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<第十三章 結婚>

 大正十三(1924)年。


 地震の混乱も落ち着き暖かくなってきた頃、中尉から思ってもみない話が来た。


「お前もそろそろ所帯を持っても良い年だな。遅いくらいだ」

「はあぁ、急に何言ってるの」

「見合いの話を持ってきたぞ」

「ええええぇーー」


 俺は今年で、はや三十一歳。この世界に来て六年、もう大正時代にすっかりなじんでしまった。平成の時以上に充実した毎日を送ってる。

 そんな俺は完全に行き遅れ。周りに居るのはオジサンばかり。出会いなんか全くない。諦めてました。

 だって、今でも一人で行動は出来ないんだから。必ず誰かが引っ付いている。

 この状況で恋愛は無理だろうから、お見合いは興味ある。でも、俺って結婚したり、子供作って良いの? SFとかだと何か問題が起こりそう。


 中尉によると結婚してくれた方が助かるそうだ。

 これからもずっと兵舎に住むというわけにはいかない。この六年は兵舎の一角が俺専用になっている。俺を隔離するためだ。そのせいで、本来の住人が不便な思いをしている。

 それに、俺を外に住まわせると、留守が不用心になる。男性特有の問題もある。ということらしい。

 とはいうけど、実際のところは人質みたいなもんだろう。

 六年たって信用はしてるけど、全く縛る物が無いのは不安。だからヒモを付けるということか。

 俺的にはそんな感じてないけど、日本からしたら重要人物らしいから。


 で、俺、実は素人童貞ではありますが童貞は卒業してます。随分前から中尉の手配で月に一回夢の世界へ連れて行ってもらってます。そんなことで結婚はあまり意識してなかったけど、結構強く勧められてます。


 結局、断りきれず、お見合いをしました。

 相手は中尉の従姉の娘です。二十歳。名前は正子さんです。

 両親(中尉の従姉とその夫)はすでに亡くなってて一人っ子。あまり親戚付き合いしなくて良い女性を選んだのだろう。

 元の世界の基準で考えたら田舎臭いんだけど、俺もこの世界が長いので、ごく普通の大人しい女の人に見える。

 お見合いと言っても、俺と中尉と正子さんの三人が中尉の家でお茶を飲んだだけ。

 正子さんは奥ゆかしいのか自分からはしゃべらないし、俺は俺でお見合いは初めてだし、女性と何を話して良いか分からないしで、ほとんど中尉が一人でしゃべって終わってしまった。


 良い経験ができたと思ってたら、いつの間にかに話が進んでいて、あれよあれよという間に結婚することになりました。

 本当に、俺の意思はどうなってるのと言いたいくらい、勝手に話が進みました。この時代はそれが当たり前なんだとあらためて思い知らされた。。

 これで嬉しいのか悲しいのか中尉とは親戚です。俺に子供が出来たら、俺の血と中尉の家系が両方入ってると思うと、不思議な感じがする。


 実は相手を誰にするか、俺の知らないところで揉めたそうだ。関係者はみんな自分の縁者を押し込もうとして結局決まらず、無難な人になったそうだ。

 俺にはこの世界に親戚が居ない。探せば先祖が居るはずだけど、事情を話せるはずもないし、名字しか知らない。祖父母の住所も大体しか覚えてない。

 ということで身内だけの簡単な式を挙げた。要するに俺と奥さんと中尉とメシ係さんの四人で。


 家は本郷。震災後に建てられた一戸建ての公務員住宅で、周りは公務員や軍人さんが多い。

 でも、俺って公務員なの?

 俺は知らなかったけど結婚直前に大尉待遇の陸軍軍属になっているので良いそうだ。

 結婚するなら戸籍を作って給料を払わないとまずいだろうとなり軍属になったのだ。

 たしかに戸籍が無いと結婚できないよね。

 元の世界ではほとんど意識してなかったけど、やっぱり戸籍は大切だ。無いと何となく不安になる。

 これで、俺も本当にこの時代の人間になれた気がする。


 それと中尉とはご近所さんだ。隣同士ではないけど、俺の家から歩いていける所に一人暮らしをしている。

 俺だけ結婚してなんか申し訳ない。中尉の身の回りの世話は通いのお手伝いさんがやってるらしくて、特に不自由はしてないそうだ。

 中尉も早く結婚すれば良いのにと思う。


 結婚してからも俺の生活は変わらない。

 この時代、新婚旅行はまだ当たり前にはなって無くて俺も無し。結婚の二日後には働き始めました。



 ガレキ撤去はほぼ片付いたので国産第二世代ユンボの開発に入ってます。

 ユンボは復興作業で役に立ったけど、やはり能力が不足しているし、故障が多かった。まだ普通に使えるレベルじゃない。騙し騙し使わないといけない。

 早く本格的なユンボを完成させるぞっと頑張ってます。


 この新ユンボ計画に連動してJIS規格の話が中尉からきてます。

 新ユンボをJIS規格にのっとった形で作ろうということです。

 JIS規格は以前に中尉に話をしていた。


 あれは、新しく思い出すことが少なくなってきた頃。

 まだ思い出してないことがあるはずだと、"あ"から順番にそれで始まる言葉を思い出してみろということになった。

 五十音の次はアルファベットだった。それでJの時にJISを思い出した。


 この話には続きがあって、アルファベット三文字の略語がよく使われていたと知った中尉は、信じられないことに三文字すべての組み合わせを書いた紙を持ってきた。

 AAA、AABと始まってZZZで終わる。

 26×26×26=17576個。半分泣きながらチェックしました。書くのも大変だったろうけど、見る方も大変でした。

 これが結構役に立った。三文字の略語って知らない間に意外と使ってた。それに四文字略語を思い出すこともあった。ABCD包囲網とか。

 さらに中尉は英語の辞書を持ってきて、英単語を一個ずつ見て何か思い出したら言えと鬼みたいなことを言った。

 さすがに、それはきつすぎるので暇な時に少しずつ見るということで勘弁してもらった。

 それで終わりかと思ったら、鬼の中尉は百科事典を持ってきて見ろと言う。そしてこれは勘弁してくれませんでした。


 それでネジやボルト、ナット、ワッシャー、ネジ穴の規格を作り、それに合わせて設計することになりました。

 さすがに規格は一社で決められないので、大企業間で話し合いをして決める。俺も一応参加する。

 俺は高校時代に製図の授業も受けてたので、規格の知識がゼロという訳ではない。材質や強度は分からないけど、サイズ的には多少知ってるのだ。


 ここで一つのことが問題になった。

 ネジの規格を話し合っている時、マイナスネジはあるけど、プラスネジが無いのだ。それで不思議に思って


「あの、プラスネジは?」と聞いてしまった。


 みんな、「はぁ?」何言ってるのコイツという顔をしている。

 ここで俺は自分がやらかしたことに気が付き慌ててごまかした。


「あっ、いや、何でもないです。横棒形のネジがあるなら、十字形のネジもあるかなぁ、なんて」


 そこで、○菱に戻って色々なネジを見せてもらったがプラスは無かった。

 それで、俺はようやくプラスネジがまだこの世界に無いことを理解した。


 だって、当たり前だと思ってるから気が付かないよ。

 それに自分でネジを締めることなんてないから。

 もし機会があっても、『あっ、ここはマイナスなんだ』くらいにしか思わないでしょ。


 それで作りました。プラスネジとプラスドライバー。

 さすがに切り込みの部分のサイズを適当に決めることはできず、試行錯誤を繰り返した。

 おかげでJIS規格第一段には間に合わなかった。


 できたらできたでまた問題が発生。

 この特許を誰のものにするか。

 さすがに俺はまずい。もし俺が有名になって、過去を調べられたら面倒なことになる。

 そこで、アイデア料として特許収入の一部を国庫へ納めるという条件で○菱が特許を申請することになった。

 将来は国内企業の国内生産に限って無料開放する予定だ。


 そして特許申請でまたまた問題発生。

 すでに同様の特許が出ているというのだ。しかも明治三十九(1906)年の出願登録で特許権が切れていない。

 その特許はマイナスの代わりに単に十字型の溝を付けただけの簡単なもので、いわゆるプラスネジとは違う。

 プラスネジは十字というより四角錐と十字を組み合わせたような穴の形をしている。そして、プラスドライバーもそれに合わせて先が細くなっている。


 それで問題を無くすために出願者と特許権の買取交渉を行ったりして、さらに特許申請が遅れた。

 ただ規格を作っても、意味が無い。ネジとドライバーの両方を同時に作らないと意味が無い。

 プラスネジを作ると同時にプラスドライバーも広めないといけない。とりあえずはプラスドライバーを重機に標準装備するとしても、ドライバーも普及させないと色々不安だ。

 普及を待っていたらユンボ開発に間に合わない。

 それで、今回のユンボ開発ではプラスネジ採用を見送ることになった。

 特許自体は外国に使わせないという意味で、主要各国で申請する予定だ。



 他に俺の情報から始まったものとして、宝くじがある。

 俺は昔からあるものと思い込んでいたら、そうではなかった。

 江戸時代に富くじというのはあったそうだが、俺の知ってる宝くじではない。

 今回震災復興を言い訳に始めて、儲けは学校教育に使うそうだ。

 今、政府は技術系の高等学校(元の世界で言うと高専)を日本各地に作る準備をしている。学校用地の取得、校舎建設、設備購入と資金はいくらあっても足りない。

 戦後、高校進学率が十割近くになると聞いて驚いていたところからスタートしている。

 とにかく、技術の裾野を広げる計画だそうだ。


 それと全国競馬も準備している。

 戦時には軍馬として使えて一石二鳥。でも、競走馬のあの細い足で荷物を引っ張れるのか心配したら、問題ありませんでした。

 こっちの馬は元の世界の競走馬と違って、体も小さくて脚も太い。競走馬というより農耕馬という感じ。

 ここの利益は馬の増産に使われる。

 競艇、競輪、オートレースとかも中尉には説明してあるけど、まだ難しいみたいだ。


 こうも色々新しいことが始まると、『今なら震災復興の名の元に何でもできるからドンドンやっちゃえ』的なものを感じる。

 実際そうなんだろうなと思う。



 そうそう、車輌用ディーゼルエンジンの開発も進んでいます。

 これは俺が見に行っても良いらしいので○ンマーへ行ってきました。

 一応陸軍の軍属だし、完成したら開発中のユンボに載せるから理由はある。


 そして色々話を聞いてきました。


 ○ンマーはディーゼルエンジンの現物を入手することから始めた。これは軍が○菱へ話を通しておいた。

 分解して構造を調べ、同時に外国の文献を調べた。

 そして、車輌サイズの試作機を作って、動かすところで詰まった。


・燃焼効率が悪すぎる。大学の先生に聞いたり、燃焼室の形を変えたり試行錯誤を繰り返す

・燃料噴射ポンプの小型化。精密工作機械を輸入して部品精度を上げる

・始動不良。燃焼室の前に予備室を作って回避


 こうした問題を乗り越えて国産車輌用ディーゼル一号機が今年八月に完成。

 特別に研究期間を延長してもらい、今は冬の北海道で低温実験をしたり、日本アルプスで高地実験をしている。

 先月は台湾の高尾まで行ったそうだ。


 だけど今すぐ量産とはいかない。

 できているのは一品物のエンジンなのだ。といっても二台在るが。

 量産の為にはまだまだやることがある。

 今後は量産化に向けた研究をしながら、さらに小型化を目指すそうだ。

 元々、○ンマーの主力商品は農業用の小型エンジンだから、ディーゼルでも小型を作りたいらしい。


 結局第二世代ユンボより先に完成しそうだ。

 とってもくやしい。


次章は5/22(木)19時に予約投稿しています。

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