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ひかりのしごと  作者: 遠野なつめ
第二章
9/30

クリティカルヒット

限界突破/下ネタ回です

ライトワーカーに加わって数日が経った。


朝起きてリビングに行くと、陽子が千裕のぶんもトーストを焼いてコーヒーを淹れてくれた。ろ紙に粉末が入ったパックを使って、カップに引っ掛けて上からお湯を注げば淹れたてのコーヒーになる。


陽子は朝にコーヒーを飲む習慣があって、千裕が加わる前からそうして飲んでいたらしい。一つのパックで2杯分淹れるとお得だと話していて、その庶民的な言葉に安心感を覚えた。


少しだけ薄いコーヒーを2人で飲んで、千裕は一人で家を出て第七ブロックに向かい、鉄扉の前で暗証番号を打ち込む。鍵の開く音を聞いて薄く笑った。


──地獄の番人に会いにきました、と。


その日は近接格闘の訓練をすることになった。

巨人と戦うことと直接は関係しないが、ライトワーカーは公権力から敵視されており、治安当局と揉めることも想定しているという。


スポーツや武道とは違って、相手はこちらを無力化するために動いている。実戦じゃルールなんてないようなものだ、と木原は話していた。


そうか、と千裕は思う。

この世界に現れて早々に深夜のプラントで捕まるのとはわけが違う。あのときは「俺のせいじゃないのに」と思っていたが、ライトワーカーに加わった今は「何もしてない」なんて言い訳できない。公権力を敵に回すのは承知の上という組織に入って、そこで訓練を受けている。


木原は基礎的な動きを教えてから千裕を組み伏せた。


木原の膝が千裕の脚をしっかり押さえていて、腕を逆方向に引かれていた。痛みで頭が真っ白になって、ものを考えたり抵抗したりする力が根こそぎ奪われていく。


やっとのことで「はなして」と口にしたが、木原はそれを無視してなかなか放さなかった。解放されてからも、体が動き方を忘れたように言うことを聞かず、床に座り込んでしまう。


「ちょっと休んだら続きをやる」

「まだやるんですか」

「お前が対処できるまで。嫌なら帰るか」


言葉に詰まった。「はい」とも「いいえ」とも即答できなかった。


「……次やったら骨が折れます」

「そう簡単に折れないから安心しろ」


千裕はそれ以上喋るのをやめて、壁に手をついてふらふらと立ちあがった。


こっちに来てから運動能力が上がったとしても、経験と体格は木原が圧倒的に上だ。向かい合って立つと千裕の頭が木原の胸あたりに来る。かなうわけがない、と思った。


何回も組み敷かれて訓練が終わった。

水をかぶったように全身が汗で濡れていたが、手足に痛みは残っていないし、骨や関節に一切の異常はない。後遺症を残さないように加減しているとしたら、木原は確かにプロなんだろう。


拠点に帰ってシャワーを浴びてから、リビングの床で寝てしまった。


木原に押し倒されて犯される夢を見た。涙を流して震えている千裕を、木原は強引にこじ開けるようにして入ってきた。


目が覚めた千裕は自分の頬に手をやって、涙が流れていないことを確かめた。

いつのまにか体にタオルケットが掛けてあって、少し離れたところで扇風機が回っている。風が髪を撫でていった。


夢は日中の経験を整理するものだというけれど。なぜこんな夢を見るのか、自分の神経を疑った。

起き上がって台所に向かいながら「殺すぞ」と呟いていた。日頃は声に出して悪態をついたりしないのに、寝覚めが悪くてやってしまった。


台所で流しを掃除していた青年が、戸惑ったように千裕に目をやる。


「すみません。巨人に言ったんです。草平(そうへい)さんじゃなく」


彼の名字を知らないから、名前にさん付けで呼んで弁解する。同志、と付け足すと草平は納得した様子で「だいぶ染まってきたね」と返した。


草平は組織の一員で、素朴な様子の青年だった。年はかつての千裕より少し上だろう。初めて顔を合わせたとき、彼がこんな地下組織に属しているのは不思議だと思った。自分も含めて、他に行き場のない人間が集まるんだと思っていた。


草平も木原のことを知っていて、以前に訓練を受けたのだと聞いていた。ちょっと相談があって、と千裕は口にする。


近接格闘について尋ねると、草平は掃除を切り上げて千裕の話に付き合ってくれた。


「女の子にも同じ訓練を課してるのか」

「そういうこと」


草平はため息をついて「ほんとうになんでもありだな」と呟いた。


「僕も受けたことあるけど、木原さんに対抗するのは無駄だよ。あれはあくまで精神力を試すためのものだと思う。心が折れるような人を弾くのが目的だから、やる気が伝われば合格じゃないかな」


千裕は不機嫌そうに反応した。

草平の意見は一理あると思うが、聞き入れるのは癪にさわる。


「それでも、何かできることあれば教えてください。このままだと自分の気が済まないので」

「かなわんなあ」


草平はしばらく考えて、言葉を続けた。


「人は視覚からたくさん情報を得て動いてる。目をつぶってると相手のペースに飲まれるから、苦しくても目はちゃんと開けておくこと。もう一つは──」


千裕は深く頷いて、草平にお礼を言った。


次の日、訓練の続きがあった。

千裕は何回か床に倒されたが、しだいに体が慣れてきたのか、木原が手を離すと速やかに立ち上がれるようになった。草平の言葉の通りに、目を開けて相手を見ていた。そう簡単に壊れないことは昨日で分かった。


互いに立ったままスタートしたので、靴の上から木原の足を踏んだ。重心が少し傾いたから、膝の下を蹴って姿勢を崩す。木原はそれを利用して千裕のほうに倒れてきて、マウントポジションを取ろうとした。静かな地下空間で、二人の呼吸が重なり合う。


実戦にルールはない、と木原は話していた。

躊躇せずに急所を狙うこと、と草平は教えてくれた。


木原に押さえられる前に、自分から上体を床に沈めた。

反動をつけて急所を蹴り上げると、木原の呼吸が止まるのが分かった。


木原は組み合いを放棄して、大きな体を丸めていた。

千裕は一度さっと距離を取った後、続きがないのを見てとって、木原のほうに近寄った。


木原が「お前なあ」と千裕を睨んで、とりあえず対処できるようだからこれは終わりだと告げた。


草平の言う通り、千裕のやる気を試すのが目的だったのかもしれない。自分たちは格闘家じゃない。身につけるべきことは他にもあるし、何日も取っ組み合ってるわけにもいかないだろう。


理由がなんであれ、さっぱりした良い気分だった。これからも頑張ろうと思えるような。


「男の人は急所が多くて大変ですね」


そう口にした千裕は、タチの悪い笑みを浮かべていたらしい。

なにも面白くないぞ、と木原は手短に答えた。

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