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黒髪エルフのサングラス  作者: 石野舟
第2章・ナイフ耳を包み隠す
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第17話

 博物館の外はすっかり夕暮れに変わっていた。資料館でかなりの時間を費やしたユオは駅へ向かう人の流れに合流し帰宅の途につこうとした。

 しかし、


「無い……」


 朝、家から学校に向かう時に使用した鉄道の定期券がカバンの定位置に無かった。上着やその他を探しても見つからない。


(まだ有効期限が残ってたのに……どこかで落としたのかな……)


 切符を購入して帰ることはできるが、財布事情が苦しいユオにはこのまま諦めるという選択肢は無い。

 面倒だが一度学校へ戻ることにした。


 道中、ユオは考える。


(もし私がこのままあのクラブに行かなかったら、あの人はクビになるのかな……)


 そもそも戸籍が無い状態でトレーナーなどやっていられるのか、とか、現役復帰をすることはないのか、とか、頭の中がメドハギの事でいっぱいになる。


(まだ20代なら全然再スタートできる……でも、協会を恨んでいるだろうから難しいか……)


 こうして歩いているだけでも、レースに関する情報が入ってくる。

 通りかかった路面店の窓には週末のレースの告知ポスターが張られ、路地裏には選手の似顔絵が落書きされており、公衆電話のドアには協会の求人情報が張り付けられている。この街はどこを見ても外套競争グァイリスだ。もしレースが嫌いな人間がいるなら、この国はとても住みづらい国に違いない。もしかしたら、彼はこういう雰囲気が嫌で国を出たのではないか。


 ユオは路面に付き出た書店のラックの前で立ち止まった。普段なら気にも留めない大衆紙が目についたのだ。


(こういう雑誌で叩かれていたのかな……)


 平積みされたうちの一冊を手に取って、すぐに置く。

『元二級選手A氏、黒い付き合い⁉』『外套競争グァイリス別団体設立の噂の真相に迫る!』『超人気若手女優の元カレはまさかの!』等、表紙にはそんな文字が無責任に踊る。

 ため息が出た。

 情報源ソースも曖昧で、報道とは名ばかりの噂話を並べた陳腐な雑誌一つで、人生が大きく狂わされた人がいるとは思いたくない。


(今日もあのクラブにいるのかな。会って直接……いや、そんなこと聞けないよね……もし自分がその立場だったら聞かれたくないし……)


 でも知りたい。

 資料館へ向かった時よりも、その気持ちはかえって強まった。


(どうしたら良いの……)


 このまま学校のクラブにいても練習には出られない。でも、自分は学校のクラブに入っていて、二重所属状態ではレースに出られない。思い切って今のクラブを辞める? でも、苦労して入った名門校のクラブだ。親にも申し訳ない。でも、このままでは自分も彼も……。

 でも、でも、でも、と繰り返していると、


 そこで彼女の思考は突然断ち切られた。


「アップルトン、練習にも出ずに何してんの~? もう練習終わっちゃったんですけど~」

「!」


 失念していた。この時間はクラブの練習が終わってメンバーが帰り始める頃である。

 学校と博物館はそれなりに距離があるはずなのだが、いつの間にかぐるぐると考え込むうちに、ユオはいつの間にか学校の正門までやって来ていた。

 見た目だけは綺麗な『知の池』の前で立ちすくむ。教室で絡んできた女子生徒2人がニタニタ笑いながら近づいてくる。

 凍り付いたユオは腹部に手をやった。またあの痛みだ、キリキリと痛い。


「良いご身分だねぇ、練習にも出ないのにレースには出ようとするなんて」

「私は強いから練習しなくても余裕って思ってそ~。一校の出場は一シーズンに四十人までって規定があるせいでレギュラー落ちのウチらは出られないから羨ましいよ~。才能があって良いなぁ~」


 ユオは何も返さない。

 ただ黙ってこの場をやり過ごすつもりだ。いつも通りに。

 ただ、今回はそうもいかないらしく、


「また無視かよ。アンタさぁ、ウチらのこと舐めてんの?」

「……い、いえ……」


 一人がユオの前に立ちはだかり、もう一人が後方に回った。逃げられない。


「珍しい虹彩だからって下に見てんじゃねぇよ、ナイフ耳のくせに」

「そーそー、エルフだからってハリントンに目ぇかけてもらってるだけでしょ。たまに練習に出たと思ったら貧血とか言ってすぐにサボるし、本当、何様なのって感じ~」


 もう定期券などどうでも良い。今すぐにでもこの場からは離れなければ。そう思っているのに体が動かない。まるでその場に縫い留められたように身動きが取れなくなった。


「あんたのせいで出場の一枠が埋まってんの、どうせ大した成績じゃないんだからさ、次のレース棄権してよ。だってその方が良くない? どうせアンタが出ても応援なんて誰もいないんだし」

「そ、それは……わた、私も崖っぷちなんです。次負けたら降格で……」

「は、聞こえねぇよ、もっとハッキリ喋れや! あぁそっかぁ、アンタ耳塞いでるから自分の声量が分からないんでしょ!」

 女子生徒の眉が吊り上がる。

 しかし、

 まずい、と直感した時には、もう遅かった。

 ユオの髪が強引に掴まれ、イヤーマフに指がかけられる。


「いやっ……やめて、ください……っ!」

 

 女子生徒は飼い犬に手でも噛まれたような顔をして、ユオの髪を引っ張る。

 力を込めて抵抗するが、後ろの女子に羽交い絞めにされ引き倒された。そして、


「うっわ、やっぱりその耳キモ。悪魔じゃん」

「あ……」


 イヤーマフがはぎ取られ、収まっていた尖った耳が露わになった。

 長い黒髪を分けて突き出るそれを、ユオは咄嗟に両手で隠す。

 こちらを見下ろす顔を見たくなくて、ユオは倒れたまま瞼を閉じ、身を縮める。


(ダメだ……怖い……)


 言い返そうにも唇が震えて言葉にできない。立ち上がろうにも体が上手く動かせない。


「ここはアンタみたいな猿が居て良いところじゃないの。エルフならエルフらしく森でウサギと追いかけっこでもしてなよ、その方がお互い幸せなの、分かる? ねぇ、何とか言ったらどう、共通語通じてますかぁ⁉ それともエルフは言葉とか分かんないのかなぁっ!」

「ちょ、あはは! 声デカすぎ! 誰か来たら面倒だしもう行こ~? 仕返しで呪いとかかけられたくないし~」

「大丈夫だって、ハリントンはこの時間職員室にいるし、呪いとか今の時代無いっしょ! それに下手なことで杖使ったら捕まるのはコイツだし!」


 嗜虐的な笑い声が鼓膜を叩く。


(早く、早く終わって……)


 ここまで直接的な嫌がらせを受けたのは久しぶりだ。名門校の生徒であるため表立って危害を加えてくることは少なかったのだが、何が気に入らないのか、いつにも増して苛烈で執拗に責め立ててくる。

 下手に反撃して、逆上した彼女たちが次にどんなことをしてくるか分からない。ユオはそれが怖い。


(身体が動かない……っ、何で、何で私はこんなに弱いの)


 胃腸が絞り上げられているかのごとく、強烈に痛む。どんどん呼吸が浅くなって視界がぼやけてきた。

 杖を取り出そうにも、立ち上がろうにも、今自分がどんな体勢なのかも分からない。

 嗚咽を繰り返し、涙が頬を伝う。


「ほら取ってきなー」


 女子生徒は奪ったイヤーマフを池に放り捨てた。

 ぼちゃん、と音がしてユオはなんとかそちらへ向く。


「あんた池に入るの好きでしょ? この前もマントを拾いに入ってたもんねぇ。あんな汚いところに入っていくなんて神経疑うわ! あぁ~、アンタ自身、血が汚れてるから平気なのか! ははっ、もういいや、これも捨てとこ」


 女子生徒は掌ほどのカードのようなものを投げ捨てた。


「教室に落ちてた定期入れなんだけど、汚いしブランドもよく分かんないから捨てても良いよね?」


 悔しい。血が沸騰するほど悔しい。


 今すぐにでも立ち上がってその綺麗な鼻っ柱を叩き折ってやりたかった。

 しかし、ユオの身体は小さく震えるだけ。


(間違ってた……一瞬でもあの人みたくありたい、なんて思ったのが間違いだった……周りを見かえして復讐してやるなんて、そんなこと自分にできるはずが無かった……こんな、こんな連中にやり返すこともできない弱い自分が、そんなことできるはずない…………誰か…………誰か)


 理不尽や不条理を跳ね返し、突き進むだけの力は自分に無いと認め、全てを諦めかけた。いっそ気を失ってしまった方が楽に思える程の苦しみの中、少女は藁にも縋る想いで奇跡を願った。


(助けて!)


 その時、


「ポイ捨てはいけないなぁ、お嬢ちゃん」


 その人はいた。

 こんな場所にいるはずのない男が、サングラスをかけた男がザブザブと池の中を歩いて来る。

 男は泥が付くのも気にせず、水底に沈んだイヤーマフと定期入れを拾い上げると、


「校則違反、罰則ペナルティだ」

 

 女子生徒の腕を掴んで池に引き摺り込んだ。

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