19話 仮初の生活を満喫しよう
「やあ、おはようルフェ」
少し遅めの朝食を取ろうとダイニングに来ると、リアン様だけが席についていた。
「おはようございますわリアン様」
私はよしなに小さくカーテシーで挨拶をする。
「ふふ、相変わらずキミは清楚で可愛らしいね」
「まあ、嬉しい。リアン様こそ、相変わらず素敵な笑顔ですわ」
そう言って私も微笑む。
「そんな離れたところじゃなく、こちらの席へおいで」
私は彼に促され、彼の前の席についた。
「ルフェ、今日は少し遅かったね。ミゼリアお母様から解放されてだいぶゆっくり眠れるようになったのかな?」
「ええ、そんなところですわ」
リアン様と婚約関係になり一週間と数日が経った。
あれ以来、ミゼリアお義母様が私に何かをしてくることはなくなった。
それまでは毎朝、侍女たちと同じ早くに起きては廊下の雑巾掛けやトイレ掃除などをやれと命じられていた為、こんなにゆっくり朝を迎えることはほぼなかったのである。
おまけに私の部屋は屋敷の中でも三階の最奥の部屋だし、部屋数も多いこのグレアンドル邸でミゼリアお義母様と鉢合わすことはほとんどなかった。
おそらくあちらが意図的に避けているのだろうけど。
「よく眠れたかい?」
「ええ、おかげさまでぐっすり」
と言って私はにっこりと再び微笑んだが、実際はここ数日やや寝不足である。
原因は先日のヴァン・グレアンドルの言葉を聞いてからだ。
彼のこと、予知夢のこと、私の未来のこと。
一気に予定外のことが起き過ぎて私としたことが、かなり冷静さを欠いていた。ヴァンの前では完全に素の口調になってしまっていたし。
ちなみにケヴィンのことはドウェインお義父様に話をし、半ば強引にグレアンドル家で共に住み込む許諾をもらった。この屋敷内では私専属の執事ではあるが、基本はグレアンドル家での使用人扱いである。
「リアン様、ヴァン……いえ、ヴァン様やプリセラ様は?」
「ヴァン兄様は仕事へ行ったよ。プリセラも学院だね」
ヴァンは大王都カテドラル、王宮の近衛兵師団長だ。平日は基本的に朝から王宮へと赴き、主に王家の者たちの警護、警備にあたっている。
それにしてもあれ以来ヴァンは私に何も言ってこず、接触もしてこない。私としてはまだまだ気になることや聞きたいことがたくさんあるのだけれど。
プリセラはまだ14歳なので、大王都の定めた魔法学院へと通っている。
この国では8歳から16歳になるその年の終わりまで魔法学院へ通い、魔法や勉学について学ぶことが義務とされている為だ。
「リアン様はもう卒業式まで就職活動の為のお休みに入られたんでしたよね」
「うん、そうだよ。キミとの婚約が正式に決まったら、まずは卒業パーティでキミを披露し、無事卒業し就職先も完全に決まったらすぐにでもキミと籍を入れようと思っている。書面の手続き次第だけどそれから一ヶ月くらいで挙式を行ないたいな」
グレアンドル家はこの大王都の中央地区一帯を任されている領主で、いずれはドウェイン様が降りヴァンが爵位を引き継ぐだろうが、ドウェイン様はまだお若くしばらくは現役で頑張っている。
その為、ヴァンは近衛兵に志願した。
リアン様も兄に負けじと何かしらの職に就きたいと考えているようだ。筆頭公爵家ともなれば遊んでいても暮らせるというのに実に真面目である。
とはいえこの家の場合少し特殊だからなんとも言えないが。
「卒業パーティーで披露だなんて……私、なんだか恥ずかしいですわ」
その彼の卒業式まで残すところあと二ヶ月。
その約ひと月後に挙式をあげたいとリアン様は仰っている。ヴァンの予知夢から、その日まではひとまず私の命は保証されているという話だ。
「……何か不安でもあるのかい?」
私のわずかな表情にリアン様がすぐ気づいた。
きっと彼のこういうめざとさがいつか、私の裏の現場を目撃してしまうのだろうな。
「ええ。少し将来について」
「そうか、確かにこの家の者たちは少し変わっているし、なんて言ってもミゼリアお母様がアレだからね。けれど、不満は遠慮なく言ってくれ。僕はキミの為ならなんだってするんだからさ」
「まあ、嬉しいですわ。私、リアン様が婚約者になってくださって本当に嬉しいです」
「それは僕の方だよルフェ。キミをあんな無骨で馬鹿な兄様になんか二度とやるもんか」
無骨で馬鹿、か。
確かにヴァンのイメージは良くない。
私がこのお屋敷にやってくる前。初めて顔合わせした日もほとんど何も喋らなかったし、愛想もなかった。
仕事でなければ絶対に婚約者になろうなどと思わない。
でも彼は予知夢でたくさんの未来を見据えていたわけで、あんな何も考えていなさそうなのに、実は凄く私のことを考えて行動してきたわけで……。
そのうえ彼はナーヴァの生まれ変わりだ。
私は当時のルミアの想いがこの胸の中に強く刻まれている。
色々な感情が渦巻いて、正直ヴァンのことがわからなくなっていた。
「それよりルフェ。今日は一緒に外へ行かないか? ここ一週間以上ずっと屋敷にいたし、まだキミとまともにデートすらしていないからさ」
婚約破棄騒動から色々あって、リアン様とはお屋敷の中で話すことばかりが多く、確かに私と彼で出掛けたことは一度もない。
とはいえそれを望んだのは私だ。
そもそも私の目的はミゼリアの情報をリアン様から聞き取る為だったわけだから。
「まあ、それは嬉しいですわ。けれど、どこへ連れて行ってくださるのですか?」
「王宮の近くに流行りのデザート店ができたんだ。確か以前、キミは甘いケーキが好きだと言っていたから、ごちそうしてあげたくてね。それに素晴らしい観劇のチケットもあるんだ。どうかな?」
「まあ! ケーキは大好物ですわ。もちろん観劇も! ぜひ連れて行ってくださいリアン様」
「ふふ、喜んでくれてよかった。それじゃあ身支度を整えたら庭で落ち合おう。馬車は用意しておくからね」
「はい」
リアン様はそう言って、笑顔でダイニングから出て行った。
ケーキは好きだけれど、果たしてこんなことをしていていいのかしらね。というか、本当ならもうとっくにリアン様をこの手にかけていたはずだと言うのに、その対象と一緒にデートね。なんだか奇妙な感覚だわ。
まあでもガゼリアお父様からのミッション期限は五ヶ月あるし、ヴァンの予知夢による私の命の暫定リミットもまだ三ヶ月あるから、今は適当に遊んで過ごすのも悪くないか。
今日のところはたらふくケーキをごちそうになって、脳と身体を休めましょ。
……などとお気楽なことを考えていた私だったが、まさかこのデートが波乱の幕開けだとは思いもよらなかったのである。




