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黒髪エルフのサングラス  作者: 石野舟
終章・萌芽
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第43話

 ユオの一つ前のレースに出場する選手たちが入場を始めた。

 連日の雨は一旦止んだかに思われたが、空には再び灰色の雲が広がっていた。天井の無い下層スタンドでは降雨を予測した客達が傘を手にしている。

 クリスと子供たち3人が座る上階の関係者席に、メドハギは遅れてやってきた。

 クリスの右隣に腰を下ろす。


「時間いっぱいまでユオ君のところにいたようだな、調子は?」


 クリスが聞く。


「どうかな」


 メドハギが頭を掻いて答える。


「レースが近づくほど落ち着きが無くなって廊下をウロウロしてた、入れ込んでる感じがある」


 このレースが終われば、次はユオとアイリーンが出るレースだ。


「かかっちまうかもしれねぇ」

「メンタルトレーニングの時間は無かったからな、仕方がないか」


 かかる、とは競馬において人馬の折り合いがチグハグな状態に陥っていることを指す。外套競争グァイリスにおいては、『レース展開と噛み合わない飛行をする』という意味で使われることが多い。


「でもまぁ緊張は恐怖の象徴ってわけじゃない、気合が乗ってる証でもある。それに『怖い』とか『自信が無い』とかそういうネガティブなことは言わなかった……きっと上手く行くさ」

「そう願うばかりだな」


 場内アナウンスが流れ、第4レースが始まる。

 プロのレースとは異なり学生レースには大げさな実況が無い。ライブ中継が入るほど大きなレースでは話は変わってくるが、基本的に進行もレース自体も淡々としたものだ。

 入場が終わり、選手の名前が読み上げられる。

 普段よりも多い観客の拍手が響く。

 こういった環境で出場するのは初めてなのか、3番の女子はスタンドのあたりをチラチラと気にしている様子だ。


「こんな大勢の観客の前でのレースを経験している子はいないだろう、緊張するのも無理はない」

「あぁ、全員『アイリーンの巻き添えを食らった』って面してやがる」


 普通の高校生なら学校のスピーチでも緊張する。大勢の観客の前で堂々とするのは、それだけでもかなりの勇気と経験が必要だ。

 そういえば、とクリスの隣に座るエイダとラルフが聞いてくる。


「ブラックさんは緊張した時どうしてたんですか? 選手として聞いてみたいな~」

「まさか緊張なんてしたことねぇ、って言うんじゃないっすよね?」


 メドハギは少し笑顔を見せて、


「緊張はするさ、ドキドキして手が震えることもあるし、ゲロ吐いてトイレに籠ったことだってある」

「へ~意外かも」

「でもな、興奮するんだよ」

「はい?」


 メドハギがそう言うとその場にいる子供たちがぽかんと口を開けた。


「メドハギ・ブラックはそこまで追い詰められているのか、って具合に自分の変化を面白く観察できるんだ」


 少し黙った後、子供たちは口々に言う。


「……初めてブラックさんのプロフェッショナルな部分を見た気がする」

「それな、急にプロぶられるとこっちが困るよな」

「普段は感情重視で僕たちを追い込むだけなのに」

「舐めてやがんなクソガキ共、もっと俺を尊敬しろ、そして崇めろ」


 やり取りの中、クリスは掌で口元を覆っていた。


「なに笑ってんだよ」

「貴様がプロとしての精神を語るのが意外でな、らしくもない」


 ニヤニヤと、やけに嬉しそうな様子にメドハギは舌打ちした。

 クリスは重ねて言う。


「久しぶりの実戦の空気、疼くものがあると見えるが?」

「ふん」


 第4レース開始の号砲が鳴って選手たちが一斉に飛び出していった。

 メドハギはいつも通りサングラスのブリッジに触れる。

 その手は冷たく汗ばんでいた。


 ×××


 スタジアムの選手入場口には次の第5レースに出場する選手全員が集結していた。

打ちっぱなしのコンクリート壁の通路に白色の蛍光灯が光り、先にレースを終えた選手達の汗や衣類に付着した土の匂いで満ちている。

 歓声を爆発させる客に対し、待機する選手たちは沈黙を保っていた。聞こえるのはそれぞれの息づかいと衣が擦れる音、時折、関節が鳴るのが聞こえるのみだった。

 既に身体検査と装備検査を終え、レースが終わるまではトイレに行くことも許されない。

 選手控室とは異なり、もう逃げられないという状況がレース直前特有の張り詰めた空気を作り出していた。


 壁に背を預けたユオはレース開始の号砲を聞き、右の指先で左手首を触った。

 もう何度目かの脈拍を測る。


(大丈夫、高過ぎでもなく低過ぎでもない)


 ユオはこの場の誰よりも大量に汗をかいている。疑似魔術路の発動に必要な心拍数に達する為に入念な準備運動を行ったのだ。

 事情を知らぬ者には『レース前に疲労している』奇妙な姿に見えているはずである。

 心拍は良好、魔力の巡りも悪くない。ただ、呼吸が早いことが気がかりだった。

 今日までの過酷なトレーニングに耐えてきたユオは2キロ程度のランニングで息が上がってしまっていた。


(緊張しているから……? それとも想定よりも疲労が残っている?)


 理由を探したが、ユオはそこで首を横に振った。原因は明確であるのにわざと見えないふりをしようとしている自分に気づいたからだ。


 アイリーン・シャーガ―。

 シドールの女王が入場口手前のガラス扉の前に立っている。


「……」


 ユオはアイリーンを見つめる。

 他の選手が胸に手を置いたり、ぶつぶつと独り言を言ったりしているのに対し、アイリ―ンは腕を組んだまま身動き一つしない。歳はほとんど変わらないというのに風格を感じさせるほどの余裕ぶりを見せつけていた。

 選手たちがチラチラと盗み見る視線を彼女自身も気づいているはずだが、一瞥くれることさえない。


 ただそこにいるだけで他を圧倒するほどの存在感にユオは唾を飲み込んだ。そして同時に歩き出す。


「こんにちは、シャーガーさん」


 ユオは声をかけに行った。少し前なら考えもしないことだった。


「あら、ごきげんよう」


 アイリーンは目を大きくさせて答えた。


「まさかあなたの方からご挨拶されるとは思いませんでしたわ」

「そうですよね、私から声をかけに行くなんて今までなら絶対にあり得ないことでした」

「なにか心境の変化でもあったのかしら」

「はい、飛び込んでみる勇気を学びました」

「そうですの?」


 模擬レース以降、アイリーンを見かけることは無かったが体つきや顔を見れば分かる。

 仕上がっている。

 模擬レースの時よりも体を一回り大きく見せており、爛々と輝く青色の瞳は獣の如き闘争心を滲ませている。

 心身が充実していることはすぐに分かった。


「皆さん緊張している様子ですわね」

「シャーガーさんがいるのですから当然ですよ」

「あなたも緊張していらっしゃるの?」

「はい、少し」


 本当は昼に食べたものを戻しそうなほどだったが、精いっぱいの虚勢を張った。

 すると、アイリーンは肩にかかった栗色の髪を払って、


「あまり失望させないでくださる?」

「え……?」

「調整の為の出場レースが決まらない中ようやく決まったこのレース、協会の邪な思惑もあるのでしょうけれど私は心底歓喜しましたわ」


 顎を下に傾けて眉をしかめる。


「模擬レースでの競り合い、あれは私が忘れていた限界の勝負そのものでした。乾いた私の情熱を取り戻させてくれたのはアップルトンさん、あなたですのよ」


 アイリーンは唇を舐めて、


「私のライバルが『緊張して全力を出し切れませんでした』という事態になっては何も面白くありませんわ!」

「シャーガーさん……」


 突然の大声に他の選手の注目が集められるが、アイリーンは気にした様子もなくえくぼを浮かべた。


「こんなに勝ちたい相手ができたのは初めてのこと。ふふっ、私の初恋、受けてくださいますわね?」


 片目を閉じて蠱惑的な笑みを送ってくる。

 ユオは高鳴る心臓の音を感じつつ答えた。


「はい、全力の勝負をしましょう!」

「それでこそあなたですわ」


 2人の熱い視線が交錯したと同時、扉の向こうでスタジアムの大歓声が爆発した。

 第4レースが終わったらしく、係員が慌ただしく行き交う。


「第5レースに出場される方は番号順に整列してください」


 係員が呼びかけた。


「そういえば、今日はスタイルが違うのね」


 アイリーンは自分の耳を指して言った。


「はい、私なりの覚悟のつもりです」

「そう、似合っているわ」


 アイリーンは1番、ユオは6番。お互い頷いてそれぞれの位置へ向かった。

 第4レースを終えた選手たちが引き上げ、すれ違う。ほとんどの者が悔しさに顔を歪ませていた。


(ライバル、ライバル……か)


 ユオは言葉を反芻した。

 直接褒められるよりもずっと胸が高鳴った。

 アイリーンほどの選手が自分をライバルだと認め、評価してくれていたのがたまらなく嬉しかった。


 だがそこで、ユオはもう一度首を横に振る。

 そして両手で自分の頬を叩いた。

 パン! と大きな音がしてジンジンと頬が熱を持つ。


(私は勝つ為にここに来た。悔しさも怒りも全部を出し切って証明するんだ)


 選手の入場が始まる。


(勝つ。勝って今までの自分から生まれ変わる。それこそが私の復讐でハギさんへの感謝の示し方)


 扉が開き遠くに聞こえていた大歓声が一気に流れ込む。


(私はここで咲く、雑草メドハギのように力強く!)


 復讐の舞台、その幕が上がる。

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