ラストショット
千裕は駅構内の救護室に運ばれて、傷に包帯を巻いてもらってベッドに寝かされた。腕には点滴が挿さっている。
地下街をシェルターとして使うにあたって、救護室は簡単な医療処置ができるように整えられていた。
保護されて間もなく、シャドウの影響を調べるための検体を採取された。
救護室のドアが少し開いていて、検査結果を確かめたスタッフが通路で話すのが聞こえてくる。
「色が濃すぎて読めないです。そっちの彼が3+で、女の子が陰性」
「いやこの状況で陰性はおかしいって。採りかた間違ってるかキットが不良品なのよ」
「再検査しますか」
「もういい。二人とも3+ってことで様子観察」
「にしても3+なんて初めて見ました」
カーテンの向こうで瞬が動く気配がした。2台のベッドの間にカーテンの仕切りがあって、千裕はカーテンを挟んで瞬と隣り合わせだった。このやり取りも聞こえたことだろう。
シャドウの影響下に行くときは、前もって体に傷がないか確かめたうえで防護服を着ることになっている。車に乗り込むとき、瞬から「血が出るような怪我はないか」と尋ねられた。
防護服を着ないで傷だらけで歩き回ったりしたら、致命的な事態になるのは確かだった。
*
今は何時だろう、と千裕は考える。部屋の壁に時計があったが、千裕の位置から文字盤は見えない。
ベッドに横たわって目をつぶっていると、誰か知らない男性が慌ただしく部屋に駆け込んできて、カーテンの向こうで瞬と話をしていった。
荷物を受け渡すために約束通りの出入口で待っていたところ、数百メートル離れた出入口に瞬が現れたと聞き知った。状況がヤバいらしいと聞いて様子を見に走ってきた、という。
「キヨさん、荷物持ってこれなくてすみません」
「馬鹿野郎、命一番荷物は二番」
「痛い痛い。けが人どつくなんて最低ですよ」
「そりゃ悪かった」
キヨと呼ばれた男性は、少し迷ったように切り出す。
「結果、どうだった」
「3+です。でも意外といけるかも。足も麻酔打ってもらったし元気です」
「そう。死んだら殺す」
「生きてたらかっこよくないすか。いつかご飯おごってください」
「……ああ、分かったよ」
「いぇい」
相手が出ていった後、瞬がカーテン越しに「生きてるか」と尋ねてきて、千裕は目を開けた。
「うん。生きてる」
ちょっと寝る、と答えてまた目を閉じた。寝てる間に死ぬんじゃないかと一瞬考えたけれど、すぐに眠りに沈んだ。数時間先のことを考えたり不安を抱いたりできないぐらい、今の自分は眠かったのだ。
*
千裕が眠りから覚めたとき、点滴の中身は残り少なくなっていた。生きたまま目が覚めて、息苦しいとか頭痛がするということもない。安心したのもつかの間、カーテン越しに布を叩くような物音を聞いた。
瞬がベッド上で手足をばたつかせて暴れているらしい。やめて、と怯えるような声をあげた。
──あ、幻覚見てるのか。
シャドウに神経を侵されると、症状のひとつとして幻覚が現れるという。
悲鳴自体が自分の幻聴で、現実の瞬は穏やかに過ごしているという説も頭をよぎったが、実際そう都合よくはいかないらしい。
駆けつけた医療スタッフに「隣で叫び声が聞こえます」と話すと、「だから来たの」と手短な返答があった。自分が寝ている間に、瞬の状況が悪化していた。
人が近寄る気配や足音に反応した瞬が「熱い」「父さんやめて」と泣き叫ぶので、医療スタッフも手のつけようがなく部屋を出ていった。千裕は横たわったまま、目線を隣に向けて言葉をかけた。
「大丈夫。ここに“父さん”はいない。部屋にいるのは2人だから」
千裕の声は彼の意識に届かず、返事がないまま天井に吸われた。
どれだけの時間が経ったのか。
千裕は点滴を外されて、瞬は静かになっていた。さっきの状態が最悪だとしたら、もう峠は越えたんだろうか。
*
部屋に他の人の気配がなくなったとき。千裕は裸足のままベッドを下りて、カーテンをくぐって瞬の様子を見に行った。足の裏から床の冷たさを感じる。
瞬が千裕の気配に気づいて、薄目を開けて口を動かした。
「……早川」
「うん」
「生きてたのか。すげえ」
もう幻覚に怯える様子はなく、澄んだ意識で正しく千裕を捉えていた。
何か言いたそうに口を動かすが、声がかすれてよく聞こえなかった。ベッド脇にしゃがんで自分の耳を寄せる。
「オレ、童貞なんだ」
「一緒」
瞬は千裕の耳元で「胸さわらせて」と呟いた。
──なんなんだ。
何か文句を言ってやろうと思ったが、自分が男だった頃の意識が重なった。
今回だけな、と返事をする。
瞬の指先が震えて、シーツからほんの少しだけ腕が離れた。手を伸ばしたくても自由が利かないんだろう。
千裕は両手を彼の手に添えて、シャツの上から自分の胸に重ねた。指先を自分の脇に挟んで温める。
瞬は満たされたようにゆっくり息を吐いて、それを最後に呼吸が止まった。救護室のベッドサイドで、千裕は手を取ったまましばらく留まっていた。




