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ひかりのしごと  作者: 遠野なつめ
第二章
15/30

巨人ごっこ

地下のシェルターにも朝は来る。

千裕は簡易ベッドに腰掛けて、缶のウエットティッシュを一枚引き出した。折りたたんで顔を拭くとわずかな清涼感があった。畳み直して手をよく拭いてから起き上がる。


地下に来てからの出来事を思い出した。


──

瞬を看取った後、救護室の千裕のもとにキヨが現れた。瞬とのやり取りを聞いた感じでは、態度は荒っぽいが面倒見のいい男のようだ。半袖のシャツからモノクロの太陽のタトゥーが覗いている。


「“同志”か?」

「はい。神戸の第七ブロックから来ました」


キヨはだいたいの物事を把握しているようで、多くの説明は不要だった。


キヨは千裕に体調を訪ねて、異常がないことを確認した。シャドウに曝露すると、影響は直後から数時間後にかけて現れ進行する。今の時点で症状がなければもう大丈夫だろう、とキヨは話した。


救護室をいつまでも占領するわけにもいかず、千裕はキヨに連れられて通路を歩いた。部屋を出る際に、瞬の顔に布が被さっているのを見かけた。


──瞬は死んで、自分は生きている。そこにどんな差があるんだろう。


通路脇にパイプ椅子や長机が出してあり、人々が椅子に座ったり階段に腰掛けたりして集まっていた。数人が顔を上げてこちらを向く。千裕は会釈するとみせかけて下を向いて通り過ぎた。


壁にはロープが渡してあって、タオルが引っ掛けられて揺れていた。


地下鉄の駅を中心に避難者のコミュニティが生まれていて、資源や設備が限られた中で生活していた。


政府は彼らの正確な人数を知らない。地上に出て影響範囲から逃れるように指示していても、出た後の生活までは面倒を見切れないから、いろいろな事情で地下に留まっている人がいる。


彼らに食料や必要な物資を受け渡すことも、ライトワーカーの仕事のひとつだった。


地下の広場に来た。中央に時計台があって、周りにベンチが並んでいる。シャドウの発生前は待ち合わせ場所として使われたんだろう。


ベンチのひとつに頬のふっくらした小柄な女性がいて、キヨは彼女を嫁だと紹介した。彼女はヒナミと名乗ってから、キヨを冗談交じりに睨みつけた。


「あんた、この子に変なことしたら許さないからね」

「しない。俺デブ専だし」

「誰がデブだって?」


体重は測ってないけどここに来てから痩せたはずだよ、とヒナミは付け足した。


千裕は二人に案内されて、寝食をともにすることになった。ワゴン車は横転してしまったし、当局が地上の監視を強めていたから、すぐに神戸に帰る方法はなかったのだ。


数日後に臨時の地下鉄が来たら、シャドウの影響から外れた逢坂港に向かい、フェリーで神戸に戻る予定だった。


──

目を覚ましたヒナミはカセットコンロを点けて、缶詰の豆と白米を煮ていた。千裕に器を手渡す。


温かい食べ物は貴重だろう。よそ者が受け取っていいのかと躊躇う千裕に、キヨは「あいつに飯をおごるって約束したから」と話した。


瞬が生きていたら食事をおごると約束したから、代わりに千裕に食べてもらう、と。


「生きてる奴が食え」

「そうよ」


千裕は器を受け取って、プラスチックのスプーンで食べた。わずかな塩味と米の甘味を感じた。味覚も嗅覚も侵されていない。器に口をつけて汁まで飲み干し、お礼を言って返すと、視界がぼやけた。


壁に養生テープでカレンダーが貼ってあった。油性ペンでいくつかの目印が入っている。


──そうだ。今日は、兄の結婚式だった。


千裕はトイレを口実にして2人の元を離れた。人気のないほうへ足を運ぶ。最初はゆっくりと、やがて小走りになった。


元いた世界のことが蘇る。兄は陸上で活躍して、スポーツ用品の会社で営業をしていた。最後に兄と顔を合わせたときは、兄の彼女も一緒だった。


結婚を前提にした二人はとても幸せそうで、両親も喜んでいて、自分が場違いではないかと心配したほどだ。


弟の自分が失踪したせいで結婚式が中止になったりしたら嫌だ、と思った。


家族の風景と、さっきの雑炊の味と、最期の瞬の手の感触とその他諸々が入り混じったなにかが千裕を襲った。名前の分からない暴力的な認識。


地上に向かう通路まで来た。

閉じたシャッターの前で、静かな階段に腰をおろしてしばらく泣いた。



地上と隔絶されたシェルターでも、人々の生活は続いている。


千裕の怪我はおおかた治っていて、線状の傷跡が薄く残る程度になっていた。どこからか包帯やガーゼを調達してくれたキヨに、もう大丈夫ですと伝えると、治りの早さに目を丸くしていた。


ライトワーカーは当局と敵対していて、過激派組織やテロリストとみなされると聞いていた。もう手遅れかもしれないが、余計な揉め事や不安の種を撒かないように、自分がそこに属していることは伏せて過ごそうと思っていた。


あまり多くの人と関わらずに、地下鉄が来るのを待ってシェルターを出よう。


そう思っていた矢先、ヒナミから「子どもたちの遊び相手になってほしい」と言われた。


「え、自分ですか」

「うん。ここってただでさえ息が詰まるし、小さい子は退屈してるから。遊んで話ができたら喜ぶと思うよ」


押し切られるように数人の子どもたちの居場所を訪ねると、母親のひとりが「ライトワーカーのお姉ちゃんが来たよ」と千裕を紹介した。


その言葉には毒気がまったく感じられず、千裕は拍子抜けした。実習生が幼稚園や小学校を訪れたとき、先生はこんな調子で紹介するだろう。


なんの遊びに誘おうか考えていると、子どもたちが先に遊びを始めて、千裕に加わるようにと誘った。ルールが分からないから最初は見せてほしい、と伝えて様子を眺めた。


「シャドウが発生しました」と放送を真似して、防護服に見立てた布を体に巻き付け、安全地帯に行くといって物陰に隠れる遊びだった。


物陰に入るのが遅れた子が「おまえ死んだ」と言われて、周りからがやがやと声が上がった。死んだと言われた子も、次のゲームでは起き上がって輪に交ざった。


見守っていた母親は「また変な遊びして」と呆れていたが、無理に止めようとはしなかった。子どもなりに遊びを通してこの事態に向き合ってるんだろうと思うと、千裕も腹は立たなかった。


千裕は遊びに加わったが、物陰から手足がはみ出してしまい、皆に死亡を告げられた。


その後、巨人ごっこという遊びに移った。懐中電灯の光を浴びせて巨人の動きを止め、棒で叩いて退治する遊びらしい。


千裕が新聞を丸めて棒を作っていると、見出しに「シャドウ根絶を求める世論高まる」とあるのが目に留まった。


一人の女の子が現れて棒作りに加わったが、遊びが始まる前に背を向けて立ち去った。


子どもの集団に入れば体が一番大きいから、千裕は巨人の役になってしまった。しぶしぶ了承して両手を振り上げる。


「私は巨人だ。おまえたちを食ってやる!」


本当の巨人はこんなこと言わないけどな、と千裕は思う。怪獣のように吠えながら練り歩くと、子どもたちは駆け寄って光を浴びせ、その場に止まった千裕を新聞紙の棒で打った。


「退治してやる!」

「俺も!」


千裕が床に倒れ込んで大げさに転げ回ると、子どもたちは歓声を上げて喜んだ。


遊びが一段落したところで、母親が「電池がもったいない」と話して懐中電灯を回収した。停電したときに電池がなかったら困るでしょうと言われて、子どもたちは少し残念そうに遊びを切り上げた。


騒がしくてすみませんと謝られて、いえ楽しかったです、と千裕は返した。

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