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クラリスの献身 ~私に死ねと言ったのは、あなたでしょう?~  作者: 紺青


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6. 一時の平和とかすかな不安

 勝手に回って来る王妃の執務、ローレンスの執務の大半、自分の執務、慰問や視察など外回りの公務、魔石の魔力補給。


 しんどいからと言って、ローレンスのように泣きつく先はない。クラリスにはもうわかっていた。ローレンスはクラリスに甘い言葉や態度をくれるけど、人間関係や執務に苦しんでいても気づいてくれないし、助けてくれない。だから、自分でなんとかするしかない。


 王宮でクラリスに無茶を言ってくるのはローレンスだけじゃなかった。


「クラリス様! 助けて下さい!!」

 黒の宮の一階の片隅。日当たりの悪い小部屋に駆け込んできたのは王妃の女官だった。いつも高圧的な態度で、クラリスの執務机に勝手に仕事を置いていくくせに、土下座でもしそうな勢いで縋ってくる。


「内容によるわね。端的に話して。あなた達が仕事を勝手に積んでいくお陰で忙しいの」

 クラリスがほとんど無条件でローレンスのお願いを聞くのは、彼が愛する婚約者だからだ。家族でも自分の部下でもない人間のお願いをタダで聞くほどお人好しではない。


「妹が……このままでは借金のカタで、売られるように嫁がなければならなくて……」


「とても可哀想だけど、私では力になれないわ。第一王子の婚約者に割り当てられている費用は厳重に管理されているし、実家の公爵家から与えられている資産もない。あなたの敬愛する王妃殿下に協力を仰いだほうが早いわよ」


「王妃殿下になんの後ろ盾も力もないことはクラリス様もよくご存知でしょう!!」


「私にはそれ以上にお金も権力もないわよ。なんせ、王妃殿下の女官に舐められて、仕事を押し付けられているぐらいだからね」

 クラリスが淡々と言うと、床に崩れ落ちた女官が泣き始めた。


「お願いします……せめて知恵をいただけませんか? 我が家はトーレソ河の汚水問題で長年苦しめられてきました」


 話が長くなりそうなので呼び鈴で王宮侍女を呼んで茶の用意を頼み、女官を部屋の片隅に一応設えられている来客用のソファに座らせる。


「悪いのはドブエル侯爵家なのに! 上流で彼らが生活排水や畜産排水を垂れ流すから! 最下流にある我が家が苦しめられているんです! 貴族院も嘆願書を出しました! なのに、全然聞いてもらえない……。汚さだけならまだしも、匂いは我慢できる限界を超えているんですよ?」

 目の前に用意された紅茶にも手をつけず、興奮した様子で女官がまくし立てる。その嘆願書は回り回ってローレンスの元へときているので、内容はクラリスもよく知っている。


「毎年、汚水の浄化に大金を使ってきました。でも、今年は不作でそこに回すお金もない。年々酷くなる悪臭に領民の不満も溜まっています。そこへドブエル侯爵家から提案があって……」

 女官はハンカチを握りしめて、言葉を切った。

 ハドリー伯爵家は河川の浄化のために、領の境に浄化設備を備えている。濾過の原理を利用したそれは大まかな汚物の回収は可能だが匂いまで防ぐことは難しいようだ。しかも、浄化設備の維持管理に人手とお金がかかるらしい。資金不足で浄化設備が使えないとなると、被害は甚大なことになるだろう。


「妹はまだ十八ですよ? デビュタントでドブエル侯爵が妹の美しさに目をつけて……。愛人として迎え入れると……。そうしたら、汚水対策の金を毎年、伯爵家に支援するという条件を出してきたんです! 酷くないですか? 第二夫人や後妻としてならまだしも、愛人ですよ? もとはといえば、あの家が元凶なのに!」

 話しが繋がってきてクラリスはため息をついて、目の前で涙を浮かべて訴える女を見た。

 年の頃は三十手前。暗めの金の髪に薄青の瞳と彫りの深い整った顔立ち。デビュタントの年頃の妹もさぞかし美しいのだろう。


「お願いです! クラリス様! ローレンス様の寵愛が深いクラリス様なら王に奏上できませんか? もしくは貴族院の議題に上げるようローレンス様に口利きしてもらうことはできませんか? ドブエル侯爵家が汚水の垂れ流しをやめてくれれば、こんな馬鹿な縁談を飲まなくてすむんです!」

 興奮した女官が身を乗り出してきて、クラリスの両手を握るのでローテーブルに置かれた茶器が倒れた。


「人にお願いをしたいなら、まずわきまえなさい。腐っても王妃殿下に仕える女官でしょう?」

 クラリスの言葉に、女官がはっとして居ずまいを正す。王妃やローレンスにいいように使われているクラリスを心のどこかで舐めていたのだろう。きっと泣き落としすれば、思うように動くと。


「私は第一王子の婚約者で、ランチェスター公爵家の令嬢なの」

 倒れてしまったカップから紅茶がこぼれて、受け皿とテーブルを汚す。その様を見て女官の顔が青ざめた。これまでクラリスが身分や立場を持ち出し、叱責することがなかったから許されると思ったのだろう。


 クラリスが王妃やローレンスの執務で関わる人間は多岐に渡る。王妃付きの女官、各部署の文官、騎士団の騎士たち、魔法師団の魔法師たち。上位の人間よりは末端の者が多い。執務に慣れないこともあり、クラリスが高圧的な態度を取ることはなく、謙虚に頭を下げ、雑用なども引き受けてきた。


 でも、王太子妃として後の王妃としてローレンスの隣に立ちたいのなら、このままではいけない。この機会に人間関係の刷新を図っていくことにした。


 各貴族家から寄せられた嘆願書の内容が浮かんだ。クラリスの頭の中で数々のピースが繋がっていく。


「今回は国の問題でもあるから、動きます。でも、特別だということを忘れないで。今後は個人的なお願いは聞きません」

 国の中心を流れるトーレソ河は様々な領地を流れていて恵みをもたらしてくれる一方、なかなか頭の痛い存在でもある。


「はい」


「あと、あなた王妃殿下の女官のまとめ役よね?」


「はい」


 女官長は老齢の女性でいつも王妃殿下の傍に侍っているが、実質、王妃の仕事を取り仕切って女官達を動かしているのはこの女官だ。


「これからは勝手に仕事を押し付けないで。私が王妃殿下の執務を仕切るわ。それを飲めないなら動かない」


「クラリス様のお心のままに。いかようにもお申しつけください」

 飲み込みが早い彼女は綺麗に臣下の礼をとった。


「安心して。あなたのように自分の雑用を押し付けたりせず、きちんと仕事を采配するから」

 クラリスは次期王太子妃に相応しい気品ある笑みを浮かべた。



 ◇◇



「さすが、私のクラリス。いつの間に動いていたんだい? 久々に陛下からお褒めの言葉をもらったよ。貴族院でも評価された」

「ええ。この国のためですから」

 クラリスはローレンスからの労いの言葉に頬をゆるめた。


 トーレソ河は様々な領地を流れている。河上のドブエル侯爵領から流れてくる汚水に悩むのは最下流であるハドリー伯爵家だけではなかった。


 クラリスはハドリー伯爵と連絡を取り、同様に汚水に悩む貴族家に浄化設備の斡旋を進めた。各貴族家に視察で訪れたことのあるクラリスには信頼があり、その時にドブエル侯爵家が対策をしてくれれば浄化設備を設置せずとも解決するのですがと囁いた。


 提出される嘆願書は緊急性がなく力のない貴族家のものは捨て置かれるのが常だ。しかし、力は弱くとも数が多くなると大きな力を持つ。更に汚水に悩む貴族家の中には王妃の生家の伯爵家も含まれていた。不満の声は大きくなり、ついに王の耳にも届いた。


 貴族院の会議で王からドブエル侯爵家にトーレソ河の汚染について対策するよう勧告された。ドブエル侯爵家は生活排水や畜産排水の流出方法の見直しや下水の浄化に走り回ることになり、ハドリー伯爵家への愛人要請も取り消されたという。下流の貴族家の間でハドリー伯爵家の浄化設備を取り入れる家もあったり、新たな交流も生まれ、浄化設備の技術提供で稼いだおかげで資金難をしのげそうだと聞いた。


 今回のことで一番の収穫は王妃の女官の掌握だが、副産物もあった。貴族や王宮の文官がクラリスに一目置くようになり、相談事がクラリスに持ち込まれるようになった。それを捌きながら、情報と人を手中に収めていく。そうして、執務については取り仕切り、命を下して人を動かせばいい地位を確立した。


 こうしてクラリスに割り当てられた役割のうち、執務に関しては多少、楽になった。そのお陰でローレンスが学園に通う数年間、クラリスは倒れることなく自分に課せられたものをこなすことができた。


 傍から見るとクラリスは涼やかな顔で仕事をこなしていたので、成人していない学園に通う年代の少女が謀略渦巻く宮廷で、大人の中で一人戦っていることの違和感に気づく者は誰もいなかった。



 ◇◇



 ローレンスが学園を卒業し、十六になって、恙なく立太子の儀式と婚約のお披露目は終わった。立太子の儀式と婚約のお披露目も準備に走り回り、各種手配や諸外国からの賓客の接待に走り回っていたので、当日のことはほとんど覚えていない。


 王宮で突っかかってきたガーランド公爵家のシンディーが、卒業記念のパーティーや婚約のお披露目で着飾りローレンスの隣を歩くクラリスを見て、扇をきしませていたことだけが印象に残っている。


 立太子してローレンスは青の宮に居室を移した。特例で婚姻していないが、クラリスも黒の宮の客間から部屋を移した。多少なりとも働きが認められたのかもしれない。


 もちろん、ローレンスと部屋は離れているし、これまでと同様、誰かが傍に侍っていて二人きりになることはない。それでも人通りの多い黒の宮ではなく、青の宮でローレンスと二人で暮らせることにクラリスはやっと息がつけるような気がした。


 クラリスが肩代わりしていた王太子の執務もローレンスが行うようになった。なし崩し的にクラリスに押し付けてくる可能性もあったので、心の内で胸をなでおろしていた。


 飲み込みの早い彼はすぐに王太子の執務を裁けるようになった。書類の確認はしていたので流れはわかっているし、学園で信頼関係を築いてきた側近もいる。書類や指示系統の流れはクラリスが確立しているし、各部署の文官や騎士団や魔法師団の者もスムーズに動いてくれる。困った時にはすぐ傍にいて助言をくれて、動いてくれるクラリスもいる。


 少しローレンスがうらやましいのは事実だ。十二の頃から四年間クラリスが積み上げてきたやり方、人間関係をローレンスはただ引き継ぐだけでよかった。クラリスが泥の中でもがくようにして掴んだ成果だけを彼は手にすることができた。自分は汚れることなく。そのことに本人は気づいていないし、感謝の言葉もない。この頃には彼のある種、王族らしい鈍感さと傲慢さにクラリスは慣れきっていた。



 クラリスとローレンスの生活が落ち着いて、幼い頃のように二人の時間が戻って来た。

 三食を共にし青の宮にある執務室で執務に励み、外回りの公務も二人で出かける。週に一度だった魔力供給は、成長とともに魔力量が増えたのか月に一度の頻度に落とすことができていた。

 

 そして、休憩の時間に濃厚で甘い薔薇の香りが漂う庭園でお茶を楽しむ。彼は甘い笑顔を浮かべて囁くのだ。「可愛いクラリス、結婚するのが楽しみだよ」と。


 クラリスはようやく自分のがんばりが報われた気がしていた。そんな穏やかで幸せな日々を送り、どれだけ彼に溺れても、マリー先生とのお茶の時間だけは死守していた。彼になにを言われようとも。


 きっと、十六のクラリスにもわかっていたんだと思う。ローレンスはなにかあったら、簡単にクラリスを利用するって。彼にとってクラリスは大事な薔薇じゃなくて他の花に簡単に埋もれてしまうアネモネだから。でも、まさか存在ごと切り捨てられるなんてこの時は思っていなかったけど。



 ◇◇



 怖ろしいほど毎日が平和で順調で、幸せであればあるほど漠然とした不安が湧いてきた。クラリスが一日の大半を過ごす場所が聖女様にゆかりのある場所だからかもしれない。


 百年ごとに湧いてくる瘴気と召喚される聖女様。絵本の中のお話で、ただの伝承。

 ――その日が来るのは、本当にないのだろうか?


 この国はおよそ百年周期で瘴気と呼ばれる謎の物質が湧いてくる。見た目は煙と変わらない黒くて靄がかったもの。それは一旦湧き出すとどんどんと色濃く周囲の土地を包んでいく。そして、人や動物はそれを吸ってしまうと体調を崩し、土地や植物もやがて枯れて荒れ果てていく。


 対策は異世界から聖女様を召喚すること。

 この世界に存在する人間や魔法では瘴気をどうすることもできないけど、異世界から召喚された聖女様は瘴気を浄化する力を持つと言う。聖女様は国をまわり、瘴気を払って浄化する旅をする。そして、次期王となる者と婚姻するのだ。

 

 瘴気も聖女様も見たことがないクラリスにとって、どこか遠い国の話のよう。しかし、前回瘴気が発生してからすでに百年が経過していた。


 毎日が幸せであるほど。彼の隣にいるのが当たり前になってくるほど。不安が黒い染みのようにどんどん心に広がっていった。


「前回の瘴気の発生から百年以上経ってます。本当に大丈夫なのでしょうか?」

 心に抱えていられなくて、ローレンスに時折不安を訴えてみる。

「可愛いクラリス、余計な心配はしなくていいよ。陛下も私もきちんと考えているから。君に悪いようにはしないから大丈夫」

 そう言って、ほほえむだけだ。


 このまま瘴気なんて湧いてこないかもしれない。

 聖女様を召喚する必要なんてないかもしれない。

 でも……。


 クラリスの中のモヤモヤした感情と湧いてくる不安は無視できないほど大きくなっていった。

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