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<第三十三章 南シナ海、そして中東>

 昭和十五(1940)年九月。


 陸だけではなく、海でも日本の戦いは始まっている。

 日本海軍の最初の活動は東太平洋での通商破壊だった。


 その話を聞いたのは、俺が次の命令を受領するために、中尉の所へ行った時のことだ。


「これは、まだ新聞にも出てない話だが、まあ、良いだろう」と中尉が教えてくれた。


 最初の戦果はハワイからサモアへ独航で向かっていた米国客船モンテレイ号一万八千トンの拿捕だった。


 開戦前日の八月二十四日、サイパンを出港した護衛艦隊第五潜水戦隊所属の通商破壊型大型潜水艦伊六八は約十日の航海の後、僚艦二隻と共にハワイ-サモアの中間点で配置に付いた。

 そして、九月七日昼、後方から一隻の客船が接近してくるのを発見した。

 護衛艦隊初の戦果を狙う艦長は豪胆にも客船の斜め前方二キロで浮上し、無線で停船と臨検受け入れを命じた。

 同時に十三センチ砲の発砲準備を急ぐ。

 これは賭けだ。

 もし、相手が停船命令を無視し体当たりしてきたら、向こうはざっと十倍の大きさで、こちらの沈没は免れない。

 体当たりしないまでも、全速で逃げられたら最高速度は向こうの方が上なので追い付けない。

 だから、なんとか射撃準備が終わるまでの時間を稼がないといけない。

 その為、伊六八艦長は客船と同方向への変針を命じた。


 大型船はすぐには止まれない。だから、もし停船の意思があっても見た目にはすぐ分からない。

 緊張の時間が流れる。搭載砲の発砲準備はまだ終わらない。無線の応答は無く、客船に変化はない。ただ刻一刻と近づいてくる。

 無視して逃げるつもりか。

 そう思った艦長が魚雷攻撃を覚悟し始めた頃、ようやく該船に了解の信号旗が上がり、行き足が遅くなった。

 少し遅れて無線も入った。

 こうして伊六八はモンテレイ号の拿捕に成功した。


「臨検隊は相手の船に乗りこんで驚いたと思うぞ。なんせ、アメリカ陸軍が七百人も乗ってたんだからな」


 その船にはサモアへの補充兵としてアメリカ陸軍兵が乗り込んでいた。

 その為、停戦を受けるか船長と陸軍指揮官の間で話し合いがあって、応答が遅れたのだ。

 近辺に米海軍が居なかったため、モンテレイ号はマーシャル諸島のマジュロ島まで運ばれ、そこでトラック等から来た駆逐艦に引継された。


「マジュロに着くまで、捕獲員は生きた心地がしなかったろう。

 兵士七百人に船員百人以上をたかが十人で監視しないといかん。

 反乱でも起きようものなら、味方に船ごと沈められるんだからな。

 その苦労のおかげで、こっちは苦労せずに七百人もの捕虜と装備に客船を手に入れた。

 だが、開戦の混乱の中でたまたま上手く行っただけで、これからはそうそうこんな僥倖(ぎょうこう)はないだろう」

「船員はどうなるんだ」

「兵役に付けないような者は第三国経由で開放することになるが、ほとんど居ないだろう。

 年配のコックとかくらいか。後は、拘留だな」

「その捕まえた船って幾らくらいするんだ」

「そうだな、ほぼ同じ大きさの新田丸がたしか千二百万(三百六十億)円だった」

「そんなにするのか……」


 ちょっと驚いた。

 アメリカにとっては大したことないのだろうが、日本にしたら大儲けだ。

 これからたくさんの船が沈むのだろうから、船は一隻でも多いほうが良い。



 そして、この拿捕劇の三日後には南シナ海では海南島沖海戦と呼ばれる戦いが起きた。

 シンガポールでボーキサイト、錫、天然ゴム、米などを積んだ日本船団を米アジア艦隊が狙ったのだ。


 開戦前東南アジア各地で運行していた民間の輸送船は、米国からの最後通牒受領後日本政府より至急シンガポール、香港または中立国へ退避するよう勧告を受けた。

 日本海軍はそれらの船を護衛すべく急ぎ護衛戦隊を南方へ送った。

 シンガポールに集まった民間船八隻は会社経由で日本海軍の指示を受け、臨時に船団を組み北上した。

 その後、仏印沖で南下してきた護衛戦隊と合流し、日本を目指した。

 出港が間に合わなかった船はそのままシンガポールで待機している。


 船団は米哨戒圏を回避して大陸寄りを航行した。

 フランスの植民地沖を通ることになるが、日仏は正式に宣戦布告していないので仏印軍は攻撃してこないだろうという予想の上での話だ。

 もし、攻撃してきても仏印軍単独なら護衛戦隊単独で十分撃退できる。


 九月九日。

 カムラン湾沖五十キロを航行中、護衛戦隊の哨戒機が西沙諸島近辺で米艦隊を発見し通報。

 その報は台湾でも受信され、米アジア艦隊に対抗するため台湾へ派遣されていた第三艦隊が直ちに出港、米軍撃滅を狙う。

 船団は速度を上げて海南島方面へ急いだ。香港の制空権下に逃げ込むためだ。

 日英で合同司令部は作られていないが、相互に協力する約束は取り付けてある。


 翌十日。

 護衛戦隊の哨戒機が海南島南西百キロで米艦隊を再度発見。

 ただちに艦隊附属の護衛空母から九七爆六機、水上偵察機一機が発進した。


 護衛空母は量産性を第一に作られている。

 基準排水量九千八百八十トン、飛行甲板長百五十四メートル、最高速度二十四ノット。

 一層式格納庫に九七戦二機、九七爆九機、水上偵察機二機の計十三機を搭載。

 水上機用射出カタパルト一基を備えるが、水上機は通常海面から離着水を行う。


「水上偵察機の誘導で現地へ到着すると、そこには確かに米アジア艦隊が居た。

 重巡ヒューストンを先頭に軽巡マーブルヘッド、駆逐艦六隻が単純陣で後に続いている。

 味方は二百五十キロ爆弾を抱えた九七式爆撃機が六機。

 爆弾よりも敵の方が多い。

 そこで、攻撃隊の隊長は軽巡に狙いを定めた。

 重巡だと二百五十キロだと沈められないかもしれない。駆逐艦だと動きが機敏で当てにくい。

 そこで、軽巡だ。それに駆逐艦の指揮は軽巡が取ることが多い。

 軽巡を沈めて指揮系統を混乱させる目的もあった」


 中尉はまるでその場に居たような口ぶりで話をする。


「攻撃隊長は突撃隊形を作らせると、高度四千から真っ先に軽巡目掛けて突っ込んでいった。

 小隊の二機がその後を追う。

 隊長機は高度五百で爆弾投下、機体を引き上げる。

 だが、急降下で勢いのついた機体はすぐには上がらない。ギリギリで敵艦を回避して上昇していく。

 一発必中の想いを込めた弾は見事敵艦の二番煙突付近に命中し爆炎を上げる。

 後続二機の内一機は運悪く敵の対空機銃に当たって爆散したが、もう一機はひるむことなく突っ込んでいく。

 その一機は不運なことにに前の機の破片を避けたため投弾コースがずれて惜しくも外れる。

 次の小隊三機も勇猛果敢に突撃した。

 三機が一列になり、黒煙で視界の悪い中次々と投弾。こちらは一機も失うことなく、一発を命中させた」


 中尉は一息ついて、お茶で喉を湿らせた。


「ほう、それで、それで」

「その後、台湾の高雄飛行場から来た海軍の攻撃隊が到着。

 護衛戦隊の攻撃隊は交代して意気揚々と引き揚げる。

 高雄攻撃隊は九七重爆が二十五機に護衛としてゼロ戦が四機。

 どちらも高雄としては虎の子の戦力だが、惜しげも無く出してきた。

 攻撃隊は五百キロ爆弾八発、魚雷十七発を投下。

 その内、重巡に爆弾一発、魚雷一発。駆逐艦二隻に魚雷一発ずつ。駆逐艦一に爆弾一発が命中した。

 その結果、護衛戦隊の攻撃と合わせて、戦果は重巡一中破、軽巡一中破、駆逐艦二撃沈、一大破となった」

「おお、大戦果じゃないか」

「だが、好事魔多し。船団は安心していたところへ米潜水艦の攻撃を受け、輸送船が一隻撃沈された。

 米潜水艦は護衛艦が追跡するも消息不明となった。

 この海戦は今度の戦争で行動中初の撃沈および被撃沈が発生したことになる」

「実際に見てたような話し方だが、なんでそんなに詳しいんだ」

「それは、戦闘詳報を読んだからだ。お前用に若干脚色して話してるがな」


 そうなのか。なんか手品のタネを知った時のような微妙な感じだ。

 参加した本人から直接話を聞いたのかと思った。


「結局、第三艦隊は戦闘に間に合ったのか」

「いや、間に合わなかった。米軍が撤退したからな。もし、米軍が船団攻撃を諦めなかったら、今大戦初の日米艦隊戦が起きただろう」

「ふーん、それから船団はどうなったんだ」

「香港で傷病者をおろして、日本へ向かった。

 もう既に全船日本へ到着してるだろうから、今日あたり大本営から海戦のことが公表されるだろう。

 それで、大本営は通商路確保の為。マニラ湾攻撃を決定した。今は作戦立案中だ」



 これまで海軍はソ連の圧力を弱めるために、ソ連沿岸部の軍事施設の攻撃を行っていた。

 ナホトカ、マガダン、ペトロパブロフスク・カムチャツキーが臨時の合同艦隊によって攻撃されている。

 第三航空戦隊の空母翔鶴、瑞鶴、第五戦隊の重巡二、第六航空隊、第三駆逐戦隊が参加している。

 第三航空戦隊が選ばれたのは練度不足が心配される翔鶴型二隻に実戦経験を積ませるためもある。

 他の正規空母四隻は米空母の動向に気を付けながら東シナ海と瀬戸内海で訓練を繰り返していた。


「どうして、ソ連にもっと戦力を投入しなかったんだ。空母二隻じゃ少ないだろう」

「米太平洋艦隊の動きが分からんからだ。

 おそらくハワイに集結中だと思われるが、あそこからだと諜報員の連絡が来るのに時間が掛かる。

 米本土を経由してになるから早くて三、四日。遅いと一週間かかる。

 ソ連を攻撃中に米艦隊が来るかもしれん。だから全艦出撃なんてことはできん」


 戦力は集中したほうが良いと素人考えをしていたが、そう単純なことでもないらしい。



「最近の情勢はこんなところだ。さて、それでお前の次の任務だが――、イランへ行ってもらう」

「はぁーーーーー? イランーーー?」


 イランて、あの中東のイラン?

 なぜ??


「お前なあ、俺の前だからいいが、他の軍人の前でそんな声を出してみろ、張り倒されるくらいじゃ済まんぞ」

「あ、んっ、す、すまん。突然、思いもよらないことを言われて。だが、なぜイランなんだ」

「ああ、最初から話してやる――」


 中尉の説明はこうだった。


 開戦後イギリスから日英合同作戦の打診があった。

 ソ連-イラン国境に新たな戦線を構築するものだ。


 目的は、


・アバダン油田の防御

・バクー油田への圧力、空爆

・インド兵を用いてソ連軍の兵力吸引


 イランのアバダンはイギリスの中東最大の油田、製油所であり、バクーはソ連最大の油田である。

 よって、アバダンを守り、バクーを攻撃することはとても意味がある。

 ベネズエラからの石油輸入を事実上断たれたイギリスは、アバダンの石油確保は至上命令だ。

 また、ソ連に新しい戦線を強要することで負担を強いれる。ソ連はバクー防衛の為十万人単位の配置が必要となる。

 こちらはインド兵を使うので人的資源の負担は少なくて済む。

 しかも、イランではテヘランまで鉄道が通っているので、兵站面は何とかなる。

 ソ連の無尽蔵のような兵力を、これまた溢れるほど居るインド人ですり潰してしまおうという作戦だ。

 敵が消耗戦を仕掛けてくるなら、敵の想定を上回る被害を与えてやろうというのだ。


 イランは元々国内で親英派と親独派が争っていた、その英独から共同で協力を要請されたのだから話は早い。

 しかも相手は憎きソ連だ。

 日本の役割はインドからイランへの輸送船団の護衛だ。

 参加輸送船は百隻を超え、イギリス東洋艦隊だけでは到底守りきれない。

 しかも、その船団がイラン-インド間を何往復もする。

 そこで、日本は初期装備の輸送の一ヶ月間護衛を手伝い、その後の補給物資の輸送はイギリスのみで行うことに決まる。


「それなら海軍が行けば良いだけで、俺は関係ないだろ」

「前線近くに飛行場を作って、そこからバクー油田を爆撃する計画がある。

 それに、テヘランから前線まで鉄道を伸ばさないといかん。

 それでイギリスからユンボのエキスパートを送って欲しいと要請があった。

 英独には試験的にごく少数のユンボを輸出していたが、それが英軍の目に留まったみたいだな」

「別に俺でなくてもいいはずだ。軍の教官を送ればいいだろ」

「教官では操作には詳しくても仕組みのことはさっぱり分からん。

 それに動員で増えた兵士を訓練するのに忙しくて、イランへ避ける人手は無い。

 そこで、お前だ。お前なら操作は一番上手いし、内部構造も理解している。適任だ」

「なんか、怪しい。イギリスにはブルドーザーなら日本と同じかもっと良い物があるし、ユンボも油圧式じゃないが一応ある」


 突然のイラン行きに違和感をぬぐえない。

 昔はどこへ行くにも監視が付いていたくらいなのに(今でも付いてるかもしれないが)、今度は外国へ行けだなんて、おかしい。

 一応俺は、外国に漏れるとまずい秘密を知っている人間なのだ。


「天地神明に誓って言う。向こうから持ちかけてきたんだ。俺が提案したのではない」

「なんか裏があるんじゃないのか」

「まあ……、そうだな……、代わりにイギリス、ドイツから技術供与を受けることになる」


 やっぱり裏があった。

 最初から隠さず言えば良いものを。


「日本が英独から欲しい技術・物資は数多くあるが、日本から出せる物は少ない。そこでユンボの技術指導という話が出た。

 ユンボの生産を再開した時点で、英独へ優先輸出する。特にドイツだな。

 それに先立って、イランで飛行場作成がてら教官を育てるという寸法だ。

 冬将軍が来る前になんとかドイツでユンボを使えるようにしたい。

 今回は本土の師団から三台を引き抜いて向こうへ送る。

 それを使って、ユンボの使い方を教えてやってくれ」


 さすがに中尉も話しにくそうだ。

 俺は売られたのだ。

 多分、仕方のないことなんだろう。


「大丈夫なのか。安全なんだろうな」

「それは大丈夫だ。こっちからは護衛兼通訳を付けるし、イギリスも身の安全を保障している。ただ……」

「何だ」


 まだ、何かあるのか。


「問題が無いことも無い。

 第一にトルコがどちらの陣営に付くかはっきりしない。現地はトルコ国境も近い。

 トルコはイギリスとの間にキプロス島の問題を抱えている。また、イギリス影響下のギリシャと大変仲が悪い。

 米ソはキプロス返還を餌としてトルコを同盟に引き入れようとするだろう。

 他にもギリシャの領土一部割譲などもちらつかせてるかもしれん。

 戦線構築後にトルコが米ソ側で参戦すると、窮地に立たされる」


 元の世界でトルコはどっち側で参戦したんだったか。

 第一次大戦はドイツ側だったが、第二次大戦は…………。思い出せない。


「それと、もう一つの問題はクルド人だ。

 現地はカスピ海沿岸を除いて山岳地帯でクルド人が多い。

 クルド人はイラン、トルコ、ソ連の各国で迫害されている。このクルド人を味方に付けた方が有利になる。

 イギリスはソ連領内にクルド人の国家を作ることでクルド人を味方にしようとするだろうが、トルコ、イランはクルド人の勢力が大きくなることを望まない。

 イギリス、イラン、トルコ、クルド人の間でどのような話し合いが行われたかは不明だ。

 我が国にも通告されていない。

 だが、トルコから当面中立を維持するとの言質が取れたということで作戦が決定した。

 最後の問題はイラン-ロシアの国境近くにはスターリンの故郷グルジアがあることだ。

 ここを奪われるとスターリンの権威は失墜する。死に物狂いで防衛してくるだろう。

 だからこそ、兵力拘引になるわけだが」


 イギリスはどんな手を使ったのか。

 一つ間違うと、パレスチナ問題のように、戦後の火種となるのではないか。

 ここで俺は以前から疑問に思っていたことをついでに聞いてみた。


「なぜ、英独はさっさとフランスの残党をやらないんだ。

 フランスを倒してしまえば、その戦力を東部戦線へ送って楽になるし植民地もこっちの言うことを聞くだろうに。

 イランなんかより、そっちが先だろう」

「それはいくつかの理由がある。

 第一に補給が切れてない追いつめられた軍は猛烈に抵抗する。

 だからかなりの損害が予想される。窮鼠猫を噛むだな。

 第二にフランスを落としてしまえば、アメリカはモロッコを反攻拠点にするだろう。

 モロッコは我らからすると攻撃しにくい場所だし、通商破壊もやりにくい。

 だからわざとフランスを残して、そこに輸送船を送らせて地道に拿捕撃沈している。

 第三に我が陣営の戦意の問題だ。多少の危機感があった方が国がまとまりやすい。

 といろいろあるが、実際のところは兵力不足だ。イギリスで陸軍の動員が進めば、フランスにとどめを刺すだろう」

「そうか。では、最後に確認するが、イギリスにはどこまでしゃべって良いんだ。未来のことはいかんとしても。重機に関してはどうなんだ」

「原則として、未来に関すること以外は何でも良いぞ。

 ただ、あまり外国に教えすぎると、戦後に日本のユンボが外国で売れなくなるから気を付けろ」


 丸投げかよと思ったが、油圧ユンボが外国でも評価されていると考えるとまんざらでもない。


「今度の作戦はソ連が対応する前に、どれだけ迅速にこちらが体勢を作るかが肝だ。

 先に補給路を整備し飛行場を作った方が主導権を握れる。

 それは重機の働きにかかってる。頼んだぞ」


 中尉に頼むなんて言われると悪い気がしないのは内緒だ。



 俺がイラン行きの準備をしている間も戦争は動いている。

 九月二十日、マニラ湾攻撃が決行された。

 ソ連沿岸部を攻撃中の艦隊から空母二隻を引き抜いて本土防衛へ戻し、代わりに蒼龍、飛龍を使っての作戦だ。

 フィリピン東方海上の空母二隻から発進した艦載機が敵飛行場、レーダー施設を攻撃し混乱させる。

 その後、台湾から発進した攻撃隊がマニラ湾キャビテ港の港湾施設、艦艇を攻撃する。

 この際、目標として地上施設が重視された。

 停泊中とはいえ水平爆撃で潜水艦を破壊するのは難しい。それに、大部分は作戦行動中のはずで港に居ない。

 だが補給用の魚雷、燃料が無くなれば潜水艦は鉄の塊となる。敵はハワイまで後退せざるを得ない。

 よって、燃料タンク、弾薬庫が最優先目標とされ、爆弾は徹甲焼夷弾と通常弾が半数ずつ使用された。

 攻撃隊は南シナ海海戦でも活躍した海軍の九七重爆隊二十六機と護衛の九七戦十五機とゼロ戦四機。

 水平爆撃で港の一角で大爆発が発生。燃料タンクまたは弾薬庫を破壊したと思われた。

 そして、第二派が撃ち漏らしを攻撃し、軍港は機能の大半を喪失したと判断された。


 これでシンガポール航路の危険が多少減ることになる。

 米アジア艦隊の潜水艦の動きが不調なこともあり、輸送船の被害は予想よりも少ない。


「どうやらアメリカは潜水艦を使ってフィリピンへ物資を運びこんでいるようだ。

 南洋諸島近辺で米潜水艦の発見・攻撃例が増えている。

 輸送船がやられないのは良いが、それならと連合艦隊がもっと船を寄こせと言ってくるからな。痛し痒しだ」


 大本営は連合艦隊と護衛艦隊の板挟みで大変そうだ。

 海軍は主流の連合艦隊の発言力が高い。肩身の狭い護衛艦隊を大本営がかばってるという構図なんだろう。



 そして十月、イランへの護衛作戦は実施された。作戦の正式名称は知らない。通称は捻りも無くイラン作戦だ。

 俺は作戦直前に中佐待遇に昇進した。ご褒美の前払いと箔付けだろう。くれるというものはありがたく頂戴した。


 ペルシャ湾はクウェート産石油の輸送ルートでもあり、日本にとって勝手知ったる道だ。

 それに、シンガポール、セイロンの軍港も利用できる。

 俺は英独へ渡す重機と共に横須賀から艦隊に参加した

 臨時編成の艦隊は軽巡一、二個護衛戦隊十二隻、油槽船一、給量艦一、補給艦一、輸送船一の合計十七隻。

 これについでということで民間の輸送船十九隻がシンガポールまで同行する。

 初めて航海中の艦隊を見る俺からすると大艦隊だ。


 俺は軽巡に乗せられ、お付きの護衛兼通訳の少佐と同じ部屋になった。

 この少佐は池田さんといって、結構気さくな人だ。これから一か月一緒に居るので、変な人や怖い人だったらどうしようかと心配していたので一安心だ。

 他にもう一人〇菱の技術者が来ている。河野(こうの)さんと言ってダンプ部門の人だが、俺の顔見知りだ。この人は少尉待遇で徴用されているので、部屋は別になる。


 この船には艦隊司令長官の中将から艦長の大佐まで偉い人が沢山乗っているので、中佐といっても俺は目立たないようにひっそりしているしかない。

 そもそも、俺は陸軍の軍属で海軍じゃないから大きな顔はできない。


 日本艦隊はシンガポールまで敵と遭遇することも無く無事到着した。

 燃料補給するとともに、日本からの輸出品を降ろす。リヤカー、医療用モルヒネ、除虫菊の乾燥粉末、キニーネなどだ。

 他に、日本艦隊用の補給物資も降ろして、英軍の倉庫に入れさせてもらう。

 十七隻の一か月分の必要物資ともなると数隻の支援艦では運び切れないのだ。

 そしてイラン作戦に参加する英国輸送船と合流し、出港した。


 セイロンのトリンコマリー基地で英海軍と合流。作戦会議を行う。

 俺は会議には呼んでもらえないので、通訳の池田さんとセイロンの街をブラブラした。


 街は俺がイメージしていたインドの街に近かった。

 もっと牛が道路で寝ているかと思ったら、あまり見かけない。


「思ったより牛が少ないんですが、なんでですかね」と池田少佐に聞くと

「インドはヒンドゥー教で牛を神聖視しているから多いのですが、ここセイロンは仏教徒が大部分でヒンドゥー教徒は少ないんです。それで牛も少ないんです」と教えてくれた。


 てっきりセイロンもヒンドゥー教だと思っていたので意外だった。

 一つ賢くなった。



 日英合同艦隊はセイロン出港後、マドラス、ボンベイへ寄り輸送船とインド兵を船団に加え、イランへ向かった。

 船団は全部で百隻を優に超える。この船の甲板からだと端っこの船はかすんで見えない。


 これが大船団。これこそ大船団。

 もう、凄いって言葉しか出てこない。

 戦争に参加しているという実感がひしひしと湧いてくる。



 心配された米国潜水艦の動きも無く第一回目の輸送作戦は無事成功し、ペルシャ湾最奥にあるイランの港町バンダレ・エマームへ到着した。

 ここからはテヘランを経由してカスピ海東岸のバンダル・シャーまでイラン縦貫鉄道が通っている。

 輸送船はしばらくここで待機し、アバダンで石油を積んだタンカーと合流次第、インドへ戻る。

 二回目の輸送を行うためだ。


 これで日本海軍とお別れかと思うと寂しい。

 日本食も今日で終わりだ。

 中尉から海外生活の知恵として、『醤油と梅干だけは持っていけ』と言われたので持ってきている。

 中尉も三年前に半年間イギリスへ行った時に苦労したのだろう。

 それから熱中症対策として黒糖も持ってる。

 水(そのまま飲めないかもしれないが)と塩は手に入るということなので、ミネラルが多そうな黒糖を持ってきた。

 元日本一暑い街の熊谷出身として熱中症にかかる訳にはいかない。


 俺は今回が実質初めての海外になる。

 満州へ行ったことはあるが、周りは日本人ばかりだし、日本語が通じるしで、あまり外国の気がしなかった。

 だが、今度は本当の外国だ。日本人は三人しかいない。しかも俺だけ英語を話せない。(〇菱の河野さんは話せる)

 緊張しつつも高揚してる。変な感じだ。


 この後、インド兵、物資、日本から持ってきたユンボ三台、ダンプカー三台は鉄道で運ばれる。俺達は一足先に飛行機でテヘランへ飛ぶ。

 そこから、バスとトラックを乗り継いで飛行場建設予定地のタブリーズへ向かう。

 期間は一か月。この乾燥した台地でやっていけるのだろうか。やはり不安だ。

次章は7/23(水)19時に予約投稿しています。

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