《番外編》徒歩三秒のサンクチュアリ
頬にぬるい風が当たった。遠くでドン、ドンとお腹の底に響くような音が鳴っている。
「夏祭り、本当に行かなくてよかったの?」
静かにガラス戸が開き、ベランダに冷えた空気がわずかに流れ出す。沙夜ちゃんが隣に並んで欄干へ頬をくっつける。
漂っている空気は仄かに夏の香りがした。そのなかに火薬のような香りが混じっている気がするのは錯覚なのかもしれなかった。私は沙夜ちゃんの真似をしながらうん、と頷く。プシュッと炭酸の抜ける音がして「だったらいいけど」と彼女は不思議そうな顔をする。欲しい柄があるって言ってなかったっけ。
「あ、そうだ。いいものあったんだった」
覗き込んだ目が悪戯っぽく煌めいた。室内の光源を反射した瞳は星屑なんかよりずっと綺麗だと思ってしまう。
「待ってて」
外気との境目がわからなくなった頬にハンディファンの風を当てた。ぬるい。
「お待たせ」
ちょっとだけ弾んだ声がして、器が差し出された。まろい縁取りの中で一口大の緑色がつやつやと輝いている。
「きゅうり、冷たくしてみたの」
隣でぱりりと気持ちの良い音が聞こえた。爪楊枝を受け取って、私もきゅうりをひとかけら口へ運ぶ。ぱりん。浅く漬かったそれは小気味良い音を立てた。ぱりぱり、ぱりん。
「沙夜ちゃん」
名前を呼ばれた彼女は、ベランダにもたれかからながら私を見つめた。
「美味しいね」
鮮やかな緑を口へ放り込みながら反対側の手で彼女の指先を握ってみる。他に伝えるべき言葉はきっとあったのだろうけど、きゅうりと一緒に咀嚼した。ぱりぱり、ぽりぽり。
柄違いの浴衣で行く縁日も、近くで打ち上がる花火を見るのもきっとすごく楽しい。けれど私はこの狭いベランダで見えない花火の音をBGMに、冷たいきゅうりを二人で食べていることの方がずっと贅沢だと思ってしまう。
彼女の飲みかけのサイダーを一口含み、低い音に耳を澄ませる。沙夜ちゃんが私を見てくすりと笑う。すでに抜けはじめている炭酸が優しく口内でぱちぱちと爆ぜた。




