悪役令嬢ハルブンデは王様ゲームがお好き
学園の新学期の始まったその日、6人の貴族子女たちがクリスタル宮殿に集められていた。
このクリスタル宮殿は、かつては王族の離宮として利用されていたこともあり、宮殿中に高価な宝石や水晶をちりばめて作られた国内随一の美しさを誇る御殿である。
この宮殿は数十年前、稀代の美姫と謳われていた先代王の姫が輿入れのため臣下に下った際に、嫁入り道具のひとつとして公爵家に下賜されたものであり、公爵家の管轄となっている現在もその美しさに陰りはない。
貴族たちは皆、この宮殿を一目見る誉れを得ようと、公爵家の茶会に呼ばれる機会を今か今かと伺っているのだと聞く。
しかし、この日のクリスタル宮殿の招待客たちの顔色は、みな例外なく青ざめて憔悴しきっていた。折角の美しい宮殿を見回す者はなく、大きな茶会机に静かに座ったまま口を開く者もない。
そんな重苦しい空気を破るように溌剌とした声を上げたのは、この茶会の主催者である公爵令嬢ハルブンデだった。
彼女は母親譲りの美しい黄金の髪を揺らしながら、大将軍である父親に似た鋭い眼光で招待客達を射抜きながら揚言する。
「それでは皆様、これより王様ゲームのスタートですわ!!!」
―――――なぜこんなことになってしまったのか。時間は数時間前に遡る。
新学期を迎え、最終学年となった子爵令嬢マリミーラは、新しく割り当てられたばかりのはずのロッカーに自分宛の手紙が入っていることに困惑し、硬直していた。
「あれー?マリミーラもしかして、またラブレターもらったの?」
「おはようアビ。それが……ちょっと不気味な感じがして、まだ手に取ってもないの」
「不気味ぃ?マリミーラは可愛いから話したこともない相手から手紙をもらうことぐらいよくあることでしょ?」
「そうじゃなくて、わたしたちクラス発表がされてすぐにここに来たはずでしょう?この手紙の主はいつどうやってわたしの新しいロッカーに手紙を入れたのかしら?」
「た、確かに変ね……」
男爵令嬢のアビはいつもの快活さはそのままに不思議そうに頭をひねっている。
「ふたりともおはよう。マリミーラはまた手紙をもらったの?……ん?」
「レインおはよう、また同じクラスで嬉しいわ!って……どうしたのレイン?」
「……マリミーラ。多分だけど、私のロッカーにも全く同じ手紙が入っているみたい」
「ええええ!?」
「……ねぇレイン、マリミーラ。アタシのロッカーにも入ってるっぽい……」
「アビも!?」
3人は呆然と立ち尽くしながら、手紙の裏の封蝋に押された印を確認し合う。そこには紛れもなく、クリスタル宮殿での茶会の招待を意味する柘榴と水晶をかたどった公爵家の印が押されていた。
「なんでなんでなんで!?私たち、あの″悪女”の気に障るようなことした!?」
「絶対にしてない。してるわけない!だって、すごく気を付けていたのに……!」
「2人とも落ち着いて。なにかの勘違いかもしれないでしょう?まずは手紙を開けてみましょう」
手紙を入れられたのが自分たちだけだということを確認すると、3人は始業の鐘が鳴るのも構わず東棟の最上階にある談話室まで駆け込んだ。ここなら利用者はほとんどいないので、密談にはピッタリだ。
手紙をもらったことを知られるのも恥と言わんばかりに懐深くに隠していた手紙を恐る恐る取り出すと、3人は宛名以外が同じ文言で書かれた手紙を同時に読み始めた。
―――――――――――――――――――――――
招待状
本日正午、クリスタル宮殿にて
公爵令嬢ハルブンデの主催する茶会を開催する。
この茶会は、運命の女神の名のもとに行われ
参加者には女神の加護が与えられる
栄誉ある集会である。
不参加となる場合は
運命の女神に背いたと判断され、
著しい加護の減退を起こすケースがあると
報告を受けている。
不参加者には後日
被害を最小限にするための護符を送付するが、
あらゆる不運の来訪
原因不明の体調不良の長期化
逃げようのない天災等
護符の到着までに災いにみまわれる可能性が
非常に高いため
可能な限り、参加を推奨するものとする。
以上
―――――――――――――――――――――――
「いやいやいやいや、なにこれなにこれ!怖いよ!!ほぼ脅しじゃん!」
「著しい加護の減退だなんて、なんて恐ろしいんでしょう。護符がいつ来るかも分からないのに……」
「それなのに本日って……招待者はなにを考えているのかしら」
3人同時に溜息が出た。こんな非常識な招待状であっても、運命の女神の名前と公爵家という格上貴族の名前を上げられてしまえば、彼女たちにあらがう術などあるはずもない。
「どうしてわたしたちが標的になってしまったのかしら」
「さぁ……悪女の考えることなんてアタシには分かんないよ」
「同級生達をおもちゃにするのに飽きて上級生である私たちを標的にすることにしたのかしら?」
もっぱらの悪女と噂の手紙の送り主であるハルブンデは、マリミーラたちのひとつ下の学年に在籍する公爵令嬢である。
元王族の母と大将軍の父の間に生まれて好き放題に育てられ、人を喰ったような態度で他人を嬲り、周囲の人間関係をハチャメチャに壊す彼女の悪行は他学年にも轟いていたが、まさかその魔の手が上級生である自分たちにも届く日が来るとは考えてもみなかった。
その恵まれた容姿は男を狂わせ、何件もの婚約を破談にさせたと聞く。そんな彼女の標的になりたくないと、みな彼女と目を合わせないよう最大限の警戒をして過ごしてきたというのに、どうしてこんなことになってしまったのか。その理由に思い当たる節がないことが、彼女たちの恐怖心を一層煽っていた。
「もしかして、テオドア様の件ではありませんか?」
「ま、まさか!?」
マリミーラの疑念に過剰なほどの反応をしたのはレインだ。
伯爵令息のテオドアはレインの幼馴染である。しかし、彼とレインは子供の頃に喧嘩別れして以来、もう何年も口すらきいていない間柄だった。
それなのに先日、突然彼の家から婚約の打診があったのだ。
レインにとって同格のテオドアは申し分のない結婚相手だと言える。しかし、事業も領地経営も順調な両家にとって特段のメリットもない結婚を内示すら無く唐突に打診してきたことが、レインには不気味でならなかった。
「テオドアが嫌がらせを?それとも、なにかの当てつけ?なんのために……?」
「彼、騎士コースの主席だし、見た目も悪くないし、悪女の目に留まったんじゃない?」
「決めつけは良くないわ。わたしやアビは恋人どころか婚約者候補すらいないんだもの、関係ない可能性だって高いわ」
「でもマリミーラは好きな人いるじゃない」
「それはその……」
そう言って口ごもるマリミーラの白うさぎのような真っ白な頬はあっという間に真っ赤に染まってしまう。いつもはこうやって彼女をからかって女子会トークが盛り上がるところなのだが、今日はさすがにそんな気になれそうにない。
「とにかく行くしか選択肢がないんだもの。覚悟を決めていきましょう」
「ええ、そうね」
3人はそのまま授業をボイコットして、茶会へ参加するための入念な準備にとりかかった。
―――――
「げっ!」
正午前に水晶宮に着いた3人が茶会の行われるサンルームに着くと、男子生徒が既にひとり到着していた。
招待客同士まずは挨拶をと思ったのだが、振り返った男子生徒が思いがけない人物であったことに、つい驚きの声をあげてしまったのはアビだ。
「げっ!!……っとは失礼だなぁ。そんな風に言われるほど、オレ達面識があったかな、男爵令嬢のアビ嬢?」
「いえ、その……あはは、男爵令息のシャノーウィム様がいらっしゃるとは思いもしなかったものですから、えっと、お気になさらず」
「へぇ〜、ふ〜ん?オレの名前を貴女が知ってるとはまさかまさか、思わなかったな〜?」
「うげげっ……しまった」
盛大に墓穴を掘ってしまい、アビは顔を青くした。けれど、そんなことは気にも留めないという様子で茶色の長髪を掻き上げるシャノーウィムの態度は、アビを苛立たせた。
(同じ男爵家なのに、どうしてコイツは私と違っていつも余裕癪癪なの?腹立つ〜!)
この国の男爵位は、名誉を得た平民に与えられる称号であり、永代貴族というわけではない。
アビの家もシャノーウィムの家も、3代に渡って与えられてきた男爵の称号が現当主までで消失することがすでに決まっていた。
男爵家が今後も貴族であり続けるためには、次期当主となる者が貴族同士で結婚をする必要がある。
アビもこの学園に入学する際に「何がなんでも貴族の婚約者を見つけて来い!!!」と商家を営む両親から口を酸っぱくして言われていた。
商家にとって貴族の肩書きが重要だということはアビも十分に理解していた。
しかし、元気いっぱいわんぱくに育ったアビは、品の良い貴族の令息達からは疎まれがちであり、正直に言って、かなり苦戦していた。
アビがシャノーウィムを見て「げっ!」と言ってしまったのは、なかなか彼氏を連れて来ないアビにしびれを切らした両親が「あの男爵家の令息なら思惑も一致するだろうし、お前でもギリ落とせるはず!」と際どいことを言い始めたからに他ならない。
(とはいえ、あっちはかなり平民の女の子と遊んでるみたいだし……そんな中こっちから近づくなんて、そんな下心バレバレの情けないこと絶対に嫌だから避けてたのに……!!!)
「はぁ……」
「あははっ、そんな風に嫌な顔しないでよう~。なにも取って喰ったりしないからさ!ね?」
明るく言ってのけるシャノーウィムのチャラさは、日々使命に苦しんでいるアビにとって不快でしかなかった。そして、彼女の苦労を知るマリミーラとレインから見ても、この2人の相性が良いとは到底思えなかった。
「遅れてすまない」
「きゃ!」
そう言って入って来たのは、2人の男子生徒と茶会の主催者であるハルブンデだった。
男子生徒の一人はやはりと言うべきか、レインに婚約を打診してきた伯爵令息テオドアだ。
クリスタル宮殿の華やかさなど目にも入らないとでも言わんばかりの、堅物と一目でわかる面持ちの彼は、一度だけその瞳にレインを捕えたものの、眉ひとつ動かすことなく指定された席についた。
(は?なんなのこいつ。婚約を打診して来てから初めて会うっていうのに無視?スカした顔しちゃって、声ぐらいかけたらどうなの?)
テオドアのありふれた態度すらも、レインの神経を逆撫でした。
そしてもう一人。グレーのさらりとした髪に、眼鏡越しでも分かる鋭い眼光のこの青年こそ、マリミーラの長年の想いの人、子爵令息マキナであった。
そんな想い人が悪女ハルブンデと共にやって来たのは偶然だろうか。
例えそうであったとしても、麗しの公爵令嬢と彼が連れ立って歩く様を見せられたマリミーラの心は、否が応でもザワザワと不穏に疼いた。
「皆様、急な呼び立てにもかかわらずこうして集まってくださり感謝いたします。わたくしがこのクリスタル宮殿の主、公爵令嬢のハルブンデですわ」
ハルブンデは茶会の主催者に相応しい赤と黒のドレスを着ていた。こんな派手なドレスを着こなせるのは、きっと学園中探しても彼女しかいないだろう。
そんな彼女の豪奢な雰囲気と、宮殿のクリスタルに残響するほどによく通る高圧的な声に、出席者たちは彼女が年下であることなど忘れ、自然と上位者に対する礼の姿勢をとった。
「後輩に礼などしたくもないでしょう、楽にしてくださいませ。今日は急な招集のお詫びとして無礼講で構いませんわ」
((((((いやいやいやいや、そんなわけにいくかい!!!))))))
六者六様の面持ちで礼の姿勢をとっていた招待客たちであったが、この時ばかりは同じ心持ちであった。
悪女ハルブンデの噂は男性陣にも当然知れ渡っている。こうして無礼講などと言って油断をさせて、後から不敬罪と言われるのは目に見えていた。
「うふふふふ、そんなに硬くならないでくださいませ。今日の会合はわたくしが加護を受けている運命の女神メーラ様のお導きによるものです。単に交流を目的とするものですから、難しく考える必要はありません」
「難しく考えるなって言われてもねぇ~」という男爵令息シャノーウィムのつぶやきは向かいの席に座るアビにしか聞こえなかったようだが、シャノーウィムがこれ以上余計な口を開かないよう、アビは机の下でこっそりと彼の脛を蹴飛ばした。
「とはいえ、初対面の者同士では会話も難しいでしょうから、わたくし、よいゲームを考えて参りましたの」
「……ゲームですか?」
「えぇ、古い文献に残されていた深い交流が期待できるという伝統的な方法ですの」
「はぁ……」
「まぁ、ものは試しというヤツですわ。さっそくはじめましょう。というわけで……ごほん」
ハルブンデは重大な発表でもするかのように、姿勢を正し、喉を鳴らした。
その様子に、何かとてつもないものが始まってしまう予感を察知して顔を見合わせあった面々だったが、当然彼女を止められるものなど一人もいない。
冷汗を垂らしながらも彼女にならって姿勢を正し、断頭台の上に立ったような気持になりながら続く言葉を待った。
「それでは皆様、これより王様ゲームのスタートですわ!!!」
こうして冒頭の状況に至ったわけである。
ーーーーー
「と、いうのがおおまかなルールですわ。なにか質問のある方は?」
「あの……クジを引くのは分かりましたが、その命令というのは誰がするのでしょうか」
「もちろん、わたくしが全て行いますわ」
「……つまりこれは、私たちのうち無作為に選ばれた者が、ハルブンデ様のお願いを聞いていくゲームという認識でよろしいでしょうか?」
「その認識でよろしいですわ」
((((((ま、マジか……))))))
悪女の噂話は散々聞いてはいたが、初手からすごいのが来た。評判通りの彼女の横暴さが自分に牙を剥いたことを理解した面々は一様に言葉を失った。
しかし、動揺による沈黙を都合よく賛同と解釈したハルブンデは、さっそくクジの入った箱を引かせるよう下男に指示を出したのだった。
「クジを引きましたね?では最初の王様からの命令をいたしましょう。うっふふ、みなさんそう緊張しないで下さいませ。最初は皆さんの緊張を解くような命令がよろしいかしら、そうね……」
命令はその場でハルブンデが考えるらしい。彼女が心底楽しそうな面持ちで最初の命令を決めるのを、一同は固唾を飲んで見守っていた。
「1番と2番がストレッチをするのはいかがでしょうか。心の緊張をほぐすにはまずは体からといいますものね」
「そ、そんな命令でよろしいのですか!?」
てっきりとんでもない命令が飛んでくると思っていたので肩透かしを食らった気分だったが、命令が軽いに越したことはない。
「私、1番です」
「アタシが6番だわ」
手を挙げたのはレインとアビだ。
「では1番と6番で体をほぐし合いましょう。わたくしが海外から呼び寄せた専属按摩師によると、二の腕を揉み合うことで血流の促進だけでなく、美容効果もあるのだそうですわ」
「へぇ、知りませんでした。ハルブンデ様はさすが、美の最先端を行くお方ですわね」
「折角ですから、ぜひやってみましょう」
美の話題というのは、女性の茶会ではかなり一般的な定番の話題だ。誰でも参加しやすく、興味を持ちやすい話をハルブンデが持ち掛けてきたことで、ようやく茶会らしい雰囲気になってきた。
しかし、なごやかな雰囲気はストレッチが始まるまでだった。
「あらアビ、長期休暇の間に少し太ったんじゃなくて?前よりもちもちじゃない」
「レインは相変わらず、筋肉質なのにほっそりしててすべすべよね」
「あ、ちょっと、こしょぐったいほぐし方しないで頂戴、ふふふっ」
2人は楽しそうにマッサージをしあっているが、男性陣は気まずそうに目を背けている。マキナなどは口に手を当てって顔を赤らめている。
『二の腕と胸部は同じ柔らからしい』という噂話は、男子生徒の間でまことしやかに語られている都市伝説のひとつだ。
品格を求められる貴族の令息達は、年相応の下品な話をすることを許されていない。
しかしこの都市伝説は、彼らの貴族としての面子をギリギリ保ちつつ、異性に対するあくなき好奇心を最大限にくすぐる絶妙な話題として、爆発的に貴族令息たちに広がっていた。
当然、今日参加している男性陣もこの噂話は耳に入っており、目の前で繰り広げられる桃色の光景に目を白黒させてしまうのは仕方のないことであった。
(2人とも……女性には分からない方法で男性方から辱めをうけるだなんて、なんて羨ましい……じゃなくて恐ろしい……。ハルブンデ様は噂をご存じなかったのかしら?)
噂を知っていたマリミーラだったが、2人に事実を伝えることも出来ず、頭を抱えるしかなかった。 ちなみに、マリミーラがそうした噂に聡いのは、秘密裏にではあるが、彼女がそうした情報を積極的に集めている人間だからである。
ちらりとハルブンデを覗き見ると、大きな扇を口元に当てているものの、大きな瞳がニタリと歪んだのが見えてしまった。
ゾッ……
(ハルブンデ公爵令嬢……なんて恐ろしい方なのでしょう……!!!)
ストレッチで緊張を解いたレインとアビとは対照的に、マリミーラは彼女に対して警戒心を解いてはならないと改めて自分を戒めた。
「では次の王様の命令に行きますわ。4番の方、自己紹介をお願いします。5番の方はそれを聞いて4番の人にあだ名をつけてくださいませ」
「あだ名ですか?」
「えぇ、5番の方が付けたあだ名を、皆で呼び合うのです」
「それは良い考えですわ。呼び方から親しくなることもありますものね」
「4番は……マキナ様ですわね。5番はテオドア様でしたか」
「ではさっそく自己紹介をさせていただきましょう」
ゴホリと咳ばらいをして立ち上がったマキナは、唐突な指名とは思えないほど落ち着き払った様子でよどみなく自己紹介を始めた。
「お初にお目にかかる方もいらっしゃるでしょうか。私はロメイン領主が三男、マキナと申します。年は皆様と同じ17歳。趣味は読書、特技は古代文字の読解で、古代文明研究クラブの部長を務めております」
「へぇ~あのあっやしい部室のとこ?」
「はい、あのいかにも怪しい部ですね」
皆が好奇の目でマキナを見たが、部活動をしていないマリミーラは「あの部室」というのが分からない。そんなマリミーラにも分かるよう、ハルブンデは彼に説明を促した。
「古代文明研究クラブは多くの石板の解読に成功している一方で、恐ろしい研究をしているのではないかと専らのウワサなのですわ」
「いえ、決してそんなことはないのですよ」
「わたくし常々気になっていたのです。あの入り口の両側に立つたくさんの顔の並んだポールは一体何ですの?」
「あぁ、あれは大陸の南西に浮かぶ文明から切り離された島の伝統的な魔除け、トーテムポールです。部室内では天井高が足らず仕方なくあそこに立ててあるのですが、皆さんの反応を見るに、どうやら本当に魔除けとして役立っていたようですね」
「確かにねぇ、アタシもおどろおどろしくて近づこうって気にすらならなかったよ」
「部室内には状態の悪い品も多くありますから、近づかなくて正解ですよ」
そう言って誇らしげに部の保有する貴重な石板について解説を始めるマキナの表情は堅いままだが、かなり饒舌になっているあたり、これが彼の素なのだろうとマリミーラは彼を分析した。
彼の事はもう何年もいいなと思っていただけあって、変わった部活に所属していることも知っていた。しかし、いつもは遠くから眺めるばかりであったので、こんな風に直接彼の口から関心のある事柄について語ってもらえるとは思ってもみなかった。
(彼の知らないことを知れて、ちょっと嬉しいかも……ぐふふっ)
先ほど油断してはならないと肝に銘じたばかりだというのに、マリミーラの脳みそからあっさりと警戒心が吹き飛んでいった。……マリミーラはちょっとだけアホな女の子だった。
「ではテオドア様、マキナ様にあだ名を」
「そうですね……」
テオドアは隆々の筋肉を縮めるように考える姿勢をとってマキナを見つめ始めた。そして、30秒ほど真剣に考えたあとで、ようやく重い口を開いた。
「……ヘンテコ魔除け男」
「却下でお願いします」
「では、石板大好きマッキーくんで」
「それも却下で」
「変態メガネ野郎」
「おいコラ、誰が変態ですか!」
「印象だよ、印象」
「どんな印象ですか!折角自己紹介したんですから、話の内容から考えて下さいよ!」
「ならトーテムポール部長とか?」
「ブッ……」
なんとか笑いを堪えていた女性陣だったが、耐えきれずにアビが噴き出した。ちなみにシャノーウィムは一案目から爆笑している。
「……真面目に考える気あります?私、今から皆さんにもそのあだ名で呼ばれなきゃならないんですが?」
「いいじゃんいいじゃ~ん?トーテムポール部長くんで!オレ気に入っちゃった」
「いいわけなくないですか?ほら、サボってないで他の案どんどん出してください!」
「え、面倒くさいな。もう略してポール部長で良くない?」
「面倒くさがらないでくださいよ……」
マキナとしても今までの案の中では一番まともだと判断したようで、それ以上抵抗しなかった。おそらく、これ以上マシなあだ名がテオドアから出てくることはないと踏んだのだろう。
「では、ポール部長ということで、わたくし達も今日は彼をそう呼ぶことにいたしましょう」
「はい、そういたしましょう」
「よろしくね~、ポール部長くん!」
「お前に呼ばれるのはなんか癪なので却下だ」
「え~そんなぁ、ひどいよう~」
シャノーウィムとマキナとテオドアは元々知り合いというわけではなさそうだったが、どうやら意外と馬が合うのかもしれない。
シャノーウィムやテオドアが自然体で話しかけることで、お堅いマキナの印象がかなり変わったようにマリミーラは感じていた。好きな人の色々な表情を見られるのは嬉しい。
シャノーウィムの事は正直あまり関わりたくない相手だと思っていたが、今では「もっといけいけー!絡め―!」と彼の不躾さをありがたくすら思い始めていた。
「では次。次も、茶会の間中効力を持つものがよさそうですわね……では、2番は3番が決めた語尾を付けて今後の会話をすることにいたしましょう」
「3番はオレだよん」
「ではシャノーウィム殿、適当に語尾を決めて下さいませ」
「う~ん、そうだなぁ……無難に″ごわす”とかでどうかな?」
「うそ……」
そう言って震えるように2番の札を掲げたのはマリミーラである。
「アハハハ、これは愉快ですわ。ではマリミーラ様は以降、語尾にごわすと付けて下さいませ」
「うぅ……分かったで、ごわす」
「ごめんねぇ、マリミーラちゃん。2番がマリミーラちゃんって分かってたら、もう少し可愛いのを考えたんだけど」
「いえいえ、気にしないで下さいませ、こういうのはノリと勢いが大事でごわすから!」
「ブフォッ……!」
ゲラのアビはツボに入ったようで、真っ赤になって膝を叩いて笑っている。そんなに笑わなくてもいいのにと思い、マリミーラはアビを小突いたが、アビは全く聞いちゃいない。
マキナに変に思われないだろうかと彼の方を見たが、彼は彼で「初対面の女性をちゃん付けで呼ぶな」とシャノーウィムをこっそり叱っているのが見えた。
(ポール部長様……なんて優しいの……!!惚れなおしちゃいそう。わたしは呼ばれ方なんて気にしないけれど、礼節を重んじる貴族の鏡ですわ、素敵……で、ごわす)
マリミーラは単純な脳みその女の子であった。
「では次の命令にいたしましょう……そろそろペアでの命令を考えてみましょうか」
「まぁ、それはいいですわね、でごわす!!」
「そうですね……6番が4番に。5番が1番に、それぞれ目を見つめながら愛してると言うのはどうでしょうか」
「そ、そのような破廉恥なことを言うのですか!?」
「あくまでもゲームですから、気楽に言っていただいて大丈夫ですわ」
「5番はオレだよ~」
「1番は私、マキナです」
「私が6番なのだけど……1番はもしかして…………」
「オレが相手だ、レイン」
婚約者候補であるテオドアがレインのペアになってしまったことで、レインは危うく悲鳴を上げそうになった。しかし、さすが中位貴族だけあって気合いで耐えぬいた。
とはいえ、自分からそんな恥ずかしい言葉を言う羽目になってしまったことに、レインは内心焦り倒していた。
「おや、そちらは男性同士ですか」
「サクッとやっとこうかポールくん、愛してるよ……CHU!」
「おい……投げキッスは命令にないぞ。そんな物騒なものを投げつけて来るな」
「いやん♡照れちゃって!」
「照れるわけあるか」
「では私もサクッと……」
レインは平静を装って席を立つと、優雅にテオドアの前に歩み出た。
(わ……この目線の高さ、久しぶりだ……)
テオドアは今や2m近い高身長の大男だ。けれどかつて、まだ2人が親しかった頃、こんな風に同じ目線の高さで接していたことを、うっかり思い出してしまった。
今でも貴族女性にしてはしっかりとした筋肉に、すらりとした長い手足を持ってはいるが、あのころのレインは男の子のようにやんちゃでたくましかった。
テオドアとも同じ袋に入ったジャガイモのように泥だらけで揉みくちゃになって毎日遊んでいた。
(私たち、どうしてこんなに話さなくなったんだっけ……)
そんなことを考えながら何年かぶりに彼と視線を合わせる。
(あ、私……彼に、愛してるって言われたことがあったわ……)
すっかり忘れていた、というより考えないようにしていた。けれど、こうして目を合わせると、嫌でも思い出してしまう。
ただの仲のいい男友達だと思っていた相手が、自分に好意を持っていたこと。それを友情の裏切りのように感じてしまって、彼の言葉に返事もせずにレインの方から彼の元を去ったことを。
「愛してるわ」
貴族として平静を装うことには慣れていた。けれど、かつての彼の愛の言葉に、ゲームとはいえ数十年ぶりに返答を返すことになってしまい、レインの心の中を何とも言えない感情が渦巻いた。
「俺も愛している」
「は?」
ヒューっと口笛を吹いて囃し立てたのはシャノーウィムだっただろうか、いや、アビかもしれない。テオドアのバクダン発言に皆がドッと湧いたが、レインは完全に硬直していた。
「あ、貴方は言う必要ないんじゃなくて?」
「そうか」
テオドアはそう言いながら、散々貫いてきた仏頂面を解いてふわりと笑った。
(!?!?!?!?)
「砂糖を一粒入れてくれ」ぐらいのテンションで告げられた「俺も愛している」の言葉にも動揺したが、幼少期を含めて一度も見たことがないような笑みを向けられて、レインは危うく失神しかけた。
なぜ彼まで言う必要があったのか?彼はバカなのか?仏頂面のままの彼は何を考えているのかさっぱり分からないが、笑っている彼のことはもっと分からない。
(そういえば、あの時もこんな無表情のまま私に告白してきたわよね。あれもまさかゲームだったとか?……まさか罰ゲーム!?だからネタバラシに嘲笑っているの???)
胸中大忙しなレインの心境などお構いなしに、話題は次の命令に移っていった。
ハルブンデはペアでイチャつかせる命令を気に入ったようで、その後しばらくは恥ずかしさに耐える時間が続いた。
シャノーウィムとアビは鼻と鼻をくっつけるいわゆる鼻キスをする羽目になってしまった。(しかし、2人ともゲラなので、鼻息を押し殺してヒーヒー笑いながら命令をこなしたため、残念ながら甘い雰囲気になることはなかった)
マキナとマリミーラにはお互いの手を取りあいながら、お互いのことを一分間褒め合う命令が下された(しかし、マリミーラの語尾がごわすなので、残念ながら甘い雰囲気になることはなかった)
「さて、次は……」
「おい、ハルブンデ!一体何をやっているんだ!!!」
「で……殿下!!!」
クリスタル宮殿のサンルームの扉が荒々しく開いて茶会に乗り込んできたのは、この国の第一王子であるパトリック王子であった。
6人は慌てて最上位の礼をとったが、パトリックは美しい眉を吊り上げ、掴みかからんばかりの勢いで一目散にハルブンデのもとに詰め寄った。
「殿下、騒々しいですわ。折角わたくしの茶会が盛り上がっておりましたのに……」
「盛り上がっていたのはお前だけだろう!」
「嫌ですわ、今日は本当にいい感じでしたのよ。殿下が台無しにしてしまいましたが」
「う……それは、すまないと思っているが……」
ものすごい剣幕で入ってきたパトリックだったが、ハルブンデの迷惑そうなひと声で、あっさり毒気を抜かれてしまった。
パトリック王子もまたハルブンデと同じひと学年下の生徒であるため、招待客の中に面識のある者はいない。けれど、この数秒のやりとりだけで、彼がなかなかの苦労人であることを全員が察知した。
「……今日は誰を標的にしたのかと思えば、先輩方ではないか。迷惑をかけてはいけないだろう」
「運命の女神様の御意思ですもの、仕方がありませんわ」
「なぁハルブンデ、僕は心配なんだ。君の悪評が日々高まっていることが……」
「あら、そのようなことを気にしておりましたの?」
「君は恨みを買いすぎだ。いつか糾弾され、断罪されてしまうんじゃないかと僕は気が気じゃないんだ」
この部屋に入って来たパトリック王子の口ぶりは厳しいものだったが、それは心から彼女を心配しているが故のもののようだ。これだけの心配ぶりを見るに、彼らの関係性は公表されていないだけでかなり親しいものなのだろう。
「殿下、確かにこれまではわたくしにマズい部分もありましたわ。けれど、今日は反省を生かして良い茶会にしようと頑張っていたのです、信じてくださいませ」
「本当に?」
「本当ですわ。ねぇ、マリミーラ様」
「ええええ!わ、わたしですか!?」
急に話題を振られ、完全に油断していたマリミーラは素で驚きの声を上げてしまった。しかし、王子に答えを求めるような視線を向けられてしまっては、なんとかして答えるしかない。
マリミーラは泣きそうになりながらも、今日の茶会のことを必死に言葉にしはじめた。
「えっと……これまでのハルブンデ様の茶会のことは存じませんが……今日はその、とても楽しくて、時間があっという間に過ぎていくようでしたわ。こちらのレインとアビとは以前以上に仲良くなれた気がいたしますし、テオドア様は案外ノリの良い方だなとか、マキナ様は頭脳明晰なのにツッコミも上手なのだな、自分もツッコんでもらいたいな、とか、シャノーウィム様はチャラいな、とか……」
「マリミーラちゃん、俺だけ扱いひどくね?」
「ハルブンデ様には多くの場面で気をまわしていただき、緊張を解くことができました。このような楽しい茶会に呼んでいただけたことを今ではとても感謝しておりますわ……でごわす」
「ふーん……「今では」ね」
失言にようやく気付いたマリミーラだったが、ハルブンデの口角は見たことがないほど上向いており、機嫌が良いことが一目で見て取れた。よかった、ひとまずパトリックの心配は杞憂だと証言できたようだ。
「そんなに心配なら殿下も王様ゲームに参加してはいかがですか?」
「おい!また王様ゲームをしていたのか!?あれは以前、お前とポッキーゲームをした令息が婚約破棄をしてお前のストーカーと化した際に禁止したではないか!」
「殿下の進言をうけて、命令は全て私がするようにルールを改定したのです。それなら問題はないでしょう」
「問題大アリだ!!!」
なるほど。なぜ王様もクジで決めないのかと最初は困惑したが、それはハルブンデの横暴などではなく、こうした背景があってのことだったのか。
マリミーラとしても、マキナがハルブンデと一緒に登場しただけで心をかき乱されてしまったのだ。ポッキーゲームをするところなど見せられてしまったら、泣く自信がある。うん、絶対に泣くわ。
「では殿下が命令をすれば問題はないでしょう。ね?みなさん」
「はい、もちろんでございます」
「え?いや、俺は……」
動揺するパトリックをよそに、パチリと指をはじいたハルブンデの合図で下男がもう一つ椅子を運んできた。クジが一本足されることはなかったので、どうやらハルブンデは観客に回るらしい。
「では殿下、場を盛り下げた責任をとって、一発ドッとウケるような命令を下してくださいませ」
「ハルブンデ、あまり無茶を言わないでくれ。そうだな……最初は無難な命令が良いだろうか……」
急な無茶ぶりだったが、きちんと対応しようとするあたり、パトリックは人が良い。しかも、ハルブンデに振り回され慣れている。
「では、2番と5番は受けた女神の守護について教えてもらうというのはどうだろうか」
「あら、本当に無難な話題ですわね。でもその……」
「そうだろう。よし、では教えていただこう!」
女神の守護の話題は茶会の定番の話題だ。貴族の子女はみな80柱いるとされる女神にそれぞれ守護を授かっている。
ハルブンデを守護する運命の女神のように、珍しく力のある女神から守護を得た者は自慢げに吹聴しがちだが、守護とは本来、自身の使命のひとつとも言える大切なものだ。
「2番はポール部長で、5番はマリミーラね!」
「では2番の方、ポール部長殿?よろしくたのむ」
「はい…………」
指名を受けたマキナは勢いよく立ち上がったが、言いよどむように口を閉ざしてしまった。これまで、どんなフザけた命令でも案外ノリ良く応じていたマキナとは思えない反応だ。
「だ……でございます」
「ん?すまない、よく聞こえなかったんだが」
「ですから!男性器の神ゴーンの守護でございます!」
あれほど盛り上がっていた茶会がしーんと静まり返ってしまった。確かにメジャーではないものの、こうして人前では言いづらい女神から守護を受けている者も一定数いるのだ。
守護女神の話題は確かに茶会での定番だが、それはあくまで自慢話である。守護女神の自白を強要するのはご法度なのだが、パトリックはすっかり失念していたようだ。
「す、すまない……ポール部長殿」
「いえ、これもゲームですから、殿下に謝っていただく必要はございません」
「いや、僕が間違っていた。5番のマリミーラ嬢も無理せずに命令を辞退してくれて構わない」
「いえいえ、それではゲーム性が崩れてしまうでごわす。わたしも覚悟を決めたでごわすわ!」
「あ、いや……だから、覚悟のいるような守護を無理に言う必要は……」
しかし、パトリックの制止もむなしく、マリミーラは一度大きく息を吐くと、自身の守護女神の名を告げた。
「わ、わたしの女神はパイオ様……つまりその……子孫繁栄を使命とする女神でごわす!!」
茶会の面々は頭を抱え、気まずそうに視線を逸らした。茶会場は地獄のような空気になってしまった。
しかし、この空気すら愉悦に感じている者が1人だけいた。変態子爵令嬢マリミーラである。
(ぐっふふ……言ってしまいましたわ!皆さまからひしひしと感じるこの視線……はぁん、快感ですわ♡)
パトリックが申し訳なさから滝のような汗を流し始めたのを見てシャノーウィムが「ポール部長と対の女神じゃ~ん、お似合いだね!ひゅーひゅー」などと助け船を出したが、この気まずさをもはやどうすることもできなかった。
シャノーウィムはアビに同情するように肩を叩かれ、悲し気に膝を抱えた。
「まったく、殿下は命令を考える才能がごみクズでございます」
「だって、茶会らしい話題だと思ったんだ……」
「こういう時は、過去の打ち明け話などを振るのが良いですわ、リベンジだと思って考えてみてくださいませ」
「そうか……では、初恋について語るのはどうだろう?」
「えぇ、良い命令だと思います」
「そうか、よかった。では1番と4番と5番の方、よろしく頼む」
指名を受けてのはアビとシャーウィムとテオドアだ。
「あーえっと、実はアタシ、初恋まだなんだよね……」
「え?アビちもそうなの?」
「えええ!?ってことはシャノちんも!?」
いつの間にそんなあだ名で呼び合うほど仲良くなっていたのだろうか。一番端の席同士何やらさきほどからコソコソとよく話し合っているなとは思ったが、いつの間にかかなり意気投合しているようだ。
「シャノーウィムが初恋を経験していないとは思わなかったな。其方、恋人がいたと記憶していたが?」
「それがさぁ……告白されて断るのも可哀想だと思ってOKして、付き合ううちに素敵な子かも?と思う頃には必ずフラれちゃうんだよねぇ。な~んでなんだろ」
「あー、わかるわかる。シャノちんってそんな感じだよね」
「アビちヒドい〜」
アビ以外口には出さなかったが、みな首をうんうんと縦に振りたい気分だった。多分そういうことなのだろう。
「すまない、やはり僕は命令のセンスがないようだ……普段から言われているんだ、王子としてもっと命令上手になれと。やはり僕には王子としての資質が…………」
「殿下、急にメンヘラ化しないで下さいませ。そこでそれを言われるのはさすがにダルいですわ」
「うぅ……ハルブンデひどい…………」
「でしたら、自分が5番ですから、初恋について語りましょう」
「……どうせ僕は…………僕なんて……ぶつくさぶつくさ」
「テオドア様……面倒くさくなってしまった殿下のためにもどうかお願い致しますわ」
「御意」
テオドアと初恋というワードがあまりにも不似合いではあったが、ここはもう彼に任せる他なさそうだ。
テオドアは立ち上がると、何故か目の前に座るレインを凝視しながら初恋について語り出した。
「オレの初恋の相手は男でした」
「お、男!?其方にそのような趣味が!?」
「いえ、男が好きなわけではありません。女が好きだと思っていたのに、好きになった人が男だったのです」
「ほう……」
「それでもいいと思いました。ずっと彼と一緒に居られるのであれば他に何もいらないと思い告白しました。けれど、そう思っていたのは自分だけだったようで、儚く散りました。これがオレの初恋です」
(それ、もしかして私のこと……?)
レインは学園入学前までは、必ずと言っていいほど男の子に間違えられていた。レインのもしかして?という気持ちをテオドアの視線が肯定していた。視線がねっとりと絡み、ドキドキと鼓動が早くなってくる。
「す……すまない。またしても僕は辛い話題を振ってしまったようだ」
「いえ、大丈夫です。まだ諦めてませんから」
そう言ってふっと寂しそうに笑うテオドアの表情は、言葉の強さとは裏腹に、ひどく自信なさげだった。
(……私、自分勝手に考えてばっかりだったかも。テオドアがそんなに真面目に私と一緒に居たいと思ってくれていたのに、逃げたり否定したり…………それなのに勝手に裏切られた気分でいたなんて、最悪だわ)
レインが令嬢らしく髪を伸ばし始めると、すぐにあちこちから婚約の打診がやってきた。顔も見たことのないような相手から一目惚れだと婚約を申し込まれても不快なだけだった。
けれどテオドアは、男だと勘違いしながらも、レインの内面を見てくれていた。一緒に居たいと思ってくれていた。
それは、外見ばかり見てくる婚約者候補にレインが日々求めていたことでもあった。
「レイン、どうしたの?顔色が悪いけど、大丈夫?」
「あら、もうこんな時間になってしまいましたわね。レイン様の体調も優れないようですし、今日はこれでお開きといたしましょう。皆さま、今日はありがとうございました」
ハルブンデから解散の令が発せられて窓の外を見ると、外には冷たい夕闇が広がりつつあった。
「ねぇ、アビち!今度うちの両親の前で彼女のフリしてくれない?」
「アタシもそれ言おうと思ってた!ウチも両親うるさくてさぁ」
「だよな~。じゃあ作戦会議しながら帰ろっか!」
そう言ってアビとシャノーウィムの男爵家コンビは宮殿を後にしていく。
急に恋仲になるということはなさそうだが、しがらみを取り払ってしまえば根の明るい者同士気が合うようなので、案外上手くいく2人なのかもしれない。
「テオ、帰ろう」
「レイン!?」
「…………帰ろう」
今のレインにはこんな風にそっけなく誘うのが精一杯だった。多分、一緒に帰ってもこれ以上の会話にはならないだろう。
けれどそれこそが……ただレインと一緒にいることこそが、テオドアの長年の望みでもあった。
気まずそうにエスコートを受けるレイン達を見送ると、残されたのはマキナとマリミーラだけになった。
「マリミーラ様、よければ家まで送らせてください」
「は、はい。ぜひ……でごわす」
「ふふふっ、可愛いのでそのままでもいいですが、もうごわすは不要ですよ」
「ご、ごわすぅううう♡♡♡」
(ひぃぎゃーー!!!キターーーーッ!!!)
内心であらゆる妄想をしながら長年の想い人のエスコートで宮殿を後にするマリミーラだったが、妄想に忙しいのはマキナも同じであった。
彼らも彼らでムッツリ同士、お似合いのペアと言えるだろう。
ーーーーー
「さて、今日はいい仕事をしたようですわ」
「そのようだね。すまない、僕は君を助けたかったんだが、邪魔してしまってばかりだったようだ」
「いいえ、テオドア様をもうひと押ししようと思っていたところでしたの。ナイスアシストでしたわ」
「ありがとうハルブンデ。ところで、最後に気づいたんだが、君はイカサマをしていたね?」
「あら?なんのことでしょう」
「隠してもムダだよ。宮殿のクリスタルの反射を利用して、誰が何番の札を持っているかカンニングしていただろう?」
「気づいておりましたのね。でも、これは必要な配慮ですわ」
ハルブンデは今日の茶会のために入念な調査を行っていた。テオドアの婚約の打診のことも、マキナとマリミーラが両片思いであることも、男爵家の事情も全て理解していたのだ。
ペアの仕込みをするのは無用な混乱を避けるための必要な配慮の内だと、ハルブンデはこれまでの茶会で学んでいた。
「はぁ……君の女神は横暴な方だね。君を悪役令嬢にしてしまうなんて、僕は気を揉んで倒れそうだよ」
「それが運命の女神の守護を受けたわたくしの使命ですもの」
「使命、か……」
「パトリック様の『御者』の女神様も貴方に期待していると思いますわ」
「うっ……」
パトリックは幼少期に御者の女神の守護を受けた。第一王子なのにありふれた守護を受けてしまい、自分は弟に王位を譲って臣下に下るべきだろうかと真剣に考えたこともあったが、今ではこれが暴れ馬のようなハルブンデを制御せよという使命なのではないかと考えるようになっていた。
「僕も使命を大切にするとしよう」
決意を新たにしたパトリックの内心をすべて分かっているかの笑みを浮かべながら、ハルブンデはパトリックにキスをする。
「えぇ、期待しておりますわ」
こうしてこの日のクリスタル宮殿の茶会は無事に閉会となったのであった。