17. クラリスの最後の願い
「猫になりたいんです」
そう言われた時は驚いた。
アンブロワーズとマリーに裏切られたと彼女は思っているだろう。聖女就任の時に絶望した顔でこちらを見ていた。だから言い訳はしないし、合わせる顔もないと思っていたのに。
水面下でマリーと二人で動いていたが、クラリスにも知らせなかった。
クラリスを犠牲にして結界を張るという話を聞いてから、王に話を持ち掛けたのはマリーだ。なんとか表向き彼らの思う通りに物事が進んだように見せかけて、ひっそりとクラリスを助け出す。姉を失った経験を糧にして僕たちは慎重に動いた。
どのみち魔法師達では人と魔石を一体化して結界をはる魔法陣など描けない。魔法師達も今回の仕事は乗り気ではなかったようで、僕とマリーの二人でクラリスの聖女化の計画を進めた。
クラリスが作った魔法陣は、魔石に魔力を供給さえすれば、百年どころか半永久的に結界を存続できるもの。それに手を加えた。王が望んだように、魔水晶とクラリスを一体化させて、この世界の異物をはじく結界を張るというもの。できるだけ彼女が不快にならないように痛みを感じないように、魔法陣を起動したり、結界を張るために供給する魔力は最低量にした。だから結界が完全なものとなり、瘴気が完全に取り除かれるのは数年先になる。
そして密かにいつでも僕が結界を解除できるように設定した。念のために母国の古代語で書いたので、解読できる魔法師はいないだろう。人々を油断させたところで、結界からクラリスを解放するつもりだった。その話をいつクラリスにするかマリーと考えあぐねていた聖女就任の翌日、彼女は自ら赤の宮へやってきた。
「アンブロワーズ様へのお願いが一つ残ってますよね?」
「ああ……」
手元で描いていた魔法陣から顔を上げて、訪問者の顔を見る。久々に机に向かったから体からぱきぱきと音がする。
「逃げたいなら、アタシが手配するよ」
「マリー先生、いつの間に? マリー先生もいらしたんですね」
アンブロワーズ同様、今回の一連にぺしゃんこに凹んで猫に埋もれていたマリーがすくっと自分の横に立っている。
「王や王太子の希望が叶ったと見せかけるために、一旦、結界をはる必要はある。でも、その後にあんたを結界から解放して、アタシかアンブロワーズが魔力を供給している間に亡命するといい。術に失敗して死んだことにするから。あんた一人を逃がして、養うことくらいできる。覚悟があるなら、アタシの手を取るといい」
マリーはいつの間にクラリスにこんなに肩入れするようになったんだろう? 彼女が八歳の時から九年間。休憩の時間を提供するだけで、沈黙を守って来たのにすごい熱量だ。まぁ、人のことは言えないけど。
「マリー先生にまずはお礼を言わなくちゃね。腕輪のことを教えてくれてありがとう」
「アタシはヒントを与えただけで、きちんと答えを導き出して、機会を見逃さずにものにしたのはあんたの力だ」
マリーは彼女に出会い腕輪を見せてもらった八歳の時から、王家に代々伝わる金と銀の腕輪に刻まれた魔法陣の意味を知っていた。
――対となる腕輪をした者のうち、魔力量の多いほうがもう片方に魔力を半分提供する。
大神殿の魔石への魔力供給が義務付けられた王族の苦肉の策。こんなものが代々受け継がれてきたなんて反吐が出そうだ。本人も気づかないくらい緩やかに魔力が相手に渡るようになっており、自分の魔力量の半分なら体調にもギリギリ影響しないくらいのライン。
クラリスはそんな枷を二つも着けられていた。金の腕輪が優先されるので、王にまず半分。残りの半分のうちのさらに半分――元の魔力量のうちの四分の一を王太子に。幼い彼女に伝えるのはあまりに残酷で重い真実。マリーにも僕にも取り外すことはできないから、本人には言わなかった。
聖女就任の一週間前、腕輪の古代語で書かれた魔法陣をわかりやすく書き直した紙をマリーはクラリスに渡した。敏い彼女はそれで腕輪の真実を理解し、公衆の面前で堂々と腕輪を外すことに成功した。
「いろいろ考えて行動できるようになったことも含めてマリー先生のお陰かな」
彼女は誇らしげに自由になった左手首を掲げた。
「マリー先生やアンブロワーズ様が力になってくれるっていう提案はすごく嬉しいし、ありがたいの。……でも逃げることは、できないかな」
困った顔をしてクラリスはほほえんだ。どこか吹っ切れたような表情に胸がざわめく。
「まだ、あのボンボンを愛しているのかい?」
「いいえ。王族にはうんざりしてるし、ローレンスに愛情は残ってません」
「なら!」
「でも、見てしまったから」
「?」
「書類の上だけなら、まだよかったかもしれないけど……」
「民は見捨てられないか……」
「はい。国中を公務で回って、ニナーハ国に住む人たちの生活を見てしまったら、見捨てることはできないです。数は少ないけど王宮で、私に良くしてくれた人もいます。もちろん、マリー先生とアンブロワーズ様と猫たちも」
王と王妃から押し付けられた公務で、各地の神殿や併設されている救済施設や孤児院を慰問し、被災地や嘆願のあった土地を視察する。リアルに人の暮らしを見てしまったからこそ、見捨てて自分だけ助かる選択をとることはできないのだろう。
「だけど踏みつけられたまま、国や王族や彼のために、この身を捧げるなんて嫌。献身的な王太子の婚約者のまま、死にたくない」
それは聖女就任の時の様子から彼女の気持ちは痛いほど伝わっていた。
「見届けたいんです。彼らが真実を知って、なにを思い、どうするのか」
それはとてもささやかな願い。
「だから私、猫になりたいんです。可能ですか? できますよね。かつて研究してたんだから。狂った死霊使いさん」
子供のように無邪気な顔で笑い、こてっと顔を傾ける。
「よく知ってるね」
僕についたあだ名は嘘ではない。
「先生はかつて研究していたんでしょう? 死人を蘇らせる術を。それなら、生きている人間の魂だか心を人形に移すことなんて簡単にできるでしょう? だから、猫を模した人形に私の魂だけ移してほしいの」
姉が殺された時、葬儀にすら出ずに狂ったように研究に打ち込んだ。姉の魂を黄泉の国から呼び出し、作った人形に吹き込む死霊術。
僕が研究に明け暮れている間にマリーが父に偽物の姉の遺体を引き渡し、母の出身国で小さな葬儀をあげ埋葬してくれていた。
僕の熱意は実を結び、あとは実行するだけとなった。魔法陣は空で描ける。対価は僕の命。王宮にある姉の墓を暴こうと、墓の前に立った時に一匹の猫がすり寄って来た。
僕はそれ以上、なにもできずにその場に崩れ落ちた。姉が亡くなって、はじめて泣けた。
落ち着いてから王宮にある母や姉の墓には偽者が埋葬されているだけだと、マリーから聞かされて、余計に力が抜けた。それからは復讐することも姉を生き返らすこともせず、抜け殻のように怠惰に生きている。
なぜか猫がどんどん増えて、彼らを残して死ぬことも出来ずに、王宮の片隅で王族の金で人生を消費するためだけに生きている。
「今でも思う。姉を止めればよかった。あんな研究しなければよかった」
姉はただ人の役に立ちたかっただけなのに。王族の血を引くのに、その籍にも入れてもらえず、父に愛でられるだけで、なんの義務も果たしていない自分が許せなくて。真実をつきとめた高揚感、若い正義感でひた走り、真実を追求して明らかにしようとしたことで殺された。
「今、同じ後悔をしている。君に知恵を授けるんじゃなかった。研究をさせるんじゃなかったと」
姉のしたことを無駄にしたくなかった。僕やマリーでは動かせなかった王家や国の上層部を動かすことができるかもしれない。聖女召喚という歪な仕組みを潰せるかもしれない。今度こそ、姉の意思を継いで形にできるかもしれない。そう思ってしまった。
彼女は公爵家の令嬢で王太子の婚約者。金の腕輪と銀の腕輪で魔力を王や王太子に分け与えているぐらいの魔力補給の要。そして、政の裏方を仕切る有能な彼女の言う事ならば、王家も耳を傾けるだろうと思ったのだ。しかし予想に反して、王も婚約者の王太子も実の父さえも彼女を見捨てた。
「今回も判断を間違えた……」
「アンブロワーズ様のせいじゃないですって。どのみち結界の生贄にされてなかったら、側妃にされて聖女様の傀儡にされていた。そんなのごめんだわ」
聖女就任の儀式を終えた彼女の顔はどこか晴れ晴れとしている。全ての責から解放されたかのように。
「それでアンブロワーズ様、私、猫になれますか?」
「君の魔力ごと体は残して魔水晶と一体化させ、君の魂を猫の人形に移す……か。理論上は可能だ。でも、成功するかは正直わからない」
「別に失敗してもどうってことないわ。私の体と魔力さえあれば、この国にとって問題はないんだから」
一発勝負。それは彼女にもわかっていた。
僕は古い記憶を掘り起こして、死霊術の魔法陣の作成に取り掛かる。すでに魔水晶は用意してあり、結界の魔法陣の作成は終えている。すぐにでも儀式をすることはできたが彼女の最後の望みを叶えるため、王には調整に少し時間が欲しいと告げた。あまり時間がかかると疑われる。マリーに人形作成を任せて、僕はクラリスを猫にするための魔法陣の作成に勤しむ。二人でクラリスが猫になるための準備にかかりきりになった。
いつもとは逆で僕とマリーが机に噛り付いて魔法陣を仕上げ、猫の人形を作成する傍ら、クラリスは猫たちとともにくつろいでいた。
魂を人形に移す魔法陣の起動は、異世界から人を召喚するほどではないけど、瞬間的な魔力消費が激しい。きっと僕の魔力の半分は失われる。このことはクラリスには告げていない。
そして一週間後、僕たちは誰に知らせることなく、ひっそりとクラリスの抜け殻を聖女とすることに成功しクラリスは猫になった。




