王子とヒロインを結ばせるため婚約破棄されたのですが、なぜか二人ともついてきました
「レティシア・フォン・ローゼンベルク!君との婚約を破棄する!」
卒業記念パーティーの会場にディミス王子の声が響き渡った。
私は静かに目を閉じた。
ついにこの日が来た。
長かった。
本当に長かった。
「承知いたしましたわ」
そう答えた瞬間、王子はぼろぼろと涙を流す。
その姿は婚約を破棄する側とは思えない。
まるで未練が残っているかのように私を見る。
「本当に、これでいいのか……?」
「はい」
「本当に?」
「はい」
「本当に本当に?」
「はい」
「レティ……シア」
「泣かないでくださいまし」
婚約破棄されたのは私である。
なのに、どうして王子の方が泣いているのだろうか。
◆
突然だが、私は前世の記憶を持っている。
この世界は乙女ゲーム『聖女の祈り』の世界だ。
私は悪役令嬢レティシア。
そして王子であるディミスと結ばれる運命なのが、平民出身の主人公アネットだ。
二人は結ばれなければならない。
なぜならアネットが救国の聖女として覚醒するからだ。
聖女が現れなければ世界は滅ぶ。
設定資料集にもそう書いてあった。
私が前世の記憶を思い出したのは五歳の頃だった。
数日間高熱に浮かされて、現実ともつかない夢を見た。
家中大騒ぎになった数日後、熱が引くと同時に思い出したのだ。
そして私はやらかした。
本当に、少しだけ。
ほんの少しだけ王子を甘やかした。
……つもりだった。
本来のゲームの王子は、婚約者であるレティシアを政略結婚の相手としか思っていない。
だから学園でアネットと恋に落ちる。
そういうシナリオだ。
なのに。
ある時は。
「レティ、剣術で褒められたよ!」
「すごいですわ!将来あなたに護られる女性が羨ましいですわね」
またある時は。
「算術で満点を取ったよ!」
「流石ですわ!あなたが世継ぎなら、国王様も安心ですわね」
さらにまたある時は。
「風邪を引いちゃった……」
「大丈夫ですの!?治るまでずっとそばにいますからね」
そうして気づけば。
王子は私のことが大好きになっていた。
いや、違うのだ。言い訳をさせてもらいたい。
推し(それもショタバージョン!)が瞳をうるうるさせた子犬のように懐いてくれるのだ。
それを甘やかさない人間がいるだろうか。いや、いるわけがない。
こんな可愛い王子を邪険にしてたゲームのレティシアをぶん殴ってやりたい。
そんなこんなで、蝶よ花よとディミス王子を甘やかした結果、私が学園に入学する際に事件が起きた。
◆
本来、王子は私が入学した翌年に入学するのだが、なんと同じタイミングで入学することとなった。
王子に聞くと。
「俺とレティが違う学年などありえない」
だそうだ。
俗に言うところの原作改変である。
この手の転生物ではだいたいロクなことにならない。
ましてやこのゲームは世界が滅ぶ可能性がある。
私の軽率な行いのせいで世界を滅ぼすわけにはいかない。
でもまだ学園に入学したばかりで、ゲームではプロローグの段階だ。
ここから軌道修正すればきっと大丈夫。
王子に嫌われるのは非常に心苦しいが、世界を救うためだ。やってやろうじゃないか。
◆
学園へ入学して一年が経った。
入学してからは本当に大変だった。
王子は常に私と行動を共にしようとし、ことあるごとに駆け寄ってくるのだ。
最初はやんわりと拒否していたのだが、埒が明かなかったのでキッパリと告げた。
「ディミス殿下。付きまとわれるのは非常に迷惑です。私は金輪際、殿下と関わりたくありません」
その言葉を聞いた王子は、捨てられた子犬のような顔をしていたが、すぐにハッとなって。
「学園生活は他の貴族とのつながりをもつ側面もある。
恋愛感情にかまけてばかりで疎かになっていた俺に発破をかけてくれてるんだ。
レティ……。そうだよな、いつまでもキミに甘えてばかりの弱い俺じゃダメだ。
もっと成長して、必ずキミにふさわしい男になるから、待っていてくれ」
なんかぶつぶつ言っていたが、聞き取れなかった。
◆
そしてついにゲームの主人公であるアネットが入学してくる。
私はアネットが大好きだった。
原作では最推しと言ってもよい。
そして実物の彼女は画面越しに見るより遥かに可愛かった。
平民だからといじめられてもめげない。
努力家で真っ直ぐ。
明るく優しく健気な少女。
画面の中で輝いていた未来の聖女に、私はすごく嬉しくなった。
推しだ。
推しが目の前にいる。
気づけばあれこれ世話を焼いていた。
お茶会に招待した。
ノートを貸した。
試験勉強を見た。
いじめられていたら助けた。
ドレスも仕立てた。
誕生日パーティーを開いた。
その結果。
「レティシア様、大好きです!」
アネットは私を大好きになっていた。
あぁ、またやらかしてしまった。
原作通りに軌道を修正しなくては。
そう思ってアネットにディミス王子について聞いてみた。
「ディミス殿下ですか?
あぁ、レティシア様という最高の婚約者を放置しているゴミのことですね。
あんなゴミ虫は放っておいて私と婚約しましょう!」
とのことである。
あれ……?
原作のレティシアってこんな子だっけ?
と、とにかく、世界を守るためにこの二人をくっつけないといけない!
ディミ×アネ カップリング作戦の開始だ!
◆
まずは二人に会話の機会を与えないと。
そう思ってそれぞれを呼び出す手紙を書く。
学園の時計塔には展望台が併設されている。
町を一望できるその場所には、
『ここでの告白は必ず成就する』
そんな伝説があった。
呼び出した二人の様子を見守るため、私は約束の一時間前にやって来たのだが。
「あら?」
既にアネットがいた。
まだ一時間前なのだけれど。
アネットに見つからないよう物陰に隠れながら様子を窺う。
「時計塔への呼び出し……。
こ、告白ですの!?
それともプロポーズ!?」
ここからは聞こえないが、ぶつぶつと何か独り言を言っている。
髪をいじったり深呼吸したりと、アネットはかなりせわしない様子だ。
それからしばらくして。
カツン、カツン。
階段を上って来たのはディミス王子だった。
あの、まだ四十分以上早いのですが。
あなた方そんなに暇なの?
王子はアネットを見るなり眉をひそめた。
「ごきげんよう、アネット嬢」
「あら、ごきげんよう殿下」
二人の会話はそこで終わった。
しかし空気が重い。
重すぎる。
ゲーム内で結ばれる男女が出していい雰囲気ではなかった。
しばらくしてアネットが口を開く。
「殿下も誰かと待ち合わせですか?」
「あぁ。レティから呼ばれていてね」
「あら奇遇ですね。私もです」
ぴしり。
何かにひびが入る音が聞こえた気がした。
「レティシア様が私を呼び出した理由なんて決まっていますわ」
アネットが誇らしげに胸を張る。
「きっと殿下を捨てて私と共にいることを誓ってくれるのですわ」
そこでアネットは少し声のトーンを落とす。
「殿下が呼ばれたのは、そうねぇ……。
ここから突き落として腐れ縁を断ち切りたいのではないかしら?」
いやいや、そんな恐ろしいことしないわ!
ここから落ちたら跡形もなく潰れますがな!
「何を言っている。レティは俺の婚約者だ」
王子が反論を試みる。
「形式上だけは、ですけどね」
アネットが即答した。
「あの方を想う気持ちなら負けませんわ」
「それはこちらの台詞だ」
「私の方が先にここへ来ていましたわ」
アネットが勝ち誇ったように笑う。
王子の顔が固まった。
「ぐっ……生徒会の仕事があったのだ」
「あら。レティシア様より仕事を優先されたのですね」
「違う!レティとの時間に集中するためにすべて終わらせてきたのだ!」
再び火花が散る。
このままでは埒が明かない。
私は意を決して物陰から出た。
「お二人とも、ごきげんようですわ」
「レティ!」
「レティシア様!」
光の速さで振り返った二人は、今までにらみ合ってたとは思えない笑顔をしていた。
私は微笑む。
「お二人とも、私にとって大切な方なの。
そんなお二人が仲違いしているのは悲しいですわ」
二人が黙る。
よし。
今だ。
私はそっと目を潤ませる。
「仲良くしていただけませんか?
……ダメ、かしら?」
前世込みアラフォー女による必殺技である。
効果は抜群だった。
「あ、あぁ! もちろんだ!」
「私もですわ!」
二人が慌てて答える。
私は満足そうに微笑んだ。
「うふふ。それなら安心ですわ」
そうして私は展望台を後にした。
◆
残された二人はしばらく沈黙する。
先に口を開いたのはディミスだった。
「なぁ、アネット嬢。俺はレティが笑ってくれるならなんだってする。それがたとえキミと仲良くなることだろうと」
アネットが返答する。
「舐めないでください。こう見えても私、我慢強いの。レティシア様のためならどんな屈辱も耐えてみせます」
「では」
「えぇ」
「「共闘しましょう」」
こうしてレティシアだけが知らない謎の同盟が結成されたのであった。
◆
それから私は婚約破棄されるべく、いくつもの作戦を実行した。
王子の心が私から離れ、アネットと恋仲になるように手を尽くした。
そしてついに卒業パーティー間近となった。
が、現在私は頭を抱えている。
「うまく婚約破棄されますでしょうか……」
予定通り王子と距離を置くことはできた。
王子とアネットも今では仲良くやっている。
だがなんというかこう、みんなからのヘイトを買っている気がしないのだ。
原作のレティシアは学校中から煙たがられていた。
着き従っていたのは、権力に怯える取り巻きだけだった。
しかし今は、取り巻きの筆頭はヒロインであるはずのアネットだし、なにやらレティシア様ファンクラブなるものまでできているようだ。
王子も約束通り学園で関わることはほとんどないが、定期的に菓子折りを送ってくれたり、節目にはドレスやアクセサリーを送ってくれたりしてくれている。
なにより毎週直筆の手紙が届いているのだ。
そこには他の生徒と仲良くやっている旨が書かれている。
ちなみに、アネットとはとても仲が良いようだ。これでもかと、仲の良さをアピールしている。
とまぁ計画は順調ではあるのだが、婚約破棄されて追放されるための決定打がないような気もしている。
と、とにかくこれまでやれることはやった。
原作にあったイベントもこなしてきた。
後はパーティー本番でも原作通りの悪役令嬢をやればいい。
◆
そして卒業パーティー当日。
私は窓の外を見る。
王都は今日も平和だ。
だが、国全体では魔物の出現頻度は増加傾向にあるらしい。
国境付近では小規模な避難も始まっている。
王都まで被害が及んでいないから騒がれていないだけ。
原作を知る私にはわかる。
世界は確実に滅びへ向かっている。
だから。
今日だけは失敗できない。
たとえ皆に嫌われても。
たとえアネットを傷つけることになっても。
絶対に婚約破棄されなければ。
◆
卒業パーティーは卒業生だけでなく下級生も着飾る。
アネットはその向日葵のような笑顔によく似合う黄色のドレス姿だった。
あれは昨年私の誕生日パーティーに来てくれるって聞いて送ったものだ。
まるで太陽の化身かのような彼女はこのパーティー内でも飛び抜けて輝いていた。
代表挨拶や余興も終わり、歓談タイムに入る。
よし、今だ!
私はアネットを連れて会場の中心へ向かった。
手の中のグラスが少しだけ震える。
中身はただの水だ。
少し冷たいだけの水。
だから大丈夫。
アネットもドレスも汚すようなことはない。
そう自分に言い聞かせて。
私はグラスを振り上げた。
ぱしゃり。
透明な雫がアネットを濡らした。
黄色いドレスに水が染み込んでいく。
周囲がざわめくのを感じる。
けれど私の耳には何も入らない。
ごめんなさい。
ごめんなさい、アネット。
心の中で何度も繰り返しながら、決められた台詞を口にする。
「他人の婚約者へ色目を使うなど、恥というものをご存じなくて?」
違う。
そんなこと思っていない。
あなたは誰より優しくて。
誰より頑張り屋で。
私の大好きな主人公なのに。
それでも私は言葉を続ける。
「わたくしはずっと見過ごして差し上げていましたの。けれど、もう我慢の限界ですわ」
ごめんなさい。
あと少し。
あと少しだから。
だからどうか耐えて。
「平民だから礼儀を知らないと言い訳なさるおつもりかしら。今すぐ私の前から消えなさい」
一拍遅れて。
アネットがゆっくりと目を見開いた。
青い瞳が揺れる。
理解できないというように。
信じられないというように。
「レティシア……様……?」
胸が締め付けられる。
その呼び方だけで泣きそうになった。
彼女はきっと今まで一度も私を疑ったことがない。
なのに私は、その信頼を踏みにじっている。
アネットの肩が震える。
握られた拳が白くなる。
そして。
ぽたり。
涙が落ちた。
その瞬間。
私の心も一緒に沈んだ。
今すぐ抱きしめて謝りたかった。
冗談ですわと笑ってあげたかった。
でも駄目だ。
ここで失敗したら、王子も、アネットも、国も。
全部終わってしまう。
だから私は笑う。
悪役令嬢らしく。
最後まで。
その時だった。
「何事だ」
人垣が割れ、その中からディミス王子が現れた。
王子はアネットの姿を見るなり顔色を変えた。
「ア、アネット! 大丈夫か!」
どこか台詞を読み上げるような声音だったが、私は気づかない。
王子はアネットへ駆け寄る。
その腕がアネットの肩に触れた瞬間、アネットはびくりと震えた。
「で、殿下……」
か細い声。
濡れた睫毛。
握りしめたこぶしに水滴が滴る。
あまりにも痛ましく、あまりにも健気だった。
ごめんなさい、アネット。
大切なあなたを泣かせてしまって。
許してくれとは言わない。
でも、世界を守るためにはこうするしかないの。
会場のあちこちからは同情のため息が漏れている。
王子はそんなアネットの様子を確認すると、ゆっくりと私へ振り返った。
「レティ……。いや、レティシア。これはどういうことだ?」
私は顎を上げる。
「見ての通りですわ。身の程を弁えない娘を教育して差し上げましたの」
ざわりと会場が揺れる。
「教育だと?」
「えぇ。婚約者のいる殿方へ馴れ馴れしく近づくなど、淑女のすることではありませんもの」
「やめろ」
王子が低く言う。
しかし私は止まらない。
止まるわけにはいかなかった。
「何か間違ったことを申し上げまして?」
王子の眉がぴくりと動く。
そして。
「やめろと言った!」
怒声が会場に響く。
少しだけ間があったことなど、誰も気にしなかっただろう。
王子から向けられる、初めての剥き出しの怒りに、胸が痛む。
それでも私は笑みを崩さない。
王子はアネットを背に庇うように立つ。
その姿を見て、私は内心で安堵した。
そう。
それでいい。
これこそが原作の展開なのだから。
◆
一方で。
レティシアからは見えない位置で、アネットが小さくディミスの袖を引っ張った。
ディミスはほんの僅かに視線を下げる。
『もっと怒ってる感じで』
そう言いたげな視線だった。
ディミスは微かに顔を引きつらせたあと、もう一度レティシアを睨んだ。
「……君には、失望した。
レティシア・フォン・ローゼンベルク!君との婚約を破棄する!」
今度は少々気合いが入りすぎていた。
まるで舞台役者のような抑揚で、見るものが見れば怒っている演技にしか見えないだろう。
実際アネットは「ダメだこりゃ」といった風に小さくため息をつく。
しかし当のレティシアは、ゲームの山場である断罪イベントを成し遂げた達成感で気づくことはなかった。
◆
卒業パーティーの翌日。
王都から追放された私は、とある辺境の村へと旅立った。
王子と結ばれたアネットは、数か月後には聖女として覚醒し、国を襲う魔を打ち払う。
原作通り完璧である。
対して悪役令嬢であったレティシアの出番はもうない。
小さな辺境の村の片隅に押し込まれ、失意のまま生涯を終えることになる。
若くしてお先真っ暗な未来が待っていることに、少しだけ憂鬱な気分になる。
でも、大好きなゲームの世界で、大好きな人たちとの掛け替えのない思い出は残っているのだ。
原作のレティシアと違って、そこだけは幸せ者なのだ。
辺境の村に来て一週間。
どんな酷い仕打ちが待っているのかビクビクしていたが、蓋を開けてみればなんてことのない平和な日常が待っていた。
豪邸とは呼べないまでも、村の中では比較的大きな家を与えられた。
追放された娘とはいえ、貴族のメンツってのもあるのだろう。
村人たちは王都で何があったかなど全く気にしていないので、顔を合わせるたびに挨拶をしてくれたり、収穫物のおすそ分けをくれたりもする。
なにより辺境の村だけあって、自然が非常に豊かだ。
家の近くにある広大な畑で作物を育て放題だ。家庭菜園って憧れてたんだよね。
現在はこの世界にはまだない、ハウス栽培の導入を検討しているところである。
◆
そんなある日の朝。
コンコン
玄関が叩かれる音で目が覚める。
扉を開けるとディミス王子がいた。
「レティ、おはよう」
爽やかな笑顔だった。
意味が分からない。
とっさに私は静かに扉を閉めた。
これは夢だ。
そう思ってもう一度開ける。
「おはよう」
「おはようではありませんわ!?」
思わず叫んでしまった。
どうして王位継承者である元婚約者が辺境の村にいるのだ。
「なぜここにいらっしゃいますの!?」
「レティに会いに来た」
「冗談はやめてくださいな。帰ってくださいまし」
「嫌だ」
私は額を押さえる。
「そもそも王位継承の時期ではなくて?こんなところで油を売っていていいのですか?」
「あぁ、そのことか」
王子は何でもないことのように答えた。
「王位継承権なら返上した」
「あら、そうでしたの?」
あ、そうなんだ。返上したんだ……。
「って、今なんと?」
「王位継承権なら返上した」
聞き間違いではなかった。
「なぜですの!?」
「婚約破棄したからな」
は?
意味が分からない。
まったく論理が繋がっていない。
「レティと結婚できないなら王子でいる理由もないだろう?」
真顔だった。
この人は何を言っているのだろう。
「王位継承のゴタゴタが収まるまで、この村にお世話になるよ」
そういって肩越しに指をさした先には、王家の紋章が入った馬車が止まっていた。
王族の馬車が珍しいのか、村の人たちが集まって人だかりができている。
さらに翌日。
コンコン
またしても玄関を叩く音で目が覚める。
「なんだか嫌な予感がしますわ……」
恐る恐る扉を開く。
今度はアネットだった。
「レティシア様ー!」
「アネット!?」
扉を開くなり勢いよく抱き着かれる。
「ど、どうして……。わたくし、あなたに酷いことを言ってお別れしましたのに」
私の胸に顔を埋めて泣くアネットを見て、頭が真っ白になる。
「グスッ……レティシア様……。私、心配で……」
涙交じりに小さく言葉を紡ぐ。
あぁ!そうか!
この子はきっと暴走した王子を連れ戻しに来たのだ。
ありがとうアネット。
流石私の推し。
「た、助かりましたわ!さぁすぐに殿下を王都へ……」
「レティシア様のことが心配で……!」
「はい?今なんと……」
「だから!
一人で辺境へ追いやられたレティシア様が心配で、王都を飛び出してきちゃいました!」
感動を返してほしい。
「なぜですの!?」
「だってレティシア様がいないんですもの。私、気づいたのです。今は春休みで学園はお休みですが、新学期になってもレティシア様がいないのでは? と!」
「わたくしは卒業しましたものね」
「お茶会にもいないんです」
「はい」
「お昼ごはんを一緒に食べることもできません」
「それはもちろんですわ」
「そんなの、想像するだけでも耐えられません!」
アネットはぎゅっと私の手を握った。
「なので追いかけてきました!」
それは初めて会った日に見せた、太陽のような笑顔だった。
眩しい。
眩しすぎる。
「アネット。わたくしのことはいいので、殿下を引き取ってくださいまし」
「え?どうして私があんなゴ……。コホン、殿下を?」
「なぜってあなたたちは婚約関係にあるのではなくて?」
「私が愛しているのはレティシア様だけですよ」
アネットがニコニコ笑いながらにじり寄ってくる。
それに合わせて私は後ずさる。
トンッ
背中が壁につき、これ以上は下がれない。
しかしアネットは、私の目を見つめながらどんどんお互いの隙間をなくすように……。
その時だった。
「やぁ、アネット嬢! 淑女がはしたないのではないかな」
ディミスがやってきた。
「チッ。あらあら、殿下ではありませんか。こんな朝早くにお散歩ですか?」
え、今舌打ちしたよね?気のせい?
「あぁ、キミよりも早くこの村に着いているからね。気持ちよく朝から運動していたのだよ」
「まぁ。まるでレティシア様の近くにいることを自慢しているみたいですわね」
「事実だからな」
「ぐぬぬ……」
アネットの眉がぴくりと動く。
「ですが安心してくださいまし。私はこれからレティシア様と同じ家で暮らしますので」
「は?」
今度はディミスの眉が動いた。
「同じ家だと?」
「えぇ。レティシア様がお困りにならないよう、お側で支えますの」
「キミはまだ学生ではないか。学業の方はどうするんだ」
「今は春休みですから問題ありません。それにレティシア様のいない学校生活など耐えられませんわ!」
「そもそも! わたくしはあなたたちに酷いことをしました。
それゆえ婚約破棄されて追放された身です。
それなのにどうしてまだわたくしのことを……」
「卒業パーティーの件か? あれは演技だ。アネット嬢の作戦でね」
王子がキッパリと告げる。
「申し訳ありません。
以前、レティシア様の独り言を偶然聞いてしまったことがありまして。
『わたくしの婚約破棄と王都からの追放は、何としてでも成し遂げなくては』
と、おっしゃっていたのです。
理由までは分かりませんでしたが、レティシア様はどうしても婚約破棄を望んでいらっしゃるご様子でした。
ですから、
『家が決めた婚約など価値がない。自分の手でつかみ取ってこそだ』
と申し上げましたら、このバカ……いえ、殿下も協力してくださいまして」
ん?いま王子のことをバカって言いました?
「それでフリーになったレティシア様を私がかっさらう予定でしたの。
なのに!どうしてあなたがここにいるんですか!?」
またすぐに喧嘩を始める二人であった。
二人の間に火花が見えた気がした。
こうなってしまってはしばらく止まることはないだろう。
私は静かに空を見上げた。
悪役令嬢の追放後ってこんな感じだっただろうか。
誰か教えてくださいまし。
◆
あれから数日後。
なぜか王子もアネットも村に住み着いていた。
なんならアネットとは同じ屋根の下で暮らしている。
意味が分からない。
本当に意味が分からない。
「やはりお二人は結ばれなければなりませんの!」
朝食の席で私は叫んだ。
「嫌だ」
王子がパンをかじりながら答える。
「嫌です」
アネットもジャムを塗りながら答える。
「世界が滅びますわよ!?」
私は頭を抱えた。
そんな日々を過ごしていたが、辺境暮らしは意外と悪くなかった。
畑を作って、野菜を育てた。
アネットは収穫を楽しみ、王子は泥だらけになりながら働いた。
王族とは何だったのか。
実に平和だ。
平和すぎる。
だからこそ不安になる。
原作では、とっくに聖女が覚醒している頃だ。
なのにアネットは畑でじゃがいもを抱えている。
このままでは……。
このままでは本当に国が、いや、世界が――。
その瞬間だった。
突然、眩い黄金の光が畑一面を包み込んだ。
「レティ!」
「レティシア様!これは!?」
王子とアネットの叫びが合わさる。
その黄金の光の中、手の甲に浮かび上がるのは見覚えのある紋様だ。
私はその印を知っていた。
原作で何度も見たから、見間違えるはずがない。
それは救国の聖女だけに現れる聖女の証だ。
そして今――
その刻印は、私の右手に浮かび上がっていた。




