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30話 旧平民街、ベグラム地区にて

 大王都カテドラルの北部。王宮のある中心部から遠くはずれたその地域にて、旧平民街と呼ばれる場所がある。


 ここは元々大王都に住む平民たちの旧市街地だったのだが、老朽化が進み、路面の整備も行き渡らない為、建屋の取り壊しが進められており、今現在はほとんどまともな平民以下の人が住むことのない廃墟と化した場所だ。


 とはいえ国王もここへの立ち入りを基本禁じているものの、この場所には今も非正規に多くの人々が隠れ住んでいる。

 要はスラム街と化しているわけだ。


「こんな場所を指定してくるなんて、あの男は一体何を考えているのかしらねえ」


 ヴァンの指定してきた場所は、ボロボロに朽ち果てた教会の中。

 カテドラル王国では太陽神カテドラを信仰の対象としており、ここは旧カテドラ教会の跡地である。

 辺りは多くの瓦礫が転がり、崩れた柱が倒れ、剥き出した土からは雑草がそこかしこに生えた、まさに廃墟らしい廃墟であった。


「予定通りにきちんと来たな」


 私が周囲を警戒していると、折れた柱の影からヴァンが姿を現した。


「ええ。こんな怪し気なところにわざわざ呼び出してなんの用? しかもリアン様がちょうど就職活動で一日帰らない今日を狙って呼び出すなんて。もしかしてまた予知夢のことかしら?」


「……っ」


 ヴァンはほんの一瞬だけその表情を曇らせた。


「……いや、違う」


「あら、違うの? じゃあなによ? こんな殺風景な場所にレディを呼び出すなんて」


「その……なんだ、ルフェルミア。お前は悩みとか……あるのか?」


「は?」


「なんというか……人に言えない悩みとか、だ」


「そんなの腐るほどあるわよ。私がどんな稼業をしてきてるか、あなた知ってるでしょ」


「そ、そうか。そうだな」


 ……?


 何よコイツ、変なやつね。


「……もしかして、リアンと結婚するのは嫌か?」


「何よそれ。そんなの当然よ。別に好きでもなんでもない男と結婚なんてしたくないし」


「そうか。だが、リアンは優しいぞ」


「そういう問題じゃ……ってなんか変ね? あなた、やっぱりもしかして予知夢でなんか見たんじゃないの?」


「そ、その……お前がリアンとの結婚で……不本意のような態度で浮かない顔をしていたのを、予知夢で見た。ただそれだけ、だ」


「はあ。やっぱり見てるんじゃない。で、そんなことだけをわざわざ気にして言いに来たわけ?」


「いや、それだけじゃなくてだな、最近妙なことはなかったか、とも聞きたかった」


「なによ妙なことって」


「……エルフィーナ王女殿下に関すること、とかだ」


「ああ、あったわよ。リアン様とデートしてる最中に突然側近みたいな人たちを使って私たちを襲ってきたわ。返り討ちにしたけれど」


「デート……そうか、やはりな」


「なんであなたがそれ知ってるのよ?」


「俺が今、王家の近衛兵をやっているのは知っているだろう」


「ええ。でもあなたが護衛しているのは国王様か、かの聖人と名高いドラグス王太子殿下の方でしょう?」


 ヴァンはカテドラル王国の近衛兵師団長を務めている。

 カテドラル王家は現国王バルバドイと王妃マリーベルの間に三人の子供がいる。

 長男のドラグス・カテドラル王太子殿下、長女のサフィーナ王女殿下、そして次女のエルフィーナ王女殿下である。

 ヴァンが護衛として常に傍に付いているのはバルバドイ国王陛下かドラグス王太子殿下のどちらかであり、エルフィーナ王女殿下とは基本的にはあまり絡みはない。


「ああ。だが最近、王宮内でエルフィーナ王女殿下がちょくちょく俺のところに来るんだ。リアンのことについて聞きにな」


「そっか、それで知ったのね」


「で、先日こう言われた。リアンに変な魔女が付き纏っている。兄としてリアンから変な虫を引き離せってな」


「変な虫とは失礼しちゃうわね」


「リアンはエルフィーナ王女殿下の求愛を断ったのではなかったのか?」


「ええ、そうみたいだけれど、どうも王女殿下は納得していない……いえ、違うわね。解釈が捻じ曲がっていて伝わっていないという感じね」


「そうなのか。それで外でお前とリアンが二人でいるところを目撃されて問い詰められたんだな」


「そういうこと。このままじゃリアン様とはまともにデートひとつ出来やしないわ」


 私が溜め息混じりにそう言うと、


「……たい、のか?」


 ヴァンな少しだけ顔をしかめて小声で何か問い掛けてきた。


「え? なに? 聞こえないわ」


「だから……リ、リアンとその……デート、したい、のか? と、聞いてる」


「そりゃあねえ。リアン様は女性の扱いが上手だわよ。ちゃんとデートプランは事前に練ってくれているし、私の好きなものを言葉の端からすぐ読み取って準備してくれてるし、高級な観劇にも連れて行ってもらえたものね」


「……ほう」


「彼、顔もスタイルも抜群でしょ? 確かにアレは王女殿下もメロメロになるわけね」


「……ほう」


「だからまぁ、別に心配しないでもいいわよ。あなたの言う通り、ちゃんと彼との結婚式の日までは仲睦まじく過ごすつもりだから」


 と、こう言っておけばコイツ(ヴァン)も安心するだろうと、私はそう思った、のだけれど。


「……」


 ヴァンのやつはなんだか眉間にシワを寄せて奇妙な顔をして見せた。


「何よ? なんか言いたいことがあるんならはっきり言いなさいよ、気持ち悪いわね」


「……今でこそスラム街のようなこのベグラム地区だが、その昔は自然との調和を重んじた地区づくりを目指した、それは美しい場所だった、と聞く」


「ここ、ベグラム地区って言うのね。で、それがどうしたの?」


「俺が今からお前をいいところに連れて行ってやる。ちょっとついてこい」


「は? 何をやぶからぼうに……って、ちょ、ちょっと!?」


 私の言葉を遮るかのように、彼は突然私の手を握り、少し強引に私をその場から連れ出した。

 旧教会の廃屋から私をそのまま無言で連れ去る彼の背中を見て、何故だか奇妙な既視感を覚える。


 ――あ、これルミアだった頃の記憶。


 それは魔女王ルミアが初めてナーヴァに連れられて、愛を囁かれた時の光景だ。




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