<第四十二章 ソ連との戦い>
昭和十六(1941)年二月。
大西洋大海戦の結果が詳しく分かるにつれ、日本では楽観論が出始めている。
新聞などマスコミは勝ったも同然の論調で記事を書いている。
中尉に聞いてみると、
「確かに少しまずい。
アメリカ相手に油断などあってはならん。
英独が負けるのも困るが勝ちすぎるのも困るな。
途中は少しの勝ちを続けて、最後の最後に大きく勝つのが一番良かったんだが。
贅沢を言っても仕方が無い。
まあ、相手はあの世界一の大国アメリカだ。
心配しなくてもこれからは厳しい戦いがつづくさ」
とそれほど心配していないようだ。
俺は少し不安だが、こういう時、中尉なら何とかするだろうという気になるのも確かだ。
俺は俺ができることをやるしかない。
海戦は日本の雰囲気を変えただけではない。欧州にはもっと強い影響を与えていた。
数か月間停滞していたフランス戦線が動き始めている。
フランス戦はドイツが陸軍部隊のほとんどを東部戦線へ回して、英伊が、特に陸続きのイタリアが主力になっていた。
英陸軍は海軍に負けていられないと攻勢を強めた。
イタリア軍は海戦に参加していないのに、なぜか勢いを増した。勝ち馬に乗った気分なんだろうか。
そうなったイタリアは強い。
仏軍が補給不足で弱ってるとはいえ、英雄的活躍をする兵士が続出して次々敵陣地を落としていく。
英軍も空爆でそれを助ける。
確かに仏軍は弱り追いつめられていた。
独英軍の連日の空襲でボルドーの港湾は使用不能となり、米軍の物資は上陸用舟艇で海岸へ揚げるしかない。
港湾での荷揚げと比べて、とてつもなく効率が悪い。
もちろん、その荷揚げ中にも爆撃機は飛んでくる。
対空射撃は行われるが、破壊される物資の方が何倍も多い。
さらにUボートの活躍でフランスまでたどり着く船自体が減っている。
ボルドー市内ではすでに食糧不足が始まっていて、民間人には配給が行われている。
苦しい生活に耐えかね、戦線を超えてドイツ占領地帯へ避難する者も出てきていた。
海戦から二週間がたった日、ついに伊陸軍はボルドー市街地へ突入した。
そこでも伊軍は鬼神の働きを見せ、建物を一つ一つ落としていく。
そして、激戦地となった飛行場が陥落した時点でフランス軍はこれ以上の無駄な死傷者が出るのを避け降伏した。
市民に被害が出ていることも理由の一つだろう。
フランス降伏を受けて、フランスには仏軍部による暫定政権が樹立された。
そして、他国へ出兵させられないことを条件に、フランス内の軍需企業は枢軸国向けの生産をすることとなった。
また、フランスは軍備を制限され、英独伊の三か国の部隊が駐屯することになる。
「日本は部隊を送らないのか。
足跡を残しておかないと、戦後の取り分が減るんじゃないか」
と中尉に聞いてみた。
戦後の話をすると鬼が笑いそうだ。
「送らん。
欧州のことは欧州に任せる。
余計な口出しはしない。
代わりに極東にも口出しさせない。
満州に英独が軍を派遣してくるなんて考えたくないだろ」
と返された。それもそうだと納得してしまった。
フランス降伏の影響は東部戦線に現れた。
イギリスはフランス国内で運用していた航空機をフィンランドへ運ぶ。
春と共にフィンランド国内の飛行場を整備し、空爆でソ連の補給線を叩こうという作戦だ。
それにスイス、スウェーデンの武器がフィンランドへ輸出されていく。
また、英独はボルドー沖で通商破壊していた潜水艦を米ソ分断へ集中すべくノルウェー海へ移動させた。
すでにフェロー諸島は英独に占領されているので、そこを基地に使うのだ。
また、海戦は日本へ意外な影響を与えた。
イギリスが空母艦載機の輸出を求めてきたのだ。エンジン無しで良いから一機でも多く欲しいと言うのだ。
海戦で米艦載機に比べて性能の低さを思い知ったからだ。
新型機ができるまでのつなぎとするのだろう。
だが、日本も対ソ戦でいくらでも飛行機を必要としている。
ソ連は予想以上の数の航空機を投入してきており、満州では天気さえ良ければ日々航空戦が行われている。
そこで日本は旧型となり練習機として使われていた九七シリーズを輸出することとした。
新型の一式シリーズがまだ実戦配備されてない以上、現行機種の零式を出すことはできない。
それに甲板の短い英空母では九七より大きい零式は運用しにくい点も考慮された。
中尉は、
「これで、またイギリスから技術をもらえるぞ。
対潜ソナーでももらうか。イギリスのは我が国のと比べて優秀らしいからな。
そうなると、後々米潜の心配が減る。艦隊護衛が楽になるぞ。
それと、工作機械をもらわんといかん。
イギリスへ武器を送るんだから、向こうも嫌とは言えんだろう」
と悪代官みたいに悪そうにほくそ笑んでいる。
昭和十六(1941)年二月。
一時的に米海軍主力が弱体化して活躍のチャンスなのだが、日本海軍もまた大きく傷ついていた。
主要艦艇はまだ比叡を除いてすべてがドックに入ったままだ。
修理中なのもあるが、合わせて装備変更をしているというのもある。戦艦や空母の余剰浮力に余裕がある艦には対航空機用高度計測レーダーを積み、それに対応した射撃統制盤を積んだりしている。
その為、しばらくは大規模な艦隊行動を取れない。
せっかくのチャンスを生かすことができない。
そこで通商破壊部隊のみが活躍することとなった。
パナマ-ロスアンゼルス間、ハワイ-ロスアンゼルス間で積極的に通商破壊を行うのだ。
アメリカは護衛用艦艇の不足から潜水艦まで船団護衛に投入してきている。
それで連合艦隊は二個潜水戦隊計十二隻の潜水艦を臨時で派遣することにした。
元から通商破壊をしていた護衛艦隊の二個潜水戦隊十隻と合わせて合計が二十二隻となる。
これに通商破壊型重巡二隻が加わる。
太平洋に比叡を除いて稼働戦艦が一隻も居ない今、この三十六センチ砲を積んだ重巡は最強の存在といって良い。
米は太平洋艦隊最後の戦力である空母を投入しないと破壊できない。
通商破壊部隊のこれまで以上の活躍が期待された。
フランス降伏後、欧州の各戦線は安定していた。
東部戦線は雪で双方動けない。ドイツは戦線を整理し、防御戦を作成することに専念している。
その中でレニングラードは唯一激しい戦闘が続いていた。
ドイツが建物を一つ一つ破壊し、吹雪の合間を縫って鉄道施設へ爆撃する。
これにソ連は下水道まで使いゲリラ的に遊撃戦で抵抗する。
北部でドイツはリガ港と鉄道を使い何とか兵站を維持している。
レニングラードの港は冬季に凍結するので使えないのが辛い、
寒さの為、現状維持が精一杯なのだ。どうしてもレニングラード全域を支配できない。
それに比べて中部と南部では比較的状況が有利となっている。
中部では鉄道網が順次使えるようになっているし、ガソリンも潤沢にあるのでトラック部隊が有効に動いている。
それに北部ほど寒さが厳しくない。
さらに、南部ではオデッサの港が使えるため三地域ではもっとも補給状態が良い。
ドイツ本国から一番遠いので武器は不足がちだが、ルーマニア、ハンガリーから食料・燃料が十分に届いている。
一方ソ連は大量動員で労働者不足になり、物資不足が発生しているようだ。
そこへアメリカからの援助不足が重なり、追い打ちをかけているのだ。
満州ではソ連側からちょっかいを仕掛けてくることがめっきり減った。
小競り合いで捕まるソ連軍捕虜の栄養状態からも補給不足がうかがえた。
こうした状況の中、今年初の玉串会議が開かれることとなった。三か月ぶりだ。
出席メンバーは前回と同じ。
議題は開戦時と変わった状況に即して、今後の方針を検討するということだ。
「まずは神崎大佐の方から現状確認と今後の方針について、大本営の考えを聞かせてくれ」
と、司会役の総理が言った。
毎回思うのだが、そういう方針というのは本来内閣が作るものなのではと思う。
それができないから軍国主義になっているわけだ。
内閣も軍部も大本営が作るのが当たり前と感じているみたいだ。
「まず、満州ですが、戦線は安定しております。
開戦時の計画である三十万人の兵力はすでに移動を終えて配備についております。
陸軍の航空兵力も優先的に瀋陽へ配備しております。
それに、地面が凍結する前にかろうじて設置できた十五センチ砲の威力も効いています。
なお、この十五センチ砲は、元は金剛型戦艦の副砲だったものです」
海軍さん一同がうむうむとうなずく。
「現在は厳冬期であり工事がほとんど不可能であるため、とにかく持久防御に徹しております。
樺太では、ソ連は現状維持に徹しており、偵察部隊同士の小規模な戦闘のみが発生しております。
そして、千島ではソ連は全く動きを見せず、時折偵察機が飛んでくるだけになっています。
おそらく、樺太・千島では輸送船および石油が足りず動けないのだと推察します」
「バクー油田の空爆が効いているということか?」と陸軍の誰か。
「確かにそれもあるでしょう。
イラン戦線ではインド兵と英軍爆撃隊が頑張っています。
継続的な空爆でバクーの生産量は開戦前の半分以下になっているとイギリスは計算しているようです。
本来であれば徹底的に破壊し油田を閉鎖させたいのですが、いかんせん英本国から遠く、弾薬と整備部品に事欠き、間欠的な攻撃しかできていない。
それにイギリスの航空機では航続距離が短く護衛が難しい。
そこで、日本から九七式戦闘機甲型を三十機ほど輸出して支援しています」
戦闘機の輸出?
初めて聞いた。俺以外誰も反応していないので、みんな知っていたのだろう。
俺が知らないところでも会議をしているので、こんな感じで俺には知識に穴がある。
別にこれ以外の会議に出たいとは思わないけど、少しもやっとする。
俺の知識に合わせて会議をすることはできないので仕方ないと諦めるしかない。
「ですが、バクーはソ連最大の油田であっても、唯一の油田ではありません。
他の油田はソ連内陸部にあるため、問題無く生産が行われていると思われます。
よって、ソ連の活動が低調なのは生産よりも運搬の問題だと考えます。
シベリア鉄道で運べる満州では、当初の予定以上の航空戦が行われていることが証拠です。
一方、鉄道・船舶で輸送できない樺太・千島では動きが無いことからも分かります」
「ということは、樺太・千島の兵力を満州へ転用するのか」
と、またさっきと同じ陸軍の誰か。
人の話は最後まで聞くと子供の頃に習わなかったのだろうか。
「いえ、その二か所は現状維持とします。
まず樺太はソ連としては落とされてはいかん戦略的要地に当たります。
樺太を日本に落とされるとアムール川河口域が危険になり、オハ油田――これは操業停止に近い状態ですが――を奪われ、東部シベリア開発の中心地マガダンとの連絡が難しくなる。
樺太を守るためには兵力を配置せざるを得ない。
これは我が国の戦力拘引戦略と合致します。
次に千島は日本にとって必ず維持しなければならない場所です。
ここをどこか一か所でも取られると、米国の船がオホーツク海に侵入することになります。
よって、樺太・千島は現状維持とします」
「なるほど、分かった。進めてくれ」
「はっ。それから国際関係ではトルコが参戦を打診してきています」
「勝ち馬に乗ろうという魂胆だろう。見え透いておる」
「それは全くその通りですが、トルコがソ連を憎んでいるのも事実。
また、多くの中立国がまだ様子見の中、真っ先に手を挙げたのは評価できるかと思います。
この件について我が国は基本的に賛成とするが、決定は英独伊の三か国にゆだねる形が良いかと思います。
イギリスとトルコは領土問題を抱えている上に、トルコ国内ではイギリス派とドイツ派の権力闘争もあります。
首を突っ込まぬのが吉かと存じます。
この件については来月実施予定の枢軸国首脳会議で話し合われると思います」
「現状は大体分かった。それで、今後の方針は」と総理。
「これからご提示する案はあくまでも大本営が独自に作成した試案であり、内閣、陸軍、海軍、諸外国と摺合せをしたものではありません。
そこをお含みおきください」
中尉が一旦言葉を区切ると、数人がもったいぶるなという雰囲気をにじませる。
「それを討議するのが今日の目的だ。いいから話したまえ」と総理が促す。
「はい……。大本営では五月にソ連への一大反攻作戦を考えております」
部屋の空気がざわついた。
「概要を申しますと、まずはウラジオストック占領と清津との連絡を目指します。
その後、ウラジオストックを起点に瀋陽を目指し、瀋陽の北に居るソ連軍三十万人を一気に包囲殲滅する計画です」
部屋のざわつきが大きくなる。
隣の人と小声で話し合う人も居る。
軍事の素人の俺でも三十万人がとても大きな数字だというのは分かる。
今、満州に居る日本軍がそのくらいの数字だ。それと同じだけの数を丸々包囲するというのだ。
「来月の首脳会議ではっきりしますが、ドイツはおそらく雪解けと同時にモスクワへ進撃するでしょう。
モスクワを落とさない限りこの戦争は終わらない。――落としたとしても終わるとは限りませんが。
そこで、我が国はこの動きに合わせドイツ軍を支援すると同時に、満州戦線に片を付けるということです」
「それは計画より一年早いのではないか。
計画ではもう一年かけてソ連を弱体化させて、その後に反攻実施だったと思う」と陸軍参謀総長。
「その通りです。閣下。
計画を早める理由をご説明いたします。
まず、第一にドイツ経済があと二年の戦争に耐えられそうにないことです。
現在ドイツは三百万人以上の兵をソ連へ送っています。
国内やフランスに居る兵も含めると、限界に近い数字です。
これをあと二年も続けるとドイツ経済は崩壊し、継戦能力は著しく下がるでしょう。
すると、せっかく押しているソ連に反攻を許すことになりかねません。
ドイツにはなんとしても今年中にモスクワを陥落させ、ドン川・ボルガ川の河川輸送を破壊し、ソ連の息の根を止めて欲しい。
それを助けるために、日本が今以上にソ連の兵力を拘引する必要があります」
「ドイツはそれほど弱っているのか」
「まだ、兵站に影響は出ていませんが、市民にしわ寄せがいっています。
日常生活では多くの物が不足しています。それも原料不足が原因ではなく、人手不足が原因なのです。
原材料を運ぶ者が居ない。作る者が居ない。製品を運ぶ者が居ない。
さらに農業従事者の減少で食糧不足が発生。輸入で対応しています。
人手不足は我が国以上に深刻の様です。
何より外債、国債の残高が増加し続けています。
ドイツは我が国と違って元より生活水準が高かったので国内経済の大幅な上昇は望めない。
よって経済成長、貨幣価値下落による実質的国債価値低下の手は使えない。
一年でも一月でも早く戦争を終わらせる必要があります。
ドイツよりもましだとはいえ、我が国も早く戦争が終わるに越したことはありません」
総理が外務大臣を見ると、外務大臣は微妙な感じでうなずいた。
次に大蔵大臣を見ると、大蔵大臣も微妙な感じでうなずいた。
どうやら、中尉の言っていることが正しいのか間違っているのか判断が付かないような雰囲気だ。
「もう一つの理由はハワイ作戦との絡みです。
大本営としては満州戦線を抱えたままハワイ作戦を行いたくない。同時二正面攻勢は避けたい。
よって五月、六月の二か月で満州戦線をある程度片付け、その後ハワイ作戦に全力投入する計画です。
また、戦場未経験の者に――主に航空機搭乗員ですが――実戦経験を積ませたいということもあります。
それは手ごわいアメリカ軍よりも組しやすいソ連軍が良い。
また、ハワイ作戦で使用する歩兵三個師団には現役師団を使いたい。
その為には、ソ連戦の区切りをつけて、後備師団と入れ替える必要があります。
満州から引き揚げて、休養・再編成・訓練を行おうと考えています」
「少数で多数を包囲するのは無理だ。上手くいく訳がない」
とさっきとは別の陸軍の誰かが言った。
「とりあえず話を最後まで聞いてから検討しましょう。大佐、まだ、続きがあるのだろう。話したまえ」
「はっ。次に作戦手順ですが、次の通りになります――」
1.陸海航空機による空爆
主要目標はシベリア鉄道、ハバロフスク及び前線の兵站基地
敵兵站の一時的な混乱を狙う
2.ウラジオストック攻略
1.航空攻撃
2.艦砲射撃
3.海軍特別陸戦隊の上陸。上陸地点はナホトカとの間
4.歩兵師団の上陸
5.朝鮮方面からの援護、連絡
3.瀋陽包囲運動
1.ウラジオ上陸軍が瀋陽前面の敵主力の後方へ進撃
2.瀋陽前面の敵主力三十万人を包囲殲滅
「上陸作戦はこれまでのサモア、フィリピンでのやり方に準じたものになります。
この二か所と違うのは日本本土、朝鮮から陸上機での支援を行えることです。
このため今から三か月で朝鮮の飛行場を拡張し、陸海の航空隊を進出させます」
中尉の説明に出席者の誰もが考え込んでしまう。
本当にできるのか。勝算はあるのか。準備は間に合うのか。
俺はそんなことより『朝鮮の飛行場』という言葉が気になって仕方が無い。ひょっとしてまた行かされてしまうのか。
全くの後方基地なのでわざわざ俺が行く必要はないはずだ。
多分大丈夫だろうと思う。
「必要となる兵力は?」
「最低でも新たに五個師団十万人は必要です」
「どうやって運ぶ」
「開戦時に兵を運んだ客船は、今も改装せずにそのまま兵員輸送船として使っています。これを使います。
乗組員は可愛そうですが、二十四時間運航すれば一月も掛かりません」
「ウラジオから瀋陽の間は山が多い。移動が大変なのではないか」
「鉄道沿いに進撃します。
また、旅団規模の補給専用部隊を編成し投入します」
「兵が足りんのではないか。ただでさえ工場では人が足りておらん。これ以上の動員は生産が回らなくなる」
「我が国では毎年百万人の卒業生が発生します。
この者達が四月からは労働者、兵士になります。。
経済界には定年を延長し退職者を再雇用してもらい老人の力も使う。
他に、非技術系の大学生を後方部隊に使う手もあります。
総力戦です。この一年で全てを出し切る覚悟で一気に勝負を掛けます。
そのため戦車第二師団、自動車第二師団は編成を終え、猛訓練をしています。
補給には鴨緑江も使います。急造河川部隊が清津で待機しています。
鉄道大隊も準備済み。空挺部隊も初の実戦に張り切っています。
できることをすべてやります」
その後、長い議論が行われ、結論として条件付きで対ソ反攻作戦は大筋認められた。
条件とは、
・ドイツの攻勢と時期を合わせること
・イラン戦線、フィンランド戦線でも同時期での攻勢を要請する
・春時点でソ連の補給状態を詳しく調べること
これから出席者が各組織へ持ち帰り、詳細を検討することになる。
会議が終わって来るか来るかと思っていたらやはり来た。
「榊原様、少々お時間よろしいでしょうか」
と陛下のお付きの人が聞いてきた。
俺に断る選択肢は無いのに、わざわざ聞いてくるのが憎らしい。
この人も仕事でやってるのだから、この人を恨んでも仕方が無い。
ということで、今回も別室へ通され陛下からのご質問に答えることとなった。
「皆はつつがなく生活しておるか」
「はい、前回お話させていただいた時と変わらず、贅沢はできませんが食べる物には不自由しておりません」
「そうか。時に、榊原は異国の戦場へ行ったと聞いた。様子はどうであったか」
これはフィリピンでのことを聞かれてるのだと思う。
確かに陛下の周りに前線で働いたことがある人は少ないだろう。
よくて後方の司令部に居たとか、前線の視察に行ったというところだろう。
俺も最前線ではなくて、その少し後方だったが前線と言えなくもない。
陛下にまで俺の行動を知られているというのは、怖いような、面はゆいような気がする。
「私が参りましたのはフィリピン北端のアパリという街でした――」
こうして、俺は何度目になるか分からないフィリピンでの話を陛下にすることとなった。
今日も帰るのは遅くなりそうだ。
次章は9/3(水)19時に予約投稿します。
次章から週二回の更新へ戻せそうです。