<第三十八章 レニングラード攻防>
昭和十五(1940)年十一月。
ドイツ軍はフィンランド湾が凍結する前にレニングラードに到着しようとフィンランド湾沿いに進撃している。
最低気温は既に零度を下回り雪が降り始めている。
ドイツ軍は東部戦線で軍を三つに分けてソ連を攻略しようとしている。
一つ目の軍集団がレニングラード攻略部隊。
二つ目はミンスク攻略部隊。レニングラードからミンスクまで、ほぼ東経三十度の線に沿って占領する。
三つ目はキエフ攻略部隊。キエフからドニエプル川沿いに黒海までの西岸を占領しようとしている。
現在はオデッサを占領し部隊を二つに分けてキエフとドニエプロペトロフスクを目指している。
本格的な冬将軍が来る前に何としても目標地域を確保し、防衛陣地を築きたい。
レニングラードは英海軍の協力、フィンランドのバックアップでドイツが半包囲した。
そしてドイツ軍のレニングラード突入前に英海軍によるフィンランド湾攻略戦が実施された。
ソ連のバルティック艦隊の撃滅とレニングラード沖コトリン島にあるクロンシュタット要塞の制圧を目指したものだ。
クロンシュタット要塞にはバルティック艦隊の基地もあり、ここが生きている限り海上からレニングラードへ近づくことはできない。
この作戦のため、イギリスは主力の本国艦隊を投入している。陣容は戦艦四、巡洋艦二、駆逐艦八、空母一。
ソ連もそれを察知してバルティック艦隊の水上艦をほとんど全てを出して対抗する。
だがバルティック艦隊は戦艦二隻、巡洋艦二隻に駆逐艦約二十隻、潜水艦約六十隻とイギリス本国艦隊と比べて戦力的に劣っている。
元々仮想敵をドイツ海軍としており、潜水艦が主力といっても良いくらいだ。
しかも戦艦二隻は1911年進水でかなり古い上に主砲は12インチ(30.5センチ)と二世代は前の物でとてもまともに戦えない。
戦闘は終始火力で圧倒する英主導で進み、ソ連艦隊はほとんどの艦が撃沈破された。かろうじて沈没を免れた艦も拿捕を恐れて自沈処理された。
また、クロンシュタット要塞も航空機による爆撃と戦艦の艦砲射撃で無力化されている。
ソ連が出来たのは戦闘のどさくさに紛れて潜水艦をバルト海から脱出させることだけだった。
ドイツ軍はフィンランド湾海戦と時を同じくして進撃を行い、ラドガ湖とバルト海をつなぐネヴァ川に到達。船舶通航を妨害する。
モスクワ方面の鉄道は、まだかろうじてソ連軍が確保しているがドイツの砲爆撃で修理が追い付かず、ほとんど運行できない状態になっている。
バルティック艦隊壊滅で海側の憂いを無くしたドイツ軍はレニングラードへ突入した。
市街地を後回しにして真っ先に港湾施設を確保する。兵站の為だ。
港湾施設が利用可能になると、市街地方面からは砲弾が飛んでくる中で物資揚陸を強行した。
中心地、市街地はソ連軍の抵抗が激しい。下水道を使った遊撃戦を仕掛けてくる
それに対してドイツは下水道爆破で対抗する。自然と地上建物にも被害が出る。一部の歴史的建造物にも被害が出てしまう。
また、ネヴァ川北側は依然としてソ連が大部分を確保したままだ。
レニングラードの一部占拠でドイツは補給戦が一気に短くなり攻勢を強めた。
それまでリガから陸路で運んでいた物資をレニングラードで受け取れるのだ。
そして、余った兵站能力をミンスク方面へ回す。
また、ウクライナ方面でもオデッサを占領し海路での補給を受け取れるようになると、キエフとドニエプロペトロフスク目指して大攻勢を仕掛けた
本来であれば秋の収穫前に占領するのが望ましかった。
間に合わない今となっては、最低限でも川沿いに防御戦を構築する必要がある。
ソ連もおそらく無策ではない。
レニングラードの死守を命じるとともに。冬季反攻の準備を行っているはずだ。
また、米軍も遊んでいる訳ではなかった。
カリブ海を平定し終わった米国は、過去最大だったアイスランド占領作戦を超える規模の船団を準備している。
これまで米軍は軍需品をフランスやモロッコへ輸送していたが、直接兵力はあまり送ってなかった。
海兵隊が主力で陸軍兵士は少なかった。他には輜重兵や医療関係くらいだった。
だが今回は大規模な陸軍兵力も送ると複数の諜報情報が示していた。
「と、こんなところだ。最近の欧州の動きは」
中尉が仕事帰りに我が家へ寄って説明してくれた。
「教えてくれるのはありがたいが、忙しいんだろ。わざわざ、説明しに来てくれなくてもいいんだぞ」
中尉の話は新聞よりも詳しいのでとても参考になるが、俺としてはヨーロッパの戦いでそんな細かいところまでは興味が無い。
知っても活かすところが無い。大体のことが分かれば満足なのだ。
「次の会議に向けて基礎情報は教えておかんとな。何も知らないまま会議に出てもつまらんだろう」
そういうことなら、俺も真剣に聞かざるを得ない。
会議で質問をされても恥をかかない程度に知識を溜めておく必要がある。
そして、早速というか、その数日後に玉串会議が開かれ俺も召集された。
出席者は前回と同じで政府と軍の高官に陛下と中尉と俺だ。
会議はまず中尉により俺がこの前聞いた全体の概況が説明され、次に質疑応答が始まった。
「米軍の目標はどこだと考える」と総理大臣。
「可能性が高い順にいうと、モロッコ、フランス、アイルランド、北アイルランド、アイスランドです。
とにかく米軍は大西洋で出血を続けています。これを防ぐには大西洋西岸に拠点が必要となります。
となれば英独の拠点から離れていて、かつ、自軍の輸送路を支援できる場所、すなわちモロッコが一番考えられます。
ここに大規模拠点を建設すればジブラルタルまで三百キロ。十分空爆圏内です。
ジブラルタルを落とせば地中海への道が開け、北アフリカ奪還作戦を行えます。
そして北アフリカを抑えれば地中海のどこへでも手を伸ばせます。
それにジブラルタルを手に入れると、英とアジアの海上補給線がフランス南岸で一旦途切れます。
フランスを陸路で縦断して再び船でドーバーを超えることもできますが、途中で陸を挟むと極端に運送効率が下がり英国の体力を大きく削れる。
かといって、イギリスがジブラルタルを守ろうにも、あそこは面積が宮城四つ分くらいしかありません。
中には山もあり、常駐できる兵力に限りがあり、大軍で攻められたら守りきれません。物理的に無理です」
「英国はどうするかな」
「取れる手は二つ。一つはスペインを仲間にする。もう一つは敵船団を海上で叩く。
ですが、スペインがジブラルタル防衛を手伝うとは考えにくい。
以前から狙っている所ですから。
戦後に割譲を約束する等のよほどの条件が無ければ無理でしょう。
それか、米国の敗色が濃厚になるかです。
米国が負けそうな時は、ジブラルタルの重要性は低下していますので、これはない。
ですから、失うくらいならという覚悟でスペインと交渉しないと無理です。
よって、海上での戦闘しかイギリスが打てる手は有りませんが、これも難しい。
大西洋での米英の戦力比は戦艦で六対八、空母で三対二。
これは単純な艦艇数での比であり、主砲の大きさ・数、艦載機の数を考慮に入れると、実質は十対九で米国有利というのが妥当なところでしょう。
ここに独伊の海軍を足しても多少良くなる程度で不利なのは変わらない。
それでも英国はやるしかありません」
「我が国ができることは」
「太平洋で活発に動くことです。フィリピン攻略を半月早めることを具申します」
「間に合うのか」
「ギリギリです。フィリピン攻略に成功しても、英海軍が壊滅すれば意味がありません。
それと米海軍を太平洋へ引きつけるためにフィリピンの作戦を変更します」
「ほう」
「予定では、台湾・空母から空爆後にフィリピン北端のアパリとマニラ北方のバギオへ上陸。
その後マニラまで進軍、ルソン島を占領するとなっていました。
マニラ港を占領し日本-シンガポール間の輸送路安全確保に万全を期すためです。
これを次のように変更します。
・上陸までは同一
・その後、上陸地点近辺にに縦深なる陣地を構築。飛行場を設営する
・爆撃隊を進出させ、随時米軍へ爆撃を行う
・敵空軍戦力を十分に潰した後、戦艦部隊の艦砲射撃で沿岸地域の敵軍事施設を破壊する
・その後は、陣地防衛と空爆に専念し、攻勢を取らない
・確保した飛行場を拠点に米潜水艦の活動を抑える
目的は在比米軍を干上がらせ、敵にハワイからの補給船団または撤退用の船団を送らせることです」
「ほほぉ」
「背景を説明しますと、フィリピンは米国による植民地経営で麻など食料以外の作物が主力で育てられています。
その分、開戦までは米国から食料が運ばれていた訳です。これが開戦で停止。
すでに食糧不足が始まっており、現地潜入員からの報告でも確認できます。
また、米国が近日中の独立を約束していたため、我々が占領すると現地民に敵視され、統治が難しいことがあります。
鉱物資源も大したものがありません。よって占領する意義は薄い」
「では、なぜ当初は占領する作戦になっていたのだ」
「それは、陸軍内部を納得させるためです。開戦後陸軍は防御戦ばかりで一度も攻勢に出ていない。
そのため内部に不満が溜まっております。
これを解消すると同時に、満州以外の部隊に実戦を経験させる、ハワイ攻略の予行演習意味もありました」
ハワイ攻略。聞き捨てならない言葉だ。
サラッと恐ろしいことを言ってるが、そんなこと可能なのか?
「米軍は思い通りに動くかな」
「在比米軍を見捨てない限り、動かざるを得ません。
在比の米国人は軍人・民間人を合わせて十万人以上。彼らは国へ帰れば有権者です。
彼らの親戚・友人を合わせればそれ以上の票数になります。
大統領は民意を無視できない。大統領制の弱点です。
すでに在比米軍では食糧不足が深刻で民間からの強制購入を始めています。ですが、民間も食糧は潤沢ではない。
都市部はとくにひどい。治安が悪化し始めております。
現状、米軍は潜水艦により細々と補給を続けていますが、焼け石に水。
ちなみに、我が国の輸送船の被害が少ない一因は米潜が通商破壊ではなく補給活動を行っていることです。
せっかく米軍が苦労しているのに我が国がそれを終わらせることはありません。継続し、悪化させればよいのです。
空爆を続け米軍の士気を低下させる。死傷者を増やし、医薬品を不足させる。
日本軍が上陸しているのに米軍は追い出さない。日本が攻めてこないので米軍は降伏することもできない。
米国内で不満が溜まり、在比米軍の士気も下がるでしょう。
もし。米軍が撤退してくれたら、我が軍は少ない被害で目の前の障害を取り除ける。儲けものです。
米軍が兵力を増強する、補給をする、撤退をする、いずれにしろ米軍は大規模な船団が必要になり、その護衛艦艇もかなりの数になります。これは大西洋側の作戦に影響を与えます」
「実際に米艦隊が出てきたら、我が軍はどうする」
「もちろん、迎え撃ちます。ただし、目標は敵艦隊ではなく敵船団とします。
敵艦隊を殲滅しても敵船団がフィリピンへ到達してしまえば短期的にはまずい。
逆に敵艦隊を残して敵船団を殲滅すると、米国はもう一度船団を送るしかない。フィリピンの状況は改善していない訳ですから。
それに艦隊よりも船団を叩く方が我が方の被害が少ないと考えられます」
「敵はどこを通ってくると考えておる」
「日本の拠点、本土とトラック島は避けて、その中間、硫黄島とマリアナの間を通るでしょう」
中尉が地図を指し示した。
「まあ、そこしかないだろうな」
「フィリピン攻略と並行して二つの作戦を進めます。
一つはダバオ救出作戦。海軍特殊部隊、特別陸戦隊を派遣、一時的にダバオを占拠し在留邦人の保護を行い、その後迅速に撤退します。
ミンダナオ島ダバオには二万人の日本人が居留しておりフィリピン最大の日系社会が在ります。
フィリピン全ての日本人を助けることはできませんが、ここだけでも、せめて女子供だけでも救出します」
特殊部隊って、米軍のグリーンベレーや自衛隊のレンジャーみたいなやつのことか。
米海軍や海上自衛隊にも特殊部隊があった気がするが名前が思い出せない。
もう、十年以上前に、陸海で特殊部隊を作るという話がたしか出た。
その後、話題に上らなかったので、すっかり忘れていた。
俺が知らない所で密かに訓練していたのだろう。
「もう一つは英船団の護衛任務です。
インドから紅海入口までの間で英輸送船団を護衛します。
これはイギリス政府より強く要求されていて、英連邦からの物資輸入を人質に取られていて断りにくい。
可能な限り無理をしてでも行う必要があります。
ただし、実施の交換条件として護衛任務にあたる艦船の燃料、食料は英側が負担すること。
我が国が欲する物資の内、アフリカ・欧州の物を英がインドまで運ぶことを認めさせています。
対象は工業用ダイアモンド、工作機械の補修部品、イタリアの水銀、ドイツ製機械油などがあり、我が国は欧州まで船を出す必要が無くなります。
また、我が国から欧州への輸出はインドでの引き渡しとなり、これもまた欧州まで船を出さなくて済みます。
双方に有益な取引です」
「それは、仕方ないな。護衛艦隊の割り振りも考えておるのだろう」
「はい、フィリピン攻略後は南洋航路の危険はかなり下がりますので、なんとかやり繰りできると考えております。
また、これを機会に軍事技術交流もさらに進めたいと考えております。
我が国が必要としているのは、ソナー、高高度航空機用過給機、液冷エンジン、レーダー・無線機・真空管などの電子技術、ドイツの88ミリ砲などがありますので、同盟関係を強め軍事技術向上を図ります」
もうしばらく話が続き大体の話は終わった、今日の会議は短かった。と思っていたら、
「それでは、概要の話は終わりにして、次にフィリピン上陸作戦の詳細についてご説明させていただきます」
と中尉が言った。
終わりだと思っていただけにショックが大きい。
この調子だと、今日も遅くなりそうだ。
それに会議の後にまた、陛下にお呼ばれなんかしたら、さらに遅くなってしまう。
今日の晩飯は、家族と一緒は無理だなと俺は諦めた。
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