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ひかりのしごと  作者: 遠野なつめ
第一章
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侵入者

薄い暗闇で、千裕はリュックを抱えて床に丸くなっていた。肩や腰にかけて固い床の感触がある。


ここはどこだろう、と記憶を探る。駅のホームでコーヒーを飲んで、ベンチで電車を待っていたはずだ。自分はもう家に帰っていて、床で眠ってしまったのか。


目を開けると、身に覚えのない風景があった。

配管が天井で絡み合って足元まで伸びていて、大きなタンクが管でつながっている。配電盤の赤や緑のライトは空に浮かぶ星を連想させた。


天井はかなりの高さで、明かり取りの窓から人工的な白い光が差して、一帯をぼんやりと照らしていた。学校の体育館より広いように思える。


千裕は稼働していない化学工場で、タンクのそばで横になっていた。周りに人の気配はなく、待機中の機械の音が耳鳴りのように響いていた。


ここはどこ、と千裕は疑問を繰り返す。


片方脱げたスニーカーを足先で探って引っかけたとき、この靴は自分のものなのかと疑問を抱いた。体育座りでリュックからスマホを出して画面を点けて、服の袖をまくり、目元にかかった髪をはらう。指の感覚が狂っているのか、いつも使っているスマホより大きい気がする。


列挙できないような違和感が溜まっていって、どこか現実離れした感覚を抱いた。夢の中だと言われれば納得できる。


スマホの画面が手元を照らした。今の時刻は0時半。地図アプリで現在地を確かめようと思ったが、通信アイコンにバツ印が入っていて読み込めない。検索窓を開いても「現在オフラインです」の表示が出るだけだ。


ここはどこ、わたしはだれ。


はやかわちひろ、と自分の名前を口にしてみる。

俺は早川千裕だ。両方わからなかったらヤバいけど、自分が誰かはちゃんと知っている。もう一度寝てしまえば、起きたときには元通りだろう。


次の瞬間。

千裕の意識を引き戻すように、サイレンが鳴り響いた。サイレンに続いて自動音声の放送が流れる。


「緊急事態発生。侵入者を発見しました。プラントでの作業を中断し、直ちに安全な場所に避難してください。警備員はすぐに現場に向かいます」


千裕の心臓が大きく跳ねて、言葉にならない声が漏れた。


「繰り返します。緊急事態発生。侵入者を発見しました」


安全な場所に逃げないと、と跳ね起きたところで根本的な間違いに気づく。人がいない夜中のプラントに作業員でもない男が現れたら、確実に怪しまれる。


──侵入者は俺だ。


すぐに警備員が現れて、千裕は入り組んだ工場内を逃げ回った。タンクの脇のはしごを上り、背中のリュックを揺らしながら鉄骨の階段を行き来する。夢か現実かを考える余裕もないし、夢だったらこれだけ走り回れば覚めているだろう。視界は現実よりも鮮やかだった。


逃げ切る見通しもなく、出口の場所も知らないままで「止まりなさい」という呼びかけを無視して走り続けた。


これまでの人生で職務質問されたことはあっても、警備員に追いかけられるようなことはない。侵入者として追われている状況で、足を止めて身を晒すような度胸はなかった。捕まったら終わりだと思った。


応援お願いします、と背後で声がした。

警備会社から警察に連絡が入って、民間の職員と警官が入り混じって千裕を追いかけていた。誰がどっちなのか千裕には判断がつかない。


懐中電灯の光を避けながら、自分の足音と追っ手の気配を捉えていた。追ってくる人の呼吸がずいぶん乱れていた。


サイレンが鳴ってから数分なのか、数十分経ったのか。千裕は薬品置き場の前の通路で挟み撃ちにされた。薬品の棚にちらりと目をやって、ポリタンクの廃液を彼らに向けてばらまく未来が一瞬頭をよぎった。そんなことしないよ、と息を吐いて両手を軽く上げる。


その場で身柄を確保されて、うつぶせで床に押し付けられる。ちょうど誰かが電気をつけたようで、薄暗かった空間が一気に明るくなった。


腕を背中側で封じられて、本来曲がらないほうへ固定された。痛みで頭が真っ白になって、喉が裂けるような甲高い叫び声があがった。自分の声だとは思えなかった。


ようやく相手の力が緩んだときには、時間の感覚をほとんど失っていた。腕が折れていないのが不思議だった。抵抗しなかったのにこんなことをされるなんて、と思う。


「プラント内で侵入者を確保。10代後半の女性」


報告の声を聞いて「男です」と言いかけて、千裕は違和感の正体に気づく。さっきから薄々分かっていたけど、逃げることが優先で、自分の姿については気づかないことにしていた。


肩まで伸びた髪に、サイズの合わなくなったスニーカー。警察は自分を女だと報告したし、叫んだ声も男のものではない。


──俺は今、どうなってる?


立ちなさいと指示されて、言われるままに歩き出す。千裕は「深夜に化学工場に侵入した少女」として、手錠をかけられて警察に連行された。

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