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ひかりのしごと  作者: 遠野なつめ
第二章
11/30

絡み酒

瞬と出かける前日のこと。


千裕はいつものように訓練を終えて、家に帰った。

陽子は出かけているらしい。草平が台所で料理をしていて、何かを炙る音と香ばしい匂いが漂ってきた。机にビールの缶と食器が載っているのが目につく。


シャワーを浴びてリビングに行く途中、瞬に声をかけられた。

草平は酒癖が悪いから気をつけろ、と声のトーンを落とす。


時おり料理をつまみに酒を飲むことがあり、周りの人にも振る舞おうとするが、美味しい料理につられて近寄ってはいけない、という話だった。


「暴れたりするの?」

「いや、めっちゃ泣くし説教してくる。うざいからオレは部屋帰るよ」


そう言いつつも、瞬はさっと近寄って、皿の上の串を何本か取ってから部屋に引っ込んだ。料理が美味しいのは事実らしい。


草平が一通りの支度を終えて席につき、千裕に「よかったらどう」と勧めた。その声は和やかで、不穏な気配や怒りは読み取れない。


千裕は料理の皿に目をやって、「いいんですか」と斜め向かいに座った。お腹が減っていたし、目の前の青年がどんなふうに酔うのか、要らない好奇心もあったのだ。


千裕に酒を勧めようか迷った様子の草平に、明日出かけるのでと答えると、代わりに冷えたお茶を注いでくれた。自分にはビールを注いで少しずつ飲み始める。


千裕は皿のひとつから串を手に取った。うずら卵に焼き目をつけて塩胡椒を振ったものだ。ファミレスに行ったとき、卵が入荷していないと店員が謝っていたのを思い出す。


「卵、買えるようになったんですね」

「うん。発生からしばらく経ってるし、スーパーの品揃えは戻ってきてる。これは水煮だし」

「そうなんですか。こっち来てからまだスーパー行ったことなくて」

「まあそうなるよな。木原さんの訓練受けてたらそれが精一杯だ」


格闘術の件を話して「あのときは助言をありがとうございます」と伝えると、草平は驚いたように目を見開いた。真剣に問われたからそれっぽいことを答えてみたが、実行できるとは思ってなかったんだ、と。


「やられっ放しで痛くて腹立ったので」

「んー。腹立ったから、でほんとうにやれる反応速度がすごいと思うけどな」


千裕は口元に薄い笑みを浮かべた。


ここに来てから、運動能力を褒められることがある。どこまでが意思とは無関係に与えられたもので、どこからが訓練や努力で得たものなのか分からなくなる。それを区別することに大した意味はないのかもしれない。


つい箸が進むけれど、他の人の分まで食べてしまったら不味いだろう。

陽子の分も残しているのかと何の気なしに尋ねると、草平は喉に言葉が引っ掛かったように黙って、ビールに口をつけた。グラスを空にして言葉を吐き出す。


「彼女には味が分からないから」


過去にシャドウに曝露して神経を侵されている。運よく命は助かったし手足も人並みに動くけれど、知覚に障害が残って、味覚がほとんど機能しなくなった。治るかどうかは全く分からない。


「……でも、コーヒーが好きだって話してましたよ」

「カフェインで目が覚めるのが好きなんだって。たぶん味は分かってない」


誰かと一緒のときは美味しいと言っていろいろ食べるけど、一人になるとろくなもの食べてないと思う、と草平は苦い顔をした。


そのやり取りの後、草平の飲むペースが早まった。飲んでは注いでを繰り返しながら、自分の生い立ちを語っていく。彼の出身は北のほうで、実家は酪農を生業としていた。


「試される大地。学校に行くにも親が車で送り迎えしてて、家の外に出たら地平線が見えるの」

「景色が良さそうですね」

「景色は良くても本当になにもないよ。牛しかいない。でも星は綺麗だったな」


草平は遠い目をして、ビールに口をつけた。


彼が小学生のとき、家の近くを起点としてシャドウが発生した。両親は車に草平を乗せて闇の中を走り、街にいる親戚のもとに送り届けた。


道中で、車の窓から人型実体の姿を目にした。自分の大きさを支えきれずにうずくまる巨大な影は、ひどくいびつで禍々しいものに思えたという。


両親は草平を親戚に預けて、牛たちを置いていけないからと車で帰っていった。シャドウの影響は動物によって違いがあり、牛や馬は人間と比べて耐性がある。置き去りにして誰も世話しなければ飢えて死んでしまう。


そして、両親はシャドウに曝露して命を落とした。


こんな馬鹿な死に方があるか、と草平は吐き捨てた。酒をグラスに注ぐのも忘れて、缶に口をつけて飲み干すと、音を立てて缶を置いた。

黙ってお茶を差し出す千裕に、据わった目を向ける。


「で、木原さんの訓練を受けて、お前は反射神経が鈍いから前線には向いてないって言われて、こっちが向いてるって補給の仕事を紹介された。同志早川」

「はい」

「巨人を殺して死ぬなら本望だと思う。それは他の誰かじゃなく僕ならいい」


お茶を受け取る草平の手は震えていて、鼻をすするような音がした。かける言葉も思いつかないので、千裕は黙って座っていた。同志と言われても、死ぬのは嫌なことだ。


草平が唐突に「そうだ。瞬」と名前を呼びつける。数回呼ばれた後、瞬はげんなりした様子で現れて、皿の上の枝豆を剥き始めた。


「なんですか。牛の話なら前にも聞いたんですけど」

「明日の仕事休め」


唐突な言葉に瞬は顔をしかめた。


「なんでですか」

「金目当てで危ない仕事をするもんじゃない。死ぬぞ」


死なないから大丈夫、と軽く親指を立ててみせる。

千裕に「さっき言った通りだ」と囁いた。


「せっかくの料理がまずくなるよ草平さん。つーか何本飲んだんですか」


瞬が適当に相手しているのを見ると、以前にも似たようなやり取りがあったらしい。

千裕が空き缶を数えて指を5本立てると、瞬は「うええ」と声をあげた。


「君はまだやり直しが効く歳だ。16だったか」

17だよ、と瞬は不機嫌に返す。


「受験勉強して来年から高校に入れ。学費は僕たちが払うし、定時制なら数歳の差は気にならないから」

「高校高校って勝手に決めるなよな。オレが少年院卒だからっておせっかいだよ」


2人の小競り合いを眺めていると、陽子が家に帰ってきた。

リビングに集まる千裕と草平、瞬を眺めて「全員集合って珍しいね」とマイペースに話す。陽子が串焼きやサラダを美味しいと言って平らげて、なんとなく口論は終わった。


草平は真面目な顔で「明日は気をつけろ」とだけ念を押した。目が充血していて顔がだいぶ赤くなっているが、もう泣いてはいなかったし、休めとも言われなかった。


千裕と瞬はうなずいて、穏当な返事をして部屋に戻った。


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