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クラリスの献身 ~私に死ねと言ったのは、あなたでしょう?~  作者: 紺青


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15/18

15. 新たな聖女の誕生と真実

 聖女就任から一週間後、知らせを受けたクラリスは一人、聖女様の薔薇園の片隅にある奥神殿へと向かっていた。


「クラリス、クラリス、クラリスーー」

 どこからか慟哭が聞こえる。かつての婚約者で、クラリスが愛した人の声。でも今更、何者もクラリスを止めることはできない。神殿へと続く長い石造りの廊下にヒールを打ちつける音だけが響く。


 小さな奥神殿に着くと、両開きの木製の扉に手をかける。蔓薔薇が彫り込まれた重厚な扉は、軋んだ音を立てて思いのほか少ない力で開いた。


「クラリス、クラリス、クラリス、どこにいるんだ?」

 先ほどより幾分近くから聞こえる気がする泣き叫び縋るような声。クラリスの青白い顔に、ふっと笑みが浮かぶ。


 ――これは国のために、彼のために、この身を犠牲にする私へ神が与えた慈悲なのかしら?

 献身も愛情も枯れ果てた今、彼のことなんてどうでもいいけど。国や自分の愛のために、クラリスの死を望んだくせに今更、どうしたんだろうか?


 扉を閉じると、耳障りな自分を呼ぶ声は聞こえなくなる。


 今頃になって、彼は知ったんだろうか?

 瘴気と聖女召喚の言い伝えが真実であったことを。召喚した聖女様の悪辣な本性を。クラリスの献身を。


 もっと知るのは後だと思っていたのに、案外賢いところもあったのかしら?

 それとも執務が滞って困っているだけ?

 大神殿の魔石に魔力供給する人がいなくなって困ってる?

 ふふ、だって王の魔力も彼の魔力も半分になっちゃったんですものね。クラリスは軽くなった自分の左手首をさすった。


 聖女宮の片隅。薔薇園に隠されたように建つ奥神殿。

 天窓から入る月明かりに照らされてほほえむ男は死神か? それとも天使なのか?


「本当にいいんだね?」

「ええ」


 最後はあっけないものだ。クラリスが聖女に就任してから一週間。時折、仕事の引継ぎや手伝いを求める人が来るくらいで、誰も労いや感謝の言葉を伝えに来ることはなかった。仕事関連の話は全部断り、ひたすらのんびりして過ごしたので、もう悔いはない。


 アンブロワーズから準備が整ったと告げられたクラリスは誰の見送りも希望せず、一人で旅立つことを望んだ。

 

 聖女様の像の前に立つ死霊使い(ネクロマンサー)を見やる。

 彼の手元には白い毛並みの子猫。でも、それは精巧な作り物で動くことはない。どこか残念な気持ちでそれを眺める。


 クラリスは神殿の正面の右側、聖女像と対となる位置にそっと立った。足元には複雑な魔法陣が描かれている。どんな格好をするか悩んだが、結局、聖女に任命された時の白いドレスを身にまとっている。クラリスの隣には今後の相棒となる魔水晶が鎮座している。


 アンブロワーズは白い子猫の置物をクラリスの隣に描かれている別の魔法陣に置いて正面に立った。そちらには虹色に光る魔石が置かれている。こんな時だけど、彼はまるで神の使いのように美しい。


 彼が呪文を唱えると、神殿の白い空間にキラキラと銀色と白色の魔法陣が二重になって空間に浮かび上がりクラリスが包まれてゆく。確かに聖女っぽいわね……。それがクラリスが最後に思ったことだ。


 結界の魔法陣を起動させるための魔力がぐんぐん吸い取られていく感覚がする。冷たいとか、痛いとか、そんな感覚が立ち上ってくるのを覚悟していたのに、むしろ温かい湯につかっているような心地よい感触に包まれる。白光に包まれると、自分と外の世界の境界線がなくなり、だんだんと意識が遠のいていった。


 クラリスが立っていた場所には氷柱のような円柱の水晶がそびえ、中にクラリスを内包している。静かな次代の聖女の誕生をただ、月明かりだけが見ていた。


 あとに残されたのは銀髪の死霊使い(ネクロマンサー)と白い子猫。その小さな体が温度を灯して、鼓動が脈打つ。呼吸音を確認すると彼はそっと子猫を抱き上げた。



「クラリス!!!」

 髪を振り乱し、走り込んで来た青年の叫びが響き渡る。いつも余裕をたたえた笑みを浮かんでいる顔に金の髪が汗で張り付き、澄んだ青の目には涙が浮かんでいる。


「クラリスは?」


「ええ。たった今つつがなく儀式が終わりまして。聖女となりました」

 ガラスのように透き通っていて硬質な魔水晶でできた円柱の中に、クラリスが浮かんでいる。まるで左にそびえる聖女の像と対となるような美しく儚い風景。


「ああっ、クラリス!!」

 クラリスの元婚約者が崩れ落ちるのをアンブロワーズは冷めた目で見ていた。


「これがあなたの望みでしょう?」

 甥の情けない姿を見ても同情は湧いてこなかった。


「……違う、違うんだ!」


「なにが違うんだ? 君も知っていたはずでしょう? 瘴気と聖女召喚の真実を」


「だって、あんな悍ましいことが真実だなんて信じられなくて……」


「じゃあ、真実じゃないんでしょう」


「だって、あれが本当だったら……。あれが真実だったら……」


 この世界はいろいろな神が作り出した世界が複雑に絡み合い存在する。位置的に、召喚される聖女のいた異世界からの影響を受けやすい場所にこの世界は存在するらしい。


 人々の悪意、妬み、嫉みそういった黒い感情が、なぜかこちらの世界に垂れ流されているのだ。二階から垂らした汚水が一階に流れ落ちるように。そうして百年周期で溜まった瘴気が形を変え、害を与えて、こちらの世界の人々を苦しめる。神々も予測不能な設計ミス。


「それに聖女が罪人だなんて!! たまたま、これまでの聖女様がそうだっただけで、クミは……クミは違う!!」


「ええ、違うんでしょう。なら問題ありませんね」


「クミは……クミは……そんな女だなんて、信じたくない!」


 あの女、もうボロが出たのか?

 大方あの女が侍女を虐げるか、浮気相手の騎士や魔法師や神官や王の側近と体を重ねるところか、誰かに自分の元いた世界における醜悪な過去の話をするのを聞いたのだろう。それとも真実の鏡を覗いて、彼女の普段の素行を見たのかもしれない。


 でもさ、聖女は醜悪じゃないといけない。


 こちらの世界の者がいくら祈ってもなにをしても、瘴気が消えることはない。なぜならこの世界の物ではないのだから。

 異世界から流れてきた瘴気(ゴミ)は異世界人にしか処置できない。そしてドロドロの想念に対抗できるのは、それ以上に凶悪な思想を持つ異世界人のみ。毒は毒で打ち消すしかないのだ。


 だから、今回召喚された聖女も害悪な思考を持つ女だ。百年分の異世界の人々の悪意に匹敵するくらいの。


「召喚された聖女の本性は秘匿とされているが、王族や神殿の上位の者なら知っている公然の秘密だ。聖女召喚の前に、君も大神官から説明を受けただろう? 真実の鏡を見たのだろう?」


 百年前の聖女が、青の宮で好き勝手して暴言を吐き、伴侶の王太子を虐げるのを。瘴気と相打ちさせることで、聖女の醜悪さは多少は薄れる。でも凶暴さが全てはなくならない。その横暴を主に受けとめるのは、伴侶となった王族。今回、犠牲になるのはローレンスだ。


「ああ、クラリス! もう遅いのか? あの醜悪な女の代わりにその身を犠牲にしてしまったのか……」


 クラリスを包む円柱には触れることができないようになっていて、近くの床で悲嘆にくれている。今になって、なにを言い出すのだろうと呆れてしまう。クラリスが聖女に就任してから一週間、彼女に会いに来ることすらしなかったくせに、今更来ても、もう遅い。


「そうですよ。王や君が望んだ儀式は無事終わり、クラリスは聖女となりましたので。百年は御身はこのままでしょうね。今更、嘆いても、聖女召喚をしたのは君でしょう?」


 長年の婚約者の真摯な訴えを無視して、甘美な想像に酔った末の愚かな行動。薄っぺらで、表面だけ取り繕われた美しい運命を信じた結果。

 

「彼女は聖女にならざるを得なかった。そうさせたのは君でしょう?」


 魔水晶の中に浮かぶクラリスを前にして、嗚咽をこぼす甥を冷めた目で見る。

 彼の愛しの聖女様が瘴気を浄化する旅に出たくないと駄々をこねたから、瘴気への緊急対策会議で、聞きかじっただけのクラリスの案を持ち出したのは彼だ。いつものように彼女の手柄をさも自分の手柄のようにして。


『じゃあ、クラリス一人が結界に魔力を注げばいい。聖女様の代わりに聖女になればいい。そちらの方が貴族や民にアピールできるし、被害も少なくてすむ』

 王家や神殿はコントロール不可能な召喚聖女に見切りをつけて、不満の高まる世論を抑えるためクラリスを犠牲にすることにした。さすがに、そんな話の流れになるとは思っていなかったんだろうけど。王妃教育まで受けたクラリスを側妃に据えて、魔石への魔力供給をさせて、今までのように執務をさせて、子を山ほど生ませる予定だったんだから。


「ああ、クラリス……」

 苦しんでいた彼女に涙を流させることもしなかったくせに、なぜこの男はグズグズといつまでも泣いているんだろうか?


「あー、ローレンス様、こんなところにいたのね!」

 そこへ入ってきたのは召喚された聖女。相変わらず見た目だけは美しいのは、愚かな王太子と一緒だ。


「うるさい、お前のせいでクラリスは!!」


「あははっ。やっと、気づいたの? でも、もう遅いわ!! 今の婚約者は私で、私を王太子妃にするしかないのよ! 一生、養ってね! ダーリン。ああ、でも、王太子妃とか王妃の仕事はしたくないから、クラリスの代わりに優秀な女を側近にするか、部下にしてね。多少の浮気には目をつぶるし」


「お前という女は、どこまで腐っているんだ!!」

 そう言ってローレンスが、女に掴みかかろうとした瞬間。


「ぐぅぅぅっ!! ぅあああああああああああ!!」

 召喚聖女が化け物のような叫び声をあげた。そこだけ時空が歪んだように、彼女の体がひしゃげていく。まるで壊れた人形のようにぐにゃぐにゃになってから、突然元に戻った。


「いだい! いだかった……。ろーれんすさまぁ、なに? なにがおこったの?」


「はっ? ……クミ、一体どうしたと言うんだ……」

 先ほどの怒りも忘れて、涙を溜める召喚聖女を労わるローレンス。


「あーあ。大人しく瘴気を浄化すれば、よかったのにね。クラリスの魔力は膨大だ。王やお前に与えても有り余るくらいにね。もう、結界が作用しはじめてるんだろう。瘴気と同じくお前はこの世界の異物だし」


 役割を放棄して、クラリスに聖女の役目を押し付けるから。

 クラリスの張っている結界は、この世界の異物である瘴気と聖女をはじく。クラリスの魔力を一気に使わないように、ゆるやかに流れるように設定しているから、完璧な結界が作られるまでは数年かかる。だから、今すぐに召喚聖女の存在が消滅するわけじゃない。それでも、結界が徐々に効いてくると彼女の存在自体が歪んでくる。


 度々、先ほどのような痛みに襲われるだろう。そして最終的に、この世界から異物として弾かれて、そうかといって元の世界にも戻れず、世界と世界の狭間で、体も魂もぐちゃぐちゃにされて痛みを感じながらも永遠に彷徨うしかないんだろうね。


「やだやだ! どういうこと? 瘴気を浄化すればいいの? さっきの痛くて体がぐにゃぐにゃしたのなに?」


「お前が瘴気を浄化しなかったからだろう! お前はこの世界の異物で、クラリスの張った結界に弾かれているんだ!」


 少し召喚聖女に絆されかかったのに、また復活したローレンスが彼女を罵り出す。情緒が不安定のようだ。


「え? これはクラリスのせいなの?」


「お前が瘴気を浄化しないというから、クラリスが結界を張るはめになったんだろう! お前のせいだ!」


「ああああぁぁぁぁぁあ!! いだいいだいいだい!!」

 再び聖女の体がぐんにゃりする。この周期で痛みがやってきたら、生活するのは大変だろうなぁ。またすぐに体が元通りになった聖女は、床に突っ伏して荒い呼吸を繰り返している。


「ごべんださい。……ごめんなさい。ごめんなさい。ゆるして、くらりすさま。もう、けっかい、はらなくていいから。しょうき、じょうかするから……」


 よほど体が痛いのだろう。ヨダレと涙でぐしゃぐしゃになった顔でクラリスを閉じ込めた魔水晶の前でひたすら懺悔の言葉を紡いでいる。


「いやぁ、起動したら止められないんで、この魔法陣。それに、こんな状態で浄化の旅をするなんて無理でしょう」


「じゃぁ、わたし、どうしたら……」

 聖女が泣き叫ぶ声が奥神殿に響き渡る。その回答を持つ者は誰一人としていなかった。

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