<第二十章 第二次ロンドン海軍軍縮会議>
昭和九(1934)年十月。
第二次ロンドン軍縮条約に向けての会議が開かれた。
前回同様陛下御出席の元で会議が開かれ、交渉案が作られた。と思う。
というのも、俺は今回会議に呼ばれていない。
軍縮会議の話を新聞で知って以来、いつ連絡が来るかと待っていたが、結局来なかった。
これだけ元の世界と歴史が変わってきてると俺の知識では役に立たないということか。
呼ばれると緊張するし気を使うしで大変なんだが、呼ばれないとそれも寂しい。
まだ国力を付けている最中で軍拡は早いと思うので現状維持の結論になることを願う。
それと中尉とは半年近く会ってない。
本当に忙しいのだろう。
軍縮会議では米国が青島に艦隊配備、軍港拡大、ドック新造を要求。それに伴う重巡一隻他の増加を要求した。
日本は大反対で現状維持を要求。高齢艦の代艦建造のみを主張した。
英国も米案に反対。日本と歩調を合わせた。
だが米国も譲らない。頑強に自説を主張した。
結局話はまとまらず、軍縮の追加の量的規制は破棄され、新たに質的規制のみ行うこととなった。
これに伴い米国は軍縮条約が意味を失ったと十二月末付でのワシントン、ロンドン両条約の脱退を宣言。
米国の脱退に伴い、日英仏伊もそれぞれが米国と同日付での脱退を表明。
軍縮条約は全参加国が昭和九(1934)年十二月末で脱退することとなった。
こうして十五年近く続いた海軍の休日は終わりを迎えた。
条約は脱退後二年間有効の規定があるため、その二年後の昭和十一(1936)年十二月末で無効になる。
昭和十二(1937)年から実質的な自由建艦競争の時代へ入るのだ。
今回の会議で唯一各国へ制限が掛けられたのは艦の最大サイズのみで次のように決まった。
・戦艦、40,000トン未満、砲は16インチ未満
・空母、30,000トン未満、砲は8インチ未満
・潜水艦、2,800トン未満、砲は5インチ未満
よって、昭和十二(1937)年以降、各国はこのサイズ内であれば自由に建造できるようになる。
他には英仏伊の三国間で地中海の軍備制限が決まった。
また、太平洋の非軍事化を定めた太平洋条約も破棄され、昭和十二(1937)年以降自由に軍事利用、要塞化ができる様になった。
そこで、日米間で個別協議が行われ、太平洋四島(ミッドウェー、ウェーク、南鳥島、マーシャル諸島)の非軍事化が昭和十三(1938)年末まで延長と決まった。
年が変わって昭和十年(1935)年。
軍縮条約の失効を見越してアメリカが進めている大建造計画の情報が伝わってきた。
こうなると、アメリカは景気対策で軍艦を作るためにわざと条約を流したのではないかと思えてくる。
イギリスもアメリカに合わせて建造改装計画を進める。
そして、日本もアメリカよりは控えめな計画を始めた。
海軍はあまり興味はないが、これまでずっと話を聞いてきたので、今回はどうなるのかを聞かないと何となく落ち着かない。
だが、中尉は忙しいということで顔を見せない。
そこで、たまたま用事があり陸軍省へ行った時に中尉を見かけたので、昼ご飯を食べながら詳しい話を聞いてみた。
いくら忙しくても昼飯くらいは一緒にしても良いだろう。
「まだ、計画段階だから誰にも話すなよ」
と前置きして中尉は話してくれた。
新計画で日本はますますヤマアラシ化と太平洋西部引きこもりになっていく。
・比叡を戦艦へ戻す
砲塔を連装二基四門(後述)へ減らし、空いたスペースで水上機を二機増やす。
司令部機能を持たせるため、無線機能の強化と司令部要員の為の場所を確保。
また、日本初の艦艇用レーダーが開発され次第搭載される予定となっている。
・空母四隻新造(翔鶴型二隻+改翔鶴型二隻)
翔鶴型二隻を先行して建造し、建造途中で判明した不具合については改翔鶴型で対応する。
対外的には空母二隻、戦艦二隻と偽装する。
・既存戦艦の順次改装
機関変更、球状艦首採用、扶桑型の艦橋変更。
金剛型、扶桑型、伊勢型の主砲換装。36センチを新型41センチへ。
金剛型は連装四基八門を連装二基四門、扶桑型、伊勢型は六基十二門を三基六門へ。
長門型の主砲換装。新型41センチ連装四基八門へ。
これで日本の戦艦の主砲は同一の砲塔で統一されることとなる。
新型砲塔はこの日のために開発されたもので48口径41センチ砲。加賀型で使われる予定だった砲塔をさらに進化させたものだ。
取り外した砲塔は硫黄島、サイパン、ポンペイ島へ送られて要塞砲として使われる他、通商破壊型重巡(後述)にも搭載される。
・既存空母の改装
機関変更、球状艦首採用、エレベータ強化
・通商破壊型重巡二隻新造
構想は巡洋艦より強力な武装を持ち、戦艦より高速で、敵通商路の破壊を第一義とする。
45口径36センチ砲連装二基四門、13センチ対空対艦両用砲二基四門、最大速力30ノット、長航続距離、水上機二機。
・駆逐隊司令用軽巡
司令部機能、無線機能を充実し、艦隊随伴型駆逐艦の指揮を執る。
・艦隊随伴型駆逐艦
対艦対潜対空機能をバランス良く持ち、艦隊に随伴する。13センチ両用砲三基六門(戦艦、空母、巡洋艦と同じ両用砲)、四連装魚雷二基(再装填無し)、爆雷六十発。
・護衛隊司令用駆逐艦
司令部機能、無線機能を充実し、船団護衛の護衛艦の指揮を執る。
・通商破壊型潜水艦
長期無補給単独航海に耐えるために、居住スペースが拡大され、冷蔵庫がある。
トラック出港後、パナマ運河西岸で作戦行動がとれること。
・近海防衛型潜水艦
水中行動を主とする。艦載砲・艦載銃は搭載しない。
・上陸専用艦艇
海軍特別陸戦隊用。
一個大隊の人員装備全てを運搬でき、揚陸する機能があること。
・給油艦、護衛艦の大型化
給油艦は十六ノット巡航で艦隊随伴が可能なこと。
護衛艦は十四ノット航行で横浜-シンガポールを無補給で航海できること。
・現在ベルト給弾式の機銃を開発中で、完成次第主要艦艇から順次更新を行う
・その他研究開発中の物として
近海決戦用高速魚雷艇。魚雷二本程度を装備し、駆逐艦以上の高速で敵艦に接近し攻撃する。
戦車輸送艦。戦車等重車輌の運搬専用。クレーン能力の低い港湾でも使用可能にする。
艦隊護衛用空母。一万トンドックで建造できるもの。艦隊の対潜哨戒、索敵、直掩を担当する。
民間でも輸送船、タンカー建造が推奨された。
指定性能を満たし、戦時には軍から徴用されることを条件に補助金が支給される。
要件は新型護衛艦と同じく十四ノット航行で横浜-シンガポールを無補給で航海できることだ。
計画では条約切れ前の昭和十一(1936)年中から設計開始。昭和十二(1937)年一月から建造、改装スタート。
だが、ここで問題があった。
現在日本には戦艦空母クラスを作れるドックが六個(呉2、横須賀2、神戸、長崎)、修理用が佐世保に一個しかない。
これでは昭和十三(1938)年末までに建造、改装が終わらない。
既存海軍工廠にドック増設の場所は無いのでドック新造が計画された。
別府湾の大神に工廠が新設され戦艦用ドック二個、その他ドック二個。呉の隣の阿賀に戦艦整備専用ドックを一個新設するのだ。
大神は完全な新設となる。
阿賀は呉と休山を挟んで反対にあるので、休山にトンネルを掘り呉と連絡することになる。
これで戦艦用ドックは十個になる。四個のドックで空母を作り、四個のドックで戦艦を改装し、二個のドック(佐世保、阿賀)で通常の保守を行う。
これでなんとか次期大戦に間に合わせることができると考えられた。
このくらいを中尉から聞き出したところで時間切れになった。
「時間だから行くぞ」
「あっ、待って、まだ聞きたいことが――」
「すまんな、またにしてくれ」
他にも聞いてみたいことが色々有るのに。
海軍内で反対は無いのか、お金はあるのか、戦争までに間に合うのか、そして日本は戦争に巻き込まれるのか。
だが、またの機会にするしかない。
久々の大建造計画に海軍は狂喜乱舞している。
次年度予算で軍事費の大幅な増額が予定された。
まずは大神工廠新設と阿賀ドック新設、休山トンネル掘削から始める
また戦艦の改装の内、ワシントン条約に抵触しない工事を先行して始める。
また帝国士官学校と海軍兵学校の定員増も認められた。
三年前の海軍若手士官の反乱は失敗したが、今は彼らが望んだように軍備拡張が計画されている。皮肉なものだ
二年後には各地の要塞化も始まる。
建設機械が大活躍するだろう。陸軍工作部隊は米軍に勝るとも劣らぬ工事能力を持っている。日本最高の工事集団といっても良い。
小笠原、硫黄島、マリアナ、パラオ、トラック、ポンペイ島も軍事基地化が行われるが、来年からは民間飛行場が先行して新設、拡大される。将来は軍民共同飛行場となる。
台湾、沖縄は陸軍の所管だが、以外の諸島は海軍の縄張りだ。
海軍の息のかかった海上保安庁の管轄だけに海軍が工事は自分でやるといって譲らない。
それで海軍にも大がかりな工作部隊が作られることとなった。
俺としては重機が売れて嬉しい。けれど、陸海の仲の悪さは何とかならないものか。士官の下の方はそれほどではないが、古い人間はいまだに相手を目の敵にしている。
これに合わせて○菱でも新工場建設、重機大増産計画が始まった。
政府系金融機関から借り入れして工場を新設し、工作機械を輸入する。また、自社製ディーゼルエンジンの搭載を行う。
新工場はもうすぐ完成予定の第三世代ユンボ専用にして、現工場をその他の重機用(ブルドーザー、ロードローラー他)にするのだ
新工場は現工場よりも広いので生産能力が一気に倍以上になる。
また、これを機に○菱は合成ゴムの事業も始め、重機の自社製品率十割を目指す。
合成ゴムは重機以外の色々な分野へも利用が予定されている。伸びると踏んだのだろう。
重機は生産量が増えるにつれ、性能も少しずつ向上している。
建設機械業界を見ると、国内では○菱が圧倒的に強い。
ユンボはほぼ十割、ダンプ、ユニックは約六割。
ダンプ・ユニックは元のトラックの性能がどうしても外国製に劣るため、完全勝利とはいかない。
ブルドーザーは○マツが出してきた。どうやらユンボの特許を回避できなかったみたいで、ブルドーザーで勝負してきた
だがエンジンと油圧ポンプの差で○菱が圧勝。○マツは本社近隣でしか商売できていない。○マツは農業用トラクターを売って何とかしのいでいる。
構造が簡単で誰でも作れるからロードローラーは各社入り乱れている。
世界で見ると米製建設機械は高価格高品質で日本製は中価格中品質。価格対性能比では負けてない。
その中でユンボは世界最先端をいっている。
外国もキャタピラ+油圧型ユンボの開発を行ってるらしいが、まだ市販まで進んでない。
どうやら大恐慌以来日本国内での使用が増えて、外国企業が気付いたらしい。それまでは数がそれほどでもなかったし、軍や公共工事が主体だったから目立たなかったのだろう。
約十五年の差はすぐには追いつけない。
日本でもユンボに関しては英国製最新機械で作っているのだ。
しかも、俺の知らない内に外国でも特許を取っていた。ということは、外国は特許が切れるまでユンボの完成形と同じ形の物を作れないのだ。
外国製のユンボ――ユンボと言うより元の世界で言うクラムシェル――はバケットを向い合せに二つ付けた形で、土を両側から挟むようにすくう形式が多い。しかもワイヤー駆動だ。
これでは日本製ユンボに勝てない。
今のところユンボはイギリスとドイツへ少量だけ輸出されているに過ぎない。
陸軍最優先、次が海軍、次が国内業者に向けて出荷していて、外国向けが足りないのだ。
急には生産量を増やせない。数年前まで月産二十台のレベルだったから、それを急に十倍にしろと言われても無理がある。
特許が切れる後十五年でどれだけ外国でシェアを確保できるか、それが勝負だ。
以前の協力会社である米国のキャタピラー会社は○菱との委託製造契約が終わると同時に、ユンボを作り始めている。
もちろん特許は○菱が取っているので、クラムシェルだったりフロントホー(バケットが前向きに付いている)の形だ。
ユンボ以外の米国製重機は米国内はもちろん世界でもかなり売れている。
世界的にみるとブルドーザーは米国が世界トップ。続いて英独などの企業。日本は圏外だ。
ダンプ、ユニックは○菱が権利を持っているので、海外企業は同じ形で作れないため苦労している。
荷台を横方向にしか傾けられなくて狭い所で使えなかったり、積載量が減るが荷台の中にクレーンを付けたりして、権利の回避をしている。。
○菱はこれらも大増産計画を立てている。ちなみにダンプ、ユニックの基本構造は特許ではなく期間の短い実用新案なのであと五年前後で切れる。だから急がないといけない。
ただ、作り過ぎると、権利が切れた途端外国製品に負ける可能性もあり、難しいところだ。
ちなみに俺がこっちの世界へ来た頃からユニックと呼んでいたので商標はユニックで登録されている。英語だとUNIC。
俺がいけないんだが、UNICがフランスの実在の会社でユニックの語源だと知ってたのに説明してなかった。
それで既にUNICが登録されている国では同じ商標で登録できない。
だってしょうがない。将来法律的に問題になるなんて考えなかったから。誰からも聞かれなかったし。
それで外国ではJANICで登録されている。
昭和十一(1936)年。
中尉は、言葉通りあの酒を持ってきた日から家へ一年以上来なかった。たまたま陸軍省で一回会ったきりだ。
忙しくなると言ってた人間の家に押しかけるほど、俺は厚かましくないので手紙を書いた。
時間があるなら家へ遊びに来いというものだ。
すると丁寧に固辞する返事が返ってきた。よほど忙しいのだろう。
その理由が分かった。昭和十六(1940)年の東京オリンピック開催が決定したのだ。
中尉のことだから、どうせ戦争で中止になると、これを機に色々策を練っているに違いない。
これでまた重機が売れると俺はほくそ笑んだ。
しばらくして、オリンピック用施設建設の名目で東京市内の各地が国に買い上げられていった。
色々裏がありそうだ。
海外ではスペイン内乱が起こりとてもキナ臭くなっている。
今のところ日本は干渉していないが、これから日本は次の大戦に巻き込まれるのではないかと心配になってくる。
次章は6/7(土)19時に予約投稿しています。