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黒髪エルフのサングラス  作者: 石野舟
第3章・悪童の悪知恵
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第33話

 ユオは重たい身体を何とか動かして通用口を歩く。

 クリスから「ハギの様子を見てきてくれ」と頼まれたのだ。

 こんな状態の自分が行ったところで、何かの役に立つとは思えなかったが、ユオ自身もいち早くメドハギに会いたかったのでこれを快諾した。


 クリス曰く、「整備準備室にいるだろう」とのこと。

 なんでも、学生時代のレース終わりはそこで着替えをしていたらしい。


 通常、学生が通らない通路に足を踏み入れる。

 途中、カメラを持った青年と禿げ頭の中年男性とすれ違ったが、特に何も言われず、目的の部屋を目指す。


(何で男子のクラブハウスで着替えないんだろう……)


 やはり彼には謎が多い。


(ハギさんはあまり自分のことを語りたがらない……私にはあれこれ口を出すのに……)


 いつか話してくれる時が来るのだろうか、と思いながらしばらく行くと、目的の部屋が見えてきた。

 陸上用ハードルや棒高跳びの棒など、第3グラウンドではあまり使われない道具が置かれた空間の先に古びた金属のドアがある。

 蛍光灯が切れかかっているせいで少し不気味な雰囲気のする場所だった。


 ユオが恐る恐るノックしてみると、


「あぁっ⁉ まだ何か用か⁉ テメェらに話すことなんざ1ワードすらねぇ、帰れ!」


 ビリッ、と扉を震わせる怒号が飛んできた。


「あ……あの~、ハギさん? 私です、ユオです」

「あ……おう……すまねぇな。勘違いした…………入って良いぞ」


 ビクつきながらノブを回すと明かりが零れ、中の様子がハッキリする。


「な……ちょっとハギさん! 何で裸、なん……ですか……」

「何でってお前、着替え中だからだろ。いやんエッチ~」


 上半身裸で、おどけた調子で言うメドハギを見たユオは語気をすぼめた。

 彼女が初心うぶな少女で照れたからではない。


 メドハギの身体に無数の傷があったからだ。


 ×××


「……その傷……」


 扉に手をかけたままのユオが呟いた。


「お前に説明しておこうと思ってな……疑似魔術路は強力が故に副作用がある」


 メドハギは顎の下、左胸、右脇、右脇腹を順番に指差す。全て青あざだ。


「疑似魔術路は血管に魔力を送り込むシステムだ。毛細血管みたいな細い血管はその負荷に耐え切れず弾けちまうのよ。つまり、青あざができるよってこった」

「何を……」

「まぁでも心配すんな。見た目はグロいがすぐに治るもんだし、今まで太い血管が切れたことはねぇから!」


 いそいそといつものシャツを着ていくメドハギの手を、歩み寄ったユオが掴み上げた。


「その傷じゃない! 他の、この傷は何ですか⁉」


 シャツから覗く筋肉質な肉体には、青あざなどただの飾りと思えるほど深い傷痕が刻まれていた。

 裂創に銃創、火傷痕、ネジ穴のように抉れた痕まで、大小さまざまな傷痕がいたる箇所にある。

 傷痕の見本市のような有様に驚いた様子で、ユオの表情が険しくなった。


「あぁそっち? 別に気にすんなよ、もう全部痛くねぇから」


 ユオの手を振り払ってメドハギはシャツを着た。

 深刻な表情をさせてしまったことに、多少の罪悪感を感じた。


「ほとんど昔つけられた傷だ。古傷って奴だよ。そりゃ低気圧の日とか寒い時期に多少疼くかなって時はあるけど、大騒ぎするようなもんでも———」

「つけられた……今、つけられたって言ったんですか⁉ 誰に、何で……こんな、こんな大量の傷……拷問された兵士でもなければ……まさか、ハギさん」

「おいおい待て待て、何をそんなに深刻になるんだ? 言っておくが俺は軍隊にいたことはねぇよ?」


 手っ取り早くデメリットを説明するために身体を見せたのだが、メドハギは後悔した。

 優しい少女は他人の古傷にまで心動いてしまうらしい。取り乱す彼女を見て、心が痛んだ。


「ハギさん……何があったんですか……」


 疲弊しきって青ざめた表情。ここまで来るだけでも相当頑張ったのだろうと想像がつく。大人しい彼女だからこそ、その姿がひどく痛々しく見えた。


「ユオには関係ねぇよ、誰にも関係ないんだ。だからそんな顔をするのはやめろ」


 メドハギはあえて突き放すように言った。「これ以上、詮索してくれるな」と暗に伝える為だった。

 そういう風に言えば、彼女が引き下がる他ない、と分かっていた。


 だが、


「……いです……」

「あん?」

「ずるいです……そんなのっ……」


 もう魔力は、ほとんど残っていないだろうに、銀色の瞳が淡く光る。


「私を知りたいって、言ってくれましたよね? 知らないなら知らないままで構わないと言った私に、あなたはそう言いました」


 少女が一歩前に出る。

 そこに、傷つくのを恐れていた弱虫な少女の面影はない。


「エルフだということも、いじめられていることも、私は知られたくなかった。誰にも知られずに普通に外套競争グァイリスをしていたかっただけだった」


 整備点検用の機材が無造作に置かれた室内に、彼女の声が響く。


「なのに、あなたは勝手に踏み込んだ! 私の心の中に、無遠慮に!」


 それでも、メドハギは誤魔化そうとするが、


「ユオ……あのな」

「私の心に踏み込んでおいて、私が踏み込むのはダメなんですか……それ……ズルいですよ」


 遮るように、ユオは言った。


「ハギさん。あなたは今までどうやって生きてきて、どうしてプロを辞めたんですか?」


 もう簡単には泣かない、そんな決意を示すかのように、真っすぐ目を見てユオは言った。


「……」


 偉そうな若い女王様からつい先ほど言われたことが喉に引っかかっていた。

『信頼しようとする相手が隠し事をしていると分かっていて、心の底から信じることなどできましょうか』

 世間知らずのお嬢様に言われただけの言葉が、妙に芯を捉えているような気がして腹が立つ。


 だが、それでもメドハギは何も言わない。

 今まで誰にも言ってこなかったことを、急に饒舌に語れる訳が無かった。


「……分かったこともあります」

「あぁ?」


 そっと、まるで口づけでもするように、ユオがメドハギの顔に手を添える。少女の顔が間近に迫った。

 そして、


「おい」


 ゴーグル型のサングラスを、取った。


「ハギさんの中には、エルフの血が流れていますね?」


 メドハギの中で何かが揺れた。

 表情が一瞬消えて、すぐに取り戻す。


「どうしてそう思うんだ?」


 言いながら、メドハギは心当たりがあることを認めた。

 それは———、


「魔術路。黒い瞳のハギさんには魔術路がない」


 メドハギは観念したように長く息を吐いて、闇のように黒い瞳を閉じた。


「世界には色々な目の色を持つ人々がいて、その色に応じて魔術の適正が違ったり、魔力量の多い少ないがあったりします……。でも、黒い瞳を持つ者は違う。そもそも魔術路を持たないから、魔術が使えない」

「そうだな」

「初めて石橋の上で、ハギさんの目を見た時は驚きました……黒目なのに当たり前のように魔術を使って……こんな人がいるのか、と思いました」


 メドハギはユオの言葉に耳を傾ける。


「疑似魔術路、その存在をあなたから聞いた時にピンときました。この方法ならば魔術路を持たない人でも魔力を回転させられる、と。そして、ハギさん、あなたはそのシステムを使っているからこそ、知っていた。私に教えることができた……」

「疑似魔術路を使えるのは、エルフだけ……。だから、俺にもその血が流れている、と……そう言いたいんだな?」

「はい」


 子供の成長は早い、と聞いたことがある。

 メドハギは子持ちではないものの、その言葉は聞いたことがあった。

 そして、今、それを実感する。

 ユオは成長している。

 遠慮したり、尻込みしたり、傷つくのを恐れて自分を隠していた。

 そんな少女はもういない。

 目の前にいる少女はたった数日前とは見違えるほど成長していた。

 メドハギはこの瞬間まで気が付いていなかった。


「当たらずとも遠からず、迷探偵だな。他に分かったことは?」


 メドハギは何の気なしに言った。


「ハギさんは、勘が鋭すぎる時があります。異変をいち早く把握したり、目に見えない魔術的事象にすぐに気が付いたり……これは疑似魔術路の応用技なのだと思います。爆発的に膨れ上がった魔力を周囲に散布してレーダーのように使っているのだと思いました…………これはただの推測ですが……」

「それは大正解。やっぱ同じ領域に入った奴には分かるもんなのかねぇ……」


 サングラスを外されたことにより、視線の動きが明らかになってしまっていた。

 泳ぐ目がユオに、ハッキリ見られている。

 メドハギは一度ため息をついて、後頭部をバリバリ掻いた。

 逃がさない、という目だった。


「ズルくて結構だ。大体俺は昔話とか嫌いなんだよ。偉人でもあるまいし、ただのオッサンの苦労話とか自慢話とか聞いたって、バカつまんねぇだろ? だからしないようにしてるの。人間、昔話ばかりしだしたら終わりだと思うねぇ、老害だよ老害」


 ウンザリしたように言ったメドハギがチラリと、横目でユオを見る。


「あくまで、話すつもりはないと? 私が聞きたいと言っているのに」

「……」


 相変わらずの表情で、全く納得していなさそうだった。


 目の前の少女は他人の為に怒り、悲しむことのできる人間だと分かっている。分かっているからこそ言えない。同情されでもしたら、途端に自分が『弱い人間』になってしまう気がする。

 メドハギは自分がそうなってしまうのが恐ろしかった。


「じゃあ、約束してくれませんか」


 痺れを切らしたユオはメドハギのサングラスを返した。ブリッジを中指で押し上げるメドハギが「何だ」と聞くと、


「今度のレースで勝ったら、私の聞くことを全部話してください」


 検察が被告に詰め寄るように、ユオは冷静に言った。


「はぁ? それこそズルいだろうが、何で俺がそんな罰ゲームみてぇな事しなくちゃならねぇんだよ。そもそも、次の一般レースレベルじゃお前は余裕だろ」

「約束、してください」


 ユオは低い声で言った。既に、期待する返答以外の返答を受け付けないような言い方だった。


 蛍光灯のジーっという音が聞こえるほどの静寂、メドハギの喉が鳴る音が響く。


 同情も涙も、自分には必要ない。

 だが、もし彼女が事実を事実としてだけ受け止められるような、強い精神を持つならば、話してみても良いかもしれない。

 ユオの力強い瞳に押され、そんな風に考え始めた。

 恩人と面影が重なるからかもしれない。

 自分らしくないことをしても良いかな、と言う気にさせられる。思い返せば、石橋の上で彼女をクラブに誘った時も、入会を躊躇う彼女を説得しようとした時も、ハリントンの部屋で必死になった時も、彼女といる時はいつだって自分らしくなかった。


 メドハギは黒髪のエルフに弱いのだ。


「分かった……分かったよ。それでお前の気が収まるってんなら約束するよ……別に大スペクタクルな秘密があるわけでもねぇ、こんな俺のことをそこまで知りてぇってなら、しょうがない」


 メドハギはそっぽを向いて咳払いをした。

 途端に、まずいことをしたかも、と今更に後悔の念が胸中に広がる。


「それって、どうしても答えたくない時は言わなくても良かったりする?」


 ユオは腕を交差させてバツ印を作った。ダメらしい。


「初体験のエピソードでも、学生時代に作った自作のポエムでも、私が聞いたら何でも正直に答えて下さい」


 ユオは相変わらず表情を崩さぬまま言い切った。


「お前、なんか口悪くなったな、親御さんに怒られるからよしましょうね」

「誰のせいだと思っているんですか」


 より面倒なことになった気がしないでもないが、模擬レースの目的は達成できたようで、メドハギは呆れ笑った。

 この子は一段と強くなった、と。


「ハギさん、私は自分をどれだけ信じられているのか、分かりません…………でも、あなたのことは信じているつもりです。そして、これからもずっと信じて行きたいです。レース、お疲れさまでした」

「……ユオも、レースお疲れさん」


 こうして激闘の模擬レースは終わった。


(成長、か…………俺はどうなのかね……)


 ×××


 次の日の朝。


 レース界、及び、その一部のファン達の間に激震が走った。


外套競争グァイリスの問題児、トレーナーに!』という見出しで、タブロイド紙がメドハギの業界復帰を報じたのである。


 紙面にはこのような文字が躍る。


『(中略)、そんな栄光を手にしたブラックだが、かねてより素行不良が問題視されてきた。彼が全てを失ったのは〇年×月。戸籍偽造(公文書偽造)をしていたと報じられたのだ。

 近年、スポーツ選手の乱れた私生活が報じられることは珍しくはないが、重大な犯罪行為を黙認するほどレース協会は甘くなかった。ブラックはレースへの出場を制限され、事実上の謹慎処分を受けた。つまり、干されたのである。以来、選手名鑑からは彼の存在は消され、過去の記録を見ることでしか軌跡を辿ることはできなくなり、協会広報も彼について固く口を閉ざした。

 長年の追放を経て、奇跡の復活を遂げようとしているブラックだが……。

「まともなトレーナーになるのは難しいと思います。ブラックは協会関係者からの評判も悪いですし、今更出てきたところで彼に指導してもらいたい選手などいないでしょう」と語るのは協会関係者。

「失踪していた5年間に何をしていたのかも分からないですし、そもそも、そんな人間に我が子を預けようとする親もいませんよね」(前出・協会関係者)

 事実、ブラックは騒動の直後にクラドアを出国しており、放浪の旅に出ている。その旅で何をしていたのかは明らかになっていない。

 また、取材の中で借金があることを仄めかしており、ギャングが絡む消費者金融から彼が出てくるのを目撃した人もいる。

 再起をはかり、かつての世界にしがみつく覚悟でトレーナー業に励むブラック。

 しかし、過去の疑惑がその計画に、早くも影を落としていた。

「今、彼が指導しているという子供たちへの悪影響が心配ですね」(前出・協会関係者)

 神に愛されし「かつての天才」、完全復活となるか———。』

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