第十三話 境界
「特級怨霊 夢傀 薄霧太夫よ」
……いや、なっげぇよ。
「むかい……なんて?」
「夢傀 薄霧太夫。四百年前から存在してる大怨霊よ」
……四百年前? ってことは……。
アイツめちゃくちゃババアじゃねえかよ。
「あの怨霊は、恨みの念が強すぎるのよ。生前に、非業の死を遂げた彼女の強い恨みと憎しみが、彼女を怨霊たらしめているの」
……ふーん。ようは、あれだな。
しつこいババアってことだな。
「んで、何をそんなに恨んでんの?」
「そこまでは、私も聞かされてないわ。ただ、絶対に解き放ってはいけない存在とだけは、お父様から教わったわ」
ふーん。そこ一番肝心じゃね?
……あ、燃やしたのはウチか。
ユイはスカートのポケットから棒付きキャンディを取り出し咥えると、頭の後ろで手を組んだ。
「でもさ、そんなヤバい奴には見えねぇけどな。サホリのこと気に入ってるみたいだったし」
「サホリって子、いったい何者なのよ。あんな生命力の強い人間、見たことがないわ」
「……ただの泣き虫真面目JK」
「…………」
マリナが眉を顰めて、こっちを睨んでくる。
「まぁ、花魁は視えてるみたいだけど、常に視えてるってわけでもなさそうなんだよな。たぶん、ウチがサホリに憑いてた霊を祓ったときに霊力が移っちまったのかなー」
マリナはそれを聞いて黙り込む。
どういうこと? 霊力が他人に移るなんて話、聞いたことがない。あの異常な生命力は生まれつきのものじゃ無いの?
でも……生命力と霊力は、全くの別物……。
「そうそう、この間なんて、サホリが幽世に一人だけ閉じ込められたんだけど、あいつめっちゃ泣いてて――」
……っ!?
なによそれ……。
それってとんでもないことじゃない。
「ユイ、あんた何にも気づいてないの!?」
「………何が?」
「あんたも知ってるでしょ!? 普通の人間が幽世に入ったら、無事では済まないってことくらい!」
「…………あ」
ユイは咥えていたキャンディを地面に落とした――
――十年前。
ここは、安倍家が代々受け継いできた
白晴稲荷神社。
境内には、樹齢数百年を超える大きな御神木がそびえ立っている。
幾度もの風雪を耐え抜いた本殿は、陽光に晒されてなお、漆黒に近い木肌の渋みを失っていない。
そこは、幼い結にとって家であり、同時に霊媒師としての修行の場でもあった。
安倍泰山と結は参道を歩いていた。
父親の後ろを追う結の足音は不規則に乱れ、敷き詰められた玉砂利に足元をすくわれそうになる。
「結、こちらへ来なさい」
「……眠ぃ」
「またか。安倍家の霊媒師たるもの、規則正しい生活を心掛けなさい」
「昨夜、幽世に入ったと言っていたね。何故そんなことをしたのか言ってごらんなさい」
「……なんか術の練習してたら、たまたま開いちゃった」
「…………」
泰山の表情が、ほんの僅かに強張った。
「今、何と言った?」
「だから、術を練習してたら開いちゃった」
「幽世の境界を……お前が開いたのか?」
「たぶん」
結は何でもないことのように頷いた。
泰山の表情からは、驚きとも困惑ともつかない感情が滲んでいた。
泰山は、結の前にしゃがみ込む。
「よいか、結。よく聞きなさい」
「幽世の境界は、そう簡単に開けられるものではない。この私でさえね。二度とやってはいけないよ」
「どうして?」
「霊力を持つ者は、自分の身を霊力で護れるが、普通の人間の場合はそうはいかない。巻き込んでしまっては大変だからね」
「入ったらどうなるの?」
「魂を侵食されて、二度と元の状態には戻れない。廃人になってしまう」
「……ふーん」
――現在。
ユイは、キャンディを落としたまま立ち尽くしていた。
父親の言葉が鮮明に蘇る。
「……そういえば、親父から聞かされてたっけ」
「――ユイ! ユイってば! 聞いてるの?」
マリナの声に弾かれたように、ユイは顔を上げた。
「……まぁ、サホリが平気だった理由は分からんけど、無事だからいんじゃね?」
「あんたは軽すぎるのよ! もっと深刻に考えなさいよね」
サホリには霊力なんてなかったはずだ。
やっぱり、あの時ウチの霊力がサホリに?
でも、自分の霊力が他人に移るなんてことが起こるなら、今まで関わった人たちにも同じことが言えるんじゃないか?
サホリ……。
あいつは、一体何者なんだ?――
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