第47話
学生たちはデザートを注文し、ぎゃあぎゃあと騒いでいるが、メドハギは外に出て一休みしていた。
飛び込んできた特大のニュースはすっかり酔いを醒ませてしまった。
(新団体か……)
夜の帳が下りたレダの街を見つつ、実感の沸かない言葉を思い浮かべる。
駐車場のコンクリート壁には『皇帝』の似顔絵が大きく描かれ、通りの反対側にあるスポーツバーの入り口にはマントを翻す男のネオンが輝く。
レダの街はどこを見ても外套競争、多くの者がレースに熱狂している。
外套競争と言えば協会、プロと言えば協会。皆が当たり前に抱いているイメージだ。貴族文化と関連しているということもあり、単なるスポーツというより国技。大仰かもしれないが、協会と大衆が作り出す格式ばった空気感は確かに存在する。
(自由な方が面白いに決まってる……)
子供の遊びも含めるならマントを使ったレースは全国どこでも行われているし、授業の一環として行う学校もある。プロを目指さなくてもサークル単位で楽しむ者も多く、リレー形式のレースなんてものも最近では流行しているらしい。外套競争はまさに国民的スポーツと言える。
それなのに、プロの形は一つだけ、というのは可笑しな話ではないか。
なぜ協会のレースに出場しなければ食っていけない? なぜ協会でなければプロとは言えない? なぜ100年間もレースの形態は変わらない? なぜ外国選手と対決しない? なぜもっとスピードの出るマントが開発されない?
協会とレース界を取り巻く保守的な空気はそういった『更に面白くなる』可能性を無視してきた。そこには利権や伝統など複雑な理由があるのだ、とただの一選手であるメドハギにだって想像がつく。
だが、今日、新しい風が吹き込んだ。
新団体の設立、新競技、国際大会の開催。
店員の言う通り、協会側がこの事態を知らなかったのなら、これは相当大事だ。協会理事が協会を裏切って独立した、ということになる。そこに超人気選手の『皇帝』と各界の大物が並んだのだから協会の面目は丸つぶれだ。
頑丈な扉が強引にぶち破られ、停滞した空気が流れ出すようだった。
これを笑わずにいられるか?
「ふ、ふふふっ……ははっ」
メドハギは堪えきれずに笑った。
「楽しそうですね、ハギさん」
と、そんなメドハギに声がかかった。
振り返ると、ユオが立っていた。
微笑む少女は至って普通。見える箇所に傷は無い。しかし激闘に疲弊しているのには間違いない。よく観察してみると目の下にはクマがあり、顔色もあまり良くない。食事は摂れていたが、もしかすると無理に食べていたのかもしれない。優しい子だから、祝勝会の雰囲気を壊したくない、とでも考えているのだろう。
「身体は平気か?」
「はい、シャツの下は青あざだらけですけど……」
その声にメドハギは笑った。
疑似魔術路に慣れない内は毛細血管が傷つきやすく、痺れるような痛みに襲われているはず。やせ我慢をしているのは明白だった。
「中は『これからのレース界』について議論が白熱しています。ハギさんは参加しなくて良いのですか?」
「あぁ、考えたところで俺たち一介の選手がどうこうできる問題じゃねぇさ、それに、会見で言ってた新競技って奴なら大体想像がつく」
会見で発表された『マントメーカーの代表選手が新競技で競う———』の部分から考えるに、新競技では従来の選手対選手ではなく、企業対企業の構図になるはずだ。
おそらく、各社のマントを装備した代表選手がレースで戦うのだろう。言うなればメーカーのプライドを懸けたレースと言ったところだ。
「自動車レースみたいになるぞ、きっと」
「はい、ニコラスさんも似たようなことを言ってました……会見には沢山のマントメーカーの代表がいましたし、世界中のメーカーが参加するからこそ国際大会も可能……言葉にすると簡単ですけど、途方もない規模感ですね」
「『協会とは別に国内プロリーグを発足します』ってだけじゃ、協会に潰されるのがオチだわな、頭を飛び越えて世界に行くくらい突き抜ける必要があったんだろう……世界中の大企業が手を組む以上、偉ぶった協会も簡単には手を出せねぇってわけだ」
「嬉しそうですね」
「ははっ、そらそうよ。協会の枠組みの中でもがいてた俺じゃ絶対に成し遂げられなかったことをやってくれたんだ。外套競争が前進する喜びと『協会、ざまぁみろ』って感動で胸がいっぱいだ」
「……」
両手を広げるメドハギに、ユオは言った。
「羨ましいとか、悔しいって想いはありませんか……? 新しいレース界に自分がいないことを残念には思いませんか……?」
「そうだな」
メドハギは真っすぐユオを見る。
両手を握っては開いてを繰り返し、落ち着きなく視線を泳がせている。
何かを期待するような表情に、メドハギは子供っぽさを感じてバレないように少し笑った。
歩いて隣までやって来たユオは言う。
「実は……ハギさんとの約束について話そうと思ってお店を出てきました……覚えてますか、初めてフレイザーズ・クラブに来た日の事を。入会を断ろうとした私にハギさんは『頼む! 言う事きいてくれたら俺もうなんでもしちゃう! どんな頼みでも叶えちゃうから!』と這いつくばって懇願しましたね」
「あー……うん、言ったかな? ———いや絶対に這いつくばってはいないだろ」
「言いましたよ、私のお願い、叶えてくれますね?」
否定を許さない力強い瞳に睨まれ、メドハギは「あぁ」と首肯する。
「ハギさん……もう一度プロを———」
そして———、
「先に一つ言っておくことがある……」
ユオが言う前にメドハギが断る。
「……条件を付けるのは無しですよ? なんでも、って言ったんですから」
「分かった分かった……ったく……」
彼女がそう言うのだから、確かに言ってしまったのだろう。適当な事をベラベラ喋るものじゃないな、とメドハギは頭を掻いた。
大人として約束は守らねばならない。
だが、その前にどうしても言っておきたいことがあった。
彼女のお願いを聞くのはその後でも構わないだろう。
「ユオ、俺は決めた」
強い意思の籠った声、それでいてあっさりと事実だけを伝えるように冷静に告げる。
これだけは自分から言いたかった。
「プロ復帰を目指すよ」
ユオが息を呑む音が聞こえた気がした。
すぐ傍を通過する車のヘッドライトに照らされた表情が驚きで固まっていた。
言葉を失った様子のユオに、メドハギはお構いなしに、
「さしあたってクリスが言ってた合同選抜試験を受ける。合格するかどうかは分からねぇが、協会のプロ試験を受けるよりは見込みがあると思う」
「あ、え……?」
「トレーナーをしているとな、こう……疼くんだよ。『風邪はとっくに治ってるのに、ベッドにいることを強制される』みたいなもどかしさを感じるんだ! 正直、もうガマンならねぇ、俺は決めた、ベッドから出る!」
「ハギさん……」
身を乗り出すユオは驚き過ぎたのか、友達に対する口調のようになって、
「マジ、ですか?」
「マジ」
「本当に復帰を」
「おう、俺は『神に愛されし悪童』、本当に神様って奴がいるなら、どうにかなるだろうぜ———」
言い終えるかどうか、というタイミングでユオが胸に飛び込んできた。
「ハギさん!」
突進のような勢いだったが、メドハギはそれを難なく受け止める。
メドハギは僅かに視線を落とした。
そこには、しっとりとした黒髪と、長く突き出た耳があった。
「どうも俺は諦めが悪いみたいだ、我儘だから多くを求めちまうんだな」
逆境と苦難の中で少女は道を切り拓いた。
弱くて、何もかもを諦めた顔をして泣いていた少女がこんなに強くなった。
師匠として、こみ上げるものが無いはずがない。
込み上がって、自分に問うた。
———お前はどうするんだ? と。
ユオの体温を感じつつ、メドハギはイタズラっぽく聞く。
「んで? お前のお願いってやつは何なんだ?」
「……ぅ、それは……」
ピクッと少女の身体が跳ねた。そして、ユオが顔を上げて言う。
「こ、これからも……わ、私のトレーナーでいてください! ハギさんがプロになっても!」
人が人に何かを教える時、教わる人だけでなく教える人も同時に学んでいるのだという。技術だけに限らず、考えていることや心がけなどもそうだ。人に教えるということは自己確認の作業でもあるらしい。
だから、世の中の先生や師匠という者達は生徒や弟子を取るのかもしれない。
(師匠、俺を育てる中でアンタも何かを学んでいたのか)
弟子は鏡、それまで忘れていたことや、見ないふりをしていたものを気づかせてくれる。それはもう否応無しに突きつけてくる。
———偉そうなことを言って、お前はどうなんだ? と。
メドハギはユオの頭を撫でながら答える。
「任せな。復讐のやり方を教えてやる」
めちゃくちゃだ。プロレースと選手の指導を両立させることなど常人には不可能。
だが、彼ならば可能かもしれない。
男には不可能をねじ伏せ逆境を乗り越える、雑草の如き力強さがあるのだから。
「ユオちゃ~ん! デザート来たよ~!」
店内からユオを探すエイダの声が届き、ユオはメドハギからパッと離れる。
親に甘えている姿を友達に見られたくない子供のようだった。
照れを隠すためか、ユオは一つ咳払いをして言う。
「戻りましょう、私たちの居場所へ!」
メドハギはサングラスのブリッジを押し上げて、再び歩き出す。
復讐という名の夢の為に———。




