第31話
クリス、ラルフ、ニコラスはシドール教職員用スタンド席まで移動してきた。
模擬レースを終えてから一般観客席でユオと合流する予定だったのだが、スタジアムが予想外に盛り上がってしまった為に、ここへやって来たのだ。
フレイザーズとシドールの交流戦でもあった本レースだが、それはあくまで内向きの目的。多くの観客にとってはシドールの見学会のイベントの一環であり、女王の活躍を見るためのレースだった。
その女王が非公式戦とはいえ敗北寸前まで追い詰められたとあって、終了直後のスタジアムは異様な雰囲気に包まれていた。
犯人はユオ・アップルトン。今シーズンの成績は6勝4敗、この平凡な戦績を持つ少女がダークホース的活躍を見せるとは誰も想像がつかなかったらしい。クリスらの席周辺に記者が集まり始め、警備員が配置される騒ぎとなった。
教職員席ならば記者も簡単には近づけないでしょう、とハリントンが提案してくれたのだ。
壁に背を預けたクリスが息を吐く。
(ハギがいなくて助かった。衆人環視の中でのトラブルはまずいからな……)
難しい顔をするクリスとは対照的に、ラルフとニコラスのテンションは高い。
「しょげてんじゃねぇよ! 凄かったぜお前の飛行! あんなスパート、プロのレースでも見た事ねぇよ!」
「そ、そうですよ! 相手は女王、大健闘でしたよ! 胸を張ってください! 週末の公式レースに彼女は出ないのですし、これだけのレースをしたのですから一般レースで怖いものはもうありませんよ!」
同門の仲間の活躍に二人は鼻高々といった様子。鼻息荒く、レースを終えたユオを出迎えた。
「俺も誇りに思うよ。悔しいだろうが君は精いっぱいやった」
「はい、ありがとうございます……」
ユオの指導はメドハギに一任している。
叱咤すべきなのか、慰めるべきなのか、彼の方針が分からない以上、自分が勝手をすべきではないとクリスは頭を悩ませた。前者だろうという確信はあるのだが。
「体は大丈夫なん? 初めてうちに来た時もすんげぇスパートしかけてダウンしてたよな?」
「……はい……」
「オイオイ顔が真っ青だぜ」
ふらぁ、とユオの上体が吹き込む風に揺れる。ティッシュペーパーのように飛んで行ってしまいそうだった。
左目の上にうっすらとコブができ、衣服のあちこちに泥が跳ねている。
汗と泥に塗れた姿は激闘を物語るが、少女の顔には影が落ちていた。とても、やりきった顔ではない。
「そのような状態ならば保健室で寝ていた方が良い。無理をするな」
「いえ……ハギさんは……ハギさんはどこですか。あの人に報告だけでも……」
「ハギは今、仕事だ」
「仕事……」
「ユオがこんなになるまで頑張ったってのにそりゃないぜハギさん! 客席にもいなかったし、教え子のレースくらい最後まで見るべきだろ!」
「いえ……きっと大事な仕事なんですよ……私なら大丈夫ですからお構いなく……」
強がるユオを見かねて、座席に着くよう促す。
「一応……ハギから伝言を預かっているのだが……今、聞きたいか?」
「は、はい!」
「伝言~? 先生はずっと俺たちと一緒にいたじゃん。いつ受け取ったんだよ」
「レースが始まる前だ。……その……正直、ハギから聞いたままを伝えるべきかどうか、俺は迷っているのだが……ハギは君が勝てないことを知っていたようなんだ」
「大丈夫です。ハギさんは甘いことを言うような性格じゃないことは知っています……覚悟はできています」
言い渋るクリスにユオはハッキリと言った。
二人の師弟関係を信じることにしたクリスはそうして重い口を開く。
「……『強くなったつもりになってんじゃねぇ、お前は弱虫のままだ』だそうだ……」
先に反応したのは他の2人だった。
「はぁ⁉ なんだよそれっ! それが頑張った奴に言う言葉かよ!」
「厳しいというか、人の心がありませんね」
ユオはしばらく呆けたように虚空を見上げていたが、
「……っ」
やがて目元にじわりと涙を浮かべた。
叫びを押し殺すようにぎゅっと閉じた唇が堪えきれずにもぞもぞ動く。
「きっと……ハギさんはっ、見抜いていたんです。新しい力に酔って良い気になってるって……根っこのところでは何も変わってないくせにっ、付け焼刃の武器でどうにかしようって、浅はかで傲慢な、私の考えを見抜いていたんです……だからあんな風に簡単に捉まって……うっ、うぅ……せっかく、せっかくハギさんが教えてくれたのに……っ」
ポロポロ、と抱えきれなくなったものが零れ落ちる。
ユオがどういう意味で言ったのかを、クリスは理解しない。
それはきっと2人だけのものだから、分かるはずが無いのだ。
敗北した少女の涙に心が痛むが、メドハギがこの何かを抱えた少女とこれほどまでに心を通わせていたことに、少し嬉しくなった。
ラルフ、ニコラス、エイダ、その他多くの教え子たちを指導する自分だが、メドハギとユオのような関係を築けているだろうか。
メドハギは立派にトレーナーをやっている。
そう思って、目を細めたクリスはこう付け足した。
「『自分を信じられねぇなら、まずは俺を信じろ。俺を見ていろ』ハギは最後にこう言っていたよ」
その時、スタジアムのスピーカーがブツッ、と音を立て、砂嵐のような雑音が流れた。
「来たか」
クリスが呟くと、3人がスピーカーを見上げる。
『さぁ、大興奮の模擬レースが終わり、外套競争クラブの公開練習、全行程が終了いたしました———』
アナウンサーの声が僅かに弾んでいることに観客が気づく。ざわざわとスタジアムがにわかに騒がしくなっていく。
『———しかし! ここで! 臨時のスペシャルイベントを開催致したいとぉ思いますっ!』
女王のレースが終わって、良い物見れたなー、というスタジアムの弛緩した空気が切り裂かれる。
『特別エキシビションレース! アイリーン・シャーガー含む我が校の選抜7名とぉっ! 元1級プロによる真剣勝負ですっ!』
『1級』という言葉に場内が騒然となって、ドォッという歓声の中に口笛の音までが混ざる。
クリスは汗の滲む手を握り込んだ。
『我が校の卒業生にして、学校史上最年少でプロ入り! 1級昇格時は弱冠19歳! 現役最高順位は95位ぃ! 多種多様な戦術を用い、あらゆる条件下で数々の勝利を収め、ついた異名は『神に愛されし悪童』! ご紹介致しましょう———』
涙に濡れた瞳を輝かせるユオ。
「しっかりと見ておくと良い。君の先生がどういうレースをするのかを」
アナウンサーは力を込めて男の名を呼ぶ。
「メドハギィィィ……ブラックゥゥゥッ!」
×××
「なぁんか、歓声がイマイチじゃね。俺の登場で騒いでるってより、1級ってステータスを持て囃している気がするぜ……。ドン! って登場したのが恥ずかしい……」
通用口を出たメドハギは赤褐色の土の上を小走りで移動する。
歓声を受けることそれ自体は好きなのだが、特別目立ちたがり屋ではない。どことなく漂う「誰それ? 知ってる?」の空気の中で、大手を振って歩けるほど面の皮は厚くないのだ。
道幅の広い交差点に出た。
道には一直線に白線が引かれており、ここがスタートラインだ。
7名の出場者は既に配置されていた。到着したメドハギを、皆、油断のない引き締まった表情で見ている。
「今日はよろしく頼まぁ。元1級とはいえ、皆は俺の事知らねぇよな。ま、その程度の選手だったってことだ。ブランクも長ぇしお手柔らかに~」
適当な調子で言うと、選手たちは気合の入った声で挨拶をした。
お金持ち学校とはいえ、このあたりはさすがにスポーツ科らしく叩き込まれている。
男子3名、女子4名。それぞれの模擬レースが終わったばかりだというのにエネルギーに満ち溢れている様子だ。
学生レースは男女別だが、プロのレースは基本的に男女混合で行われる。
元プロのメドハギのスタイルに合わせてくれているのかとも思ったが、違う。このメンバーがベストメンバーなのだ。
アイリーンをレースに参加させ、本気でメドハギを負かす覚悟を持っているに違いない。
(外したか……こいつらは1級相手でも勝つ気でいやがる。油断させる作戦は通用しねぇか)
「ファンです」や「光栄です」などと、すり寄って来る者は一人としていない。全員が目の前のレースを見据えている。
まるでプロの公式レースの雰囲気を醸していた。
そんな中、メドハギのところへ歩いてくる者がいる。
真っすぐ伸びた栗色の髪に青い瞳。こげ茶色の高級マントを纏った背の高い少女が目の前に立つ。
「私はアイリーン・シャーガ―と申します。いつも妹がお世話になっております、ブラック様」
「おう、世話してやってるぜ。そして、うちの者が世話になったな」
「……アップルトンさんのことですね。あの方を指導されたのはあなただと伺っております。直接お相手したことはありませんでしたが、アップルトンさんはあれほどの飛行をする選手ではなかったと記憶していました。この短期間で一体どのようなトレーニングをなさったので?」
「はっ、教えてやっても構わねぇが、お前さんには無理だ。あれはあいつだからできたことだ」
「なるほど……そういうこともあるでしょう……俄然、興味が湧いてきましたわ」
「興味?」
「えぇ、彼女もそうですが、それを指導なさったあなたの手腕。見事ですわ。それはもう……私のトレーニングチームメンバーに加えたいほどに」
「はっはっは! 俺を雇うには金が要るぜ! 目ん玉飛び出るくれぇの金額がよぉ」
「ならば問題ありませんね。お金で解決できるならばそう致しましょう」
「……」
冗談のつもりだったが、お嬢様相手には冗談になっていなかった。
親しみやすいエイダとの違いにメドハギは思わず面食らってしまう。
「お前、結構腹黒いだろ」
「あら、悪い女はお嫌いで?」
こちらを見透かしたような返事。ますます高校生離れしている、とメドハギはうすら寒くなる。
「いいや、お前みたいなサディストは結構タイプだぜ。どうだ、卒業したら俺のところに来るかい?」
「…………おほほ、せっかくの申し出ですが、私、瞳も見せない殿方について行くほど世間知らずではありませんので」
「ほぉ、目の色がそんなに大事か」
メドハギがサングラスのブリッジを押し上げた。
「どんな色をしていようが構いません。ですが、隠すという事は秘密があるということ。信頼しようとする相手が隠し事をしていると分かっていて、心の底から信じることなどできましょうか」
「見たい?」
「……えぇ、正直気になりますわ。私のコーチ陣の中にはあなたとの対戦経験がある元プロも在籍していますので、色々とお話は伺っています。ご自身で説明なさる時は目の病だと言っておられるようですが、それは嘘でしょう……隠された秘密、暴きたくなるのは当然ですわ」
「俺に勝てたら見せてやるよ。本気で来な」
「瞳の色は暖色系よりも寒色系になるほど魔力は多い。ましてやブラック様は元1級。瞳が分からない以上、油断はしませんわ」
係が笛を吹き鳴らし、各自がスタート位置で構えた。
メドハギとアイリーンもスタート位置に着く。
コース上もスタンドも号砲が上がる瞬間を待った。
静寂の中、メドハギが大きく息を吸い込み———、
「かかってこいや、甘ちゃん共! 学生レース程度で良い気になってるテメェらに格の違いって奴を教えてやらああぁぁあ!」
7人分の殺気がメドハギに突き刺さったと同時、開始を告げる花火が上がった。




