<第十二章 関東大震災>
大正十二(1923)年。
なんとか震災前にユンボの先行量産型が出来ました。一番大変だったのは実はアームだそうだ。鋳造だと強度的に不安で、しかし、鍛造だとブーメランみたいな形の物を作った経験が無い。そこで、海軍工廠の協力を得て作成したそうだ。
どうやって、陸軍と仲の悪い海軍に手伝ってもらったかは謎だ。きっと中尉が裏から手を回したんだろう。
まずは五台が完成。二台は陸軍に納品されて、三台は○菱にある。
当面は月産五台を目標に工場で話を進めている。
今は俺を先生にオペレータ教育をしてる。生徒は自動車運転経験者にしてもらった。
今後この生徒さんが先生になってオペ教育をしていくことになる。なんとか一か月で簡単なことはできる様にしたい。
これで震災復興がはかどるはずだ。
半壊の家を壊したり、ガラクタをダンプに積んだり、バケットにロープをつなぐと簡易クレーンとしても使える。ユンボは便利なのだ。
震災に間に合って一安心と同時にとっても嬉しい。これで死ぬまでユンボを操縦できる。
そして前から気になっていたことを中尉に聞いてみた。
「ねぇ中尉。ユンボが完成したことだし、そろそろ給料を貰えたら嬉しいなぁとか、思うんだけど……」
すると、中尉が呆れた顔をしていった。
「お前は、もうすぐ大地震が起きるというのに、何を言っておるのだ。時節柄をわきまえろ」
「ユンボが完成したら給料くれるって言ったでしょ」
「そんなことは言ってない。そのうち考えるから、開発をがんばれと言ったのだ」
「じゃあ、今、考えてよ」
「だから、時節柄を考えろと言っている。そんなことを考える暇が有ったら、地震の後にどうするかでも考えろ」
ひどい。ひどすぎる。俺、頑張ったのに。
来年だ。来年、震災が落ち着いたら絶対給料もらってやる。くれなかったら、どうしてやろう……。
どうにもできない気がする……。
九月一日。
ついに来てしまいました。運命の日。関東大震災発生の日です。
この日の為に、政府はかなり頑張ったようです。
未来を知ってることが外国にバレてはいけない。けど、できるだけのことはしたい。というジレンマです。
避難用空き地の確保、消火用水確保、火災訓練、皇居周辺に消防署設置、全市町村に消防団設立、関東近郊の軍隊の待機、ガスと電気の地震時の停止措置準備、天皇皇后両陛下は那須へ御静養、皇族は公務で日本各地へ……等々。
そして、俺と中尉――実は昇進して大尉になってるけど、俺の中では中尉のままで、他に人が居ない時は中尉と呼んでる。わざと中尉と呼ぶのは、まあ、あだ名みたいなものだ――は近衛第一連隊で待機中です。建物が崩れても大丈夫なように兵舎横に天幕を張って、その中に居る。
近衛師団のお偉いさんも一緒だ。
正確な時間は覚えてないけど、正午ちょっと前だったはず。
念のために朝九時から活動しています。
ちょうど下半期の始まりということで、連隊長閣下からの有りがたい御言葉から始まり、訓練視察がありました。
そして、十一時半から司令部はテントの中で待機中です。
他の連隊では俺情報を知らないので、普通に訓練してるはず。
まだか、まだかと待っていて、ひょっとして俺って年か日付か時間を間違えた? と思い始めた頃。
十一時五十八分。ついに揺れた。
ゴオオオオオォと地面から音がした気がする。
もの凄い揺れだ。立ってられない。本能的に恐怖を感じる揺れだ。しかも長い。何分続くんだと思うくらい長い。
やっと、終わったと思って、ほっとしたら余震が来たり、ほんとに怖かった。
関東人は地震に慣れてるとはいえ、これは心理的にヤバい。
兵士達は声を出して騒いでいる。半分パニック状態だ。俺は七割パニックになってる。
「静まれぇ―――」
その時、野太い大声が響いた。師団長だ。
軍の偉いさんはすぐに動き始めた。
日露戦争経験者は違うなと思う。さすがだ。
「おい、貴様っ、走って宮城の様子を見てこい。できたら誰かつかまえて、中の様子を聞いてこい。復唱不要、すぐに行けっ!
次、貴様は陸軍省や第一師団と電話が繋がるか確認してこい。繋がったら相手の状況を聞いて、ここの連隊は被害無しと伝えろ。
よし、貴様は……」
師団長は手近な士官をつかまえると次々指示を出していく。
俺はというとやることが無いので、ドキドキしながら見てるだけだ。
一応周りを見渡すくらいはしたけど、この辺りで崩れている物はなさそうだ。
宮城で何か崩れた場合は、すぐに俺が陸軍ユンボで出動することになっている。ちなみに、もう一台の陸軍ユンボは官庁街が担当地区だ。オペさんは何も知らされないまま三宅坂の陸軍省敷地内で待機している。
そうこうしているうちに遠くで煙が上がり始めた。それも数が増えていく。
俺はどうすることもできず、ただその煙を見ているしかない。
中尉もなんやかやと忙しそうにしてて、せかせか動き回っている。
俺は、はや歩きで中尉に並んで話しかけた。
「中尉、中尉、大丈夫なの」
「あぁ、お前か、とりあえず宮城や陸軍省は大丈夫だ。今、手分けして府内の被害状況を確認している」
「あっちは」
俺は煙が昇る方を指差して言った。
「神田、浅草の方だな。大変なことになるかもしれん。間の悪いことに風が強い」
煙は風に吹かれて斜めに昇り、かき乱されて薄く広がっていく。
「俺は何をしたらいい?」
「今日のところはココで待機しておれ、明日からはやることも有るだろう」
それだけ言うと中尉は忙しそうに歩き去った。
そして俺は邪魔にならないように隅っこで椅子に座って、一日中モヤモヤしながらみんなが動き回るのを見ているだけだった。
そして、翌日になって状況が分かってきた。新聞と中尉の話を合わせた情報だ。
府内(この時代、東京都ではなくて東京府)の数十か所から火事が発生。昼食時分だったのが火災の発生が増えた一因だろう。
宮城の周囲は重点的に消防施設が整えられていたのでほぼ消し止められる。
だが、神田、下谷、浅草、本所、深川は住宅密集地の上に複数地点からの同時発火、強風で手が回らず燃えてしまう。
それでも初期消火に成功したところは多く(その後延焼で燃えたが)避難時間はあり、指定場所に避難して助かった人も多い。
それでも死者行方不明者は一万人以上、被災者は東京十五区だけで八十万人に及ぶという予想だ。
政府・軍の動きは迅速だった。
地震後すぐに府内の警察すべてに治安維持・災害救助命令が出された。
陸軍も近衛師団、第一師団を中心に東京の、海軍は陸戦隊を中心に横浜・横須賀の救援・治安維持活動に入った。
先月就任したばかりの総理大臣はすぐに東京十五区内に戒厳を布告した。
当日の夕方には、軍は空き地に天幕を建て、炊き出しをし、負傷者の治療を行った。これには被災を免れた糧秣本廠、衛生材料廠の物資が大いに役立てられた。
翌日には田舎へ避難する被災者向けに臨時無料列車が出され、救援物資が日本各地から東京へ送られ始めた。
俺はというと震災翌日から頑張った。
消失地区に入ってガラクタの撤去、整地だ。
焼け残った半壊の家をひたすら壊していく。
本当は燃え残りから少しでも思い出の品を拾ってあげたかったけど、それは出来なかった。
なんせ、何万戸も家が燃えたのに、ユンボは二台しかない。
俺ができることといえば、崩れた家を見に来た人が居たら、その家を後回しにしてあげるくらいだけだった。
その後も政府の動きは早かった。
三日後には臨時国会が開かれ、特別国債、特別予算、特別法が半月もたたない内に次々成立した。
やり過ぎなんじゃと思うほどだ。事前に準備していたと疑われないかドキドキする。
火災消失地は国債と交換に国が強制的に土地を買い上げ、道路を整備して国営の集団住宅が建てられた。
最初は仮設住居とは言えないような小屋同然の物だった。それが、日本各地から建築業者が応援に来るにつれて、木造アパートに変わり、鉄筋コンクリート製アパートに変わった。
俺も大工さんと話をする機会が有ったので聞いてみたら、名古屋大阪だけではなく広島熊本から来ている人も居た。
中には自分の家が燃えてしまっている職人さんも居た。
「他人の家なんか建ててる場合じゃないでしょ。さっさと自分の家を建てれば良いのに」
「お互い様でさぁ。お隣さんが寺の本堂で寝起きしてるのに、先に自分の家なんか建てちまったら、二度と仕事を貰えなくなりますぜ」
なんて、ホロっとしそうな話をしてくれた。
建てられたアパートには元住民、元所有者が優先的に入居し、一部は公務員住宅として使用された。公務員にも被災した者は多いのだ。
俺はこれが戦後に住宅公団になって天下りの温床になる気がして、少しイヤな予感がした。
さらに、政府は莫大な復興費用を捻出するためと称して、様々な改革案を発表した
まずは省庁再編。以前から計画されていた兵部省の復活だ。
省を一つ減らしただけでなく、陸軍と海軍の組織の一部統合が図られ調達局、開発局が設置された。
そして、内務省の下に消防庁と海上保安庁の設置。
消防庁は国内の消防組織の指揮監督を行う。
海上保安庁は沿岸での警察活動を行うと同時に南洋諸島での警察活動を行う。
条約で軍による治安活動が困難になったため、その代替を行う。島ばかりなので普通の警察では動けないからだ。また、これからの軍縮で余る海軍人員の受け皿にもなる。
他にも、警察に要人警護の部門ができたり色々あった。
政策は復興と殖産最優先が掲げられた。
復興案としては帝都再建計画が発表された。題目は災害に強い街づくり。
防火帯を兼ねる環状道路の作成と道路幅の確保。さすがにこの時代は全ての道路の四メートル確保は無理みたいで、新規道路について最低道路幅が決められた。
そして、ひっそりと鉄道の高架化も入ってる。
この辺は俺の環七、環八などの情報からきている。
殖産としては製鉄所、発電所、造船所の増設。港湾、鉄道、道路の整備。学校の増設だ。
これには震災不況対策の面もある。
軍に関しては、まず大本営の常設化だ。その下に教育局と情報部が作られた。
教育局では陸海で別れていた各種の学校が統合される。
代表的なものとして陸軍士官学校と海軍兵学校が一つになり帝国士官学校になる。
今後はここで陸海共同により二年間の教育を行う。軍事、歴史、外国語、科学、体育等の両軍に共通して必要な科目だ。その後、陸海に分かれて専門教育を行うことになる。
他にも、通信学校、機関学校などが統合された。
今回の色々な変更で一番揉めたのが、この士官学校の統合だ。
陸海両方から反対された。というより賛成が居ない。内心賛成の者が居たとしても反対の声が大きすぎて言い出せない。
「伝統を破壊するな」というたかが五十年の歴史を振りかざす者、
「陸海で必要な知識は違う。逆に非効率だ」という中身を確認しないで反対する者、
「陸(海)とは相容れん」と完全な精神論まで様々な反対論だ。
そんな中、陸海首脳が不退転の決意で改革を進めた。
実際に見たわけではないけど、かなりの混乱が起きたそうだ。
軍を自ら辞める者、強硬に反対し予備役に回される者、左遷される者などがたくさん出た。それでも首脳部は計画を撤回しなかったために、ようやく皆が首脳部の本気を知り声が収まっていった。
中尉によると、
「過激な行動に出る奴が現れると考え、首脳全員に警護の兵を付けた」そうだ。
俺も少しだけ心が痛い。
以前俺が中尉と学校の話をした時に自衛隊では陸海空で一つの大学だと話したからだ。
建設会社に勤めていると自衛隊上がりの奴もチラホラ居る。そいつらから自衛隊の話も結構聞いてて知ってたのだ。(そいつらは防衛大学校出ではないけど)
学校も別で軍ではライバルだと、そりゃ仲悪いでしょ。みたいなことを中尉に話した記憶がある。
それで中尉がやる気になったのかもしれない。
それから国防方針も変更された。
これって軍にとっては超大事な考えで、会社でいくと社是みたいなものだと思う。
そんな、大事な物なのにあっさり決まったのは、一年以上前から極秘裏に話が進んでいたからだ。
それに世界大戦の戦訓を取り入れるという大義名分もある。
内容は極秘だけど、概要を中尉が教えてくれた。
俺は存在自体が超極秘だし、もっと重大な秘密を知ってるから、今さらというのもあって教えてくれるのだろう。
陸軍は対ソ戦を念頭に置いた防御主体主義だ。
前世界大戦の状況から見て、我が国にソ連の兵力から満州朝鮮全域を守る力は無い。いわんや攻勢は無理である。
よって防御を主体とし、陣地防御と機動防御を行う。
具体的には
・優勢たる敵兵力を劣勢なれど優秀たる兵の迅速なる移動で各個撃破する
・工作部隊の強化で短時間での陣地構築
・動員時の兵力を増やすため平時の下士官定数の確保
・戦時急造師団用の装備弾薬を平時から保管
要するに満州全域は守れないから、敵が来たらトラックで急行し、建設機械で陣地を急造して守る。
だから、平時は少ない兵力で我慢してトラックや建設機械を買って、戦争開始後に一気に兵力を増やそうということだ。
海軍は漸減邀撃作戦を本土近海艦隊決戦主義へと微修正する。
これまではマーシャルかマリアナでの決戦を考えていたが、これを本土近海での決戦に変更する。
今後の航空機の発達を考え、戦闘をもっと有利にしようということだ。
すなわち、本土近海で戦闘すれば。こちらは陸上飛行場からの飛行機を使えるのに対して、敵は使えない。それだけ有利になる。
具体的には
・南洋諸島、小笠原、台湾、沖縄、奄美は要塞化し、敵の上陸を断念させる
(現状は条約で奄美以外を要塞化できない。よって開戦次第建設機械で急造する)
・敵を本土近海まで引き込む
・空母により敵の索敵と戦力の削減
・近海で陸上航空機、海上艦隊、潜水艦による三位一体攻撃で敵を撃破。その後反攻する
だから空母や航空機や潜水艦も大切ですよという方向へ海軍の考えを持っていく。
ちなみに、敵の潜水艦はどうするんですかと中尉に聞いたら、
「一度にそこまでは変えられん」ということだった。
これに合わせて軍の改変も計画された。
陸軍は各師団の士官、下士官の定数は微減にして兵の定数削減を行う。
また、機動力を上げるため、戦車団を新設する。
海軍は海上保安庁へ人員を供出する。
また、各鎮守府で海兵団の一部を上陸作戦や在外邦人救出を目的とした特別陸戦隊として編成しなおす。南洋諸島での島嶼戦や租界救援を念頭に置いている。
日本版海兵隊だ。軍縮の人員受け皿でもある。
同時に、陸海へ後方攪乱用部隊(俺のイメージする特殊部隊)を創設することも極秘裏に決まった。
特殊部隊は最初陸軍だけの予定だった。海軍には特別陸戦隊を作るからだ。だが陸軍特殊部隊の話を聞いた海軍はうちにも作らせろと横槍を入れてきた。なんでも、陸軍と張り合わないと気が済まないのだ。
対外的にも復興資金確保の為に手が打たれた。
まず日米密約による在中日本利権の売却だ。英国に話を通した後に米国に決まった。
英国が断ったのは中国での排外気運の盛り上がりを嫌ってのことだ。米国は力で抑え込めると思っているのだろう。
日本は上海以外に天津、漢口、蘇州、杭州、重慶、沙市、福州、廈門の租界の権利を持っている。
この内、漢口、蘇州、杭州、重慶を米国へ売却。
中国は租界の売却は認められないと反対したが、日本が沙市、福州、廈門の租界を中国へ返還すると交渉すると渋々了承した。
日本が米国に代わるより、日本から一部租界の権利を取り返すほうが国民受けが良いのだ。
さらに日本は天津から撤退することを条件に海南島の採掘権を要求した。
海南島は中国人のイメージだと国の果てで蛮族が済む地だ。中央からいなくなって僻地へ行ってくれるならバンザイということか、交渉は無事にまとまった。
元の世界だと、厚木の米軍が硫黄島へ移転するようなものかな。
海南島は中国自身に開発させたいところだけど、内戦に忙しくてできない。それで仕方なく日本が行う。イギリスを誘ったが断られたということもある。
一番問題になりそうで、やっぱり一番問題になったのが満鉄株の売却、増資だ。
日本政府保有の満鉄株の一部を米国へ売却すると同時に、増資を行い米国が引き受ける。
これで米国の出資比率が三割になる。
条件は
・営口から満鉄への連絡線建設を米国へ認めるとともに、営口への旅団規模の米軍駐留を了承する
・営口-満鉄間は米国が運営し、満鉄は従来通り日本人主体で運営する
・米国は満鉄へ取締役を一名派遣する
・国民党、張作霖一派との交渉は米国自身が行う
営口は遼東半島付け根北側の町だ。
さすがにこれは無理だろう。
こっちへ来て五年がたち、この世界の雰囲気や考え方が分かってきた。陸軍の知り合いも数人いる。
その俺が聞いても、これは無理だと思う。
心配になって中尉と話をしてみた。
「これは陸軍が大反対して無理じゃない」
「大義名分がある今しかできん。今なら軍は動けん。もし動けば軍は国民からそっぽを向かれるだろう」
「でも米軍はまずいでしょ」
「米国がわざわざ自分から遊軍を作ってくれるなら、万々歳だ。それに海さえ押さえてしまえば全く怖くない。逆に人質に使える」
「そもそも何で、株の売却なの。今のままで良いんじゃない」
「理由は三つだ。まず第一に海南島開発の資金確保。国内資金をこれ以上国外投資に使いたくない。
第二に満鉄の黒字化だ。このままいくと満鉄は慢性的な赤字になる。そのためには乗客を増やさんといかんが、これ以上投資を増やしたくない。となると他国の金を使うしかない。
米国に連絡線を作らせ乗客を増やし、米国の金で投資をする。満鉄は黒字になり日本は儲かる」
「三つ目の理由は?」
中尉が急に真剣な顔になった。
「満州事変の防止だ。営口に六千の米軍が居れば、一万強の関東軍では満州事変を起こせん。
たしかに営口に米軍が居れば衝突の可能性は高くなる。だが、それは外交交渉で解決の可能性もある。
だが、満州事変は絶対にイカン。二度と戻れない道を進むことになる。せっかく落ち着いている中国の反日感情が一気に悪化する。
日中戦争へ向かってしまうかもしれん。
自国の軍を抑えるために、他国の軍を使う……。何ともおかしな話だな」
中尉が乾いた笑いを顔に浮かべた。
俺はそれ以上何も言えなかった。
米国への売却益は海南島開発に投資されるが中尉のことだから一部は他のことに使いそうだ。
これで、日本が中国に持つ利権は満州と上海を除くと、大冶鉄山と海南島だけになる。
これからの中国との商売は、利益は減るが上海経由で中国商人への軽工業品販売(綿布、自転車等)が主流になる見込みだ。
中国の鉄鉱石開発とは別の外国資源にも投資が行われる。
国家としては日英合弁クウェート油田開発。
民間では、ロシアより採掘権を購入した北樺太の油田開発、タイ・マレーシアでゴム園開発、満州・朝鮮での鉄鉱石・石炭増産、ダム建設が行われる。
特に朝鮮でのダム建設は東洋最大規模になるらしい。重機が売れるぞと今から楽しみだ。
どうやら重機の売り先を確保するために中尉がダムの建設場所を探してくれたみたいだ。
中尉はたまに超嬉しいことをしてくれる。だから憎めない。
でも、中尉って本当に軍人なのかと思えてくる。こんなの軍人の仕事じゃないと思うんだけど……。
もちろん、政府は震災に対して外国への援助要請とその受け入れも行っている。
その内容は現金、食料、医薬品、木材がほとんどで、衣料品は原則として断っているそうだ。
貰える物は何でも貰えば良いのに。
中尉に聞いてみると
「そもそも、東京に繊維工場はほとんどなかった。だから、壊れていない。足りない分は今から作れば良いのだ」
「でも、食料とかは貰うんでしょ」
「食料はいくらあっても困らん。震災前でも足りなかったほどだ。それに余れば輸入を減らせる」
「服もくれるんなら貰えば良いのに」
「奴らは国内に余ってる物の処分がてらに送ってくる。キリスト教の弱者救済の名の元に善意を装ってな。市井の者は本当に善意からだろうが、政府は分からん。衣服を大量に送りつけて我が国の繊維工業を潰す気かもしれん」
「それは考えすぎでしょー」
「こんな時だからこそ、気を付けねばならん。それにだ、自力で立ち上がれぬ国に発展は無い」
ほんとに中尉のことはよく分からない。固かったり、怖かったり、腹黒かったり。でも、国のことを一番に考えてることは分かる。だから助けてあげたくなる。
今は俺が助けてもらってばっかりだけど、いつか恩返しできる日が来るといいなと思う。
あまりに一度に多くのことが発表されて、ほとんどの人は自分が得か損か分からない。
中尉の見立てどおり、震災で国中が悲しみと不安に覆われた中で行動を起こすほど軍は愚かではなかった。実力行使を伴わない抗議だけが起こった。
そして、震災復興、被災者救援、災害対策などの建前の前に反論の言葉を無くす。
「父祖の血で賄われた土地を金に換えるのか」という声には、
「だからこそ復興に使うのである。国内が荒廃したまま異国の地へ投資するのは英霊も本意ではなかろう」と返された。
これ以上ない正論だった。
これだけ、次々と新しいことが起きると、俺の知らないところで何が起きてるんだろうかと思う。
俺情報が活かされてる部分もあるし、そうじゃないのもある。でも、何となく全てに中尉の存在を感じる。
陸軍大学校の三年間、中尉はこんなことを考えてたのかもしれない。
もっと勘ぐると、色々なことを考えるために陸軍大学校へ行ったのか。
考えすぎかな。
十月
日本中が暗い空気に覆われている中、明るい知らせが届いた。
満州で新しい油田が見つかったというのだ。探し始めて一年ちょっとで見つかった。
石油の世界でこれは早いのか遅いのか分からないけど、どちらにしろ見つかってよかった。
質は悪いが量はかなり期待できるという話だ。
それで、油田の近くの町の名前を取って扶余油田と名付けられた。場所は長春から北西に百キロ離れた原野の中だ。
今後の採掘は米英資本の参加を募って行うそうだ。
中尉によると日本49%、米国29%、英国20%、張作霖2%の出資を予定している。
これから採掘施設を作り、満鉄への接続線を引かなければいけない。実際に石油を使えるようになるのは何年も先になるそうだ。
いずれにしろ、この時期に油田が見つかったのは良かった。
これがもっと後だったら、復興でお金が足らなくなって中止なんてことにもなりかねなかった。
十一月。
大学を卒業した中尉は忙しく飛び回ってるみたいで、めったに顔を見ない。
俺もまだまだ現場で忙しい。瓦礫は山ほどあるし、ユンボは故障するし、アパート建築も手伝わされるし、休む暇が無い。
道が狭くて重機が入れず作業がはかどらないこともある。
でも、忙しいほうが良いのかもしれない。嫌なことを考えなくて済む。なんせ二万人以上の死者が出たんだ。
俺がもっとなんとかすれば、もっと死者は少なくて済んだんじゃないかと、どうしても考えてしまう。
久しぶりに会った中尉が暗い俺を見て、
「お前のおかげで何万人もの人が救われた。よくやった」と褒めてくれた。
中尉に褒められたのは初めてかもしれない。ちょっとだけ癒された。
次章は5/21(水)19時に予約投稿しています。