生体兵器
任務の本番が近づいてきた。
訓練のときに、現地の情報を分析する後方のメンバーが現れて、天気が良い日を選ぶのが大切だと説明した。そうはいっても、シャドウの影響下は常に暗闇に包まれて、夜でも月や星の光は見えないという。雨が降ったという話は聞かないが、こんな状況では天気に良いも悪いもない。
そのため、神戸や滋賀など、影響から離れた一帯がよく晴れている日に決行する。任務は朝から始まって、太陽が出ているうちに行って、夜になる前に完了する予定だった。
大型人型実体、通称「巨人」が倒れる瞬間、シャドウの影響が解けて周囲が明るくなり、いつもの空が見えるようになる。
詳しい仕組みは分かっていないが、明るい日光の下で倒れた巨人は、速やかに崩れて消えていく。夜間や悪天候のように日光が不足する状況では、倒した巨人が地上に残って片づけが厄介だ、という話だった。
浜辺にくじらの骸が漂着したニュースを見たことを思い出した。くじらが漂着しても対応が大変なんだから、地上に巨人が残ったらたいへん厄介だろうと千裕は思った。
*
その日の訓練は昼頃に終わって、午後からは自由に過ごすことになった。本番が近づくにつれて、体力を激しく消耗するような訓練は減っていき、任務の流れのおさらいや装備のメンテナンスが主になっていた。
ブレードを担いで帰りながら、高校生の頃を思い出した。
期末試験が終わってから長い休みに入るまでは半日登校になっていた。帰り道で何人かの友人とハンバーガーを食べて帰ったのだ。ハンバーガーをかじってポテトをつまみながら、成績や進路や流行りのスマホゲームの話をしていた。思えばあれは青春だった。
地下の通路を歩く千裕は、メンバーの一人に呼び止められた。
顔立ちの整った長身の男だった。
彼は改まった顔つきで「君に話がある」と告げると、人が寄り付かない非常扉のほうへ足を進めた。
*
話とは何かと尋ねたが、青い作業服の男は一向に答えない。ここではできない話なのか。
一歩先を歩いていた男は、ふと千裕を振り返って、肩に担いでいるブレードに手を添えた。
「持つよ」
「自分で運べます」
千裕が手伝いを断ると、男は少しの間があってその手を離した。ブレードを他人に触られるのはどうにも抵抗がある。
非常扉の前まで来ると、彼は自分を久保田と名乗った。名乗り返そうとしたとき、男は前かがみになりながら数歩後ずさりした。通路の床に手をついて正座し、立っている千裕を見上げる。
「部屋を覗いて申し訳ありませんでした!」
視線を合わせてそう口にすると、床に頭をこすりつけて土下座をした。
千裕は唐突な土下座に戸惑いつつ、足元にうずくまる久保田を見下ろしていた。人から土下座されるのは初めてのことで、何かの冗談のように思えたのだ。
状況がいまいち掴めないまま、顔を上げてくださいと声をかける。
先日の夜中の気配について名乗り出ているらしい。腹が立つというよりは、なぜそんなことをしたのか話してほしかった。
「夜中に覗いたりして悪かった」
「なんでそんなことをしたんですか」
「……それは」
「お金とか盗ってないですよね?」
自分が部屋を覗かれるとしたら、こそ泥の下見だろうと考えた。鞄を漁って財布や日用品を盗むつもりだったんじゃないかと疑う。金目のものはたいして持っていないが、人に見つかると説明に困るものがいくつかあった。
「部屋は覗いたし後もつけたけど、盗みが目的じゃない。こそ泥するほど落ちぶれちゃいないからな」
その後の説明を受けて、千裕は途方に暮れた。
相部屋の中で、千裕が国から配備された生体兵器だという噂が立っていて、久保田は彼らを代表して偵察しに行ったんだという。
千裕が部屋を移ったことで、久保田は自分の覗きがばれていることに気づき、こうして面と向かって話すに至った。
「本人に訊くのはまずいかもしれないが、君が生体兵器ってのは本当なのかを教えてほしい」
「ちょっと待ってください。生体兵器ってなんですか」
「知らないのか?」
「初耳です」
聞いたこともない。なぜそんな噂があるのかと尋ねると、久保田はいろいろな理由を挙げた。
「初日からおっさんを腕相撲で瞬殺したって話だし、くそ重いブレードを持ったまま走ってハードル跳んだりするし、バディの草平より速かったよな。トラックに轢かれても無事だったって噂もあるし、そう言われてみると喋り方も機械っぽい」
「確かに珍しい体質ですけど、トラックに轢かれたことはないし、喋り方が平坦に聞こえるのはただの癖です」
元々さほどリアクションは大きくないし、ここに来てからは少女の姿である。むやみに男口調で喋らないように気をつけていたから、周りには機械的で平坦に聞こえるのかもしれない。
久保田は声のトーンを落とした。
「……政府と外国の軍隊から秘密裏に配備されてて、嗅ぎまわった奴が消されるってのは」
「デマです」
消されたりはしないが、眠りや休憩を覗くのは不快なのでやめてほしい。相部屋の他のメンバーにもそう伝えておいて、と千裕は話した。
「政府も軍隊も後ろについてません。風俗か巨人倒しに行くかと言われてここに来たんです」
久保田が腑に落ちない様子なので、ダメ押しのようにそう付け加えた。留置施設を出るとき、昼の仕事では返せない額の罰金を科されて、ライトワーカーがそれを立て替えたのを記憶している。
「似たようなものか。俺のは自業自得だけど」
彼はそれ以上の追及をやめて、自分が前線に来た経緯を語った。
「借金だよ。競馬で大負けしてヤミ金から借りてしまった。そんで金を返そうって気になって、スロット打ってみたらそこでも大負けして。彼女にも愛想つかされて」
本当に自業自得だな、と千裕は思う。
「で、怖い兄さんが家に来て、臓器を売るか蟹工船に乗るか、巨人を倒しに行くか選べって言うんだ。ここは借金を返せない奴が最後に来る場所だから」
食堂のスタッフが「この拠点にはろくな男がいない」と忠告していたのを思い出す。かっこよく思えても付き合ってはいけない、と。久保田の整った顔に目をやって、千裕は妙に納得した。
彼は天井を見上げた。
「ここでの暮らしももうすぐ終わるからな。そしたら借金もチャラになるし、空の下でたばこが吸える」
胸ポケットのたばこに手をやって見せる久保田に、もう博打は打たないでくださいと返す。彼は「どうだか」と笑うと、扉を背にしてたばこを吸い始めた。言いたいことを言い終えたので千裕はその場を離れた。
*
後方のエリアを歩いていると、通路で草平とすれ違った。草平は手にたばこの箱を持っていて、シャツの胸ポケットとズボンのポケットにもたばこを詰め込んでいた。箱の輪郭が浮いている。
草平がたばこを吸うという話は聞いたことがなく、妙に思ってつい声をかけていた。
「すごい量のたばこですね」
「これか。僕は吸わないけど、さっき遊びに誘われたときにもらったんだ」
草平は千裕の知らない話を聞かせてくれた。
前線と後方のメンバーが交ざって腕相撲や賭けトランプをするのが広まっていて、草平も付き合いとして呼ばれたら顔を出すことがある。今回はたまたま両方に勝って、たくさんのたばこが手に入ったという。
「トランプはともかく、腕相撲も流行ってるんですか」
「そう。どっちも人が集まったらすぐ始められて、難しいルールがないし、片付けも楽だから」
腕力と運で決まるところがここの人には好評らしい、と草平は話す。
「腕相撲はきみが来てから急に広まったそうだ」
「まさか」
腕相撲がそんなに流行っているとは知らなかったし、自分が火付け役になったつもりもないが。食堂に居合わせた人が「応援も兼ねて姉ちゃんに賭ける」と言っていたのを思い出す。あれはたばこを賭けていたのかもしれない。
その後、自分に勝負を挑んでくる人はいない。
余暇は一人で休むか女性の相部屋にいたから、男の集まりにわざわざ声をかけてくる人はいなかったんだろう。
「たばこを欲しがる人は多いから、持ってるとあちこちで役に立つ。自分じゃ吸わないから手元に溜まりがちだけどね」
拠点の男には喫煙者が多く、頼み事や物々交換のときに対価としてたばこをやり取りする。ちょっとした揉め事が起きたときも、たばこを受け渡して手を打つことがある。
買い物の難しい地下では現金をあまり使わず、腐らず保管しやすいたばこが役に立つらしい。
自分で吸うもよし、吸わずに置いておくもよし。たばこを吸わない草平のもとには、たくさんのたばこが集まってくる。
彼の素朴な質がよく表れる話だった。
「一箱持っとく?」
「いや。こっちじゃ流行らないんで、草平さんが持っててください」
女が集まる場では、もっと情緒的でとらえどころのないやり取りが多いように思えた。お菓子を分け合っていたわり合うことはあっても、対価として何箱と指定するのはあまり聞かない。こういうところに男女の差が出るんだろうか。
*
千裕は自分の部屋に帰ると、二段ベッドの上段で横になった。少しだけ休むつもりだったが熟睡してしまい、晩ごはんの時間だと陽子に起こされた。
すっきり目を覚ました千裕に、陽子は「本番間近にそんなに寝られるなら上等よ」と嬉しそうに笑った。
余談:皆のおおまかな身長と体重
千裕(転移後)が152cm 40kg台
陽子が160cm、草平が170cmぐらい
木原兄弟は191cm 80kg台
木原はともかく、フル装備でハードル走できる千裕は結構やばい子。




