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黒髪エルフのサングラス  作者: 石野舟
第3章・悪童の悪知恵
33/49

第32話

 スタジアムが揺れる。

 怒号と悲鳴が入り混じり、混沌の様相を呈する。

 ボクシングを観に来たのに、殺戮ショーが始まったような阿鼻叫喚の光景。


「シャーガーさんが抑え込まれている……他の選手も全然付いて行けてない……」


 ユオは呆然としながら見たままのことを呟いた。

 ラルフとニコラスも同様、コース上で繰り広げられる光景に口を開けていた。

 しかし、クリスだけはその場に立ちあがって拳を握っている。


『こ、これは……逃げています! シャーガ―選手ではなく、ブラック選手が集団を引き離して逃げています! シャーガー選手の十八番を潰し、『抜けるものなら抜いてみろ!』そう言っているかのような飛行です!』


 アナウンサーが声を上ずらせた。

 無理もない。女王が先頭を許すところなど誰も見たことが無かったのだ。


「おいおいおいおい! めちゃくちゃスゲェよハギさん! あの人って逃げが得意だったんすか⁉」

「いや、奴に特別得意な戦術はない。」

「でも、絶対に先頭を譲らせないという決意めいた飛行ですよアレ! 相当なプライドが無ければああいうことはできないんじゃ」

「奴には決まったパターンなどない。変幻自在に飛び方を変え、相手が嫌がることを徹底する……現役のままだ。ハギは昔からちっとも変わってなどいない!」


 レースは中盤に差し掛かったところ。が、既にアイリーンとメドハギの1対1(マッチレース)と化していた。

 他の追随を許さぬ高次元の争い、高速の世界に2人だけがいる。


「なんか、コール先生めちゃくちゃ嬉しそうっすね」

「あぁ! もう二度と見れないと思っていた飛行が目の前で起こっているのだ! 嬉しくないわけがない!」


 呆気にとられていたユオはようやく我に返って、レース全体を俯瞰して見始める。

 先頭2人のペースは確かに速い。もしかするとユオとやった時よりもアイリーンは速いかもしれない。


「でもハギさんはどうして先頭にこだわっているんですか……?」

「ハギはアイリーン選手が逃げを得意としていることを知っていた。だからあえてその分野で勝負している。自分の得意なことで上回られた時、人は動揺し、怒るだろう。逃げ戦術において最も重要なものはペースを計る体内時計。ハギはわざと怒らせることでそれを狂わせようとしているのだ! 多分!」

「多分かよ」


 ユオはメドハギの動き一つ一つを注視する。


(あれ、どうやってやるんだろう)


 メドハギは前を向いたまま後ろのアイリーンを的確にブロックしている。アイリーンが右に動けば右に、左に動けば左に、上下も同じだ。

 後ろにも目が付いているように精確。まるで航空ショーで縦列飛行する戦闘機だ。


 同じ疑問をニコラスも持ったようで、クリスに尋ねる。


「あれ、進路妨害で反則にならないのですか?」

「うん……反則ギリギリ、といったところだ……。進路妨害は進出しようと加速した時に進路を塞ぐこと。あれだけ間隔が詰まっているとアイリーン選手は加速しようにもできない為、厳密には進路妨害に当たらない。高等技術だ……何故かは分からんが、ハギは昔から当たり前のようにやっているんだ」


 ざわ、とユオの胸にさざ波が立った。

 数学のテストの難しい問題を目の前にした時、計算式の取っ掛かりに気づきかけたような、そんな僅かな感覚。


(こんなことが前にもあったような……)


 後ろに目、ブロッキング、見えていない、でも分かる。


「あの時……あ、あの時も!」


 前の座席を蹴飛ばす勢いでユオが立ちあがる。


(ハギさんと最初に出会ったのはお祭りの時、ビルから落ちそうになったローラさんを救助しようとした時に空中でぶつかった……)


 ユオはその瞬間のことを思い出す。


 ———その日も学校の練習に行けず、祭りの雰囲気で時間を潰していた時だった。

 街中で女の人の悲鳴と男の叫び声が聞こえてきた。


『大丈夫かネェちゃん‼』


 悲鳴が上空から聞こえることにまだ誰も気づいていなかったはずなのに、その男は誰よりも早く事態を把握していた。


 後に警察から聞いた話だと、噴水広場で風の魔術を使ったショーをやっていたサークルがあったらしい。だが、団員の一人が誤って術式を暴走させてしまい、突風が巻き起こったという。おそらくはそれが原因とのことだ。巻き上がった風がビルの屋上まで流れ、作業していたローラを転倒させたのだ。


(私はあの時、誰よりも速く空に飛んで救助に向かったはずだった。結果的にはハギさんと衝突したけど……あの時、ハギさんはマントを持っていなかった。おかしい、その場から浮かび上がった私とほぼ同じタイミング。絶対に私の方が速いはずなのにぶつかった……)


 何故か。


 それはメドハギがいち早く異変に気が付いていたからではないか。誰よりも早く気が付いていたから行動に起こせたのではないか。


(それだけじゃない)

 街中で追いかけて再会した彼はユオの髪の毛を使った追跡魔術をいとも簡単に看破した。あれは一般化されていない珍しい魔術だ。極細の髪の毛に魔術がかけられているなど、誰が想像できよう。


 そして、昨日もおかしなことがあった。

 エイダとの併せの後ダウンしたユオを連れて、コースを出ようとした時のことだ。


『もう次の組が飛び始めているからな、ここは危ない』


 彼はそう言った。

 周囲には誰もいなかったし、その場から見える場所のどこにも飛行中の者はいなかったのに。


 いったい、何故。


「見えている……いや、見えてなくても分かっている、感じてるんですよきっと!」

「えぇ……ユオ、お前意外とコミック本とか好きなタイプ? 杖とか魔道具とかはレース前に没収されるし、身体強化とかの魔術が体にかかってないかもチェックされるじゃん。超能力とか、第6感とか言うつもりぃ———っいってぇっ⁉ 意外! 普通に殴られたんだけど⁉」


 確信には至らない。だが、予感がする。

 メドハギには普通の魔術師とは違う力があるという予感。

 そうであれば色々なことに説明が付く。


 そしてますます分からなくなった。メドハギ・ブラックという男が何者なのか。知れば知るほどに見えているのが表層だけのような気になってくる。

 サングラスの奥に仕舞いこんだ物の形が掴めない。


『さぁ、ブラック選手が先頭のままアイリーン選手も路地裏コースに入ります。このエリアを抜けた時、レースはどう動くのでしょうか。女王はこのまま終わってしまうのか、このエリアで先頭の景色を奪い返すのか、注目です!』


 観客席からは建物が密集するエリア全体を見通すことができない。観客には何が起こっているのか分からず、トンネルを抜けた瞬間にようやく状況が分かるのだ。

 ユオがそうだったように、これまで膠着していた状況が一気に変化するかもしれない。

 スタジアム全体がそんな期待感に支配され、固唾を呑んでその時を待った。


「10秒……そろそろですね……」


 ユオが呟いたのと、ほぼ同時。

 観客たちは異常な光景を目にし、歓声とも悲鳴ともつかない困惑の声を上げた。


『な……何だこれはっ⁉ ぶ、ブラック選手が……ブラック選手が後ろ向きに飛行しているぅっ⁉ バック走の如く身体を反転させ、アイリーン選手と向き合っているぞ!』


 曲芸飛行エア・サーカス

 パフォーマンスの為だけの技。優勝した選手などが観客を喜ばせる時などに行う『魅せ技』だ。


「マジかよ! レース中にやるか、そんなこと!」

「ハギ……」


 メドハギはそこから更に上昇、降下、蛇行を繰り返し、アイリーンの前方でハエのように飛び回る。まるで、嘲笑っているかのように。


 スタジアムの盛り上がりが怒りと不安の色に塗りつぶされ、挑発的な飛行に観客が爆発した。


「ふっざけんな! 舐めたレースをするな!」

「というか危ないよ! 女王にぶつかったら大事故だ!」

「本当に元プロなのかっ!」


 完全に悪役ヒール。もはや誰一人としてメドハギを応援していないだろう。かつての1級選手にブーイングの大音響が叩きつけられる。


「ぶはははははは! すっげぇ、サーカスかよ! こんなの見たことがねぇ!」

「どうなんだ、という気持ちはありますが……正直、鳥肌が立ちます!」

「ワハハハ! 見ているかユオ君! 決して、相手を侮っているわけではない! あくまでも勝利の為、そして観客を楽しませる為のパフォーマンス! 歪ではあるがこれもある種、究極のプロの形! 君の先生はこういう奴なんだよ!」


 自由、どこまでも自由。

 悪戯を楽しむ子供のような無邪気さに、老獪の如き姑息な悪知恵が融合していた。


 これが1級レーサー、メドハギ・ブラック。


 格式高い貴族のスポーツ。アスリートに求められる社会規範、暗黙の了解、不文律のモラル、マナー。何にも縛られないサングラスの男が、刺すような怒りと批判を一身に受けながら躍動する。


『おぉっと! 最終直線を迎え、アイリーン選手が強引に肩をねじ込みに行ったぁ! ブロックを突き崩しにかかる! そして加速! ラストスパートだっ!』


 ふらつく体を必死に支え、ありったけの力を振り絞ってユオが叫ぶ。


「頑張れ! ハギさんっ! 絶対に勝ってくださいっ!」


 メドハギが体勢を再び反転させて、前に向く。


 そんなはずがない。コース上から観衆が埋め尽くす客席の特定の一人を見つけ出すことなどできるはずがない。


 しかし、その刹那。


 彼がこちらを見て笑った、気がした。


 嗚呼、あの人ならそれ位の事、できるかもしれない。

 ユオはそう思った。


『しかし同時にブラック選手もラストスパート! 小細工無しの真っ向勝負に出たぁっ! あと200! 150! 2人の1対1(マッチレース)、他に追う者なはし! アイリーン選手が差し、並ぶ! しかしブラック選手が差し返す、差し返す! 大熱狂のエキシビションレース、勝者は———』


 メドハギとアイリーンがほとんど並んでゴールに飛び込んだ。

 その瞬間を、ユオは呼吸も忘れて観た。


「メドハギ・ブラックッ! 『神に愛されし悪童』は、未だ健在だぁぁああっ!」


 右手を高々と上げる男の姿が、濡れた銀色の瞳に焼き付いた。

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