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黒髪エルフのサングラス  作者: 石野舟
終章・萌芽
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第44話

 血が冷たくなり足の裏から焦りが這い上がってくる。

 死を意識したサーカスでの暮らし、師匠せんせいの過激なシゴキや現役のレースであってもこれほどの緊張は味わったことが無い。


(自分が出る方がよっぽど気楽だ)


 現役だった時は不安よりも高揚感のようなものを強く感じたものだったが、今は不安の方を強く感じていた。

 試されるのは自分ではなく教え子、もはやトレーナーにできることはない。

 メドハギは指を組んでレースの開始を待った。


「何だかんだと言ってハギが一番緊張しているではないか」

「うるせぇ」


 出場者の入場が始まった。1番アイリーンの名が呼ばれるとスタジアムの気勢が一気に上がった。

 アイリーンがスタート位置に着く。手を振ったり愛想を振りまいたりはしない。ただ粛々と他選手の入場が終わるのを待っている。10代らしからぬ堂の入り様、まさしく女王の風格だった。


「お姉ちゃん」


 エイダが勘に堪えぬという声を漏らす。

 実の姉と同門の仲間、どの立場でどちらを応援すれば良いのか迷っているのかもしれない。そんな様子を感じ取ったのかクリスは言う。


「お姉さんとユオ君、どちらも応援すれば良い。矛盾しているようだが君はそれで良いと思うよ」

「そ、そうですね」


 選手紹介が進んでいくが、アイリーンの登場による興奮は続いている。関係者席に座るメドハギ達の下、一般席の上階でひと際黄色い歓声を上げているグループがいた。


「アイリーンさま~!」

「信じていま~す!」


 一団が着ているのはシドールの制服だった。

 メドハギには分からなかったことだが、その一団の中にはユオのイヤーマフを強引に奪い取った者や嫌がらせをした者、エキシビションレースでメドハギに打ち負かされた者も混ざっている。


 そして、6番のユオ・アップルトンが紹介される。

 アイリーン以外の選手は控えめな拍手が送られるだけだったが、


「調子に乗るなよ芋女!」

「引っ込め!」

「女王相手にマグレなんか無いのよ!」

「あの問題児がまともな指導できるはずがない!」

「奴のヤンチャっぷりまで教えられたんじゃないだろうなー⁉」


 客席の様々な場所からそんな声が響いた。

 模擬レースでの善戦とメドハギの業界復帰報道により ユオは悪役ヒールのレッテルを張られているようだ。


「今言った奴ら、後で全員半殺しだ」

「落ち着け、これは彼女のレースだ。悪評も中傷も跳ね返すことができるのはユオ君しかいない、それにほら、ユオ君、すごく落ち着いてる感じだ」

「もう周りの声は届いてないってわけか……そこまで深く集中を」


 メドハギはスタートの交差点に着いたユオを見た。怯んだり怯えたりする様子はない。

 怒りも決意も、全てを目の前のレースに集中させている。


 これまでは自信が無い故に、序盤から優位につけようと必死になり、最終直線で力尽きてしまっていた。

 だが今日は違う。自分の武器がある。クラブを変え、環境を変えた。強敵と本気の勝負をして経験も積んだ。そして何より指導したのは『神に愛されし悪童』だ。

 これまでとは違う。ユオは別人となったはずだ。


(そうであってくれ)


 メドハギは固唾を呑んでその瞬間を待つ。クリスもエイダもラルフもニコラスもスタートに着いた選手達に見入っている。


 オウルズレース場、学生一般・第5レース、距離3000メートル。


 一瞬の静寂の後、スタートを告げる花火が炸裂した。


 8人の選手がマントをはためかせて飛び出していった。

 全体がややばらけたスタートになり、ユオは好スタートを切って勢い良く浮き上がった。

 だが、それよりもはるかに素晴らしいのはアイリーンだ。

 ポップコーンが弾けるように飛び出し、一瞬で先頭を取った。


「せっかくの良いスタートなのにユオ君は下がっていくな、多少予想と異なってもある程度展開に合わせて中位を取っても良いのではないか?」


 クリスの言う通りではある。ユオはズルズルと下がり、あっという間に8番手になる。


「俺と違ってあいつは器用な選手じゃねぇ、慣れないことして自滅するよりは自分の武器で押した方が勝算は高ぇんだよ」


 メドハギは裏返りそうな声を何とか抑えて言った。

 映画のセットのように街並みを再現したコースを飛び抜けていく。

 建物の外壁を蹴り、配管を掴み、時には選手同士肩をぶつけ合い、あらゆる運動動作を駆使して突き進む。

 8本の稲妻が競い合っているような熾烈な攻防が繰り広げられる。


 ただ、その争いに加わらないのが2本。言わずもがな、ユオとアイリーンである。

 ユオは最高尾で、アイリーンが先頭。どちらも位置取り争いから離れた位置にいる。


「どちらも極端ですね、ぶっちぎりの大逃げとポツン状態の最後尾……あまり見られない隊列です」


 メガネのフレームを持ち上げつつニコラスが言った。


「あぁ、まだ序盤だってのにアイリーンとユオまでの距離が100メートル以上も離れてやがる」


 隊列は異常なほど縦伸びし始めていた。

 未熟な学生である中団の選手達はこの事態に気づけていないのか、未だにポジション争いに精を出している。


「こうやって俯瞰で見ると分かりやすいがな、実際のレース中の視野は狭い。高速で流れていくコース、そして至近距離の選手に意識を割かれてしまって先頭や後方の選手まで気にしていられなくなるのだ」

「じゃあ、お姉ちゃんとユオちゃんが有利なんですか?」


 心配そうな顔のエイダにクリスが頷いた。


「逃げ切るか、差し切るか、まだ全然分からんすね」


 ラルフが静かに言った。ズボンの膝のあたりを握り締めていた。手の甲に血管が浮かび上がっており、ありったけの力を込めてレースを見ている。


 レースが中盤に差し掛かり、ポジション争いはようやく収まった。

 相変わらず縦に伸びた隊列は変わらないが、大きく逃げているアイリーンに焦ったのか、2番と7番の選手が徐々に進出を始める。


「若いな」

「あぁ」


 クリスの感想にメドハギが首肯した。


 中盤からの追い上げは持久力とロングスパートに自信があるならば無くは無い作戦だが、3000メートルの中距離戦では不利に働くことの方が多い。


「燃費が悪いことは分かってるはずなのに先頭との距離に焦って我慢ができなくなる、学生や新人にありがちなミスだ、それにこういう事が起こると焦りは伝染していく」

「「へぇ……」」


 ラルフとニコラスは感心したように唸った。


 メドハギの指摘の通り、芋づる式に進出を始めていく選手達。

 そして迎えた中盤の緩やかなコーナー。

 隊列はユオを残して徐々に短くなっていく———はずだった。


「な、何やってんだ!」


 メドハギは腰を浮かせて叫んだ。

 アイリーンを捉えようと加速する群れの中に黒髪のエルフがいた。


「仕掛けるには早すぎる!」


 ユオの最大の武器、それは疑似魔術路を用いた常識外の加速。

 ユオとメドハギは最終直線のキレ味に全てを懸ける作戦を立てた。ラストスパートのタイミングを限界まで遅らせ一気に躱してまおう、と計画していたのだ。

 ユオが通過した標識は残り1300メートルを示している。想定よりもはるかに早いスパートだった。


「全っ然練習と違うじゃねぇか! どうなってんだよおい!」

「うるせぇ! こっちが聞きたいわボケ!」


 悲鳴混じりの絶叫を上げるラルフに同じく絶叫で応えるメドハギ。


(バカな、模擬レースで負けたのは中盤で不利を受けたからだ、この展開ならお前が負けるはずはない! まだ自分を疑ってんのか!)


 急加速で位置を上げ続けるユオ。

 客席に大きなどよめきが起こった。


「アイリーン様に追い付くつもり⁉」

「生意気にガッツ見せてんじゃねぇよ!」


 心無い野次に呼応するかのように、中団前方の選手が動いた。

 下方から迫るユオに合わせて前方を塞ぐように降下していく。


「塞がれる……!」


 模擬レースの轍は踏むまいとしてやってきたが、奇しくも同じ展開になってしまう。

 ———だがその瞬間、ユオのマントが光を強めた。

 銀の稲妻がブロックを食い破り、衝突寸前のところを強引に突破する。

 スピードを上げ、瞬き程の間に先行する2人を抜きさった。


「やりやがった……完全に塞がる前に抜け出しやがった!」


 高度最低限からの一撃。前方の上空を飛ぶ選手が対応できるはずがなかった。

 まるで影。

 低空を高速で突っ切る影だ。


「すごい」


 エイダが呆然と呟いた。


 ユオはあっという間に2番手に位置を取った。


「行けるのか、このまま!」


 先頭アイリーンとの距離はかなり開いている。今の加速で身を削ったはずのユオが届くのか。


『6番アップルトン選手が抜け出し、先頭を追いかけます。先頭は既に最終直線に向いています』


 想定した展開とはかけ離れてしまっている、ここで消耗してしまったユオがゴールの手前で失速するイメージもある。


「もう行け、そのまま行っちまえっ!」


 ———だがそれがどうした。


 ユオに他の選択肢はない。無理でも無茶でもアイリーンを捉えなければ勝利は無い。突き進む以外に道は無い。ならばトレーナーである自分だけは最後まで信じてやらねばなるまい。選手よりも先に諦めるトレーナーがどこにいる。


「勝て」


 ユオは身を低くかがめ、最後のコーナーを力強く蹴り飛ばす。ぶわり、と慣性で黒髪が大きく広がる。


「全部だ、全部を叩きつけろぉっ!」


 ユオの漆黒のマント、その裏地が輝きを放つ。

 閃々とした極大の銀色が全てを塗り潰す。

 それを追える者は誰もいない。直線に入った彼女を阻むものは誰もいない。女王でさえも。

 砲弾の如きスピードで銀色の怪物が猛然と追う。重力を振り切ろうとするロケットのように凄絶な推力を得、差し切らんと女王の背中を狙う。

 必死で逃げるアイリーンとの差がみるみる間に縮まっていく。


「あ———」


 立ちあがったメドハギは手すりを掴んだ。

 そして呟く。


「勝った」


 関係者席の正面にはゴールラインがある、レースは間もなく終わる。数瞬の後に2人が飛び込んでくるだろう。

 先頭を飛んでいるのは確実にユオだった。


『先頭はアップルトン選手、大きな差を一瞬で縮め、差し切り勝ちです!』


 アナウンスの声と共に、銀色の軌跡がゴールを切り裂いた。

 圧倒的な加速による空振か、あるいは莫大な魔力の放出による衝撃波か、メドハギの肌にビリッとした感覚が伝わった。


「あ……は、はは…………勝った、のか……」


 メドハギはペタン、と尻もちをついた

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