千年前のプロローグ
死ぬまでに一度でいいから婚約、結婚、というものを愛するパートナーとしてみたかった。
それが人間社会において『つがい』となる者たちの最高の幸せなのだと教えられたから。それをすることで生涯その相手と二人で寄り添い続けられることが確約される、らしい。
私もしてみたい。結婚を。
魔族の私がそんな人間の俗世のようなことを考えるようになったのも全部あの人間の男のせいだ。
「元気そうだな、ルミア。相変わらず、今日もまた一段とお前は綺麗だ」
ややぶっきらぼうな言葉使いとは裏腹に、私へと優しく微笑みかける声。
私を文字通り、攻め落としてきた男、ナーヴァ。
「今更改めて思うけれど、あなたも相当な物好きね。私のような魔族に恋するだなんて」
「愛に種族なんて関係ない。と、俺はつい最近気づいた。ルミアに出逢えたことで俺は魔族に対する偏見もなくなったしな」
「私も人間なんて傲慢でくだらない生き物ぐらいにしか思っていなかったわ。あなたに出逢うまでは、ね」
「ふふ、嬉しいな。俺がお前を変えたのだとしたら、俺はまさに英雄だ」
「あなたは間違いなく英雄よ。こんなにも強い男は魔族でもいなかったもの」
「強ければ誰でもいいのか?」
「意地悪な質問ね。……あなた以外いいわけないでしょう?」
「俺もだルミア。俺はキミを死ぬほど愛している。世界で一番愛している」
「は、恥ずかしいわよ……よくそんな面と向かってはっきり言い切れるわね……」
「ルミア、お前は違うのか?」
「違くない、けれど……っん」
言われながら身体を強く抱きしめられ、少し強引に唇を奪われた。
それがとても、とても嬉しくて、気分が高揚して、身体中が蕩けそうになる。
唇なんかを重ねる行為がこんなにも素敵だなんて、以前までの私なら考えもしなかった。こんなことをする人間たちは、実におぞましい行為をする下等生物だとしか思えなかった。
今では彼からこうされるのを待っている自分がいる。
とても幸せな時間。
「愛している、ルミア」
「……わ、私、も……その」
けれど、私にはどうしてもその一言が言えなかった。
ナーヴァに、彼にたった一言、「好き」や「愛してる」の言葉がどうしても伝えられなかった。
長年魔族として生きたプライドなのか、他者への気持ちを伝えるということが異様に恥ずかしくてできなかったのだ。
「大丈夫。お前の気持ちはもう十分にわかっている」
想いを口に出せないけれど、私の気持ちはきちんと彼に届いている。
けれど幸せな日々の中で私はどうしても彼への想いを直接彼に言葉で伝えられずにいた。
「なあルミア。万が一、俺がお前以外の女に惚れたらどうする?」
「そんなことしたらあなたを殺して私も死ぬわ」
「まあ、ありえないがな」
「じゃあ反対に私が他の男に気持ちが移ろいだりしたら、どうするのよ?」
「絶望して、自死を選ぶ」
「ぷ、馬鹿な人。まあ、もし私も自分でそんな馬鹿なことしたら、自分で自分を呪い殺すわ」
「それほどに俺だけにひと筋だと言いたいんだな?」
「……そうよ、馬鹿」
そんな風に想いを回りくどく話すばかりで、結局私は一度も彼に「好き」のひと言が言えずにいた。
でもきっといつか、私も言えるわよね。
ナーヴァに、彼に「好きだ」って、「愛してる」って、直接。
いつかは――。
彼との甘い日々が私の勇気をいつまでも鈍らせた。
――けれどそれは叶うことはなく。
月日は過ぎ。
「ルミア……これでお別れだ」
ついにはこんな日が来てしまった。
「次は……必ず間違えない。俺は必ず俺の見た夢を叶える」
私は溢れる涙を抑えきれずに、彼の言葉に頷いた。
どうして最後の最後まで言えないの。
もうこれで終わりだと言うのに。
次の保証なんてないと言うのに!
私の願いは叶うことなく、死が私たちを分かち、そうして世界は闇に包まれた。