第42話
「どうなってんだこりゃ」
クリスと共に会場入りしたメドハギが呟いた。
今日はユオが出場する学生レースが開催される。
まだ第1レースすら始まっていないというのに、観客席には人が溢れかえっていた。学生のレースとしては異様な光景だ。
「アイリーン君は既に並みのプロよりも金が取れる選手らしい、彼女の活躍を一目見たいと思うファンがこれだけいるのだからな」
クリスが苦笑交じりに言った。
「いくら未来のスター候補だからって騒がれ過ぎだろ、やっぱビジュアル? 『可愛すぎる学生レーサー』って付加価値がデカすぎるのか」
「それもあるかもしれないが、貴様のせいでもあるだろうな」
クリスはレース専門誌と週刊誌を広げて見せる。
専門誌の方は2ページにわたってアイリーンの特集を掲載していた。
『不安要素無し、女王の視界良好、栄光へ一直線』、彼女を絶賛する文言が並び、他の選手については戦績が並べられ、編集者のメモが書かれているだけだった。
「ユオについては———女王と同じシドール生。模擬レースでの対決では存在感を示したが、逆襲となるか……これだけか」
「学生の記事が出ること自体稀なのだ、仕方がない。それよりそっちの方を見てみろ」
クリスに促されるまま週刊誌を見る。
「レース界の問題児、進退を賭けた1戦———うん、もういいや、読まなくても大体分かった」
メドハギはぱたりと雑誌を閉じた。
この盛り上がりはアイリーンの元々の注目度とメドハギの報道が原因のようだ。
「進退などと……勝手なことを言いおって」
「あながち間違いでもないさ」
メドハギが言うと、クリスの表情が無くなった。
「まさか、辞める気ではないだろうな」
「さあな、今は何とも言えない……、クリス、『言霊』って知ってるか?」
「コトダマ……」
「東方じゃ、声に出した言葉には霊力が宿って現実の事象に影響を及ぼすって考えがあるんだとよ」
「それがどうした」
「もし負けたらどうするか、なんて仮定の話を迂闊にするもんじゃない、ってこと」
「そうか……そうだな、結果は黙っていても出るものだしな」
「そうそう、戦うのはユオだ、俺たちは祈って応援してりゃ良いのよ」
メドハギはケロッと言うと、そのまま席を立った。
「手のかかる教え子のケツ叩いてくるわ、どうせ今頃ビビッてるだろうからよ」
「本当に叩くなよ? セクハラだぞ」
「分かってまーす」
ポケットに両手を突っ込みながらも、メドハギは足早に向かった。
選手の準備運動が終われば選手以外は控室に入れなくなる。身体強化や魔力増強の魔術がかけられていないか、通信機などの持ち込みはないか、規定違反のマントではないか等、公正確保の為の検査が行われ、それ以降はトレーナーであっても選手と接触することはできない。
だが、メドハギが向かったのはトレーニングルームでも控室でもなかった。
「もしもし、俺です、ブラックです」
手に取ったのは受話器。メドハギは施設内の公衆電話から電話をかけた。
『……いよいよ今日だな』
「はい、これまでご迷惑をおかけしました」
『すぅ……アンタ、バカな決断をしたよ』
電話の向こう側の相手はヤンだった。タバコをふかしているのか吐息交じりで怒りを滲ませている。
「俺もそう思います、でももう決めちまいましたんで」
『はぁ……分かってんのか? 大人しくあの土地と家を手放していりゃこんな一か八かの馬鹿げた事態にはならなかったんだ、俺らは金を回収できてハッピー、アンタも借金返せてトレーナー続けられてハッピー、お互いにとって最善の解決策だったんだ』
「いやぁまったくその通りです」
『もし負けたら、そん時ゃどうなるか———』
「勝ちますよ」
電話の向こうが『フッ』と笑った気がした。
『マジでムカつく野郎だぜ、アンタが今どんな顔してるか分かるよ。鼻膨らませて得意顔で笑ってんだろ?』
「まっさか、こんな時にそんな顔しませんよぅ」
『声が弾んでんだよボケ! ———ったく』
メドハギは今、トレーナーとして恥ずべきことをしている。クリスにもユオにも誰にも言えないことだ。もし協会やマスコミに知られたらそれだけでクビが飛ぶに違いない。
『これは組織としてじゃなく俺個人の気持ちなんだがよ……勝てると良いな』
「ヤンさん、ありがとうございます」
『あばよ、二度と会わねぇことを祈るぜ』
そうして、通話は途切れた。
ツー、ツー、という空虚な音をしばらく聞いて、メドハギは受話器を元の位置に戻した。
「急がねぇとな」
サングラスのブリッジを押し上げて走る。
状況は何も変わっていないがメドハギは笑った。
ヤケクソ、とも言えるかもしれないが、迷いが晴れた気分だった。
メドハギはユオがいるトレーニングルームに急いだ。
現役時代に訪れた事のある会場なので迷うことはない。公衆電話のエリアから階段を下り、コンコースをしばらく行けば突き当りにある。
段飛ばしで階段を駆け下りていくと、踊り場にスーツの男3人がいた。
進路を塞がれたメドハギは足止めされた。
「メドハギ・ブラック、本当にトレーナーになったんだな」
男たちは揃いのマークが印刷された関係者証を首から下げていた。『金色の絨毯のマーク』は協会のシンボルである。
「何の用だ」
「干されたくせによくトレーナーになれたな。神経が図太いというか、面の皮が厚いというか……ははは」
一人の男が笑うと他の2人も冷笑を浮かべた。
「何の用だと聞いてるんだ、わざわざいびる為だけに話しかけたんなら後にしてくれ、こっちは暇じゃねぇんだ」
「あぁ? 同期がせっかく挨拶したんだ、もう少し愛想良くしてくれても良いだろ」
「今の言葉のどこに挨拶があったんだ? どけよ」
男の脇を通り過ぎようとすると、強引に腕を掴まれた。
「まぁ待て、実はこっちも仕事でね。学生レースは引率責任者が選手を連れてきたことを協会に伝えなくてはいけないんだ、これにサインしろ」
男はそう言うとバインダーを取り出した。
「そんなこと、受付の時には言われなかったぞ」
「普通はトレーナー自らが本部に書きにいくものなんだよ、仕事は覚えないとな新人君」
「そぉかよ」
メドハギは書類にサインを書きなぐった。
(ふざけやがって)
メドハギは小さく舌打ちした。
(わざと伝えなかったに決まってる。こうしてテメェの立場を強めておこうってハラだろうが)
にやけ面がそれを証明していた。
ペンを突き返し、今度こそ通り抜けようとすると、またしても男は笑いを含んだ嫌な声をかけてくる。
「それにしても堕ちたものだな、『神に愛されし悪童』が今やしがない学生のトレーナーとは……報道見たよ、借金は大丈夫か? 何だったら助けてやろうか?」
振り返りざまにぶん殴ってやろうか、という気持ちが沸き上がったが、メドハギは深呼吸をして抑え込んだ。
だが、言われるがままは彼の性に合っていないので振り返らないまま言う。
「あぁ確かに堕ちたな。でもまぁ1級にも上がれず中途半端な成績で終わって協会職員をやってる奴よりはマシかな。マウントとるのに必死なのは後悔の表れだろ? 俺はそんな風にならなくて良かったなぁ」
「な……」
顔を真っ赤にして震えているのを確認したかったが、些事に構っている場合ではない。
メドハギは心の中で舌を出して走り出す。
どれだけ蔑まれようが、今日だけは事を荒立てるわけにはいかない。
なぜなら、メドハギはもう独りではないからだ。
×××
「マジか……」
メドハギは本日2度目となる驚嘆の声を上げた。
テニスコート4面分ほどの広さのトレーニングルーム。本番を間近に控えた選手たちがアップをする中、ひと際存在感を放つ少女がいた。
白い肌は薄いピンク色に上気しており、浮かんだ汗をタオルで拭っている。
ポニーテールの髪型から顔の横に突き出た長い耳は、彼女がエルフであることを誇示しているかのようだった。
「ユオ……どうしたんだ、それ……」
見慣れない姿にメドハギは驚いて自分の耳の辺りを触って言った。
「もう良いかなって思ったんです。暑いし蒸れるし痛いしでメリットなんて無いですから」
ユオは照れくさそうに笑って答えた。
メドハギが耳を直接見たのは一度だけだった。
練習中や休憩時間にもイヤーマフを外している姿を見せることは無く、頑として耳を見せないつもりなのだろう、とメドハギは思っていた。
自分のサングラスと同様に不必要な面倒事を避ける為に、極力外さないようにしているのだ、と思っていた。
「シャワールームで耳に何か着けてるな~って思ってたけどまさかエルフだとは思わなかったな~」
「もっと早く言ってくれりゃ良かったのによ、エイダの姉ちゃんの件と言い、皆隠し事多くね? 海のように広い心を持つ俺は何も気にしないのに」
「同意見だけど、一番大騒ぎしていたのはラルフだったよね? アイリーンさんの時もずっとその話してたし」
既にすっかり受け入れた様子のエイダ、ラルフ、ニコラス。
カミングアウトの場に居合わせなかったメドハギは何だか置いて行かれた気分になってその場にしゃがみ込んだ。
未だ衝撃から抜け出せないメドハギに、ユオは覗き込んで言う。
「この数日間、考える暇もないほど死ぬ気でトレーニングしていたら吹っ切れました。練習ができて、レースという目標があって、皆とハギさんがいて……」
ユオの指先がサングラスのつるに触れる。
「私の咲く場所もここなんだ、って思うようになりました」
「大袈裟なことを」
メドハギはユオの頬を拳でちょんと小突く。
ユオはくすぐったそうにして、
「堂々としていたら案外誰も何も言ってこないです、一瞬ビックリしたような顔はされますけど」
「あぁ、俺も驚いたからな」
よく見るとユオの耳には痣のようなものがある。
大きな耳を無理やり押さえつけていたせいで傷ついているのだ。イヤーマフと皮膚の間の摩擦のせいだろう。
痛々しい痣は彼女の苦悩をそのまま表している様で胸が締め付けられる。
「私はエルフのユオとして戦います。それが一番の復讐になると思うんです」
「これはお前の復讐だ、思うようにやれ」
尻を叩く必要など無かった。
少女は強い。他人にも自分にも負けない強さがある。
まっすぐでひたむきな姿勢はメドハギには無い全く異なる強さだ。
(本当、子供の成長は早ぇ……)
メドハギは立ち上がって、
「よく頑張ったな、信じてるぞ」
「……! まだ終わってません! これから始まるんですよ……」
声を震わせたユオはそう言うと、踵を返して準備運動のランニングに戻っていった。
「あーあ、泣かせたー」
「レース前の選手のメンタルは大事だってコール先生も言ってたぜ~?」
「うるせぇぞガキ共!」
メドハギがツッコみ、子供たち3人が笑った。




