二話
一面、赤い花弁に包まれたお湯に身を委ねたレイナは、うっとりとその甘い香りを堪能した。
砂でベタついていた髪も香油で艶やかな輝きを取り戻し、いい匂いがしてそっと顔を埋めた。
温かな湯が全身を温め、じんわりとこみ上げる至福にレイナは両足を上げて笑みをこぼした。
「はぁあ…~最高っ、やっぱりここに住みたい…アルクには申し訳ないけどここに住みたいわ」
さらりと湯を手のひらで遊び、天井に取り付けられたおしゃれな小窓を見上げた。
青い空を悠々と鳥が飛び去って行き、ここが天国であることを祝福しているようだとすらレイナは思った。そして深呼吸をして、もう風呂から出ようとバスタブから立ち上がった瞬間、
ガチャリと無遠慮にドアが開かれた。
「えっ?」
「へっ…?」
ザバッと体から湯と花弁が流れて行き、生まれたままの姿で立ち尽くしたお互いは大きな悲鳴を上げた。
「きぃやああああああ」
「うわっああああ?!」
ディルクは急いでドアを閉め、レイナは湯船に沈んで行った。ディルクを追いかけていったレクシウスは、一部始終を見ており、盛大なため息とともに縮こまったディルクを見下ろした。
「馬鹿」
「うっ、うるせえ!誰だよあの女!聞いてねえよ、こんな事!」
「アルク様はお前をお引止めになった。お前が悪い」
先ほどまで天国だったレイナは一度に地獄に叩き落されて湯船の中で真っ赤な顔を覆った。
(もう出て行きたい…こんな所…!)
「本当に申し訳ありませんでした」
アルクは、数分バスルームに閉じこもってしまったレイナに深く頭を下げていた。
アルクが用意したワンピースを着てただ俯いたままのレイナは、顔を上げられずに首を振った。
「い、いいのよ…アルクは悪くないわよ…」
ムスッとして足を組んで座るディルクは、レイナを見つめて不機嫌そうな声を上げた。
「じゃあ俺が悪いのかよ~!」
「あ、当たり前じゃない!ノックぐらいしなさいよ!」
「んだと?てめーが居たことなんて知らなかったんだよ、このペチャパイ」
「なんですって!」
カッと顔を赤面させたレイナはディルクに食って掛かり、ディルクはべっと出した赤い舌でレイナを挑発する。アルクはただただどうしてよのか分からず、困ってその二人の間に割り込んだ。
「お、落ち着いて下さい、レイナさん…!それから、ディルクも…」
「離しなさいよ!ヨラシルといい、アンタといい何様なのよ!」
「俺は天使様、ヨラシル様は神様だ、ばーか」
ついにアルクを押しのけディルクともみ合いを始めたレイナに、アルクは唖然として立ち尽くした。
レクシウスは愉快げにその様子を眺め、アルクが巻き込まれないようにそっとアルクを二人から引き離した。
「もおっ出て行ってやる!」
「勝手にしろペチャパイ」
「う、うるさいっ!」
アルクは少し躊躇いながらコホンと咳払いをしてみせ、ようやく振り返った二人に遠慮がちに提案した。
「とりあえず、朝食にしましょう…?ディルク、少し朝食が出来るまで頭を冷やしてきてはどうです」
「でもよ、アルク…」
「め、命令ですっ!行ってきなさい」
チッ、とレイナに振り返って舌打ちしたディルクは、翼を広げて飛び立った。
アルクはもみくちゃになって乱れた彼女のスカートを払い、手を差し伸べてゆるく笑った。
「すみません、僕の従者が度々…」
「アルクは…謝らなくったっていいのよ。それより、昨日の事、覚えている?」
「昨日?何かありましたっけ…?」
「えっ?ヨラシルと会ったのだけど、覚えていない?」
「僕からコンタクトを取った時以外は意思を乗っ取られてしまうので、よく覚えていません。何か?」
レイナはごくりと唾を飲んだ。それが本当なら恐ろしい話である。
「それなら、話があるわ。いいかしら?」
「ええ、勿論。では食後のお茶の時間にでもお伺い致します」