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28話 感銘のオペラ

 目覚める前にリアン様には簡単な治癒魔法も気付け魔法と共にかけておいたので、彼の鼻血はすっかり止まっていた。血もちゃんと拭き取っておいてあげた。

 幸いリアン様は王女殿下がいたことには気付いていなかったので、黙っておくことにした。


 それから私とリアン様は気を取り直して彼に劇場へとエスコートされ、私たちはオペラを愉しんだ。

 流行りのオペラは本当によく出来ていて、ヴェルダース地方ではまず観ることなど叶わない、それはそれは素晴らしい劇であった。


 というかそもそも私はオペラを生まれて初めて見た。そんなものを見て楽しむという意味が、私の仕事において必要性がなかったからだ。


「とても良い劇だったろう? ルフェ」


「ええ、演者の方々の動きや歌声が本当に素晴らしかったですわ。ただ……」


「ん? 何か気になるところでもあった?」


「あ、いえ、なんでもないですわ」


 強いて言えばその内容に少し違和感。愛憎劇なのだが、ヒロインの愛した相手が浮気したことで、殺意に目覚めてしまいその相手の男を殺害してしまうところ。

 愛した相手を憎んで殺してしまう、という感情にどうしても同調できずに、私は顔をしかめてしまった。


 どうして愛した相手が他の女に浮気したくらいで殺害してしまうのだろう。

 愛していたはずなのに、殺意ってその程度のことで目覚めてしまうものかしら?


「あ、あの……リアン様。ひとつお聞きしてもよろしいですか?」


「ん? なんだい?」


「あの劇でヒロインが想い人を殺害しましたわよね。浮気というものは殺したくなるくらい、憎いのでしょうか?」


「ん? 変なことを聞くねルフェは。そんなの当たり前だよ。もしも僕が他の女性に気が向いていたらキミだって面白くないだろう?」


 実際はそんなことどうでも良いけれど、もし本当に私がリアン様を愛していたら、やはりそう思うのだろうか。

 ――わからない。


「そ、そうですわね。でも殺したくなるほどなのでしょうか」


「それはその愛の深さとかにもよるんじゃないかな。愛が深ければ深いほど裏切られた時の反動が大きい、という感じかな」


「でも、そんなことで殺してもお金になりませんのに、何か意味があるんでしょうか」


「ははは、お金って! ルフェは面白い冗談を言うなあ」


 ――割と本気だけれど。

 私の殺しをする基本条件は二つ。

 イルドレッド家から課せられる任務でそれをこなせと父から命じられた時と、我が一族の秘密裏の部分が露呈する可能性のある場合のみだ。

 つまり意味のない殺しはリスクばかりが大きくて無意味だから絶対にしないのである。

 とはいえ、こちらに被害が及びそうな緊急事態の時にはこの限りではないけれど。


「仮にですが私が他の男性と浮気をしたらリアン様は私を殺すのですか?」


「さすがにそんなことはしないと思うけど、どうだろう……。キミのことをもっともっと好きになって、とても愛が深くなってしまえばわからないよね」


 そう、なんだ。

 これが普通なのかしら。

 それともリアン様のこの異常さがいつか私を死に追いやる狂気だったり?

 どちらにせよ私には異性を愛する、という感覚が正直なところいまいち理解しきれていない。


 魔女王ルミアの記憶が蘇り、あの頃のルミアのナーヴァに対する深い愛情を思い出してはいる。

 けれど今の私はその生まれ変わりであるヴァンに対して愛情というものを持っているかというと、おそらく無い、と思う。


 こういう風に育ったのも私の家族が特殊な環境のせいだからだろうということは理解している。

 しかし本当に愛、というものがよくわからないのだ。


「なんだいルフェ? 妙に難しい顔をしているね」


「あ、す、すみませんリアン様。ちょっと愛についてよくわからなくなってしまって」


「なるほど、だいぶ劇の影響を受けてしまったんだね。でも大丈夫。僕とキミの間にある見えない絆がつまりは愛というだよ。キミは僕のことをちゃんと好きなんだろう?」


 見えない絆なんてものはない。

 もし万が一あるとしたらそれは、ヴァン・グレアンドルの見ている予知夢による死の制約ね。

 彼の言葉通りにしなければ私は死んでしまうというから、今もこうしているだけなのだから。


「……そうですわねリアン様。私はリアン様が大好きですもの」


「うん、それを聞けてよかった!」


 ズキン、と胸に小さな痛みを覚える。

 最近の私は少しおかしい。

 以前までは嘘偽りの言葉を並べてもなんの感情も抱かなかったのに、最近リアン様に対して好きや愛してるの言葉を偽って使うと酷く罪悪感に襲われる。


 ――前世の記憶が蘇ってからだ。


 ルミアが言えなかったことを私が嘘で安易に使っているからだろうか。


「さあ、だいぶ日も落ちてきた。そろそろ屋敷へ帰ろうルフェ」


「はい、リアン様」


 彼に手を握りしめられて、私は笑顔でそう返した。


 この偽りの仮面でリアン様と過ごすことに、微かな不安を覚えているのは、きっとただの気の迷いのはずよね。


 この私に限って不安なんてもの、あるはずがないもの。



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