<第四十六章 米太平洋艦隊の終焉>
十月三日。
今日も前日と変わらない日が続くと半分死んだ頭で思いながら作業をしていた。
上陸してからの九日間で、飛行場は臨時基地としての機能を十分に備えていた。
小型機用の掩体壕が二十五個。これは機体の三方に土の壁を盛っただけで天井は無い。
この掩体壕と滑走路をつなぐ誘導路は自走できる程度に整備されている。
地下燃料タンク用の穴が二つ。今はとりあえずガソリンや潤滑油が詰まったドラム缶が並べられている。これも天井は無い。
海岸と飛行場を結ぶ道路も整備した。元からちゃんとした道路があったが、戦闘で一部破損していたので補修した。
上陸した日の夜以来、中尉とは会っていない。
中尉が忙しいのか、俺が晩メシの後はすぐに寝てしまうのがいけないのか、それとも放置されてるのか。
忙しすぎて余計なことを考える暇が無い。
だが、この日の日暮れの砲撃はいつもと様子が違った。
敵は遠距離から照準も適当に撃ってくるので、ここ数日は被害らしい被害は無かった。
ただ、日本兵の心が少しずつ削られていくだけだ。
万が一当たるかもしれない砲撃を毎日二回朝晩とやられれば、だれでも参ってしまう。当たれば死ぬのだから。
うちの部隊でダメになった奴はいないが、他の部隊だと発狂した者が出てるかもしれない。
そして、この日は臨時司令部が置かれた元管制塔の建物の方へ着弾した。
あっちの方角は司令部がある。
俺は爆炎が上がった方を見て心臓が止まるかと思った。
司令部へ着弾しようものなら高級将校が軒並みやられてしまう。
そして、中尉もそこへ居るかもしれない。
一刻も早く駆け付けたいが、まだ砲撃が終わらない。
とても長く感じた時間が過ぎた。ここ数日は五分くらいで終わったが、その何倍にも感じた。
俺が着くよりも早く、何人もの人が司令部へ集まり救援活動をしていた。
そこで、外側から建物を眺めている中尉を見つけた。
衛生兵にヨードチンキを塗られていた。
「ちゅう――」
思わず、中尉と呼びかけそうになり、慌てて言葉を飲み込んだ。
それに気付いた中尉が振り返った。
「榊原か、俺は大丈夫だ。衝撃で天井が一部崩れて、破片にやられただけだ。
弾が落ちたのはあそこだ」
中尉が指差した方には建物から少し離れて穴が開いていた。
俺が居た方からすると建物を挟んで反対側だったため、建物を直撃したかのように見えたのだ。
「明日には司令部を真珠湾へ移す予定でな、色々忙しく人が少なかった。
どうせ当たらんと思って壕へ避難するのを面倒がっていたら、バチが当たってしまった」
「ご無事で何よりです。では、作業へ戻ります」
俺は力の抜けた敬礼をして、壕へ戻った。
十月四日。
ようやく作業が八時間ずつの二交代制になった。
これでようやくゆっくりできる。
正直限界が近かった。あと数日続いたら、いつ倒れてもおかしくないところだった。
戦場は心身ともに消耗する。
十月五日。
中尉から戦況を聞くことができた。
上陸した日の夜に話して以来だ。
大まかなところは例の少尉がどこからか聞いてきて教えてくれたので知っていた。
上陸二日目からの三日間の戦闘で敵はホノルル防御を諦め島中央部の米軍主力が居る方と、東部のダイアモンドヘッド方向へ後退した。
これで日本は真珠湾を使えるようになった。
湾内に居たのは雑役船やタグボートなどだけで軍艦の姿は無く、しかも一隻残らず丁寧に破壊されていた。
岸壁沿いの各種建物も書類はキレイに残っていない。
人は関係者と傷病人が病院に残されていただけだ。
武器弾薬はほとんど空。日本では使い道の困る米空母高角砲の砲弾だけが残されていた。
肝心の燃料も重油が五千トンしかない。米空母が活動する最低限しか残っていない。
開戦時には百万キロリットルの単位であったはずだから、計画的に移送か廃棄したのだ
たださすがに鋼鉄などの資材は持ち出すのが難しかったらしくかなり残されていた。
「計画的だな」
「ああ、見事なほどだ。この事態に備えて用意周到に備えていたのだろう。
そうでなければ、こうも上手くいかん」
調査と安全確認に三日を費やし、上陸開始八日目の十月二日、真珠湾に日本の護衛艦と輸送船が入港した。
その日の夕方、真珠湾へ米軍からの嫌がらせ砲撃があった。
弾は海面へ落ちたり、岸壁の一部を削ったりした。一発だけ護衛艦に命中したが甲板がへこんだだけという軽微な損害だ。
上空に味方機が居る時以外の使用は危ないということで、荷揚げは日中の十時間(七時から十七時)に限られることとなった。
それでも大発を使って海岸へ揚陸するより何倍も速い。
日本軍は最初の関門を突破したのだ。
「そういえば海軍特殊部隊とも連絡が付いたぞ」
「無事だったのか」
「敵追撃部隊との戦闘で死傷者は出ているが全滅ではない。
ハレイワの方の偵察隊が回収した。
戦闘中に無線が壊れて連絡できなかったそうだ。
次からは無線機は二台必要だな。いや、特殊部隊用に携帯性重視の無線機を作るべきか……」
中尉が考え込みそうになったので、話題を変える。
「良く生きてたな。食べ物とかどうしたんだ」
「三日分は持参していたはずだが、その後は現地調達だ。
水は川から、食料は民間の牧場から馬を一頭失敬して、それを食ったそうだ。
それで、救出されて食事を出されたら、『馬刺しの方が美味かった』とぬかしたそうだ」
「豪胆だな……」
「ああ、そんな奴らを選んでるからな。
それで、陸の話はこんなところだが、海もきつい戦いだったぞ」
「海でも戦闘が有ったのか。知らんぞ」
「ああ、そうだろうな。
損傷艦は空になった輸送船と一緒に護衛を付けて先に日本へ帰した。
それに戦闘に参加した船もまだ真珠湾に入ってない。
まだ、噂も広がっていない」
中尉によると、海軍は上陸前夜からレーダー搭載の空中管制機を飛ばしていた。
その管制機が上陸の翌日南方から東方にかけてを哨戒中、オアフ島東南東二百五十キロに敵編隊を発見した。
ただちに主力艦隊が迎撃に向かう。航空艦隊は主力艦隊とは別行動を取り、位置を秘匿している。
ただし空母一隻は留守番で残る。陸軍の援護とハワイ島爆撃の任務が有るからだ。
敵空母が西へ向けて退避しなかったのは幸いだった。もし、そうなら奇襲されていたかもしれない。
一応索敵機は飛ばしているが、必ず発見できるとは限らない。
敵は三波に分かれてやってきた。合計九十機。
しかも戦闘機の半分は新型だった。
こちらの迎撃機は四十機。
だがこちらも戦闘機は全て新型の一式に機種転換済みだ。
一式戦闘機
1320馬力、最高時速570キロ、武装13ミリ機銃×3、航続距離1200キロ(増槽無し)。2300キロ(増槽有り)
零式戦闘機を元にエンジンを高出力の物へ変更、それに伴いプロペラの直径を伸ばした。
また、全体の重量バランスを取るために操縦席後部の防弾を厚くしている。
最高速は上がっているが、格闘性能が若干落ちることとなっている。
戦闘機の戦いは互角。
格闘性能はこちらが上だが機体の頑丈さでは向こうが上。
平均の技量は向こうが上だが、こちらには神業を持った歴戦の搭乗員も居る。
時間がたつにつれ少しずつ日本側が優勢になってきた
また、高度計測レーダーのおかげで対空砲の命中率が上がっている。
途中で攻撃を諦めた敵機も多い。
まさに、ハリネズミ艦隊の面目躍如というところだ。
だが、米軍は後が無いので果敢に攻撃してくる。
その半数以上を撃墜、撃破。
結果、戦艦陸奥に爆弾一発が命中し中破(戦闘継続は可能)。
他に重巡一が大破、駆逐艦二が大中破となった。
「あいつらはなぜか分からんが大きい艦から狙う。
うちとしてはその方がありがたいが、せっかく直した陸奥に命中弾が出たので、また修理でドック入りだ」
と中尉がぼやく。
その後、日本は敵機の帰投方向へ索敵機と飛行艇を送る。送り狼だ。
そして、一時間後敵空母発見の連絡を待たずして攻撃隊を発艦させた。
百二十機からなる大編隊だ。
四十分後、索敵機及び飛行艇は敵空母を発見。その位置を打電。
攻撃隊は進行方向を変更し、三十分後敵空母と接触に成功した。
敵の迎撃機は二十機足らず、とても日本の大編隊を抑えることはできなかった。
空母と駆逐艦四隻の全艦に爆弾、魚雷を命中させ。空母は撃沈確実、駆逐艦は二隻撃沈、二隻大中破と判定された。
「やったじゃないか」
「ああ、だがまだ話は終わらん。
打撃艦隊がミッドウェーから来たB-17三十機に襲われた」
飛行艇は敵空母方面へ行っていたので、発見したのは戦艦搭載のレーダー。
気付いた時には百キロの位置に近づいていた。
直掩機は十機ばかりが残っていたが、それでは敵機を抑えきれない。
可能性は考えていたが、どうしようも無かった。
三分の一は撃退したが、残りの二十機は見事な雁形編隊で水平爆撃をしていった。
「米軍の意地だな。
長門が至近弾で軽微な被害が出て、巡洋艦、駆逐艦にも被害が出た」
日本もここで意地を見せる。
ハワイ島方面へ去ったので、オアフ島沖に残った空母土佐に連絡。
敵はハワイ島に着陸したはずから、そこを狙って攻撃させた。
そして敵機はほぼ全滅。残ったとしても数機と判定された。
最終的な結果は、
戦果:空母一撃沈。艦載機は全損。駆逐艦二撃沈、二大中破。B-17およそ三十も全損
損害:艦載機二十三機、戦艦二中小破、巡洋艦二大中破、駆逐艦二沈没、四大中破。
「それと、ちょっと珍しい戦いもあったぞ。
珍しい潜水艦対潜水艦の戦いだ。
ハワイ周辺に日米合計で五十隻以上の潜水艦が展開していた。
偶然出会ってもおかしくない。
といっても両者が潜航中だと互いに攻撃手段は無い」
「えっ? 潜水艦は潜水艦を攻撃できないのか」
「敵が浮上してれば攻撃できるが、潜航中は攻撃できん。魚雷は水面下十メートルくらいを走るようにできてるからな。
三十メートルも潜られたらどうしようもない。
体当たりの手はあるが、それは自らも沈没する危険性がある。それに、体当たり自体も至難の業だ。
浮上して連絡しようとすると、そこを狙われる。
それでお互いに打つ手が無くて我慢比べだ。先に浮上したほうが負けとなる。
結局、米潜が先に逃亡したので、我が軍の潜水艦は追跡を諦めた」
「そんなことがあったのか」
「これで太平洋側の米海軍は潜水艦以外ほぼ壊滅だ。
だが、まだまだ油断はできん。
これからハワイへ大量の物資を送らんといかん。
これからはその輸送船が狙われる。
護衛艦隊に頑張ってもらう必要がある。
それに、ミッドウェー、ウェーク、ジョンストンをそのままにもしておけん。
放っておいてもそのうち補給切れで自滅するだろうが、潜水艦で物資を運ばれたら面倒だ。
これも攻略する必要がある。
それに最後の大作戦。米本土攻撃の準備もしなければならん」
「どこをやるんだ」
「それは、まだ言えん。軍内部でもほとんど知らん極秘だ。
時が来れば教えてやる。
そして、その作戦を最後にして停戦交渉を行う。
アメリカを交渉の席に着かせる大事な作戦だ」
「上手くいくといいな」
「ああ、絶対に成功させる。そのためにはここハワイを確実に抑えんといかん。
しっかり頼むぞ。
俺はすまんが、先に日本へ帰る」
「んっ、えっ」
帰っちゃうの。
「大本営でやらんといかん仕事が溜まっていてな。
ここの情報を早く持って帰って、作戦を円滑に進められようにしないといかん。
そのために来たんだ。
遊びに来たわけじゃないんだぞ」
「そうか、仕方ないな……。寂しくなるな」
「追加の重機はできるだけ早く送ってやる。それまで死ぬなよ」
そうして中尉は飛行艇に乗って帰ってしまった。
既に日本へ向かっている損傷艦へ合流して、それで日本へ帰るそうだ。
俺としては初めて中尉と海外へ来たのだ。戦闘が落ち着けば、ひょっとしてハワイ観光でもと内心考えていた。
あっさりしすぎの中尉に肩透かしをくらった思いだ。
とは言っても、まだ戦争中だ。俺の我がままは言ってられない。
日本軍は真珠湾を確保すると、それ以上占領地域の拡大を急がず、占領地域の安定に努めた。
俺はワイキキにあるオアフ島最大の飛行場であるヒッカム飛行場の復旧に駆り出された。
時々砲撃はあるがバーバース岬飛行場が使えるので、二交代制での通常体制だ。
ヒッカムが終われば次は真珠湾の港湾施設、ワイキキ市街の復旧とやることはいくらでもある。
現在オアフ島で使える重機は、ユンボ四台、ブルドーザー四台、ダンプ四台、ロードローラー二台しかない。
米軍が使っていた重機はことごとく破壊されて使えない。
軍が使っていた燃料は処分が難しかったのか、水・土・ゴミなど異物が大量に混入してあった。
こうなると使えないので、それらは飛行場の夜間照明としてかがり火に使われた。
たった十四台の重機で沖縄本島より大きいオアフ島を復旧しようというのだから無理がある。
でも、やるしかない。
道路修理は主にブルとダンプに任せて、俺はユンボをクレーン代わりに使い真珠湾とワイキキの建物復旧に当たった。
日本軍は少しずつだが着実に占領地域を広げていく。
上空には艦爆と襲撃機が舞い、敵の砲煙や車輌を見つけると、潰していく。
この襲撃機はあのマリアナ沖海戦で全滅したのと同種類の物だ。
他に使い道が無くて、ここへ持ってきたらしい。
対艦攻撃ではすぐにやられてしまったが、対地攻撃ではそれなりに使えるのだ。
連合艦隊は大部分が帰ってしまったが、一部の艦艇が残っている。
病院船、工作船、給糧艦、油槽船、水上機母艦、潜水母艦など補助艦艇は残っている物が多い。
艦載機は戦闘機の半数、艦攻艦爆の一部、襲撃機全部が残っている。合計約六十機
アメリカが大西洋から空母を回航してこない限り航空攻撃される可能性は無いので、対地攻撃、ハワイ島など他島の攻撃、哨戒を行っている。
ただし、攻撃は弾薬に限りがあるので徐々に少なくなっている。
連合艦隊はオアフ島からの帰りミッドウェーを攻撃した。
艦載機に被害を出しながらも、艦砲射撃で敵基地を壊滅させたそうだ。
その後、降伏の連絡を受け、臨時編成された陸戦隊が上陸し、無事占領した。
彼らはそのまま物資と共に島に残された。可哀想だが誰かがやらないといけない。
上陸から三週間後、島へポルトガル船籍の貨客船が二隻やって来た。
これから米軍傷病者や原住民以外の米国籍民間人を米本土へピストン輸送するらしい。
人道上の理由と、食糧状況の改善のためだ。
日本軍が二十万人以上の民間人の食糧を供給するのは厳しい。かといって放置することもできない。
日本の船団よりも先にやって来たということは、作戦開始前から計画されていたのだろう。
俺は日々作業を行い、合間には技術指導をする。
また、調子の悪い重機があれば整備の隊員と一緒に調べたりもする。
その間も戦闘は続いていた。
上陸一か月で日本軍は島の南西半分を占領、米軍は山を挟んで北東側の狭い部分へ押し込められていた。
上陸から一月半。
ようやく日本から次の船団が到着した。
来る途中に米潜の襲撃を受け、数隻が沈没したそうだ。
船団の外側には重要では無い物を積んだ船を配置していたらしくて、亡くなった人には申し訳ないがほっとした。
ということで、追加の重機とオペレータが届いた。
これまでは特別に編成され、司令部直属とされた重機隊しかいなかった。
そこへ各師団所属の重機が到着したのだ。
とはいっても各師団の全重機が来たわけではなく、各師団直属の工兵部隊を中心にユンボ四台、ブルドーザー二台、ダンプカー十台。
これが三師団分で合計ユンボ十二台、ブル六台、ダンプ三十台。
他に戦車運搬車、輜重部隊用のユニックやトラック、弾薬運搬車なども届いている。
揚陸も真珠湾の岸壁が使えるので、大発を使うより格段に速い。
これでオアフ島の重機は陣容が一気に四倍に増えた。工事も早くなるはずだ。
それで俺はお役御免となり一足先に日本へ帰ることとなった。
フィリピンの時と同じく、他の隊員は残って工事を続けることになる。
まだ壊れている施設や道路はたくさん残っているし、オアフ島も全てが制圧されていない。
それにこの島が済んでもハワイ島も戦闘が有ったので、そちらも復旧しないといけない。
ここを離れる前日、例の少尉が気を利かせてハワイ土産を持って来てくれた。
原住民が作った観光客向けの土産物らしい。
「魔除けの置物だそうです。戦争で観光客が来ないらしくて、喜んでタバコと交換してくれましたよ」
と言っていた。
フィリピンの時とは違って、今度の帰りは飛行機ではなくて船。でも、輸送船ではなくて貨客船だったのが不幸中の幸いだ。個室をもらうことができた。
ハワイ行きは将校で満室だが、日本行きに乗る者は少ないらしい。
負傷者の他は俺みたいな訳ありの人間か日米開戦で祖国へ帰れなくなっていた日本人くらいだ。
食事は食堂で全員一斉だったので、自然と顔見知りになり事情を教えてもらったので知っているのだ。
おかげで帰りは退屈しないで済んで良かった。
昭和十六(1941)年十一月。
約二週間の船旅で日本に到着した。二か月以上も離れていたのでとても感慨深い。これまでで一番長い期間だ。
生きて帰れたと思うと涙がこぼれそうになる。
横浜に着いたその足で大本営へ向かい、中尉へ帰国の報告をしに行った。
転任で中尉の部屋は場所が変わっていた。
前の部屋より少し狭い気がする。
これが作戦部という大本営の主流と兵站部という傍流の差だろう。
「帰ったぞ」
「ご苦労だった。無事で何よりだ」
中尉はいつもの固い表情と少し違う。多少の罪悪感があるのかもしれない。
それから、いつもの蕎麦屋へ行って晩メシを食うことになった。
行く前に忘れず家へ電話を掛ける。玄関で何時間も俺を待つことになったら家族が可愛そうだ。
蕎麦屋では料理の他に酒も頼んだ。
乾杯してお互いの無事と作戦の成功を祝すと、話は自然とハワイ作戦の話になった。
「総合的に考えて、今度の作戦の結果はどうなんだ」
「予定では二月でハワイ諸島全域を占領する予定だった。にもかかわらず、まだオアフ島の完全占領もできていない。
進捗の面から見ると良くない。弾薬の消費が激しくて費用が予定を大幅に超えている。
作戦目標の真珠湾の利用という面では達成できているから悪くない。
甲乙丙丁でいうと乙というところだな」
「被害はどのくらい出たんだ」
「想定より少なかった。
もっと米潜の襲撃が多くて、輸送船団に被害が出ると考えていた。
だから手間は増えるが一隻の船に一種類の荷が固まらないようにした。
そうしないと、もし沈められた時にその荷が一切前線へ届かんことになってしまう。
ほとんど無駄な手間になってしまった。
どうやらアメリカは反攻に出る気が無さそうな感じだ。
もっと破れかぶれで乾坤一擲の大博打に出ると思っていたが考え違いだった。
将来の大反攻に備えて兵力の温存を図っているのか、これ以上の死傷者が出たら世論がもたないか、すでに乗員が不足しているのか。
いずれにしろ、敵が出てこない以上、こちらはやるべきことを坦々とやるだけだ。
それと、これはまだ公表されていないんだが、空母一隻が沈められた」
「えっ、いつ? どこで?」
「ミッドウェーを攻撃した後だ。
やつらはミッドウェーも攻撃されると踏んで、周りに潜水艦を配置していたようだ。
着艦時のどさくさに加賀をやられた。
翔鶴にも当たったが、こちらは自力で帰れた。
だが、加賀は数時間後に艦内で爆発して火災が発生して手が付けられなくなった。
敵潜が居る海域に長時間いる訳にもいかず自沈させることになった。
戦艦改装の空母は何か問題があるのかもしれんな。
乗員、搭乗員の大半を救助できたのは幸いだが、やはり痛い」
「空母一隻はデカいな」
「確かにな。だが、米空母一隻と相討ちだから想定内だ。
アメリカの空母は我が軍の一倍半は艦載機を乗せられる。それをやったのだ。
それに米空母の乗員、艦載機の搭乗員は大部分が戦死したはずだ。
それに比べてこっちは、撃墜されたのを除くと助かった者が多い。
損害で比べるとうちの勝ちだな。
何より太平洋に米の正規空母が一隻も居なくなったことが大きい。
これで我が軍の自由度が上がった。次の作戦もやりやすくなる」
「次というと――」
「ああ、米本土攻撃だ。
これをやらんことには、アメリカは絶対に停戦に応じない。
これまでは同盟国がやられたり、海外の植民地や領土を取られたにすぎん。
我が国でいうと、南洋諸島や台湾を取られたようなものだ。
そんなことで我が国は戦争を止めんだろう」
「まあ、そうだな」
「そうだ。だからこそ、次の作戦は死力を尽くして敵に損害を与える。
そして、停戦交渉、戦争終結へ持っていく」
「だが、一回や二回本土を攻撃したくらいでアメリカは交渉に応じるか?
俺が元居た世界ではドイツはベルリンが落とされるまで戦ったし、日本は各地が空襲されても原爆を落とされソ連が参戦するまで戦ったぞ」
「そうだな。まだ話せんが腹案はある」
「中尉がそう言うなら大丈夫なんだろう。
じゃあ、ソ連はどうなってるんだ」
ハワイには満州や欧州の話はなかなか伝わってこなかった。
そもそも、日本の新聞が届かないし、電話も電信も米本土との接続を切られていて、どの情報もほとんど入ってこない。
「ハワイに居ては分からんだろうな。
まず、満州だがハルビンまで鉄道が通じて補給が楽になった。
飛行場も再開したしレーダーも設置した。大型砲ももうすぐ移設が終わる。
もう、奪還されることは無いだろう。
ソ連はかなり弱ってきてる」
「ヨーロッパはどうなってるんだ」
「ドイツが頑張った。
モスクワ最優先で攻略したので完全包囲に成功している。
今度の冬さえ乗り切れば陥落するだろう」
「スターリンは?」
「ウラル山脈の東にあるスヴェルドロフスクへ逃げたようだ。モスクワから千五百キロも東だ。
そんなに遠くまで逃げんでもと思うが、独裁者は自分の命が大事なんだな」
「ほぼ予定通りということか」
「いや、そうでもない。
レニングラードやクリミア半島は落としたし、前線はレニングラード-モスクワ-ボロネシ-ロストフの線まで進んだ。
だが、スターリングラードは全くの手つかずで年内はどうにもならん。
それでボルガ川の河川輸送を遮断できていない。
これを止めないとカスピ海の石油などの物資がソ連中央部へ流れることになる。
ドイツは爆撃機を飛ばして地道に妨害しておるが、ソ連も夜間に運航したりしてなんとか運んでいる。
ドイツもソ連も息切れ寸前だ。まだ油断はできん」
「ドイツは危ないのか」
「労働力不足が危険な域に達している。
軍に徴兵しすぎた。ソ連が相手では仕方ないがな。
それで、捕虜やウクライナ・ベラルーシから連行した人間を働かせているが、初心者をいくら連れてきてもすぐには効率は上がらん。
それに捕虜が真面目に働くとも思えんしな。
お前も心当たりはあるだろう」
うちの工場も新人の活用には苦労した。
人手は欲しいが誰でも良いというのではない。
「ソ連はソ連で食糧不足がひどい。
穀倉地帯のベラルーシ、ウクライナを去年の秋から抑えられてるからな。
ただでさえ、ひどいのにアメリカからの支援も減り、もうどうにもならんだろう。
今年の冬はかなりの餓死者がでるとの予想だ。
スターリンの首も危ないな」
「餓死か……」
敵国のこととはいえ聞いて気分の良いものではない。
その辺、中尉は割り切っているのだろう。降伏しない方が悪いと。
「辛気臭い話はこのくらいにして、今日は無事帰ってこれたことを素直に喜ぼう。
飲め、飲め、遠慮するな」
そうして、俺はいつになく飲まされた。
家に着いたのは夜遅くになってしまった。子供はもう寝ていた。
俺は家に帰ったのもぼんやりとしか覚えてない位に酔っていた。
次の日の朝、二日酔いで頭が痛い上に、カミサンの機嫌が悪いのが地味に効いた。
昨日の席で中尉は『おまえの工場も順調に生産しているようだ。しばらくゆっくりするんだな』と言っていた。
だが、時局柄温泉に浸かってのんびりというのは難しい。
今は兵隊さん以外が温泉へ行くと白い目で見られるそうだ。
俺も戦場帰りなので資格はあると思うが、どこの部隊ですかとか聞かれると説明がやっかいだ。
大本営の兵站部直属の軍属で(中尉の転任に伴い俺は統合兵站部所属になっている。中尉直属というのはずっと変わらないみたいだ)と説明が難しい。
ということで家でゴロゴロしていた。
カミサンは勤労奉仕で出かけているし、長女、次女は学校、三女は保育所なので独りぼっちだ。
溜まっていた新聞、雑誌を読む。
長女は学校から帰ると三女を迎えに行く。そして次女も帰ってくる。
あとは三女にまとわりつかれながらハワイ(戦闘以外)の話をしてやる。暑いこと、海が綺麗なこと、星が良く見えること、パイナップル畑などなど。
そして夜はとっておきの酒を少しだけ飲んですぐに寝てしまった。
二日ほど自堕落な時間を過ごしてから工場へ出勤した。
中尉が言った通り工場は順調に稼働していた。
俺が居なかった二か月間で初心者だった工員も慣れてそれなりに仕事をこなしている。
俺なんか居なくてもちゃんと回ると思うと少しさびしいが、人手不足は相変わらずだそうで、仲間は復帰を喜んでくれた。
昭和十六(1941)年十二月。
年の瀬も迫ったある日、中尉がぶらっと我が家へやって来た。
残り少なくなった酒をちびちび飲みながら話を聞くと、なんと次の作戦のことだった。
ハワイ作戦からまだ三か月しかたっていないのに、もう次の作戦の話が出ているそうだ。
しかも、聞いていた米本土攻撃ではなく全く別のものだ。
場所はパナマ。
日英でタイミングを合わせて両側から攻撃して占領してしまおうというのだ。
日本は太平洋側から、英国が大西洋側。
「さすがに無理じゃないのか。ハワイをやったばかりだぞ」
「正直厳しい。だが、自分が苦しい時は相手も苦しいものだ。
それに、これは政治的な面から決まってしまったことだ」
政治といっても、日本で世論は悪くなっていない気がする。
何か、俺が知らないところで何か起こっているのか?
「いや、イギリスの問題だ」
俺の怪訝な顔に中尉が答えた。
「イギリス国内で戦争の是非論が出ている。
もう、停戦したほうが良いと。すなわち、一国だけ戦争から降りるということだ」
「えっ、どうしてだ」
「イギリスが戦争を始めたのはアメリカに挑発されて仕方なくとはいえ、ここまで表だって手に入れた物が少なすぎる。
我が国はフィリピン、仏印、ハワイを手に入れている。
ドイツは東欧とソ連の一部。
イタリアはチュニジアとアルジェリア東部。フランス南部にも勢力を広げている。
それに対してイギリスは東サモアやカリブ海の島々だけ。
これでは儲けが少なすぎる。
もう戦争を止めて、これまでの取り分としてアフリカ・中東のフランス植民地をもらって終わりにしようという意見だ」
「そんなのドイツもイタリアも日本も許さんだろう」
「そりゃあ許さん。だが、このままにしてイギリスの政情が不安定になっても困る。
そこで、パナマ運河だ。
イギリスはカリブ海を自国の勢力圏下に置くため是非ともここが欲しい。それに終戦後も米国の首根っこを押さえることになる。
パナマ運河を取れば英国内の不満も解消される。
本気でやるだろう。
日本としてもここを占領してしまえば米国西海岸を一層孤立させることができる。
無理をする価値はある。
米国はこの一年で一個艦隊以上の船を就役させている。その米国が息を吹き返す前にトドメを刺したい。
だが、さすがにすぐは無理だ。ハワイで搭乗員をかなりやられた。
早くて年明けだ」
「そうなのか……」
「我らに有利な点も有る。
まず、パナマで米軍が駐屯できる面積は狭い。駐留する部隊に上限がある。
輸送船での輸送は開戦以降日を追うごとに難しくなり補給は万全ではない。
だがな、問題点もある。
フロリダ半島からパナマまでおよそ二千キロ。単発機は厳しいが、双発機なら十分届く。
ジャマイカを中継すると千百キロ。単発機でも飛べる。
ということは航空機がそれなりに居ると思われる。
米国もパナマはハワイ以上に重視しているだろう。守りも固いだろうな。
それでもやるしかない。
そして、やる以上は勝つしかない。
といっても、もう俺は作戦部の人間ではないんだがな。
パナマは封鎖しさえすれば良いと考えていた。攻略の検討を全くしなかったのは俺の落ち度だ」
そう言って中尉は寂しそうな顔をした。
次章は9/17(水)19時の予定です。