<第三十一章 前線>
昭和十五(1940)年八月三十一日。
瀋陽北方の前線は殺気立っていた。
既にソ連があと数日の所へ迫っているんだから当然だ。
目に入る範囲で五台のユンボと同数のダンプが動いている。
「だぁっ、また警告灯が付いた。油だっ。油、入れてくれ」
ユンボオペの怒鳴り声が響く。
またってことは、油漏れがひどいのか。無理に力を掛け過ぎてるのだろうか。
この時代にセンサーなんて便利な物は無いから、機械が自動で停止してくれるなんてことは無い。
怒られそうで怖いが、聞かなきゃいけないことは聞かなきゃいけない。俺はユンボに対して妥協したくない。
それに、現場の人間の気性の荒さは元の世界で慣れている。
「あの、すみません。この掘削機の話を聞きたいんですが――」
「あぁ、貴様誰だぁ」
オペさんが俺のことをにらみ、上から下まで舐めるように視線を走らせる。
このオペさんは俺の知らない人だ。知ってる人だったら話も聞きやすかったのだが。
一般の操縦教育は俺の弟子がやってるので、知らない人の方が多いので仕方ない。
「この掘削機の開発者です」
「おっ、おう……、なん、ですか……」
この下士官は俺と一緒に居る兵部省兵器局の大尉さんに気付いたみたいで、急に声が大人しくなった。
中尉が気を効かせて俺に付けてくれたのだ。
俺は軍属では数が少ない少佐待遇だが軍服を着てないので、他から見たら普通の民間人に見える。
「機械の調子はどうですか」
「エンジンの調子は問題ないです。ですが、すぐに油が漏れて、警告灯が付きます。一日持ちません」
軍人の蛮用に耐えないってことか。
「ちょっと、私がやってみてもいいですか」
「はい。どうぞ」
オペさんは操縦席から降りると、油を持ってきて補充してくれた。
俺は顔がニヤけるのを抑えながら颯爽と操縦席に乗り込み、ユンボを動かした。
スッ、サクッ、グィッ、クルッ、ドサッ。
スッ、サクッ、グィッ、クルッ、ドサッ。
何度かやってみたが問題無く動くみたいだ。油漏れ以外は大丈夫そうだ。
「ちょっと、やってみてもらえますか」
オペさんに代わって、やってもらう。
ズッ、ズズッ、グググッ……。
やっぱりそうだ。一度にたくさん掘ろうとしてバケットを必要以上に深く入れている。戦闘が近くて気が立っていたり、焦ってるのもあるだろう。
一度に掘る量は大事だと弟子には伝えたし、説明書にも書いた。
まあ、説明書なんか見ないか。
俺も元の世界じゃほとんど見たことない。見たとしても操作盤の表示の説明とか、分からないスイッチの説明とかだけだった。
それに、土はかなり固いし、焦っているのか掘り方が雑だ。
壁面がデコボコしてる。あれでは、使ってると崩れてきて不便だろう。
「もっと、鍬を浅く入れて、掘る土の量を減らしてください。それだけで大分違うと思います。一度にたくさんを少ない回数で掘るより、少な目を回数多めで掘る方が簡単だし、故障も減って結局は早く終わると思います」
「はいっ、承知しました」
オペさんがペコペコしている。怒られると思ってるのかもしれない。
あんまり、緊張させても悪いので、それからは少し離れた所から見ていた。
しばらくして動きが良くなってきたのを確認してから移動した。
これは教育の見直し、説明書の変更が必要だ。
いっそのことバケットを小さくするか。その方が材料費が安くなるし、重量が少し軽くなる。
本当はちょっと手荒に使っても大丈夫なようにしたいが、部品の精度とかシーリングの品質はすぐには良くならない。
次世代ユンボ開発はいつになるか分からない。戦争中に余裕はなさそうだし、しばらくは運用で何とかするしかないだろう。
それから俺達はダンプやブルドーザーの様子を見に行った。
こっちは大きな問題は無かった。
ダンプのタイヤがスリップしやすいとか、ブルドーザーで一度に削れる土の量が少ないとかの事前に分かっていたが現状どうしようもないことくらいだ。
それにしても排ガスの黒さがひどい。特にエンジンをふかした時にはボワッと黒煙が上がる。
エンジンの問題だから俺にはどうしようもないが、これはかなり遠くからでも見えるだろう。攻撃されないかと心配になる。
他に何人かの話を聞いた後、今度は後方の整備係の人へ話を聞きに行った。
今までの経験で頑固で癖のありそうな人を想像していたが、普通っぽい人でホッとした。
「毎日作業終了後に整備しているので故障は少ないです。
補修部品は一緒に持ってきたのでとりあえず不足していません。
ただ、油圧用の油の消費が激しいです。
それから漏れた油に土ぼこりが付いてアームやピストンに絡みつくのが心配です。
毎日拭き取ってはいますが、機械に良くない気がします」
という話を聞けた。
土ぼこりを重要視してなかったのは迂闊だった。寒冷地帯での使用は考えてたが、乾燥地帯は意識してなかった。
言われてみると、なんか空気が埃っぽい。地面は見事に荒野って感じだし。こんな所じゃ水を撒きながら作業という訳にもいかない。
日本だと表面の土が乾いていても、その下は湿っている。
それに、元の世界では土ぼこり防止のために水を撒くこともある。足回りの泥で困ることはあっても、土ぼこりが問題になることは無かった。
満州の空気を吸っても違いに気付かないとは、初めての外国、初めての戦場で俺は舞い上がってたのかもしれない。
気になりだすと鼻がムズムズしてきた。埃のせいか。
これだけ空気が悪いと――。
んっ?
空気が悪い……。
あっ……、ということはエンジンにも悪いんじゃないか。
「あの、エンジンのフィルターはどうですか。目詰まりとかしてませんか」
「一応、毎日点検はしてますが。そういえば、埃の溜まり方が内地よりは多い気がします」
「ありがとうございました」
俺は急いでさっきのユンボの所へ戻って、エンジンを止めさせてもらい、フィルターを確認した。
やはり、かなり詰まってる。フィルターを外してトントンすると埃が舞うくらいだ。
これも、問題だ。
ここの部隊は良いが、整備の人間が手抜きをすると、すぐにエンジンに悪影響が出そうだ。
また、整備係さんの所へ戻って話の続きをした。
「かなり、詰まってました。今日から使った日には必ずフィルターを掃除するようにしてください」
「分かりました」
この人なら真面目そうなので安心だ。
「頂いたご意見は戻って検討してみます。貴重なご意見ありがとうございました。それで、工事の進み具合はどうですか」
「今のところ、ギリギリです。敵が早く来ると壕が完成する前に戦闘が始まるかもしれません」
「そうですか……。余ってる重機はありますか」
「全部動かしてますので、余ってるのはありません」
「そうですか、では、一番経験の少ない人は誰ですか」
「それなら、あそこでやってる奴です」
修理係さんが一番端で動いてるユンボを指差した。
なるほど、みるからに下手だ。位置が一発で決まらずに二回、三回とやり直してて仕事が遅そうだ。
「ちょっと、代わりにやっても良いですか」
大本営のお付の人と修理係さんに聞いてみる。
「技術指導ということなら良いのでは」とお付きの人。
「上官に聞いてきます」と整備係さんは走っていった。
「ここで作業してて敵から撃たれることはないですよね」
とお付きの人にこっそり聞くと、
「今日は無いですね。敵の飛行機がやって来ることはあるかもしれませんが。その時は自分が掘っている穴に飛び込んでください」
苦笑いしながら答えてくれた。
弾さえ飛んでこなければ怖い物は無い。
隊長の許可が出た俺は時間を忘れて作業に没頭した。
今までもユンボを使ってきたが、試験がほとんどで純粋に工事の為の作業は久しぶりだ。
ダンプが土を捨てに行く時間がもったいないので、余ってる人とネコ車を集めてもらい、休みなく掘って、掘って、掘りまくった。
「ウメェな。あいつ、ナニモンだ」
「スゲェ、俺達の倍の速さで掘ってるよ」
というような声がエンジン音に混ざって聞こえてくる。
俺は背中がムズムズしながらも作業を続けた。
調子が出てきたので結局日が暮れるまで作業した。
作業後は重機部隊の大隊長と小隊長が揃って礼を言いに来た。
大隊長は少佐で、俺に付いてきた大尉さんより階級が上なのに態度が丁寧だ。
相手が大本営のエリートだと階級が下でも気を使うみたいだ。
俺はバケットの掘る量とフィルターのことを修理係さんに念押しして、御礼を言って一旦瀋陽の街へ戻った。。
次の日からは第一線陣地、第二線陣地、予備陣地、司令部壕と段々後ろへ下がりながら、視察という名の元に計三日間ユンボを動かした。
普通の人用塹壕だけでなく、敵の戦車を落とすための対戦車壕、味方の戦車が隠れて撃つための戦車壕なども掘った。
俺は久しぶりにユンボを思い切り動かせて満足だし、現場の人は作業が進んで助かる。
好きなことをやって感謝されるのは気持ちが良い。
そして、ソ連軍が迫ってきたので命が惜しい俺はさっさと大連に引き上げた。
早く日本に帰ってメシ食って、風呂に入って、寝るのだ。
工作部隊の隊長さんへの説明は中尉経由でしかるべき人にやって貰おう。
俺と階級が同じかもしれないが、命令系統が違うし軍属風情に意見されたら向こうも面白くないだろう。
改善点も見つかった。
まず、一度に掘る土の量のことを何とかしないといけない。
それとユンボとダンプが同数なのもおかしい。ダンプは二倍以上いないと、ユンボの待ち時間が増えてしまう。
これ以上ダンプを増やせないなら、もっと人を入れて人海戦術で土を片付けないといけない。
今は何も思い浮かばないが乾燥地帯での運用も対策も必要だ。
九月四日。
さあ、これで帰れるぞと思っていたら、大本営から新しい命令が届いた。
瀋陽の飛行場を拡張するから手伝えというものだ。
頭の中では一番下の娘とお馬さんごっこでもしようかなと考えていただけにショックが大きかった。
逆らう訳にもいかず、泣く泣く瀋陽まで戻って、ブルドーザーで滑走路・誘導路を作ったり、ユンボで退避壕を掘ったり、クレーンで掩体壕を作るのを手伝ったりと、とても忙しかった。
どうやら、日本中から民間の重機を集めてきてるらしくてオペレータが足りないのだ。
重機の累計出荷台数から考えて全国に数千台の重機があり、その数以上のオペが居る。
民間のオペが兵隊に取られて動かせない重機が出てるらしくて、軍はそれを徴用して満州に持ってきてるのだ。
軍内でオペは余っていないし、敵が近くに来てるのにのんびり教育をすることもできずに困ってたそうだ。
軍はもう少し動員の時に上手くやれよと思ったが、そこまで手が回らなかったのだろう。
召集された重機オペが軍内でも重機部隊に配属されだしたら、この問題もだんだん解決すると思いたい。
俺は一日でも早く日本へ帰るのを心待ちにしながら、今日も重機を転がした。
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