皆が考え込んでしまい議論が一時止まった。
海軍大臣が存在感を出そうとでもしたのか手を挙げた。
「経済の専門家ではないのですが、その国債を枢軸国が買うということは日本も金を出すということでしょうか。
そして、その国で政変や経済の混乱が起きて国債が紙くずになってしまうという心配は無いのでしょうか」
「もちろん、その危険は有ります。
我が国は中南米への進出は志向しないという前提でお答えすると、
引受額はできるだけ少額にすべきでしょうし、担保として鉱物資源の採掘権などを押さえる必要があると思います。
ここでいう米国の海外資産は中国の物も含みます。
これは我が国が一番の負担国とならざるを得ないでしょう。
いっそのこと世界中の国、今回参戦していない国も含めて世界的な公的銀行を設立し、そこで引き受けるという手もあります。
いずれにしろ、米国の海外拠点は潰すことが肝要かと存じます」
ここで総理が話に割って入った。
「今すぐ、この場で結論を出さねばならんということではない。
神崎君がいうように専門家の話も聞かねばならんし。
ここは私が一旦預かり、その間各自が持ち帰って検討することにしよう。
それより、アメリカが停戦に応じることが前提になっているようだが、このままでアメリカが停戦するはずがないと考える者も多いだろう。
それに、最初の方に後で説明すると言っていた件もあるだろう。
神崎君、その辺りを話してくれんか」
「承知しました。
アメリカが停戦に応じる前提として三点あると考えます。
第一に米国内で反戦世論が強くなること。
第二に米本土が攻撃される可能性があがること。
第三にソ連が降伏し、アメリカが世界で孤立すること。
まず、米国世論ですが、このままの状態が続き、先ほどお話ししました策を続ければ反戦へと向かうでしょう。
第二の点とも関係しますが、近日中にカナダ・メキシコの両国から米国民向けのラジオ放送を開始します。
そこで、直接米国民へ停戦を訴えていきます。
次に第二の米本土攻撃ですが、イギリスと協力しまして、カナダ・メキシコの両国へ航空機を進出させ爆撃の準備を行います」
部屋の中が少しざわつく。
陸海軍も聞いてなかったのかもしれない。
「すでに、イギリス、カナダ、メキシコの三か国とは話が進んでおり、条件面ではほぼ同意に達しております。
あとは各国内での調整が終われば作戦を開始できます。
現在はイギリス経由で支給した重機を使い、国境地帯へ大規模陣地構築を行っています。飛行場も近い内に完成します。
両国から爆撃するとなると米国主要都市の大部分を目標にすることができ、人口比でいうと五割以上、工業製品製造額でいうと七割が対象になります」
「日英共同といっても、我が国には大規模爆撃に適した機体は無いが、どうするんだ」
「爆撃はイギリスのランカスター他の機体を使います」
「では、我が国は何をするんだ」
「核爆弾を提供します」
「核爆弾!」
「核爆弾?」
知っている者は驚きの声を上げ、知らないものは疑問の声を上げた。
「実は一発だけ完成しております。
しかし、実験を行っていないので、本当に爆発するか分からない不確実な代物です。
それに大きすぎて我が国の航空機では運べません。となると潜水艦で運ぶしかない。これだと攻撃可能地域が限られてしまう。
ですが、カナダまたはメキシコの飛行場でイギリスの爆撃機を使えるとなると話は変わってきます。
先ほどお話しした人口の半分を対象にできる。また、首都ワシントンを目標にすることもできる。
例えばオタワ-ワシントン間は七百キロ強。十分爆撃圏内です。
アメリカ北西部の人口中心部、五大湖岸の工業地帯、太平洋岸のシアトル、サンフランシスコ、ロサンゼルスなどを目標にできます。
落とす場所に寄りますが、一発で数十万人を殺傷することが可能です」
「数十万人というのは民間人を含めての数字だろう。それは戦後に問題となる。我が国の歴史に汚点を残すことになる。絶対にイカン」と外務大臣。
「確かに軽々には使えません。
ですから、わざと核爆弾の情報を漏らし、アメリカに戦争継続を諦めさせるしかありません」
「それでも、アメリカが応じなかったら」
「応じると考えます。
アメリカでも核爆弾に関する研究を始めている兆候があります。米国内の原子物理学者で所在が分からない者が居ます。
アメリカが研究を始めているならば、その威力について想像が可能です。
また、核爆弾のことを米国民へ知らせた場合、多くの都市で相当な混乱が起きるでしょう。
それでもアメリカが応じない場合、その時は警告として無人島か人口希薄地帯へ落とすしかありません。
ですが、落とした場所は放射能という毒で汚染されます。
ですから基本は使わない。脅しの手段として用いるだけです。
落とすとしても最後の手段として、他に全く手が無くなった時だけです。
それに二発目はまだ完成しておりません。一発目を作るのに十年の歳月が掛かっています。
二発目の完成予定は一、二年先になる見込みです。
よって、なおのこと使えないのです」
その後の話は核爆弾の話に終始してしまった。
威力についてや、放射能について中尉が分かりやすく説明する。
そして、俺にまで説明の役が回ってきた。
何十年も前に習った話なので俺は細かいところを覚えてないが、思い出せるだけを話した。
それで出席者は核の恐ろしさについて理解したようだ。
そして、会議は時間切れで散会となった。
会議の後はいつものように陛下から呼ばれてハワイの話をした。
今日の会議出席者でハワイへ行ったのは中尉と俺だけのはずだ。連合艦隊司令長官は日本に居たと聞いている。
血生臭い部分は避けて、ハワイの気候やパイナップル畑、海岸の白さなど観光に行ってきたような話をした。
陛下には興味深そうにお話を聞いていただくことができた。
確か陛下は海外といえば、ヨーロッパしか行ったことが無いはずだ。あとは台湾など日本領内くらいだろう。
異国の話がお好きで良かった。
俺がこんな風に陛下とお話しするのは、あと何回も無いだろう。
さすがに戦争が終われば俺が役に立てることは少ない。
戦争が終われば俺は一般人に戻るのだろうか。
だとしたら陛下と直接話すのはこれが最後かもしれない。そう考えると寂しい気がした。
昭和十七(1942)年九月。
ロシア戦線。多分、もう秋に入っていると思う。
モスクワはなかなか落ちない。
ドイツ軍が積極的に攻め込まないのも原因の一つだ。
レニングラード以上の激戦が予想され、二の足を踏んでいるのだろう。
そんなある日臨時ニュースが流れ、日本中が驚嘆した。
ドイツとソ連が停戦。そして、ソ連軍部がクーデターを起こしゴーリキーで暫定政府樹立を宣言した。というのだ。
俺が務めている工場でも重機の生産計画に変更が出るかもと慌ただしかった。
その日の夜に中尉の家へ電話したが出ない。
さすがに対応に追われているのだろうか。
結局中尉と連絡が取れたのは一週間もたってからだった。
「すまん、すまん。満州でソ連軍をどうするかの話がなかなか決まらずに家へ帰れなかったのだ」
「それは、仕方ないが、それより知ってたのか」
「ああ。知っていた」
中尉が真面目な顔になって答えた。
「先月の会議の時点で?」
「そうだ。だが、日本で知っていたのは十人も居ない。だから話せなかった」
「で、どういうことなんだ」
「ドイツとソ連軍の思惑が一致したということだな。
両者とも戦争を止めたがっていた。
ドイツは自国の経済が限界に近いことを理解していたし、ソ連軍もこのまま続ければ国内に餓死者が出ることを知っていた。
ただスターリンだけが戦争を続ける気だった。続ければいつかソ連が勝つと信じているんだな。
それで、ドイツがスペイン内戦の生き残りやスウェーデンを通じてソ連軍に接触した。
スターリン相手では話にならんことを分かっていたのだ。
そして、講和条件を話し合った。
ソ連は前大戦後の国境まで縮小すること。
ソ連は新国家を樹立しスターリンを排除すること。
枢軸国は緊急に食糧支援を行い、講和後はロシア軍へ武器援助を行うこと。などだ。
条件がまとまったところでドイツが一方的に攻撃を中止し、モスクワへ食糧供給を行った。
それで、ソ連軍側はドイツを信用して講和に応じたということだ。
事前に日英伊へ通告があった。
それで、総理が陛下へご報告し、最終的には陛下がドイツ案了承を御聖断された。ソ連との戦いが終わるならと。
この件はスターリンへ漏れると全てが終わりになる。
だから、陸海にも教えない超機密だった」
言われてみれば確かにそうだ。
超が何個も付くくらいの極秘情報だ。
話せなかったのも納得だ。
「これからどうなるんだ」
「スターリンはクーデターを認める訳が無い。内戦だ。
スターリンはモスクワがダメならウラル山脈まで敵を引き込むつもりだったのだろう。
それで、最前線には忠誠心の薄い部隊を集めていた。その分、政治将校は多めだがな。
ウラル以西の将兵が見捨てられたと考えても不思議ではない。
それが裏目に出た。
東部戦線には過去にシベリアへ送られた者も多い。
一度反乱が起きると同調者は急速に増加した。
スターリンは子飼いの部隊をウラル防衛の為の兵力として自分の近くへ置いていた。それですぐに反乱鎮圧ができなかった。
前線の部隊としては現在地を守って死ぬか、反乱成功に賭けるかの二者択一だ。反乱に参加しても不思議ではない。
今はまだ、ソ連軍内部でもどちらに付くか迷っている者も居て混沌としている。
もうしばらくすると、ウラル山脈を境に西が資本主義のロシア、東が共産主義のソ連と別れるだろう」
「停戦したのはドイツと反乱部隊だろ。ソ連とではないと。ということは日本はまだソ連と戦闘が続くということか」
「そうなるな。
だが、スターリンは内戦の準備をするはずだ。日本と戦争している場合じゃない。
自分の命がかかっているんだから。
それに日本はこれからソ連と停戦交渉を行う。
これは英独も了承済みだ」
そして、クーデター発生から二週間後、日ソ間でも電撃的に停戦がまとまった。
現在地点から双方とも五キロ後方に後退して停戦。
終戦交渉は改めて行うとなった。
こうして、連合国は実質アメリカ一国だけになってしまった。
ここで枢軸国の奥の手が出た。
カナダ・メキシコ両政府による共同声明だ。
アメリカは停戦交渉に応じよ。さもなければ、加墨両国は枢軸国側へ基地の提供を行う。
という内容だ。
これで一気にアメリカ国境が緊張した。
アメリカは国境付近へ軍隊を派遣した。
これに応じて加墨両国も軍隊を派遣した。
アメリカ国内では世論が沸騰した。
継戦派と終戦派が争う。
継戦派はまだまだ戦えると主張し、終戦派はカナダ、メキシコまで相手にするのかと反論する。
民主党、共和党それぞれの中に継戦派と終戦派が居て意見が錯綜する。
米南部、西部では物資不足、空襲の恐怖で反戦の空気が広がる。
さらに中尉の手の者が動いて、不安をあおると同時に反戦運動を行う。
十年以上前からその土地に住んでいた者達だから説得力がある。
米北東部では物資不足の意識は西部・南部ほどではない。戦争被害も全くないので継戦の空気が強い。
逆にこれからだという空気すらある。
反戦運動を抑えられない弱腰の政府へ非難が激しくなる。
米国内は東部と西部の争いの様相まで出てくる
そこへ英独伊日各国の息がかかった者達による反戦活動が激しさを増していく。
一方、枢軸国側の中にも過激な継戦派は居た。
アメリカへ上陸作戦を行い、加墨両国と協力してアメリカを占領すべきだという意見だ。
この継戦派の中にも、沿岸主要都市だけ落とせばアメリカは停戦に応じるという考えもあれば、アメリカが屈服するまで徹底的にやるべきだという意見もある。
英独は継戦派の意見が強く、日伊は終戦派の意見が強い。
日本は陸海上層部は終戦派で、中堅・下級将校に継戦派が多い。
中尉は終戦工作で忙しいのか全く姿を見せない。
おそらく水面下でギリギリの交渉が続けられているのだろう。
日本の切り札核爆弾も用意され米国へ警告されたのではないかと思う。
そして九月十四日、アメリカ大統領は停戦受諾を発表した。
停戦のニュースを聞いたとき、俺は工場に居た。
新工場建設の為の会議中だった。
社員の一人が会議室へ飛び込んできて叫んだ。
「アメリカが停戦を受諾しました」
「勝った? 日本が勝ったのか?」誰かが叫んだ。
気の早い者がバンザイを叫ぶ。
涙を流して喜ぶ者も居る。
その中で俺は、停戦を決断したアメリカ大統領のことを考えていた。
今、どんな気持ちなんだろうと。
今後の予定は次の通りですが、多少ずれるかもしれません。
9/19(金)19時 第49章
9/20(土)19時 第50章(最終章)+番外編で完結