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ひかりのしごと  作者: 遠野なつめ
第三章
19/30

食事の邪魔

ざまぁ回

千裕が食堂に入ると、青やオレンジの服の人々が席についていた。一人で食事をしたり、何人かでテーブルを挟んで喋っていたりと様々だ。


入口で手を洗ってから、カウンターで食事を受け取って空いた席で食べるようになっている。

この拠点も地下にあるが、逢坂で滞在したシェルターと比べてずいぶん環境が良い。逢坂のシェルターでは水が貴重だったので、ウエットティッシュで手や顔を拭いて過ごしていた。食事の前に石けんで手を洗えるのは嬉しいことだ。


手洗い場の鏡に自分の顔が映った。顔にかかった髪を軽く直してカウンターに向かう。


奥の厨房で数名の女性が調理をしていた。ホワイトボードには「三色丼」とあって、食堂にいる皆が同じものを食べている。


帽子とマスクをつけた中年の女性が、カウンター越しに千裕の姿を見て「あらま」と目を丸くした。


「まあ。今日入ってきたの?」

「はい」


女性は感嘆の声をあげながら味噌汁をよそい、丼をお盆にのせて千裕に渡した。


「頑張ってね」

「ありがとうございます」


お盆を受け取った千裕は、壁際の長机に向かった。


お茶を一口飲んで箸を持ったとき、背後から舌打ちが響いた。


「おい勘弁してくれよ」


千裕の耳に届くぐらいの声量だった。箸を持ったまま振り返ると、斜め後ろの席に座った男が、こちらの姿を捉えていた。オレンジの作業服を着ていて、年は自分の父親より少し下ぐらいか。


勘弁してくれと言われる心当たりはないが、食堂を使うのは初めてだから、何か間違ったことをしたかもしれない。次の言葉を待っていると、男は文句めいたことを並べ始めた。


「どっから来たんだか知らないけど、こんな小っちゃいガキが前線に行くとかおかしいだろ。高校生の職業体験じゃないんだからさ。何か勘違いしてんじゃないか?」


食堂の使い方ではなく、自分の存在自体が気にくわないらしい。この姿と役割は結びつかないかもしれないが、自分にそう言われても答えようがない。前線に行くのは決まったことだ。


千裕が黙っていると、男は千裕を舐め回すように見て、ふっと顔を背けた。


「若くてかわいいからって男を漁りに来たんだろ」

「男には興味ないです」


「嘘つけ。じゃあ何しにきた」


巨人を倒すため、と短く答えた。

早くやり取りを終わらせたいので、長々と話す気にはなれなかった。丼の卵や鶏そぼろが手つかずのまま冷めていくのが気に障る。


男は自分の席を立ち、千裕の近くに来て机に腕をついた。煙草の匂いが鼻をつく。


「ちんたらされるの本当に迷惑だからな。タダ飯食ってるんだから、立場わきまえて邪魔にならないようにしろ。なんでもかんでも甘えられると思ったら大間違いなんだよ。どうせ何かあったら周りに泣きついて助けてもらうんだ。ここに来るときの荷物だって男に運んでもらったんだろ」


──ちんたら喋ってるのはそっちじゃないか。


「じゃあ今から腕相撲する?」


男のほうに手を向けて指を軽く動かすと、相手はにやにや笑みを浮かべながら応じた。


空いた机を挟んで向かい合う。

周りの席にいたメンバーが、2人の様子を伺っていた。青い作業服の新入りの少女と、オレンジの作業服を着た中年の男。何事かを揉めたあげくに腕相撲で決着をつけるというのだから、娯楽の少ない地下ではそれだけで人目を引く。


その場に居合わせた人が言葉を交わした。


「どっちに賭ける?」

「応援も兼ねてそっちの姉ちゃんに賭けるわ」


男がその言葉を聞いて「バカ」と言って、机に肘をついて千裕と指を組んだ。

男の浅黒い手は千裕より一回り大きく、指先は皮がむけて荒れていた。


オレンジの服の青年が審判を買って出て、彼の合図でスタートする。


勝負は数秒で終わった。

千裕は男の腕を机に押し付けて、手を離して審判のほうを見た。


この子の勝ちだと審判が告げる。


周りがざわつく中で席を立とうとすると、男は「逃げる気か」と千裕を引き止めた。今のは本気じゃないからもう一度やる、という。まだやるのかと内心嫌になったが、自分から言い出したことなので席に戻った。逃げたと思われるのは癪にさわる。


2回目が始まった。

男の手を握りながら、ひとつの案を思いついた。さっき納得しなかったのは、すぐに決着をつけすぎたからだろう。


机の近くまで倒したところで、その手を止めて、相手の様子を確かめた。相手を納得させるためなのか、因縁をつけられたことへの仕返しなのか。


男は顔を歪めながら腕を震わせて抵抗していた。常識を超えたものへの驚きと屈辱に染まっていて、


──正直、高揚した。


相手の力がしだいに抜けていくのを感じて、千裕は腕を倒して試合を終えた。

審判は結果を告げるのも忘れて、不思議な光景に見入っていた。


もう一度やるかと千裕が問うと、男は立ち上がって椅子の足を蹴った。覚えてろ、と捨て台詞を残して食堂を去る。覚えてろなんて言葉を実際に聞いたのは初めてだった。


男が去るのと同時に、青い作業服を着た草平が食堂に駆け込んだ。


「早川。ミーティングが始まる!」

「え、もうそんな時間」


周りを見れば、残っているのはオレンジの服の人ばかりだった。前線のメンバーは既に集合している。千裕は草平の後を追って、ざわつきの残る食堂を出ていった。


2人がミーティングの会場に入ると、青色の作業服の人々が席に着いていて、こちらに視線を向けた。


扉に近い席が空いていて、草平と隣り合わせで座った。自分たちが最後だったが、草平が呼んでくれたおかげで遅刻せずに済んだ。初日から遅刻したら大変だ。


部屋の正面に木原兄がいて、拠点での過ごし方や任務の概要をてきぱきと説明していった。


さっきの高揚が収まってきて、仕事モードに切り替わったところで、お腹が空いていることに気づいた。食堂の机に置いたままの丼が頭に浮かぶ。騒ぎに気を取られて、箸をつけないままで食堂を出てしまった。


休憩時間に聞いた話では、昼を食べそこねたのは草平も同じだったらしい。草平は元々後方で働く予定だったから、ミーティングの前に個別の申し送りがあって、食堂には行けなかったという。


食堂で喧嘩して昼を食べそこねたと千裕が話すと、草平は「かなわんなあ」と呟いた。ちょうど草平のお腹が鳴ったので、千裕はふっと息を吐いて薄く笑った。夕食まではまだまだ時間があったのだ。

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