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ひかりのしごと  作者: 遠野なつめ
第二章
10/30

休暇

訓練がない日の午前中。

千裕は四畳半の部屋で、手持ち無沙汰に過ごしていた。家にいるのは陽子と自分の2人だけだ。


何かの折にここを「拠点」と呼んだら、陽子から「家」と呼ぶように直された。地下組織に入っていても一般社会とは繋がっているし、引っ掛からず社会に溶け込むには、なるべく普通の人が使うような言葉で喋ったほうが良い、と。それもそうかと納得して、ここを家と呼んでいる。


陽子はリビングであちこちに電話をかけては、机に書類を広げてペンを走らせていた。とろけるような声音で話したかと思うと、一旦電話を切って、別の誰かに冷徹な声で指示を出している。役者のようだ。


邪魔しないように部屋に引っ込んでいたが、どうにも時間を持て余す。部屋には最小限の家具と日用品があるだけで、娯楽になるものは何もなかった。


充電の切れたスマホは、運転免許証や財布と一緒に鍵つきのキャビネットに片付けている。この世界に本来存在しないものだから、周りの目につかない場所にしまっておくのが無難だろう。


ネット環境がないと、時間の経つのがだいぶ遅く感じる。

木原に指示されたトレーニングを済ませて、ベッドに横になって目をつぶった。例のように、目の前に広がる何かを刃物でひたすら切り裂くイメージが浮かぶ。


トマトと同室だった夜、どこにも行けない千裕はその空想に身を任せて、気分を晴らそうとした。その後もふとしたときに頭に浮かんで、日を追うごとに鮮明になった。深く集中すれば手応えが伝わってきそうなほどに。


青年だった頃は、毎晩のように女性の身体を思い描いては欲を放っていた。今の自分にとって、性欲はひどく曖昧で、何を抱きたいのかよく分からない。性欲があった場所が空白になって、何かを切り裂く光景が入り込んだように思う。


千裕は適当なところで伸びをして、脳裏の風景を追い払った。思うだけなら自由だとしても、物騒なことをあまり深く考えるのは健全じゃないような気がした。


昼になって近所を歩こうとしたが、陽子に「家にいるなら水回りの掃除をおねがい」と言い付けられて、出かけるのを止めて家に残った。陽子は千裕に道具の場所を伝えて、足早に出かけていった。


急ぎの用はなかったし、他の人と生活するなら掃除も必要かもしれない。


リビングに行ってテレビをつけると、シャドウのことを報道していた。


──逢坂や教都ナンバーの車に石を投げたり塗料を撒いたりする嫌がらせが起きている。シャドウの影響は人から人へは伝染しないし、その地域から持ち出したものを触っても害はない。正しい知識を身につけて差別は控えるように。


──民間人が退避している逢坂で、窃盗事件が発生した。犯人たちは車で現場に現れ、防護服を着たまま時計店のガラスを割って高価な商品を盗んでいる。警察当局は容疑者の特定と逮捕に向けて徹底的に捜査している。


投石に窃盗に、混乱に紛れて悪さをする人もいるものだ。早く警察に捕まればいいのに、と千裕は自分を棚に上げて思う。


番組が代わるタイミングでテレビを消して掃除を始めた。

皆の生活が不規則なわりに、水回りや台所は綺麗に保たれていて、掃除は簡単なもので済んだ。トイレットペーパーの予備が少ないのだけが気になった。


どうしようか考えていると、玄関で鍵の開く音がした。


トイレットペーパーを両手に提げた茶髪の若者が、玄関に立ってこちらを向いていた。

彼は両手を軽く上げて「お土産」と口にした。


千裕は首をかしげながらも、お礼を言ってそれを受け取る。

千裕と瞬は、そこで初めて顔を合わせたのだった。


「どこで買ったの。品薄でなかなか手に入らないのに」

「人からもらった。店まで届いてないだけで、あるところにはいっぱい溜まるんだよ」

「流通の問題ってことか」


瞬はライトワーカーの一員で、ここに顔を出すことがあった。

シャドウが発生してからは車で京阪神を走り回っており、車中泊のような生活だったらしい。たまに帰ってきたときも千裕は訓練に出かけていて、顔を合わせずに入れ違いになった。


まだ少年と呼べそうな姿をしているが、彼は自分の仕事を「運び屋」と話した。


「避難してる人に頼まれて、残してきたものを取りに行って金を貰う。あとは、地下のシェルターにいる人のとこに荷物を運んだり」


シャドウの影響下から身一つで逃れて、大切なものを残してきてしまった人がいる。瞬の生業は、彼らの代わりに車で影響下に入って、頼まれたものを回収して本人に渡すことだった。シャドウの根絶を掲げる組織の理念とは、少し毛色が違うように思えた。


「今までどんなものを頼まれた?」

「……思い出の品、みたいのが多い。指輪と写真とか、変わったとこではぬいぐるみとか」


「ぬいぐるみ」

「そう。結構しっかり金は取るから、新品買ったほうがよっぽど安いっすよって言ったんだけど。そういう問題じゃないですって言われた。ぬいぐるみがないと子どもが寝れなくて泣くんだって」


そういう需要もあるのか、と千裕は考え込む。

オレは子ども相手でも値引きしねえから、と瞬は口角を上げて笑った。


陽子や草平を通して、千裕のことはある程度知っていたらしい。今度の依頼のときに一緒に車に乗らないか、と千裕に声をかけた。防護服を着て外に出てもいいし、車の中で待っててもいい、と。


確かに、シャドウの根絶を目標にするのなら、それがどんなものか自分の目で見ておくのが良さそうだ。

千裕は「行きたい」と答えて、防護服の扱いを頭の中でおさらいした。

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