第12話
終業のチャイムが鳴った。
静かな教室が一気に騒がしくなり、弛緩した空気が流れ始める。
クリーム色のシャツにネクタイ姿の男女がチャイムを合図にして動き出す様子はスポーツ科の日常である。
教科書をカバンに詰め込んで教室を飛び出す男子、スポーツバッグ片手にお喋りを始める女子。全員が慌ただしく、それでいて楽しそうにクラブ活動へ意識をスライドさせていく。
シドール魔術学校スポーツ科の生徒はまるで、放課後こそ我々の時間だ、と主張するようにそれぞれの活動へ向かっていく。
スポーツ科なのだから、クラブ活動をするのは当たり前だ。そう言われているような気がして、銀の瞳の少女は机に視線を落とした。
「アップルトン、今日はクラブ来んの~?」
女子生徒2人の弾む声がユオの背にかけられる。だが、ユオは返事をしない。振り向くことさえしない。
「ちょっとやめな~、可哀想じゃ~ん! あんなマントで練習できるわけないじゃん! あはっ、別にマントは関係ないか、もうずっと来てないもんね」
「も~あんたの方がひどくない? 別に意地悪しようと思って言ったわけじゃないから誤解しないでね、アップルトン?」
無視が最適であるということを彼女は知っている。
友人でもなく、用事もないはずのクラスメイトが自分に声をかけてくるのは、こちらの反応を楽しんでいるからだ。期待した反応が無いと分かればすぐに去ってくれるだろう、とユオは空虚な目で時計を見た。
「……」
ユオが無言のまま席を立つと、2人は笑った。
「はっ、無視かよ」
「クラブにも来れないんだったら、クラブ辞めればいいのにね」
陰口と言うにはあまりに大きな声。聞かれてマズいとも思っていないのだろう。
彼女たちがそんな態度をとる理由は分かっていた。
ユオは多くの生徒と違うから。
ユオの瞳は銀色だ。人々の虹彩が多様なこの国においてもそんな瞳を持つ者は稀であり、加えて彼女は非常に珍しいエルフという種族だ。しかも黒髪の。
エルフと言えば金髪が常識なのに、彼女の特徴はそれから大きく外れている。
顔の横に大きく突き出した尖った耳は間違いなくエルフ的特徴。にもかかわらず、髪は黒い。
一体、ユオ・アップルトンとは何者なんだ? と、嫌でも目立ってしまうのは当然。そして、それを気に入らないと思う者が現れるのも当然だ。
ロビーへ向かう道中も多くの目を向けられる。当然、これも無視する。
「ほら……あれ、黒髪のナイフ耳の……」
「え~? でも耳見えねぇじゃん」
「隠してんじゃないか」
「お前ちょっと見せてもらって来いよ!」
「やめろって、呪われたらどうすんだ」
「やべ、聞こえるって」
無視が一番楽だと分かってはいても、悔しさはある。
だからこそ、ユオは耳を隠すのだ。見えないように、目立たぬように。
どれだけ耳が熱くても、痛くても、血が出ようが構わない。これ以上面倒なことにはなりたくなかった。これ以上、悔しい想いはしたくない。だから隠す。
ユオは昔からこうだったではない。元来負けず嫌いだったし、嫌なことは嫌だとハッキリ言うこともあった。
だが、中学に上がり、周りも思春期に突入するにつれて自分の特異性を自覚するようになった。
彼女にとって不幸だったのは、その特異性が外見だけに留まらなかったことだろう。
この学校に来る以前から彼女の飛行は特別だったし、同年代の子供同士ではレースを成立させることさえ難しかった。
噂を聞きつけ挑戦してくる年上もまるで歯が立たなかった。
本番のレースでは彼女が出るというだけで、他の選手が棄権することもあった。
ユオは一人だった。
尖り過ぎた才能は他者を傷つけ、ますます自分を孤独にさせる。この耳と同じだ。
———そう思い始めた13歳の頃、自分の身体にハンデがあることを知った。
持病だ。日常生活に支障は無く、手術が必要なほど深刻ではない。だが、激しい運動をすれば重大な事故に繋がる可能性があると医者に言われたのだ。
それは、夢だったプロにはなれないかもしれない、と宣告されたのと同義だ。
だが、どうしようもない現実が突きつけられたというのにユオは安心した。
だって、これでようやく皆と一緒に飛べる。
自分は強すぎる。速すぎるから。それが理由で怯えられたり、疎まれることはなくなるんだ。
持病を理由に本気を出さなくて済む言い訳ができた、と思い込み、他人と同じようにプレーすれば自分は仲良くできる、と信じた。
しかし、それは間違いだった。
これまでの彼女の飛行を知る仲間からは「手を抜いている」と激怒され、当時、外套競争を教えてくれていたトレーナーには「持病があるならプロの道は諦めた方が良い」とクラブを追い出された。
共に夢を追う仲間も、夢そのものも遠のいてしまった。
歪な胸裏に残ったのは、それでもやっぱりプロになりたいという一念。
そして彼女は自分を隠した。傷つくのが怖くて、見放されるのが怖くて全てをイヤーマフの中に押し込んだ。
やがて高校生になり、心の熱がイヤーマフの中で熾火のように燃え続けていることに気が付いた。
見ないふりを決め込んでいるうちに、「プロになりたい」という真っすぐな想いが形を歪めていったのかもしれない。次第に、こんな想いが浮かんできた。
誰もが認めるトップ選手になれたなら、自分をさらけ出すことができるのに、と。
そんなことができるのはごく一部の人たちだけ。分かっている、周りが怖くてまともに練習にも行くことができない自分がそんな上澄みの選手になれるはずがない事くらい。
それでも、もし、もしそうなれたら自分の存在を誰かに認めてもらえるはずなのに、と。
理想と現実の間で板挟みになった少女の心の叫びを聞く者はいなかった。もし寄り添ってくれる『理解者』がいたなら、今でも変わらず真っすぐな想いのまま空を飛べたのかもしれない。
しかしながら、そんな可能性の話は無意味だろう。サングラスの風変りな男は可能性の一つだったのだが、ユオは拒絶した。差し伸べられていると半ば理解しつつも、その手を払ってしまった。
もし昨日、あの瞬間、あの男と共に行く決意ができたなら何かが変わっていたのかもしれない。そこまで分かっていながらユオは動かない、動けない。
今からでも遅くは無いというのに、もう一度彼に会いに行く勇気が無い。
可能性はまだ残っているのに、諦める理由を探し、諦める準備をしてしまっていた。
(クラブも学校も……自分も、何もかも嫌…………私はただ飛んでいたいだけなのに……)
ユオは渡り廊下中央の壁の前で立ち止まる。大きな掲示板には学内行事の予定表や各クラブ活動の報告やお知らせがぎっしり張り付けられており、その内の一枚に触れた。
学生・一般レース出場表。来週末の第5レースの欄にユオの名が示されている。
次のレースは負けられない。
今シーズンの成績は6勝4敗。5敗目が記録された時点でランクが下がってしまう。
崖っぷちのこの状況、本来ならば全神経をレースに集中させ、少しでも多くの時間を練習に割くべきだ。
「っ……」
クラブに向かおうとすると腹部に鈍い痛みが走る。
はじめは違和感がある程度だったのだが、最近ではクラブのことを考えるだけでどうしようもないほど痛くなってしまう。
ユオはシャツの裾を握り込んだ。情けなさに顔が熱くなる。
もうずっと息が苦しい。喉が詰まったような感覚が消えない。マントを羽織って飛び上がればそうしたストレスは消えてくれるのにそれができない。行きたいのに、練習したいのに、できない。
意味のないため息を吐いて、ユオはふと思いだす。
あのサングラスの男の事を。
(あの人もこんな風に苦しんだのかな……)
石橋で見た彼の瞳。あれは自分の耳と同じ『目立つもの』だ。故に彼もまたサングラスで隠しているのだろう。
自分と同じ。同じはずなのに、彼には自由がある。少なくともユオにはそう見えた。
彼は何者なのか。
元1級の選手ならばテレビや雑誌の露出もあったはず、年齢は27と言っていた。昔からレース関連の番組や雑誌は欠かさずチェックしていたが、メドハギ・ブラックという選手の記憶がない。
1シーズンだけ1級だったのだろうか。サングラスを常に着用する個性があるならば覚えているはずなのだが。外套競争の名場面、珍場面を振り返る特番でも『メドハギ』の名は出たことがないと思う。
ユオは考えながら校舎を出た。
飛行練習を行うクラブメンバーの声が第3グラウンドから響いてくる。クラブメンバーとトレーナーのハリントン先生に見つからない様に敷地を抜ける。
だが、こんな早くに帰宅すれば両親が不審がる。娘が練習に行っていないと知ればきっと心配する。練習にも行けず、帰路につくことも出来なくなったユオは街をさまよい歩いた。
学生レースにも賞金は出るが、当然プロには遠く及ばない額である上、ユオのランクは全体の中の下ほど。親からの小遣いを足してもそれほど贅沢できる身ではない。
適当なカフェに入って時間を潰そうかとも考えたが、財布の中を確認するとそんな気も失せてしまった。
落ち着けて時間を浪費できる場所、それも低コストで、となれば選択肢は少ない。
まるで導かれるようにユオはやって来た。
外套競争記念博物館。
ここなら学生料金で利用でき、図書スペースで腰を下ろせる。
それに……、
「……あの人の情報も、この場所ならあるかな……」
他にやるべきこともやりたいこともある。でも、できないのだからしょうがない。
今日のところはあのサングラスの男について調べてみるのも悪くない。
練習は明日だ。明日は必ず行こう。
ユオは自分に言い聞かせてから入館した。




