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黒髪エルフのサングラス  作者: 石野舟
終章・萌芽
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第45話

 ざわめきがスタジアムを埋め尽くす。

 誰もが女王の勝利を信じて疑わなかった。シドール生とはいえ無名の、パッとしないエルフの噛ませ犬が勝つなど誰が想像できただろうか。


 ゴールを駆け抜けたユオは滞空して客席の方を見た。

 彼女の長い耳に届くのは落胆と困惑の声だった。


「アイリーン様が負けるなんて!」

「無敗だったんだぞ、空気読めよ……」

「あんなのアリか」


 観客が見たかったのは女王が圧勝する姿で、自分の勝利など誰も望んでいない。

 アウェーの空気が支配する中、それでもユオは静かに笑う。


「ざまぁみろ」


 誰にも聞かれないように呟いたその顔は晴天の如く晴れ渡っていた。

 会場の反応は彼女にとって衝撃的では無かった。

 ———こんなにも多くの観客が自分の勝利によってガッカリしている。これを痛快と呼ばずしてなんとする。

 血液が熱くなり、鳥肌が立つ。雄たけびを上げる衝動が喉までせり上がって震えが止まらない。

 沸き上がる感情に任せ、ユオは拳を突き上げた。


(復讐を楽しめ、か……呆気にとられて悔しがる観客の顔は、確かに最高の気分です)


 曇天の切れ目からオレンジ色の光芒が降り注ぐ。

 観客の賞賛はなくとも、十分すぎる祝福だった。


「……はぁ、はぁ……おめでとうございます、アップルトンさん」


 吐息交じりの声が背後にあった。


「シャーガーさん」


 振り返ったユオが見たのは疲労困憊の女王の姿。

 荒い呼吸を繰り返し、乱れた栗色の髪は汗に濡れて頬にくっついていた。


「はぁ……素晴らしいレースでしたわ……やはり……あなたは強い、戦えたことを、誇りに思いますわ」


 言いながらアイリーンが手を差し出してくる。


「私もです、シャーガーさんじゃなかったらここまで強くなれなかった……ありがとうございました」


 2人が握手を交わすと、客席でぽつぽつと拍手が起こった。その輪は次第に広がり、やがてスタンドを埋め尽くす大音響へと変わった。


 シャワーのように降り注ぐ音を聞くと、フッと身体の力が抜けた。

 落下しそうになったユオをアイリーンが抱き留める。


「まったく、敗者に支えられる勝者なんて恰好がつきませんわよ?」

「す、すみません、私、もう限界で……」

「おほほ、可愛らしいライバルね」


 2人は互いを支え合いながら降下する。

 その様子に観客は更に沸き立った。


 ×××


 第5レースの7名がコースから引き上げるのを確認し、ユオは入場口へ向かった。

 メドハギはどうだったかは分からないが、ユオは他の選手を煽る気にはなれなかった。復讐の相手はあくまで自分と、自分を馬鹿にしてきた人達である。アイリーン含め今日の対戦メンバーに恨みはないのだ。

 とはいえ勝者と敗者は明確であり、共に控室へ引き揚げるのは気まずかったので、ユオは最後に戻ることにした。


 第6レースの選手列とすれ違って通用口を歩く。


「魔力、使い過ぎた……」


 ひどい頭痛と倦怠感に襲われ、身体を引きずるようにして更衣室を目指す。

 すぐ先の角を左に曲がれば女子の控室だ。

 すると、


「よう、お疲れさん」

「ハギさん……」


 曲がり角の壁にもたれていたのはサングラスをかけた黒髪の男だった。いつものように軽薄な笑みを浮かべて、雑にタオルを頭にかけてくる。


「あんましビビらせんなよな、練習の時よりもはるかに早い仕掛けなんて教えてねぇぞ」

「あれが一番効くと思ったんです」

「あ? なんで?」


 頭にタオルを乗せたまま説明する。


「模擬レースで私はシャーガーさんを追い詰めました。レース直前も彼女は私との勝負に期待していましたから、その時確信したんです……私の加速、差しを『意識』しているって」

「意識……」

「大逃げするシャーガーさんは中盤の時点で想定よりも私との位置が近いと、きっと焦る。『このままの距離だと差し切られる』、そうやって意識を強めさせようと思いました。結果的に、もっと距離を稼ごうとしたシャーガーさんはペースを乱し、最終直線で伸びを欠きました」

「なるほど……模擬レースの展開を伏線にしてプレッシャーをかけたってわけか、んなことよく思いついたな」

「ハギさんのおかげです、現役の時のレースからヒントを得たんです」

「大逃げの……前のレースで大逃げかまして自滅したのに、もう一回大逃げかまして勝ったレースか。そういやあれもこのレース場だったな」

「敗北を餌にした見事な作戦です」

「姑息だ、って当時はこき下ろされたもんだがな……まぁ良いか、ありがとうよ」


 メドハギが手を伸ばしてタオル越しにわしゃわしゃと頭を撫でてくる。


「本当に強くなった、もう弱虫とは呼べねぇな」


 いつになく穏やかで柔らかい声だった。

 途端にユオは喉が苦しくなって誤魔化すように明るい表情を作る。


「そ、そういえば私考えたんですけど、『疑似魔術路を利用した加速』じゃ長いですからもっと代名詞になるような必殺技っぽい名前の方が良いと思うんです! 『閃影軌道ムスタドライブ』とかどうでしょう」

「良いんじゃねぇの? レースはビビらせたもん勝ち、名前があった方が威厳がある」


 言いながら頭を撫でる手は止めない。

 しっとりとした黒髪がボサボサになっても、メドハギはユオの頭を撫で続ける。

 女として髪が乱れるのは困るが、彼の手を払いのけようという気にはならない。時折、彼にこのようにされるのは嫌いではなかった。


 緊張の糸が切れたユオは声を震わせ、


「いつもみたいに、茶化してくださいよ……っ、中2臭いネーミングだとか、まぐれで勝っただけだとか……どうして今日はそんなに優しいんですか」

「馬鹿言うな、俺はいつも優しいだろうが」


 堪えていたものが急に溢れ出しそうになって、ユオはメドハギの胸に顔をうずめた。背中に手を回し力いっぱいシャツを握り込む。

 ユオの喉が、ひくっ、と音を立てた。


「ユオが俺の生徒になってくれて本当に良かった。お前は俺の自慢だ」


 亀裂の入った桶を押さえても無駄なのと同じく、嗚咽を押し殺すほどに目尻から溢れるものが止まらなくなった。


「本当は……すごく、すごくっ怖かったんです……ここまで頑張ったのに全部が台無しになるんじゃないかって……! お父さんとお母さんに心配かけて、クラブの皆にも協力してもらって、ハギさんがここまで付き合ってくれたのにって……!」


 堰を切ったように吐露すると、メドハギは柔らかく笑って、


「でもお前は打ち勝った。強敵にじゃなく自分の恐怖にな」

「次戦ったら負けます……今日の勝ち方は今日だけのもの、1回限りのまぐれです……」

「はっ、まぐれで結構じゃねぇか! 俺なんかまぐれを重ねて1級に上がったんだぜ? 偶然でもたまたまでも、最後に勝利を引き寄せた者がその瞬間において一番強ぇ、今日はお前が最強だ」


 ユオは自分を卑怯だと思った。

 彼はいつだって自分を助けてくれるし、必要なことを教えてくれる。とても優しくて頼りになるトレーナーだ。

 彼が自分を傷つけることは無いと分かった上で弱気なことを言っている。誉めてくれるのを期待しているのだ。


(甘えてる……でも、今日は良いかな……)


 頭を撫でられる心地良さとコーヒーの香りのシャツをしばらく堪能した。

 やがて、控室から選手が出て来る頃、ユオはパッと腕を解いてメドハギを解放する。


「泣き止んだか、お姫さま?」

「ぐすっ…………泣いてません……」


 赤くなった目尻を擦って言った。銀色の瞳は当然濡れている。


「景気よく祝杯を! って言いたいところだが……流石にガキ連れ回すのもな......何か食べに行くか」

「……は、はい!」

「どうせならクリスもアイツらも連れて行こう、クーポンと祝いの席は多いほど良いからなぁ」

「ハギさんの驕りですか、大丈夫ですか?」

「大人を舐めんじゃねぇよ、それに……デケェ臨時収入があるんだよん♪」


 メドハギは鼻歌交じりに廊下を歩いて行った。スキップまでして。


「?」


 相変わらずよく分からない人だ、と背中を見送りながら思う。


 育ちや経歴を聞いてもメドハギ・ブラックという男の底が知れない。

 ———知りたい。もっと学びたい。

 これから先、彼と共にいればもっと知れるだろうか。

 ———彼を信じた先にある景色を見てみたい。

 その景色を見ている自分はきっともっと強くなっているはずだから。

 ———強くなったその時には彼の役に立とう。

 ここに至るまでにもらった恩を、義理を、あの人の為に使おう。

 

 一度深呼吸をしてドアノブを掴む。


 レースはまだまだ続く。

 自分の復讐も彼の復讐もゴールを迎えていない。

 自分がどこまでやれるかは分からないが、行けるとこまで行ってやる。

 きっとできる。

 神に愛されし悪童と、その教え子なら。


 ユオは満足そうに笑って控室に入っていった。

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