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第五話 半分知らないラブレター

 除夜の鐘を聞いたところまでは覚えている。

「ハッピーニューイヤー! 沙夜ちゃん!」

 弾けた自分の声が脳内にごおんとこだましたことも。

 葵はけらけらと笑いながら、日本酒の瓶を振る。数滴だけ残ったそれが、瓶の中でちゃぱんと踊った。

「沙夜ちゃんー、お酒ないー!」

 舌っ足らずな甘い声が、小さな部屋に落ちる。

「もう寝ろってことよ」

 はい終わり。そう静かに言って彼女の瓶を取り上げる沙夜の頬も、ほのかに赤みを帯びている。

「やだやだ、もっと飲むー!」

「はあ、面倒な酔っ払い」

 溜息が温い部屋の温度に溶けていく。

「沙夜ちゃん」

 砂糖をたっぷり染み込ませたジャムみたいな、甘い甘い音が降る。

「なあに」

 仕方がないなというような素振りで、沙夜は炬燵越しに伸ばされた手のひらに指を絡める。

「今年もずっと一緒にいようね」

 それが葵なりの新年の挨拶だと理解するには時間が必要で。沙夜はぐっと言葉に詰まってしまった。

「……ずっとは無理よ」

 否定的な言葉を口にして、沙夜はぎゅっと指先に力を込める。

「だって私、仕事もあるし友達もいるもの」

 くすくすと子供じみた笑い声に、葵はぽかんと口を開けた。そして次の瞬間、へにゃりと破顔する。

「ねえそれって、それ以外は私のものってこと?」

 ゆるい二つ結びが揺れる。覗き込んだ目は、透き通った硝子のように澄んでいる。ねえってば、と葵の吐息が沙夜の指先にふわりと触れた。沙夜は返事をせずにただ久しぶりに仕返しが出来たと小さく笑むばかりだ。

「どうしよう、沙夜ちゃんがかわいい」

 繋いだ手に着地した頬の肉が、柔らかく沈む。くすぐったくなるような感情を滲ませた音がくぐもる。

「かわいい、ずるい、かわいい」

 本当もう、いつの間にそんな可愛くなったのと、うんうん呻く音だけが沙夜の耳に届く。顔は依然繋いだ手に埋められたままだ。

「ねえ、沙夜ちゃん」

 ううっと頬を少し目を潤ませた葵は、ずいと机の上へ乗り出した。鼻先がぶつかり合いそうな距離。夜空みたいに深い瞳が、沙夜だけを映している。

「私も沙夜ちゃんだけが、好き」

 今までの可愛らしさはどこへやら。葵は吐き出す息に好き、ともう一度蕩け切った音を乗せる。

「も、ってなによ」

 私はそんなこと言ってないわ。沙夜はうっかり呑まれそうになった自分を制するように、葵をぎゅっと押し返す。

「だって、さっきのそう聞こえたもん」

 押し返されたというのに、葵は元の場所に収まってにやりと笑う。

「もん、って歳じゃないでしょ」

「沙夜ちゃんだって同じのくせに!」

 こういう所が可愛くないんだろうな、と沙夜は他人事のように自分のことを思う。このままお酒の勢いに任せて、そうよって言えたら。…………言えたら?

 口を開こうと息を吸い込んだ時だった。吸い込んだはずの息は、小さな赤い唇にぱくりと食べられてしまう。かぷかぷと食まれる感触に沙夜が思考を奪われて、数秒。そういうの駄目だからね。はっきりとした声に、巡り出した脳内が完全に止まった。

 沙夜ちゃんは少し馬鹿になるくらいで丁度いいんだからと追い討ちのように耳元で聞こえる、声。

「私にもそう聞こえたから、いいの」

 ねえ私間違ってる?


 自身を疑うなんて一ミリもしていない目が、沙夜を射抜く。血色の良い口元はゆるりと弧を描いている。

「だから、〝も〟ってなによ……」

 沙夜はしばらくして、やっとそれだけ言うと恋人から目を逸らした。この子に嘘は吐けないんじゃないか、なんてそんなことを思いながら。


 今年は、今年こそは。

 少しだけ可愛い恋人になろう。沙夜は煮立った血液に祈りを込める。隣の葵はその横顔をおとなしく見つめている。

 テレビの向こうでは新年の番組が始まっていた。それをそっと遠ざけて、葵は心の中で祈る。恋人がこれ以上かわいくなりませんようにと。


 彼女たちの祈りは、新しい夜に溶けていく。

 誰も知らない、知らなくていい小さな紙に乗せられる。その透明な薄い紙の上で、彼女たちは互いに半分知らない愛を織るのだ。

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