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黒髪エルフのサングラス  作者: 石野舟
第2章・ナイフ耳を包み隠す
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第18話

(何やってんだ俺は……)


 順調だったビラ配りは下校時間が過ぎていくほど難しくなっていった。通りかかる生徒の数が減り、守衛の「こいついつまでいるんだ?」的な視線にうんざりしてきた頃、正門近くの鉄柵の奥から声が聞こえてきた。


『エルフならエルフらしく———』


 初めは女子生徒がじゃれて遊んでいるのだと思った。が、次第に声が大きくなってくると会話の内容が聞こえ始め、興味本位で鉄柵の間に顔を突っ込んだ。


「ちっ……」


 メドハギの予感は的中した。

 彼女がいた。長い黒髪に銀色の瞳の少女だ。

 女子生徒2人がユオを押さえつけ、髪を引っ張り、地面に転がされた彼女のイヤーマフを奪い取って池に投げ捨てていた。


 その瞬間、身体が勝手に動いた。


 鉄柵を超え、迷わず池に飛び込んで投げ捨てられたイヤーマフと定期入れを拾い上げた。

 そして……、


「ぶはぁっ! ……な、なに……この人……」


 女子生徒が水面から顔を出した時、メドハギはようやく我に返った。


「ちっ……」


 助けようなどと正義の心で勇んだつもりはない。ただ、一瞬で自分の中の沸点を超えてしまった。


「ちょ、ちょっと何してんのアンタ⁉ 先生でも用務員でも無いわよね⁉ 生徒を池に引きずり込むなんて———」

「あぁ? 人聞き悪いこと言うなクソガキ、俺はただ足を滑らせて池に落ちたから手近なところに掴まって這い上がろうとしただけだ。嬢ちゃんの手をたまたま掴んじまったんだよ」

「嘘つけ! 思いっきり引っ張ってたし、決め顔までしてただろうが!」


 ユオの後ろにいた女子が顔を真っ赤にしながら詰め寄ってくる。


「ふ、不審者のオジサン、ここがどこだか分かってんの⁉ 名門シドールの生徒は魔術の———あ」


 カバンから杖を取り出すのを察知してすかさず叩き落とす。カラン、と乾いた音が響いた。


「攻撃するつもりなら黙って撃て。先に杖を構えたからって油断すんなよ」


 メドハギは目だけをユオに向けた。

 目元に浮かんだ涙が溢れ、潤んだ瞳がこちらを見ている。

 安堵と言うより驚きの表情、涙が流れ落ちるのは悔しいからだろう。

 メドハギはそこまで自信過剰な男ではない。きっと自分が唐突に現れて驚いているだけだ、サングラスのおじさんが来て安心する道理はない。彼女にとっての自分は奇妙な出会い方をしただけの赤の他人なのだから。


「せ、先生呼ぶから! 生徒に手を出して無事に済むと思ってんの⁉」


 しかし、

 期待されていないとしても、放っておく理由にはならない。

 明確な理由も大義名分も必要ない。自分がそうしたかったから、理由なんてそんなもので十分だ。

 メドハギは彼女にとっての救世主になるつもりはない。ただ、気に入らないだけだった。人を踏みつけにして自分が偉いつもりでいる馬鹿な生徒も、そういう生徒がいることを黙認している学校も、そして、悔しそうにする割にはされるがままの意気地なしのエルフも、全部が彼の神経を逆撫でる。


(ムカつくんだよ……)


 サングラスのブリッジを押し上げる。


「無事に済むとは思わねぇよ、だからまぁ……逃げることにするわ。お前も池に落としてから」

「なっ」


 女子生徒の肩を突き飛ばす。

 ばっしゃーん! と水しぶきが豪快に舞った。


「この池、昔からずっと上澄みだけを浄水魔術で浄化してるだけで、底の方はめちゃくちゃ汚いんだよな。古い雑巾でゲロ拭いた感じの匂いが2週間は取れないんだぜ」


 初めに落とされた女子と並んで、2人のいじめっ子が不潔な池の中で呆然とした顔を晒す。


「ユオ、見ろよ中々痛快な光景じゃねぇか? 今度からはやり返しな、何だったら虫を操る術でも教えようか? スカートの中にゴキブリでも突っ込んでやれ、焦って公開ストリップし始めるかもしれねぇぞ!」

「は……ははははは」


 ユオが笑った。

 眉根を寄せて諦めたように俯くより、年相応に笑っている方がずっと良い。心なしか、表情が柔らかくなって、耳の角も丸くなってきたように感じる。気づけばメドハギも彼女と同じように笑っていた。


 そして、涙を拭ったユオが立ち上がった。


「本当……色々と不思議な人ですね……ふふ、一体どこから入って来たんですか?」

「柵を飛び越えてな。多分すぐに守衛やら先生やらがやって来ると思うから逃げなきゃなんねぇ、植物園の方から脱出しようと思うんだが、協力してくれるか?」

「えぇ……何やってるんですか……」


 言いながらユオが手を差し向けて来る。


「ありがとよ、助かったぜ」


 メドハギはその手を取って駆け出す。

 懐かしい気持ちだった。サボりがバレて教師に追い掛け回されたり、無理やりサングラスを外そうとしてきたクラスメイトをボコボコにして報復に遭ったり、学生時代を思い出さずにはいられなかった。


(そうそう、こんな感覚だったな)


 喉元過ぎれば熱さを忘れる、とはよく言ったもので、退屈でクソみたいな時代だったはずなのに、今となっては全てひっくるめて『懐かしい』の一言で片付いてしまう。


 隣を走るユオの横顔を見る。


「ここでしか咲けない、か……」

「?」


 かつての自分もこんな顔をしていたのか、と似合わぬ感傷に浸っていると、


「止まりなさい、メドハギ・ブラック!」

「はいぃっ!」


 聞き覚えのある声にメドハギの足が止まる。その場で固まり、反射的に背筋が伸びてしまった。

 ギギギ、と錆びついた歯車を回すように、振り返る。

 つばの広い三角帽子に深緑のローブ、絵本に出てくるような、いかにも魔女といった姿で立っていた。

 厳格さが顔の皺に刻まれた女性がこちらを睨む。視認した瞬間、当時の記憶が呼び起こされた。

 そのどれもが、敗北の記憶だ。


「ハリントン……」


 メドハギは逃走を諦めた。

 

 ×××


 石がむき出しになった寒々しい壁を覆い隠すように本棚が設置され、収まりきらない数々の書籍が書斎机に積まれている。一見雑な印象を受けるが、部屋に入ってすぐ右のスペースには向かい合ったソファと、光沢のある一枚板のテーブルが設えられており、その空間はよく片付けられている。応接室の代わりなのだろう。

 メドハギはユオの隣に座っていた。


「これって、差別じゃねぇの?」


 老女とユオの前には高級そうなティーカップが置かれている。勿論、砂糖とミルクも一緒に。対して、メドハギの前には何も置かれていなかった。それどころか、ソファに新聞紙が何重にも敷かれていて、その上以外に座る事を許可されなかった。池に入ったメドハギのズボンは汚れているので当たり前と言えば当たり前の対応なのだが、こうもあからさまな対応をされるのは面白くない。


「俺は外飼いの犬かよ」

「あら、野良犬じみている、と言う点で良い表現ですね。アップルトンさん、クッキー要るかしら」

「お、お構いなく……」


 老女が戸棚から缶を取り出し、お茶の準備をし始めた。


 アビゲイル・ハリントン。長年シドール校・スポーツ科で教鞭を執る魔女。かつてのメドハギを指導した名物教師である。見た目こそ年相応? に老けているが、背筋はしっかししているし、鋭く力強い眼光は衰えを感じさせない。


(この人、全然変わらねぇな。初めて会った時からずっとばあさんだ)


 詳しい年齢は分からないが、70はとっくに超えていそうである。まさか未だに現職とは思わなかった。年齢的にも風格的にも校長と言われた方が納得できる。

 部屋の本のほとんどが外套競争グァイリスとスポーツ科学に関するものであり、心理学や魔術生理学の本なども散見される。とことん現場主義の教師なのはすぐに分かった。


「相変わらず勉強熱心すねー、今でもクラブのトレーナーを?」

「あまりレディの部屋を不躾に見るものではありませんよ?」

「レディっつーか、おばあ———」


 余計なことは言わない方が良さそうだ。こめかみのすぐ傍の壁に突き刺さったフォークを見て息を呑む。


「トレーナーは続けていますよ。あなたと出会ってからレースの奥深さを再認識しましたからね。身体が動かなくなるまで辞めるつもりはありません」

「そうっすか、お元気なようで安心しましたよ、『鉄の魔女』は健在なようだ」

「ふふ、悪童が一端の社交辞令を身につけた様ですね」

「そう思うなら茶の一杯でも淹れてくれませんかねぇ、こっちは身体が冷えてるんですよ」

「愛蔵の茶葉は私とお客様と生徒にしかお出ししないのですよ、悪しからず」

「俺は客じゃねぇのかよ」

「不法侵入の現行犯ですから、ほほほ」

「へっ、そもそも俺はコーヒー党だ、紅茶なんて要らねぇけど」


 そんなやり取りをしばらくすると、テーブルに紅茶の湯気が二本立ち上った。やはりメドハギの分は無さそうである。

 本当に変わらない。こんなやり取りも当時は数えきれないほどやった。紅茶とバターの香り、呆れ顔のハリントン、時が止まったような錯覚に陥りそうだった。


「ん、どうしたユオ?」


 現実に戻る為、隣で複雑な表情をしていた少女の方を見た。


「私たち、なんでお茶会をする雰囲気なんですか……謎の急展開に置いてけぼりです」

「たしかに、アフタヌーンティーにしては遅いですね、そろそろディナーの時間です。まぁでも構わないでしょう、紅茶はいつ飲んでも美味しいですから」

「釈放されたら夕飯奢ってやるからよ、もう少し我慢しろ。お前、南部料理とか平気?」

「そういう事では無くて!」


 教師と生徒と元生徒、奇妙なお茶会が始まった!

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