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<第二十六章 米国参戦> (極東地図付き)

 昭和十五(1940)年七月。


 ボルドーから約80キロの距離で半包囲の陣を敷くとドイツは一旦進撃を停止した。

 最終決戦前に部隊の再編、補充、補給を行うためだ。

 合わせてフランス内の飛行場が整備され、ドイツ空軍が進出している。


 フランスの北半分はドイツの占領下に置かれ、地中海沿岸部と南部高地、山岳地帯はイタリアの占領下に置かれている。

 残りはボルドー周辺の平野部に限られている。


 ドーバー海峡の安全を確保したドイツはUボートを大西洋へ進出させ、フランス籍の輸送船を拿捕撃沈していく。

 だが、アメリカ船の扱いには十分注意し、必ず臨検してから対フランス貨物である証拠を確認してから拿捕を行っていた。

 フランス海軍はこれに対抗しようとするが主要軍港は全てドイツ軍に抑えられており、満足な補給が受けられない。

 燃料だけは米国から補給を受けているが、弾薬は一部を除いて使用できない。

 特に対潜水艦戦に必要な爆雷が底を突き、一方的に攻撃されるだけになっている。

 対潜では役に立たない戦艦はアルジェやチュニスで対空砲台として使われるか、カサブランカ沖を遊弋するしかやることが無い。

 兵装を変えるにはアメリカへ行くしかないが、改装の間、一時的に海軍兵力が減る訳であり簡単にはいかない。

 それで、駆逐艦の二割が米国で改装を受けているらしい。


「二日前、時差があるから暦の上では昨日だが、その時点でドイツは総攻撃の準備を整えて命令を待っている状態らしい。

 もう、米ソが参戦しない限りはフランスは時間の問題だ。

 数日から一週間の内にはどちらかまたは両方が仏側で参戦するだろう」

「そんなに切羽詰ってるのか」

「そうだな。それで問題はイギリスがどちらに付くかだ。

 ただ勝ち馬に乗るなら仏側で参戦すれば良い。まず負ける恐れはない。

 だが、それでは取り分はほとんど無いし、戦後にソ連の発言力が大きくなってよろしくない。

 逆にドイツ側で参戦し勝つことが出来たら取り分はとても大きい。

 フランスの植民地を分割できるし、ソ連の力を大きく削ぐことができる。

 米ソ二大国を相手にするのは、かなり危険な博打だな」


 ローリスク・ローリターンかハイリスク・ハイリターンか。


「日本はどうするんだ」

「イギリスが米仏側に付いたら、間違いなくそっち側だな。英米ソを敵に回して勝てる道理が無い。

 だが、イギリスがドイツ側に付いた場合、その時は日本も腹をくくらねばならん。

 イギリスと手を切って米仏側に付くとアジアの英植民地の一部は日本の物になるだろう。

 マレーシア、ビルマかボルネオ島あたりだろう。

 だが、アメリカはますます強くなり、逆らえなくなりそうだ。

 米国経済に組み込まれてしまうだろう。

 良くて極東の番犬、悪くすれば経済植民地になる。

 アメリカの犬になってでも戦争を回避するか、大博打でアメリカと戦争するかだな」

「アメリカと戦争して勝てるのか」

「今なら勝てないまでも良い勝負はできる。お互いが消耗して講和という道もある。

 だが、一年後だとダメだ。どうやっても勝てん。アメリカの大艦隊ができた後だと勝負にならん」


 アメリカでは軍縮条約明けから作られた戦艦と空母が今年後半から続々と実戦配備されていく。

 そうなると、年を追うごとに不利になっていく。


「そうか……。中立のままはダメなのか?」

「米英ソ次第だ。日本が中立のままを望んでも相手が宣戦して来たら戦わない訳にはいかん。それに、中立だと戦後の発言権が小さくなるうえに、経済が立ちいかなくなるだろう。その覚悟があるかだな」

「貧乏でも、人が死ぬより良いだろ」

「それを考えるのは政治家の仕事だ。

 いずれにしろ、米国としては戦争準備が整うあと半年か一年先での参戦が望ましいはずだが、これ以上はフランスが持たない。

 仏本土から完全に駆逐されると欧州反攻の足がかりが無くなり余計な金が掛かる。

 それに、仏国内が荒廃しすぎると戦後の戦時貸与返還に支障が出る。

 負け戦が続くと、いくら米国に亡命政府があっても植民地が勝手に動き出すことも考えられる。

 米国内ユダヤ人や経済界からの突き上げもあるだろう。

 米国参戦は近い内に必ずある」


 中尉とそんなことを話した翌日。大西洋上で事件が起きた。

 米国籍貨物船メディナ号がドイツ潜水艦により撃沈されたのだ。


 メディナ号は船歴が二十五年に及ぶ五千トンほどの古い貨物船だったが、対仏への支援物資運搬、欧州大陸からの米国人引き揚げのため米国政府に徴用されていた。

 そのメディナ号が積めるだけの物資を積んでフランスへ向かう途中、アイルランド南方四百キロの海上でドイツ潜水艦の攻撃で撃沈されたのだ。

 メディナ号は沈没寸前に魚雷攻撃を受けたことと救助を求めることを打電していた。

 この報は各地で受信され問題になった。

 米国人乗員三十五名の内、死亡または行方不明が二十六名で生存者は九名。この九名は撃沈から三日後に、漂流中の所をアイルランド海軍により運良く発見された。


 アメリカはドイツによる無差別攻撃だと非難し、謝罪と賠償を求める。

 ドイツは、撃沈は事実だが昼間の攻撃であり船尾のフランス国旗を確認したこと、該船は停戦警告を無視したと主張する。

 すると米国は、フランス国旗は前墻頭に掲げられており外国港入港時に該国に敬意を表す慣習に則ったものであり、また、船尾には正しく米国国旗が掲げられていたと反論する。

 いずれにしろ船は海の底であり調べられない。


 この事件を機に米国世論が一気にドイツ懲罰へ傾いていった。

『リメンバー・メディナ』と米国マスコミが国民を煽る。


 さらに米独関係にとどめを刺す事件が起きた。

 米国補給部隊がフランス国内でドイツ空軍に攻撃され、死者が出たのだ。

 米国補給部隊と言っても米国政府が退役軍人などを雇った民間会社に近いものだ。

 その死亡者の中に、たまたま前線近くの野戦病院へ向かうために同乗した米国人看護婦が含まれていたことから米国世論は沸騰した。

 ドイツはトラック上部に赤十字マークは無かった。戦闘地域にいるトラックは爆撃されても仕方が無いと反論するが、米国国民は耳を貸さない。



 七月十四日。

 『ファシストを許すな』の気運は最高潮を迎え、アメリカ政府は国民の声を背に受けて独伊へ宣戦布告した。



 これでも英国は動かなかった。中立の姿勢を貫き、戦争各国へ停戦と平和的交渉を呼びかける。

 一見素晴らしく見える英国の態度に中尉は冷ややかな意見だ。


「英語でいうところの単なるジェスチャーだ。

 一旦占領した場所をドイツは簡単に返さない。

 フランスもこのまま停戦したら交渉に不利なことは分かっている。

 もう、簡単に終わらないことはどこの国も分かってる。

 一旦始まってしまったからには終わらせるのは難しい」


 日本も英国にならって動かない。同様の声明を出すだけだ。

 一方、戦争に備えて戦時体制への移行を急ぐ。

 すでに武器弾薬の大増産が始まっている。

 自国で使うか、他国へ売るか、どちらにしろ作って無駄にならないという考えだ。



 七月二十日。

 ぎりぎりのところで米軍実戦部隊の第一陣がボルドーへ上陸した。

 緊急の戦線穴埋め用に派遣された海兵隊一個大隊だ。

 中尉によると、


「出営準備や船の手配を考えると、事前に準備されていたと考えるべきだろう。

 これから米仏は物資援助を条件にソ連へ開戦を迫る。

 早くしないと、仏戦線が終わってドイツ兵が東部へ向かうぞ、とでも言ってな。

 それで仕方なくソ連も独伊へ宣戦する。

 だが、ソ連は自分からは動かない。完全な戦時体制になってないので動けないはずだ。

 フィンランド、ポーランド、ルーマニアの戦線も抱えてる。

 ソ連が国内動員を完了したという情報はまだ入ってきていない。

 動員は順調に進んでいるが、戦力化にはもう少し掛かるし、生産体制がまだ軍需に移行できていないといったところだろう」



 英は中立国の義務を忠実に守り、食糧のみを仏独両国へ輸出している。

 北海へ入り込んだ米国潜水艦により英から独への食料輸送船の拿捕・撃沈(乗員を退船させたうえで)が相次いだ。

 仏への船は見逃して独への船への攻撃はおかしいと、英は米へ賠償と改善を求める


 これに対して米国は北海とバルト海へ戦闘海域を指定。この範囲は中立国船を含めて安全を保障しないと発表した。

 海域限定の無差別通商破壊だ。

 英は対抗措置として、フランスへの輸出を全面停止。

 また、英国から200海里以内の米仏船の通過を禁止、ジブラルタル海峡も通航を禁止した。

 これで米英関係が一気に緊張することとなった。


 元居た世界ではイギリスは米国と一緒に戦ったのに、今はなぜ米英が対立しているのか。

 意味が分からない。

 中尉に聞くと、


「米は本来イギリスより日本を潰したかった。または、手下にして満州、朝鮮へ進出したい。

 そうすれば中国は丸ごと米国の物になる。市場は広ければ広いほど良いからな。

 それに英国は手ごわい。日英どちらかとやるならば日本だ。

 だが、日本を攻める口実が無い。

 独伊を潰してからだと厭戦気分も高まるしで国民を納得させられない。

 となると今が絶好の機会で、英とまとめて日本を潰してしまうのが手っ取り早い。

 英を潰せば中東とベネズエラの石油が手に入る。ドイツを潰せばルーマニアの石油が手に入る。

 そうすれば、石油で世界を支配できる

 また、カリブ海が手に入り、中南米全てを米国の物にできる。得る物はとてつもなく大きい。

 要するに大勝負に出たということだ。

 英日が戦わずして(くだ)ればそれで良し、はむかうならそれも良し。

 どちらにしろ、米国にはそれなりの勝算があるのだろう」

「いや、いや、いや、いくらアメリカでも日英まとめては、きついんじゃないか。戦線を広げ過ぎだろう」

「なぜ、そう思う。

 米仏露対独伊英日で考えると、人口も工業生産額も米側が勝っている。

 唯一米側が劣っているのが海軍と海上輸送力。だが、それも米が本気を出せば数年で逆転できる。

 自軍は生産量が消費量を上回っていて、相手は下回っている場合、戦線を広げるのは理にかなっている。

 相手を消耗戦に引き込むわけだ。

 それに、同じ消費量であれば短期間で終わった方が経済効果は高いし、戦費も少なくて済む。

 短期間全力で戦争をし、英日独伊を降し、戦後は有り余る生産力で作った物を敗戦国とその植民地で売りさばく。

 それが、アメリカの理想だ。

 米国が戦争拡大を図っても不思議ではない」


 それは、そうなのかもしれないが、そんなことが許されるのか。

 力さえあれば何をしても良いとか……。


「あくまでも私の考えだから合っているかは分からん。

 だが、私が考えているくらいだから、他国でも考えているだろう。

 重要なのは、次の三点だな。

 米国がヨーロッパとアジアのどちらを先に片付けようと考えるか。

 ソ連が二正面作戦を行うか。

 関連してイベリア半島の二国、特にスペインがどちらかに参戦するか、中立を守るか。

 これによって、戦争の流れは変わってくる」



 八月。

 アメリカは英国が宣言した米仏船のジブラルタル海峡通過禁止を完全に無視し、挑発するように海峡を通過してアルジェへ物資輸送を行った。北アフリカで補給難に苦しんでいるフランス軍への支援だ。

 北アフリカの仏伊戦はイタリアが順調に進撃している。


 マルセイユを失ったフランスは地中海の輸送を遮断され、モロッコのカサブランカからチュニジアまでの千キロ以上の陸上輸送を余儀なくされていた。

 フランスは補給線を短くするためチュニジア全体の放棄を決定。

 仏系住民を避難させるため、遅滞戦術を取りながらアルジェリアへ後退していく。

 今回のアルジェリアへの物資輸送はその部隊へ補給するためだった。



 米国は英国を名指しし強い言葉で非難する。


「英国はファシスト国家を支援している」と。


 同時に太平洋の東サモアの軍備を増強する。

 サモアはアメリカ領サモアとニュージーランドの委任統治領西サモアが国境を接している。

 そのサモアで一気に緊張が高まった。

 おそらく米英でギリギリの交渉をしているだろう。


 再びイギリスからドイツへの民間船が米国潜水艦により拿捕される事件が発生した。

 これに対してイギリスが米仏船への実力行使を予告した。


 そして、八月十三日(日本時間)ついに英米が衝突した。


 アメリカ船団がジブラルタル海峡を通過しようとしたところ、英側が実力行使でそれを阻止しようとした。

 進行方向で立ちふさがる英国艦隊に対して、米軍は護衛の駆逐艦が砲門を回した上、魚雷の発射位置へ向かう。

 英国艦隊は警告射撃を開始、その後威嚇射撃を開始。

 米駆逐艦は進路を変えず、砲門も英国艦隊へ向けられたままだ。


 ここまでは両国とも同じことを発表しているが、ここから言い分が違う。

 英国は米軍の発砲煙を視認後、発砲を開始したと言い、米国は英国艦隊発砲後に自衛の為攻撃を開始したと言う。

 いずれが正しいかは不明だが、戦闘は開始された。


 英国側は戦艦一、重巡一、軽巡一、駆逐艦四。

 米国側は駆逐艦十二。


 結果は英国側のほぼ圧勝で、米国は駆逐艦四を撃沈され撤退。輸送船団も全てが引き返した。

 英国側は魚雷一の命中で軽巡が大破の被害受ける。追撃は行わず、軽巡を引き連れてジブラルタルへ引き上げた。



 八月十四日(同)。

 アメリカがイギリスへ宣戦布告。


 これで一番喜んだのはヒトラーだろう。


 八月十五日(同)。

 イギリスから日本へ参戦要求。



 八月十七日。

 緊急玉串会議が開かれた。

 一応俺も呼ばれた。

 会議に呼ばれるのは何年振りだろう。すぐには思い出せないくらいに久しぶりだ。

 天皇陛下もご臨席なされている。


 今回の議題は米からの宣戦はあるか、日本は参戦すべきか、米英どちらへ付くべきかだ。

 まず、司会として総理が口を開いた。


「我が国は米、英どちらの国に付こうが、国際信義はともかく条約上は問題無い。

 米国側に付いた場合は、駒として使い捨てにされないよう気を付け、我が国の権益をいかに確保するかが重要となる。

 対して、英国側に付いた場合、軍事上大きな困難が予想される。

 時間が限られておることから、まずは英国側に付いた時のことから議論したい」


 まず、米からの宣戦布告はあるか。この点に関しては可能性はあるということで全員の意見が一致した。

 ただ、ほぼ必ずと言う者、可能性は低いという者、程度の差が有る。

 時期についても、近日中から米艦隊の準備ができ次第まで意見が分かれた。

 最終的には、当面日本からは米国へ宣戦しないということで意見はまとまった。

 中立を守る場合は英国支配地域からの輸入は妨害される恐れが大きく、戦争終結までの中立は難しいとされた。

 もって二年、早くて半年で経済が回らなくなるという予測だ。


 日本はいつ戦争が始まっても良いように。戦時体制へ移行することとなった。

 動員を始めるとともに、軍需物資の増産に入る。

 動員といっても数十万人に連絡を取らないといけない。今日の明日ではできない。

 物資増産も原料の手配、工員の確保、不足があれば新工場の建設が必要だ。


 ここで問題なのはソ連が参戦してくるかだ。

 中立を維持した場合、ソ連が侵攻してくる可能性があるということらしい。


「榊原の世界では米国と戦争しながらソ連と中立を維持しましたが、それとは逆の形ということです」と中尉。


 元の世界と逆のパターンだ。

 元の世界ではソ連と中立で、米国と戦争した。

 この世界では米国と中立で、ソ連と戦争する。


「ソ連が参戦してくる理由としては

 一、米国からの要請

 二、満州の資源入手

 三、勢力圏拡大

 四、英独伊陣営の生産力の消耗が考えられます

 ソ連参戦時のソ連側の問題点は

 一、米国西海岸-ウラジオストック間の輸送路が遮断される

 二、対独戦線への戦力の減少があります。

 いずれにしろ――」

「ちょっと待って、英独陣営の生産力の消耗とは何だ」


 総理が手を挙げて、中尉の発言を止めた。


「日本が軍需物資を生産して英独伊へ輸出すると困るということです。

 先日までアメリカがフランスへ行っていた形ですから非難しにくい。

 また、地理的に日本と地中海の間の航路を米国は妨害しにくいこともあります」

「分かった。続けてくれ」

「はい、いずれにしろ、ソ連が単独で宣戦してくることは考えにくい。

 問題の方が大きい。ソ連が勝手に参戦して日本の支配地域を奪うなら米国も黙っておらないでしょう。

 ただ、日本側の実力・考えを探るために小規模な衝突を仕掛けてくる筋書はあり得ます」


 元の世界のノモンハンのような場合だ。


「それか、中国共産党の要請の形を取り、日本・国民党へ宣戦布告しないで満州のみへ侵入してくるかです。

 これもドイツとの戦いを控えている以上可能性は低いと考えられます。

 ソ連が侵攻してきた場合、米ソ間で何らかの話し合いが行われたと想定するべきであり、

 対ソ戦の備えをしなければならないことに変わりは有りません」


 出た。中尉の好きな陰謀論だ。


「日本の最終希望は将来的に満州が満州人の手で独立し、資本主義経済を行い、ソ連の防波堤になることです。

 旧来の中華と別の国家になることは間接的に支那の力を削ぐことにもなります。

 逆に最悪なのは満州、朝鮮がソ連へ統合されてしまう、または支配下に入ることです。

 これをいかに防ぐかが重要でしょう。

 また、考慮点として山東半島、営口に居る米軍一万八千人です。

 彼らへ手当しない限りソ連とは戦えません」


 中尉が前提条件らしきものを説明する。


「大本営の方で何か考えているのだろう。説明してくれ」と総理大臣。

「はっ。米国との戦争状態いかんにかかわらず対ソ基本方針として考えていますのは戦力拘引です。

 日本陸軍全兵力をもってしても、兵員数の差、国土面積から考えてソ連攻略は無理と考えます。

 よって、ソ連への主攻はドイツへまかせ、日本は英国とともに米国からソ連への物資援助を妨害する。

 同時に極東へソ連軍の戦力の一部を拘引しドイツを間接的に援助する。

 これが肝要かと思われます。

 米国からソ連への援助線は次の二つが考えられます。

 北海を通り、ムルマンスク・アルハンゲリスクへ至る経路。

 太平洋を通りウラジオストックへ至る経路。どちらも鉄道が通り不凍港です。

 アラスカ、北極海経由もあり得ますが自然環境から考え、実行したとしても少量であり大勢に影響しないと思われます」


 中尉が地図を示しながら説明する。


「そこまでは分かった。その通りだ。だが、それでソ連を倒せるのかね」

「降伏まで追い込むのは無理でしょう。

 せいぜいできて、停戦までです。

 大本営の予測では、ドイツがフランス平定後ソ連へ侵攻を開始した場合、一年目の秋までに経済の中心地レニングラード、穀倉地帯ウクライナまで到達。

 二年目でモスクワ、ロストフまで到達するところで限界がきます。

 これでソ連が停戦に応じずウラル方面へ退却し続けた場合、追撃は非常に困難になります。

 しかし、ソ連側も米国からの援助が無ければ攻勢に出ることができず膠着状態になります。

 スターリンならば恐らく、どこまででも退却するでしょう」

「まあ、奴ならばそうするだろうな。自分の命がかかっておる」

「停戦の可能性があるとしたら、ソ連国内で政変が起きスターリンが失脚することです。

 そうなれば、共産主義を続けるのか、別の政治体制になるかにかかわらず、ソ連は戦争どころではありません。

 早期に停戦しないと国内で餓死者が続出し暴動が起きるでしょう」

「そうなるか。それで逆にソ連がこちらへ打って出てきた場合は」

「南樺太、千島については戦力を増強すれば十分に撃退可能です。

 投入戦力次第では北樺太の占領も可能です。

 朝鮮の日本海沿岸部も最初は多少押し込まれるでしょうが、海軍戦力、および航空戦力の支援があれば十分撃退できます。

 問題は満州内陸部です」


昭和十五(1940)年 極東

挿絵(By みてみん)


 中尉が地図の二か所に小さな旗を刺した。


「日本が確保したいのはこの扶余油田と鞍山製鉄所です。

 鞍山は朝鮮、大連から近く防衛は可能です。

 扶余は内陸部でありソ連の侵攻が始まってから準備をしていたのでは絶対に間に合いません。

 また、一度奪われると奴らは撤退時に破壊していくでしょうから、奪還しても復旧に半年から一年掛かります。

 ですから、まず考えるべきは扶余油田を防衛するかどうかです」


 中尉が一息つくと、出席者はみんな考え込んでいる。


「神崎大佐のことなら、その答えも用意しているのだろう。披露したまえ」

「はっ。私の個人的意見ですが、放棄すべきだと思います」


 中尉が一同を見渡す。


「ここを防衛するには三十から五十個師団が必要です。

 これだけの数を満州内へ送り込むには膨大な労力と時間がかかります。

 対米戦や国内物資輸送を無視したとしても動員完了から数か月かかります。

 またこれだけの数の兵站を維持するにも膨大な労力がかかります。

 それなら、扶余油田は敵へ渡し、その分は中東からの輸入を増やしたほうが安くつきます。

 我々が欲しいのはあくまでも石油であり、油田ではありません。

 幸いなことに中東では扶余油田分くらいの石油は余裕がありますし、運ぶタンカーも確保可能。

 英国も日本がソ連へ参戦するならば断わらないはずです。

 油田はソ連との戦いが終わった後、復旧するなり、そのまま満州・中国へ売却するのか決めれば良いのです」

「兵站面からの理屈は分かる。だが、我が国の国民感情、満州の人々の感情はどうなる」

「国民は陸軍を臆病者と罵るでしょう」


 総理は、やはりという顔。

 もちろん、陸軍は苦虫を噛み潰したような顔だ。


「だが皆さんには、あえて嫌われ者の役をやって頂かねばならない時もあります。それと、もう一つ別の作戦が有ります。ソ連への逆侵攻作戦です。ウラジオストックを攻略し、ハバロフスクを爆撃します。もちろん、シベリア鉄道やソ連が使いそうな満州鉄道も各所で爆撃します」


 『ほう』、やら、『うむ』など小声が漏れる。


「大本営が策定した対ソ基本作戦を先に説明したほうがご理解しやすいと思いますので順に説明します

 海軍からいきますと、開戦後すぐにウラジオストックの敵潜水艦部隊の壊滅、封鎖を図ります。

 空爆、海軍による対潜作戦、機雷設置等によります。

 そして、ロシア沿岸部の軍事施設を艦砲、航空攻撃により順次破壊します。

 ナホトカ、ニコラエフスク、マガダン、ペトロパブロフスク・カムチャツキー等です。

 これにより、南樺太、千島の敵圧力は大いに減ります。

 また、間宮海峡、千島-カムチャッカ半島間の機雷封鎖も検討します。

 次に陸軍ですが、大陸における主力配置は朝鮮半島の清津、遼東半島の大連の二か所で現状のままとします。

 ちなみに、羅津、鞍山には警備程度の兵を置いておきます。

 ソ連が満州へ侵入してきた時点で大連の部隊は鞍山方面へ進出。そこで一部部隊は営口へ向かい、米軍部隊と対抗。

 大連本隊はソ連軍の進軍速度に合わせて、瀋陽、撫順、鞍山のいずれかに抵抗線を構築します。

 ソ連国境から鞍山まで千キロ、大連-鞍山が四百キロ、当方が鉄道を有効に使え、ソ連は満州人の非協力が考えられますので時間的にはかなり有利です。

 この線で平壌、大連からの航空支援、鉄道による補給を受けながら可能な限り防御します。

 清津の部隊はその前面に事前構築済みの陣地に入り防御します。

 反攻として、即応師団または陸戦隊でウラジオストックへの上陸作戦を決行します。その支援は海軍及び清津へ進出した陸軍航空隊が行います。また、敵の奪還を防ぐために、周辺都市、鉄道への空爆を実施。

 その後、速やかに上記三か所へ本土から増援を送り持久防御、及び敵戦力の拘束に努めます。

 米軍との状況で陸軍兵力、航空戦力に余裕があれば、敵の補給が減少した時点でウラジオストックから大包囲戦を仕掛け敵を殲滅します」


 中尉がウラジオストックからぐるっと回って瀋陽までの半円を示す。


「彼我の戦力は」

「極東ソ連軍の正面戦力百万人を我が軍の三十万人で拘引します。

 我が軍は自由に任意の場所へ上陸作戦ができます。

 よってソ連はその防備に部隊を割かねばならず、攻勢を維持するには最低でも百万人は必要です」

「ソ連がそれ以上を投入して来たら」

「それだけドイツが有利になり、欧州方面が危機になります。

 ソ連の主戦場は欧州であり、極東はついででしかありません。

 最低限の兵力しか投入しないでしょう。

 それに我が軍は撤退するという選択肢を持っています」

「反攻はいつ頃を考えているのか」

「開戦二度目の春です。二年有れば後備師団にも十分な訓練ができ反攻の戦力として使えます」

「それは気の長い話だな」

「その間、満州人による攪乱が期待できます。もちろん我が軍もこれを支援します。空爆による補給路破壊にも努めます」

「敵の航空戦力の方が優勢になる可能性は」

「米軍からソ連への支援を妨害できることが前提ですが、敵の油田からの距離を考えますと、敵の行動は低調にならざるをえません。

 敵が扶余油田を利用しようとしてもご存知のように航空ガソリンとして向かない油質です。

 また、ドイツがバクー油田を奪取できれば、敵はますますガソリン不足に悩むことになります。

 万が一、米国からの支援が届いた場合は満州からの撤退も検討します。

 もちろん、邦人の避難後ですが。

 その場合でも我が国はインド、オーストラリアから原料輸入さえできれば戦争続行可能です」

「国民党が攻めてきた場合は」

「その場合は、邦人避難の時間を稼いだ後に撤退です。

 ただ、今後米軍からの支援は切れますので可能性は低いと思われます。

 考えられることは、国民党が共産党と手を結び、ソ連からの支援を受けて、全中統一の名の元に満州へ進出してくることです。

 この場合も満州からは撤退となります」

「その場合、張一派はどのように動く」

「父親は共産主義を毛嫌いしておりますが、息子は近しく感じているようです。

 抵抗するか、満州が二つに割れるかのどちらかでしょう。

 そこから先は政治なので本官の管轄外ですが、張一派にはソ連の侵攻を事前通告し、開戦と同時に我が軍の戦線予定地を通知。

 避難民を極力受け入れ、援助。場所は遼東半島にいくらでもあります。

 その食料は備蓄古米を当てます。彼らは普段米を食べませんので、食べるかどうかは不明ですが。

 その後張一派へ武器を渡せば自発的に遊撃戦をやるでしょう。

 それと、国民党にも一応ソ連への共闘を呼び掛けます。

 ですが、おそらく応じないでしょう。ソ連が開戦する以上、中国共産党への援助が減り、攻勢をかける良い機会です。

 蒋介石としては張一派と日本が弱る絶好の機会です。アメリカとの関係悪化も考えるでしょう」

「山東半島の米軍はどうする」

「あそこには一個師団が居ますが、海上封鎖し空爆で敵を弱らせ、そのまま放置します」


 中尉以外が全員渋い顔をしている。


「これが一番現実な策です」

「そうだな、次は対米案を聞こうか」

次章は6/28(土)19時に予約投稿しています。


キリが悪いのですが、ここで切ります。

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[一言] アメリカが英国に宣戦布告。 これを聞いたヒトラーは、総督閣下シリーズの様に興奮してるのは間違いない
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