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<第二十八章 最後通牒>

 昭和十五(1940)年八月十八日。


 会議が二日目に入って、中尉以外の顔に疲労の色が浮かんでいる。

 俺は天皇陛下の次に若いが一番疲れてる。体力無いからだ。

 現場作業よりも机に向かっての仕事が多いので体力が落ちているのだろう。

 そして、これは中尉の作戦だと思えてきた。

 全員が疲れ果て、うんざりして、思考能力が無くなるまで会議して、最後に自分の意見を通す。

 中尉らしい腹黒いやり方だ。



 今日は昨日の続きで戦争準備の話から始まり、その後アメリカ側へ付いた場合を検討する予定だ。


「動員の手筈はどうなっている」


 という総理の話から会議は始まった。


「既に第一次動員の準備は終わり、名簿は作成済みです。

 これから、第二次として後備師団用動員名簿の作成に取り掛かります。

 第一次の予定はおよそ三十万人。第二次は五十万人。

 他に輜重兵や海軍を含めて一月で百万人強の動員を行います。

 召集者分の装備は準備済みですので、一月以内に正規二十七個師団の編成が終了し、半年以内にさらに後備二十個師団の編成が完了します」

「一度にそれだけ動員すると、さすがに経済へ影響が出るのではないか」

「それは、残された者が頑張るしかありません。主に、婦人の力を使うことになります。

 榊原の情報から考えられた保育所を全国に整備する予定です。

 各町の寺・神社などに子供を預かる場所を作り老人が共同で面倒を見る。

 母親は朝子供を預け、仕事へ行き、帰りに子供を迎えに行きます。

 現在都市部に多い、託児所、幼稚園に似た形です」


 俺は突然名前が出てびっくりした。

 他の出席者は託児所を使ったことが無いのか、今一つピンと来ないようだ。

 俺は平成の世界で会社の先輩から保育所探しの大変さを聞いて知ってた。

 俺の住んでた熊谷市はそれほどではないが、他の市では引っ越そうと思ったら家より先に保育所を探さないといけない所もあるそうだ。

 こっちの世界では家族内で子供の面倒を見るのが普通だが、都市部では工場労働者を中心に親(子供から見ると祖父母)と同居していない人間が増えている。それで、だんだん託児所が増えてきている。


「既に法令原案は作成済みで、愛国婦人会、国防婦人会とも調整済みです」

「そうか、その話はまた、別の機会にするとして、物資の備蓄はどうなっておる」

「榊原の話を元に自国勢力圏内で全量調達できず、かつ戦争継続に必要不可欠な物資を戦略物資と呼び備蓄を進めてまいりました」


 日本は、国内で調達できる物資の方が少ない気がする。


「さらに、この物資を英連邦から入手可能な物の甲と、不可能な物の乙に分けて管理しております。

 戦略物資の大部分は甲に属します。

 石油、鉄、ボーキサイト、工業用塩、錫、天然ゴム、綿花、ダイアモンド等。

 これらは通商路の安全さえ確保できれば必要量を入手できます。

 次に乙は入手難易度によって乙一と乙二に分けます。

 乙一は比較的入手が容易な物です。

 水銀、タングステン、皮革、毛皮等。

 乙二は入手が困難な物で輸入先が米国や南米大陸などの物です。

 銅、ヘリウム、精密機械用水晶、ニッケル、機械油、航空機用ガソリンの添加物等。

 そして、それぞれ平年使用量の甲は二年、乙一は四年、乙二は六年分を目標に備蓄を進めております。

 これは使用量が三倍に増えても二年は戦争を継続できるようにとの考えからです。

 ほとんどの物資の備蓄は目標を達成しておりますが、石油、鉄、ボーキサイトの三つに関しては使用量が膨大であり、保管場所の問題もあり備蓄は進んでおりません。

 石油は一年半、鉄は半年、ボーキサイトは一年分となっております」

「石油と鉄は満州で取れるではないか」

「昨日話しましたように日ソ開戦の場合、扶余油田は放棄の可能性があるので、計算から除外しております。

 同様に北樺太のオハ油田も除外しております。

 撫順の石炭と鞍山の鉄鉱石は考慮に入れ、さらに鉄については大冶鉄山と海南島も全量入手できると仮定し足りない分で備蓄量を計算しております。

 備蓄できている物の中には外国産より品質の劣る国産の代替品で計算している物もありますし、開戦後は輸送途中での喪失もあります。

 今後は英連邦が必要量を供与しない可能性もあり楽観できない状況です。

 それと当然ですが、米国側に付いた場合、入手難易度は変わります。

 乙二の大部分が甲に変わり、錫・天然ゴム・ダイアモンド等が乙二に変わります」


 想像以上に備蓄が進んでいて、へぇーという感じだ。

 普段の生活では全く意識しないし、中尉も全く話をしないからほとんど忘れかけてた。

 一応中尉には、戦時中は鉄が不足して各家庭から鍋や釜を提出したり、寺の鐘が使われたとかの話をしていた。

 だから、何かするだろうとは思っていたが、これほどとは、さすが中尉という感じだ。

 備蓄には金が掛かると思うが、やはり、あのS資金とやらを使ったのだろうか。


(こめ)は? 食料はどうなのだ」

「米は本土、朝鮮、台湾の生産でほぼ全量賄えますが、農業労働力の減少により収穫の低下が見込まれ、不足時はタイからの輸入で補います。

 また、小麦、食塩、家畜用の塩等が不足しますが、これも、中国または東南アジアからの輸入で補います。

 どちらに付くにしろ物資の輸入は必須であり戦争遂行のため、今後はいかにして通商路を守るかが重要となります」

「それで、どうするのだ」

「はい、これまで護衛艦隊を創設し、輸送路防衛の為の訓練をしてまいりました。

 この護衛艦隊をもって護衛に当たりますが、今の所属数ではクウェート、インド、シンガポールまたはアメリカからの長距離を守るには到底足りません。

 よって、今後の建造計画では護衛艦および輸送船の大増産が必須となります。

 その為には、連合艦隊用艦艇の削減すら必要になるやもしれません」

「理屈は分かるのだが、果たして連合艦隊の奴らが納得するかな」

「納得させるしかありません。

 強硬に反対するようなら、重油の割り当てを減らしますし、その他全ての物資の割り当てを減らします。

 まさか、戦争中に反乱を起こすほど馬鹿者ではないでしょう。

 また、アメリカ側に付いた場合は物資の確保の為に、英領、蘭領植民地へ侵攻します。

 これは後ほどご説明いたしますが――」



 その時、秘密会議中にもかかわらず外務大臣から総理へ緊急の連絡が入った。

 秘書っぽい人がメモを持ってきた。


「先ほど外務大臣が米国駐日大使から重要文書の交付を受けた。

 現在、その文書を翻訳中だが、最後通牒だということだ。

 翻訳が終わるまで、しばらく休憩としよう」


 との総理の発言に、室内がざわついた。

 中尉を見ると驚愕というか呆然というか、とにかく普段見ないような顔をしている。

 これは中尉の予想外ということか。

 中尉でも驚くことがあるんだと、不謹慎だが俺はついニヤケてしまった。あんな顔を見るのは初めて会った頃以来だ。


 そして、休憩を取ることとなり、天皇陛下は中座された。

 急いで握り飯が用意され配られた。出席者は隣の者とひそひそ話をしている。

 俺は話し相手が居ないので一人黙って座っているしかない。

 中尉は退室していて居ない。


 一時間後、第一報が届いた。

 全員が席に着き、天皇陛下が戻られたところで会議が再開された。


「神崎君、読んでくれ」

「はっ」


 総理の指示で、中尉が書類を両手で受け取り読み始めた。

 それを聞く全員の顔が段々怒りに変わっていく。

 主な内容は米国から日本への要求だった。


・日英同盟(日英友好条約)の破棄

・英国への非協力

・米国船、ソ連船が日本近海を通過する際の安全保障

・米国がマーシャル諸島を軍事利用する承認

・回答期限は一週間後、日本時間正午まで

・誠意ある回答無き場合はファシスト国家に協力する国家とみなす

・二国間の外交関係に破綻が生じた場合、その責任は日本にある


 要するに黙って俺の言うことを聞け。戦わずして子分になれ。ということだ。

 参戦しろとなっていないのは、日本が居なくても勝てる。日本へ分け前は渡さないということか。

 アメリカは何を考えているのか。脅せば言うことを聞くと考えているのか。

 それとも日本を怒らせて対日戦争をするつもりなのか。

 天皇陛下でさえ顔を赤くしている。

 会議の予定では、この後に米側に付いて参戦する場合について議論することになっていた。

 どうやら、その予定は必要なくなったようだ。


「結論は出たようですな。陛下、開戦のご裁可をお願いいたします」


 総理が代表して発言すると、列席者全員が陛下のお言葉を待ち静まり返る。

 全員が開戦の一言を待ち望んでいるのがひしひしと伝わってくる。

 しばらくの間、部屋の空気が動きを止めた。


「もう、交渉の余地は無いのか」


 陛下が悲しそうな声で言われた。


「最後通牒であると米国大使にはっきりと言われ、文書上もそうなっております。交渉できる段階ではございません」

「そうか……。では、最後に聞く。神崎、今は怒りを鎮め、よく考え答えよ。我が国は勝てるのか」


 中尉が立ち上がり、直立不動で答えた。


「勝つとは断言できません。しかし、絶対に負けません。これだけは言えます。けっして米国の思い通りにはいきません。いかせません」


 陛下はほんの少しだけ考えられた。


「分かった。この通牒は無視しよう。さすれば米国が攻撃してくるなり、宣戦布告してくるであろう。それをもって開戦とする。皆の努力を期待する」


 陛下が退席される。

 全員が立ち上がり、陛下に対して最敬礼した。もちろん、俺もだ。


 元平成日本人として戦争に賛成できないが、さすがに言える雰囲気ではなかった。

 それに、こちらから宣戦するのではない。向こうから喧嘩を吹っかけてくるのだ。どうしようもない。

 もう、やるしかないのだ。


 それにしても、結局俺は一言も話さなかったので、会議に出る意味があったのかと少し思った。

 何のために呼ばれたのだろう。



 この時から日本は国家全体が全力で動き出した。

 朝鮮での日ソ衝突以来日本は動き出していたが、それが助走だったとでもいうくらいもの凄い勢いで物事が進んでいく。

 翌日公式な御前会議が開かれ、米国の最後通牒無視、開戦が決定された。

 動員令が出され、国会が緊急召集され、特別予算が可決され、軍需産業へ発注がなされ、各基地では戦時警戒態勢に入り、潜水艦は準備ができた艦から出港していく。以外の艦艇にも弾薬、食糧、水、その他が積み込まれていく。

 休暇が与えられていた者は急いで原隊へ戻り、即応部隊である広島第五師団は出営準備を行う。

 同様に横須賀・呉の海軍鎮守府では特別海軍陸戦隊が輸送艦へ物資積込みを開始する。

 日本各地で出征祝の宴が開かれ、街を歩けばそこかしこで万歳の声が聞こえる。

 政府から正式に戦争が始まる話が出たわけではないが、国民は皆もうすぐ始まることを知っている。


 俺が働く○菱の工場にも大量の注文が来た。

 昨年一年間の生産を上回る台数を四か月以内に納めよというものだ。

 どうやっても無理なのだが、一台でも多く生産しようと社員が頭をひねっている。


 まずできることは残業、休日出勤で労働時間の延長。

 新しい人を雇おうにも日本中で工員が不足していたところへ開戦でさらに不足するだろう。

 ということは新しく育てるしかない。それも、女性をだ。

 となると、託児所を作るところから始める必要がある。場所はとりあえず工場附属の体育館の一角を使うとして、子供の面倒を見る人を雇って、食事の手配も必要となる。

 それが済んで、女性が入ってきたら全くの素人を教育する必要がある。

 多少の教育をしたくらいで熟練作業をやらせることはできない。

 だったら、工程を変更するしかない。

 これまでは生産性を重視した生産工程にしていたが、これからはもっと作業を単純化して、簡単なところは大量の新人に、難しいところを既存の熟練工員に割り振る。

 生産性よりも生産量を重視した工程だ。


 それから下請工場にも大量の部品を作らせないといけない。

 これまでは下請けの自主性を尊重して、下請けの会社内部のことには口を挟まなかった。

 だが、もうそんなことを言ってられない。部品の生産量を上げても品質が落ちてしまったら、完成品の生産量が減ってしまう。

 ○菱でやってきた改善活動を下請けにも普及させる必要がある。その為には社員を派遣するしかない。


 他にも生産量を確保するため、不要不急の機能を省いた簡略版を作れと軍から言われるかもしれない。

 実戦で使ってみての問題点が出てくるかもしれない。

 とにかく、急に忙しくなってしまった。

 つい先日まで製品ラインナップ拡大の為の新製品を開発していたが、全てストップとなった。

 残念だが仕方ない。



 日本中が浮足立っているが、大きな混乱は無く決められたことを皆が淡々とこなしていく。


 そして、一週間後の正午、アメリカへの回答期限が来た。

 もちろん日本は回答しなかった。


次章は7/5(土)19時に予約投稿しています。

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