第10話
併せが始まる少し前。即応員が位置につくのを待つ間。エイダがユオに声をかけた。
「よろしくね~。えぇっと、ユオちゃん!」
「……はい、シャーガーさん……」
「エイダって呼んでよ~! 私シャーガーって名字あんまり好きじゃないんだ~。なんか強そうな感じするでしょ~?」
「……はぁ、そうですか……」
「ユオちゃんってクールだね~! サラサラの黒髪キレイだしスタイル良いし! 私なんかチビだし天然パーマだよ~、マジで羨まし~! この髪、毎朝大変でさ~、今日もセットしてる時お姉ちゃんに『早くしなさい、練習に遅れるわよ』って怒られちゃったあはははは~!」
「……あ、ありがとうございます……」
両手で耳のある辺りの髪を押さえつけて、ユオが距離を取る。
「あ、ごめんごめん! 勝手に触る気はないよ~。髪は魔女の命って言われてるしね~、でも何でだろ。目玉なら分かるけど髪の毛に魔力なんてほとんどないのにね~。非魔術師が勘違いしたのかな~、私お馬鹿だから分かんないや~あはは~」
つい先ほどサングラスの男に見せた、ただならぬ雰囲気は気のせいだったのか。
立て板に水のように話す彼女からは軽薄さすら感じる。
だが何であれ、ユオにとってはどうでも良いことだ。彼女とは今日この瞬間併せるだけの関係なのだから。
「外套競争してて長髪だと不便じゃないの? 後ろで束ねたりもしてないし……珍しいね、そういう主義? ねね、ヘアオイルとか何使ってんの~?」
「……そろそろ始まりますよ」
暗に「黙れ」と言ったつもりだったのだが、エイダは少しも気にする素振りが無い。次々と話題を変えて喋りまくる。
クラスの1軍女子と似た雰囲気をかぎ取ったユオは眉を顰める。
「でも~、シドールの人と飛べるなんて今日はツいてるかも~! 学生リーグの上位って名門校が独占しちゃってるじゃん? 本番以外で手合わせができる機会なんてそうそうないもん!」
否、
「本当……ゾクゾクしちゃう」
この瞬間、ユオは自分の認識の誤りを認めた。
こんな目をする人が軽薄であるはずがない、と。
エイダの水色に近かった虹彩が深みを増していた。爛々とビー玉のように、と言えば聞こえは良いが、彼女のそれは思考の読めない獣に近い。
ユオはつばを飲み込む。
「……あなたの、お姉さんは……」
言いかけた時、トレーナー達の通信が遮った。
『いつでも良いぞ』
「了解」
併せが始まる。
(このプレッシャーは何……ただの練習なのに……)
ユオは深呼吸をして、右手で左手首に触れた。
「用意」
多くの練習生とトレーナー2人の視線が注がれる。
「…………始め!」
合図と同時に駆け出す。
「⁉」
ユオは進行方向の前方斜め上を見上げた。
弾丸のように弾かれたエイダは次の瞬間には空へ飛び上がっていたのである。
0.4秒後、後を追うようにユオも飛ぶ。
アクセル全開。徐々に加速するユオを置き去りにしてエイダがかっ飛んでいく。
後ろの様子などまるで気にする素振りも無く、ハイペースのマイペース。
まるで、「付いて来られるものなら、ついて来い」と言わんばかりだ。
併せとは本来、調子やレース感を確かめるためのものであり、全力で攻める模擬レースとは違う。言うなれば寸止めで行われるマス・ボクシングと、力を入れて打ち合うスパーリングだ。
こちらにはその気がないのに、全力の打ち合いを期待しているかのような飛行に、ユオは歯噛みする。
(なぜそこまで……編隊飛行でなければ併せの意味が薄いのに……もしかして試されている……?)
鳥のように建物の隙間を飛ぶ後ろ姿。規則正しく丁寧で無駄が少ない。
技術だけなら学生リーグの上位レベル。もしかするとプロに匹敵するレベルかもしれない。
高速でコーナーに迫るユオはビルの壁面から生える看板を掴んで無理やり右方向に進路を変える。
マント操作の技術では彼女に劣っていても、ユオは名門校のスポーツ科の生徒。器械体操の応用で、壁走りは身についている。
(……これは練習。私は体験入会でお邪魔している身だから、引き離されない様に、せめて役に立たないと……でも……)
空中で一回転して、跳び箱を超える要領で看板を飛び越える。景色がぶっ飛ぶ中、上空に即応員が見えた。
サングラスをかけていても分かるほど、不満げな顔。
(その顔をしたいのは、私の方ですよ)
高所から転落しそうな女性を助けようとしたら頭突きされ、魔術で吹っ飛ばされた。警察に事情聴取され、ビルの持ち主にはお金を押し付けられ、それをあの男に返そうとしたら、意味不明な交換条件でこんなところにまで引っ張り出された。
ハッキリ断らなかった自分も悪いとは思うが、貴重な休みの日に何故こんなことをしているのだ、と情けなくなる。自分の性格が恨めしい。
挙句の果てに、練習相手は何故か本気だ。
自分の想いや言い分を他人が聞いてくれないのはいつものことだが、それにしたってひどいではないか。
上空を飛ぶブラックとかいう男も、前方を飛行するエイダとかいう女子にも、段々と腹が立ってくる。
(でも……変に目立つのも嫌だし……)
モヤモヤとした心のまま、それでも練習相手としての仕事だけはしようと、ユオはエイダの後ろを付いて行く。
(もうすぐ最終コーナー……スパートをかけて迫れば、レースの雰囲気は作れる……)
併せ練習で本気になることはない。自分自身の本番が2週間後に控えている。下手に全力を出して怪我をするリスクを考えれば、それくらいでちょうど良い。既に呼吸が苦しくなってきたところだ。
不満はあれど、グッと堪える。
そして、先頭が最終コーナーに差し掛かった時、これまで一度も自分を見なかった彼女と視線が合った。
「なぁんだ。意外と大したことないんだ」
風に乗った声が鼓膜を震わせた。
「……っ」
まるで興味のない、道端の雑草を見るかのような瞳。
目は合っているのに自分を見ていない。眼中にないとはこのことか、とユオは拳を握り締める。固く、強く。爪が肉に食い込む痛みすら無視して。
侮られたり、いない者のように扱われることは、これまでの人生で度々あった。珍しい瞳の色は小さい時から悪目立ちしたし、髪を伸ばす前は種族的特徴をからかわれたりもした。今もそれは続いているが、
それでも平気な顔をしていられたのは外套競争があったからだ。
どれだけ自分を馬鹿にする相手でも、レースになれば無視はできない。自分という存在を意識せざるを得ない。
自分が自分でいられる場所、それが自分にとっての外套競争なのだ。
ちっぽけなプライドだ。でも、だからこそ、こうして蔑ろにされると、腹が立つ。
1対1のレースにおいて、相手を見ないその油断、傲慢。あまりにもリスペクトに欠けている。
エイダの囁きがユオの理性を吹き飛ばした。
漆黒のマント。その裏地に走る回路の刺繍が騒ぐ。
「舐めるなっ!」
一瞬だった。
思わず身を屈めてしまうほどの閃光が炸裂したと同時に、ユオの身体が吹っ飛んだ。
景色、呼吸、即応員、エイダ、あらゆるものを置き去りにする。
「な……!」
爆発的な加速にエイダは反応できなかった。
光が起こってスパートをかけたらしい、と推測するのが精いっぱいで、すぐそばを通過した黒い物体がユオであるということが信じられなかったようだ。
そして、ゴールで待ち受けるコールや練習生も同じ反応を示した。
今まさに、100メートル先で曲がったはずの少女が、いつのまにか目の前にいる。
そんなことがあり得るのか、と誰もが思ったことだろう。
「はぁっ! はぁっ! は、ははは……私の勝ち、ですね……!」
赤褐色の教会の上に黒い影が降り立つ。
銀の瞳の怪物に内向的な少女の面影はない。




