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黒髪エルフのサングラス  作者: 石野舟
第3章・悪童の悪知恵
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第29話

 ユオは男子レースの決着を見なかった。

 メドハギと準備運動をしていたからではない。自分の変化に驚くあまり、結果を気にする余裕が無かったのだ。


 第3グラウンドに展開された赤褐色のコース。他の選手が調子を確かめるように柔軟や運動をする中、ユオはただ一人スタート位置についていた。

 閉じ込められた闘牛が闘技場に解き放たれる瞬間を鼻息荒く待つような、不気味な印象を強烈に与える。


「ねぇ、何なのあれ……何でレース前なのにあんなに息が乱れてんのよ……」

「発情した馬かって……本当にキモイわ。私らのこと見えてないんじゃないの?」


 女子レースに出場する選手が声を抑えながら、黒髪の少女に軽蔑の眼差しを送ってくる。

 だがそんな声は、もう届かない。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」


 意識の全てが呼吸と脈拍に注がれていた。全身が酸素を求め、肺が大きく上下する。瞳孔が開き、少女の銀色の瞳が日に当たる白雪の如く爛々とする。

 全身から滝の様に汗を流してスタートの時を待つ。


(1,2、3,4,5)


 心の中で脈をカウントし続け、自分の内側だけに意識を集中させていた。

 呼吸は苦しいが、胸がしめつけられるような不快感は無かった。むしろ心地良いとさえ感じる程に身体が魔力が心が充実している。


 もう自分を揶揄する者の声は聞こえない。


(やっぱりハギさんはすごい……)


 魔術路ではなく、自分の血液の中に何かが流れている実感があった。頭痛薬が徐々に効き目を表すように、魔力が全身に行き渡っているのが分かる。

 疑似魔術路。血管に魔力を通すエルフだけが使用できるという技術。

 ユオはそれを確かな肌感覚をもって認識していた。


「これが……私の武器……」


 負荷を上げるとすぐにダウンしてしまう体質。幼い時に宣告された持病が原因だと思い込んでいた。

 原因は他にあったのだ。

 無意識下で構築した魔術回路。その存在を知らない自分は気づかぬ内に魔力を使い果たしていたのだ。

 レースが進むほどに魔力の残量は減っていく。少ない魔力でスパートをしかけようとすれば当然、身体は危険信号を発する。エルフの生存本能が刺激され、自分の中の魔力循環システムが魔術路から血管へと切り替わることを認識していなかった。

 つまり、疑似魔術路が持つピーキーな特徴を把握していなかったが故の症状だったのだ。


(今はもう分かってる……疑似魔術路は大きなパワーが出力される分、調節が困難……本来ならば少ない魔力で大きな力が得られる技なのに、使い手が未熟だとあっという間に魔力を使い果たしてしまうんだ)


 それは少しアクセルを踏んだだけで急加速して吹っ飛んでいく改造スポーツカーに似ている。扱いが難しく、使い方を誤ると逆に燃費が悪くなるのと同じだ。


「とんでもないじゃじゃ馬……でも、これが私の武器なんだ……」


 ぶつぶつと独り言をつぶやくユオ。周りの選手を近寄らせず、彼女がいるその場所だけが黒いインクで塗りつぶされ、異界と化しているようだった。


 係の笛の音が響き渡り、ユオは顔を上げた。じきにレースが始まる。


 自分を踏みつけにする奴らは許せない。そして何より許せないのは、この期に及んでまだ恐怖を覚えている自分自身だ。

 メドハギは言った。「心の中で嘲笑え、中指を立てろ」と。


 ならば自分自身を嘲笑おう。

 弱い自分を許さず、弱い自分に復讐するのだ。


(こんな思いをしているのは私自身のせいだ。違う自分になりたい)


 少女はふぅ、と息を吐き、拳を握る。

 復讐するのは、今までの私だ、と。


「アップルトンさん。今日はよろしくお願いいたしますわ」


 今一度覚悟を固めようとした時、声があった。


 少女のようでもあり、貴婦人のようでもある声で誰かがユオを呼んだ。


「妹がお世話になっているようで、一度お話ししたいと思っていましたのよ」

「シャーガー、さん」


 振り返ると、すぐ先に明るい栗色の髪を真っすぐ背中まで伸ばした少女がいた。

長いまつ毛に陶器のような肌で、人形や絵画だと言われた方がまだ現実味があるほど浮世離れした美人。

宝石の如く深く澄んだ青い瞳がこちらを見つめる。


 一目で高級だと分かるこげ茶色の凝った意匠のマント。チラリと見える裏地全てに模様が縫い付けられている。明らかに学生が持つには分不相応な逸品だ。


「ごめんあそばせ、初めましてですのに紹介が遅れました。わたくしはアイリーン・シャーガ―。お見知りおきを」


 アイリーンは胸に手を置き少し屈んで挨拶をした。


 身長は175センチ程、十分に筋肉のついたアスリートの体つきでありながら、女性らしいラインを併せ持つモデル体型。白のシャツを内側から押し上げる肉体は服を着ている、というより閉じ込めているといった印象を与えている。


 ユオはこの少女を知っている。直接話したことは無くても知っていた。新聞やテレビで、あるいは校内の話題で、そしてクラブメイトの話で知っている。


 アイリーン・シャーガ―。エイダの姉である。


「エイダから聞いていましてよ? クラブにとても優秀な新人が入ってきた、と。まさかあなたの事だとは思いもよりませんでしたわ」

「……」

「あら? どうかしまして?」

「いえ、エイダさんとは随分違うんだな、と……」

「おほほほ、良く言われますわ。似ているところと言えばこの青い瞳ぐらいでしょう」


 右目を指差すと、上気した薄ピンク色の頬にえくぼが浮かんだ。口調も所作も身体も大人顔負けといった雰囲気なのに、笑うと歳相応のように見えるのが不思議だ。


 だが、それは彼女がそう思われるように仕向けているのだ、とユオはすぐに理解させられた。

 なぜなら、


「私はあの子ほど、可愛らしくありませんから」


 怖気がするほど低い声で彼女が呟いた。


 冷たい刃先が喉元に押し当てられたような、服の裾から毒蛇が滑り込んできたような、芯を揺さぶる圧倒的存在感。


(確かにエイダさんのお姉さんだ……私がエイダさんと初めて併せた時、これと近い感覚があった……)


 強者が放つプレッシャーのようなものを感じたユオは唾を飲み込む。


「いつも私の後ろを追いかけてくる子犬の如き妹……とはいえ、いずれは私に噛みつくまでに成長する大器……それを併せといえど打ち負かした者がまさかこんな近くにいるなんて、嗚呼、なんという僥倖なのでしょう。今日は本当に良いレースとなりますわ」


 ただ話しているだけだと言うのに、全身が粟立つ。


(本当に高校生……?)


 何もかもが自分と違う。

 それは事実として認める。だが、だが決して、諦める理由にはならない。


「はい、きっと良いレースになります。あなたはここで一つのことを学ぶでしょうから……」

「?」

「は、敗北を……です」


 精いっぱいの挑発だった。

 元来、他人と対立することを好まないユオには慣れない発言だった。

 震える唇に虚勢を感じ取ったのか、アイリーンは目を細める。


「実に愛らしい……あなたのその瞳は私を打ち倒す銀の弾丸となるかしら。それでは失礼」


 離れていく後ろ姿にユオは僅かな安堵を感じた。


 その時、これまで耳に入らなかった声があちこちから聞こえることに、ユオはようやく気付く。


「聞いた今の? アイリーン様に勝つつもりらしいよ」

「マジで何様だよ、ナイフ耳の猿如きが……」

「どうせいつもみたいにビビッて何もできないでしょ」

「野蛮な種族はこれだから嫌なのよ。礼儀も弁えず自分の主張ばっかり……さっさとこのクラブから出ていって欲しいわ。外套競争グァイリスが汚れる」


 道端の汚物を見るような目と心無い言葉が無数のナイフとなって突き刺さる。

 一時の間忘れていた痛みを思い出してしまう。


(ダメ……冷静に……脈拍と魔力の流れに集中しなきゃ……っ)


 二度目の笛が鳴らされ、選手が続々とスタート位置につき始める。

 レースは今に始まる。

 一度決めた覚悟を投げ出そうとは思わない。

 自分の為に、そして自分を認めてくれたメドハギの期待に応えたい。

 何が起ころうとも。


「…………よし」


 イヤーマフの奥にある長い耳に届く声は無くなった。欲しい言葉も聞きたい声も、既に心の中に刻み込んだ。これ以上の声は必要ないのだから。


「あなた達、お喋りをしている暇があるのかしら? 他人の事よりも自分の飛行に集中しませんと危ないですわよ」


 何かが聞こえた気がしたが、それも不要だ。考える必要が無い。

 スーッと、ノイズが無くなっていく感覚があった。

 何者かの発言がきっかけだったように思う。


 それから、永久にも感じる静寂があった。


 赤褐色の土でできた街並みの中、横一列に並ぶ少女たちが合図を待つ。


 そして、


 パァン! と開始を告げる花火が上がった。


 ×××


 一斉に走り出し、少女たちが空中に浮かび上がるとスタジアムが沸き上がった。

「ユオの奴、気合十分だぜ! うぉおい、俺たちの分まで頑張ってくれぇ!」

「本当……ユオさんも最下位だったら僕たちの立場無いよ……」

「うるせぇ! 僕たちって言うなニック、俺はビリのお前より良い順位だったんだからよ!」

「8人中、8着と7着」

「「……」」


 スタンドでギャーギャー騒ぐラルフに現実を突きつけると一瞬で大人しくなった。


 クリスとしては精いっぱいのレースをした2人を労ってやろうと思っていたのだが、そんな気も起きない程の惨敗に口を閉じるしかなかった。


 分かってはいたことだが、シドールの選手はレベルが違う。


 一校の出場人数制限によりレギュラーと補欠で分けられる実力の世界。今の2人では補欠だけを集めたレースでも歯が立たないだろう。


 国内有数のエリートが集まる名門校との対戦は、やはり荷が重かった。


 2人はデビュー戦を終え、これからはこういった選手と対戦していかねばならない。この敗北を糧として成長してもらいたかった。故に、厳しい態度で臨むと決めたのだ。


「まぁ、反省は後で良い。今はクラブメイトの応援をしよう」

「ユオさん、先行策を取りませんね。今までの飛行と違います」

「な、なんか……雰囲気も違うぜ。こう鬼気迫るってーの? すんげぇ思いつめた顔してるぜ」

「それだけ勝ちたい理由があるのだろう」

「言っちまえば、ただの模擬レースっすよ? ランキングにも影響しないただの交流試合なのによぉ」

「そういう甘さが今回の君の敗因かもな」

「……さーせん」


 スタートから20秒ほど経過し、歓声も落ち着き始めた頃、再びスタジアムが揺れる。

 ドリンクに口をつけたラルフが驚いて吹き出した。


「げぇっほ! ……な、なんだなんだ! 何が起きた⁉」

「先頭が後続を突き放し始めました。逃げてるんですよ」


 ニコラスがメガネをクイッと持ち上げて冷静に解説する。


「それもとんでもない速さで。無謀な大逃げと言っても良いくらいのペースだよ」

「逃げくれぇで大げさな観客だな」

「いやそれだけじゃない」


 メディアも入った公開練習とあって学校も気合が入っているようで、放送部による実況が響き渡る。


『我が校の女王、アイリーン・シャーガ―が一気に突き放す! その差、10,いや20メートル以上! 加速が止まらなぁぁぁい! 見る見るうちに隊列が縦長になっていきますっ!』


 実況の声に押されるように、スタジアムの熱狂が一段階大きくなる。


「へ、へぇ……確かに速ぇな……でも、それにしてもだろ⁉ 人気選手つってもこの騒ぎは———待て、待て待て……い、今なんて言ったんだ……」

「ラルフはプロのレースしか観ないから知らないんだね。あれは『シドールの女王』アイリーン・シャーガ―。14歳のデビューから4年間、35戦全勝の怪物だよ」

「いや……そ、そうじゃねぇだろ! 戦績とかそんなんじゃなくて! あの逃げ方! その名前! あの顔ぉお!」

「うん、エイダさんのお姉さんだね」

「うっそだろおおおぉぉぉぉぉぉぉぉお⁉」


 目を見開いて顎が床に着きそうになる。


「し、知らなかった! エイダにあんな美人で強い姉ちゃんがいるなんて……はっ! コール先生! 先生は知ってたんすか⁉」


 身を乗り出すラルフを止めつつクリスは「勿論」と言った。


「あの姉妹とは俺が現役時代からの付き合いだからな。ラルフ君は同じ学校だろう? 今まで聞いたこと無かったのか?」

「う、うちの学校って公立だし、家の問題が複雑な奴も多いからあんましそーいう話はしないんすよ……でも、まさかこんなことがっ」

「そうなのか……じゃあ、家業についても知らないのか」

「か、かぎょー?」

「彼女の父親は会社を経営しているんだ。マントメーカーの『ニャヴ・マーチ』って聞いたことはあるだろう?」


 ラルフは座席の下に崩れ落ちた。脳が処理できる情報許容量を超えたらしい。


「大げさだよラルフ……。エイダさんが普段使ってるマントだってニャヴ・マーチだよ? 僕たち普通の高校生が持てるような代物じゃないことくらい、とっくに気づいていると思っていたよ……」


 腰を抜かしたラルフは震える唇を何とか動かして。


「え、エイダに言ったら……しょ、紹介してくれるかな……」

「それ、今言う事?」


 依然、アイリーンが集団を引き付ける形でレースが進行する。

 ユオは最後方に位置したままだった。

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