それは昏い淵のように
「目を作って欲しい、だぁ?」
ギヤマン職人の親父は、素っ頓狂な声をあげて目の前の男を見た。右目に眼帯。左目は南蛮人かと思うような鳶色。無造作に束ねられた髪は髷とは言いがたく、この男が堅気でないことを物語る。おおかた、浪人崩れの流れ者だ。
「駄目、かな」
「いや、できねえことはねえさ。ただ、そんなもん作ってどうするつもりだい? そりゃ見た目は綺麗かもしれんが、そんなもん目に入れてどうなるかはわしでもわからねえし、第一見えるようにゃならねえぞ」
それに関しては百も承知だ、と男はそう答える。親父はますます首をかしげた。はてさて、それならば一体何故、この男はそんなことを頼みに来たのだろう。
「まあなんていうか……何かあって、人に見られた時に、無いよりはまがい物でもあった方がびっくりしないだろうと思って」
男の言葉に、親父はかしげた首を真っ直ぐに戻した。まあ、そういうことならわからなくはない。どんな事情かはわからないし、聞く気もないが、この男の眼帯の下は何もないようだ。
「やっぱり駄目かな。金はあるんだけど……」
「まあ、そういうことなら作らんこともない。ただ、目ん玉みてえな玉の形ってなあ、難しいんだ。時間がかかるよ。それで、色はお前さんの目に合わせればいいのかい?」
そう聞くと男は首を横に振った。
黒い羊は檻の中~それは昏い淵のように~
小さな荷物を片手に、男――陽は、往来を足早に歩いていた。祖父の残した書物によると、術によって蘇生したものが一カ所に長居をすると、そこに瘴気が集まり、あまりよくないことが起こるそうだ。相棒、怜は、長らくねぐらにしていた木賃宿に置いてきたので、早く行ってやらねばならない。自分の都合で、少し長居をした、と、陽は小さな荷物に一瞥をくれた。
腕のいいギヤマン職人がいるという話を聞いて、ここに来ることを決めた。どうしても、作ってほしいものがあったのだ。それがこの荷物だ。果たして怜がなんと言うかはわからないが――
そうこうしている間に、古びた木賃宿が見えた。宿の入り口に置かれた椅子で、ぼんやりと座っている相棒をみとめ、陽はその名を呼んだ。それを聞いて、彼がはたとこちらへ目をやる。
「陽。お前一体どこへ……」
「話はあとあと。出発しようぜ」
陽がそう言うと、怜は怪訝な顔をしたが、特に逆らうことなく立ち上がった。それを見て、陽は歩き出す。こうなると、怜がついてこなかったことは一度もない。
二人は無言のまま歩き、街を出、小さな泉のある森にたどり着いた。泉のほとりで休憩することを提案すると、怜は素直に従った。
「ここに来るまで、どこへいくかも、あの街で何をしてきたのかも聞いていない。いくら決めるのはお前でも、聞かされないのは困る」
「……悪かったよ」
責めてるわけじゃない、とそう言って、怜はその場にすとんと腰を下ろした。
「で、どういう事情だったんだ、此度の長居は。いつもお前はひとつところに長くいたがらないじゃないか」
非難めいた声を出す怜に、陽は待ってましたとばかりに、先ほどの荷物をひもとき、開けて見せた。
風呂敷に包まれていたのは小さな箱だった。中には布が張られ、その布の上に、丸いギヤマンが二つ、ころりと転がっていた。
「これは……?」
「いわゆる義眼ってやつ。ほら、俺たちどっちも右目がないだろ? もしなんかあって人に見られたら相手がびっくりするじゃん。それで」
差し出されたギヤマンの目を見て、怜は一度だけフンと鼻を鳴らし、それは必要か、と問うた。
「へ?」
「右目の空洞にこれをはめたところで、何かが見えるわけでもない。人に驚かれようと知ったことか。僕は困っていない。ならそれは、何のための代物だ」
それとも、と怜はさらに尋ねた。枷のつもりか、と。
「枷?」
陽がそう問い返すと、怜は静かに頷いた。
「むしろ、犬につけるヒモと言った方がわかりやすいかもしれん。それをはめることで、僕がお前のものであって手放す気は無い、というあかしのつもりかと聞いている」
思ってもみないことを言われ、陽は一瞬面食らって黙り込んだ。そんなつもりはみじんもない。むしろ――それを口にする前に、怜が再び口を開いた。
「僕はそもそも、生きていたいと願う限りお前から離れられないんだ。僕を生かしているのはお前で、僕は屍に戻ってまでお前を振り切りたいとは思っていない。お前が嫌だと言うなら別だが……すでにこの生はお前のもので、お前に預けたつもりだ。いまさら、枷が必要だとは思えない」
そこまで一気に言い切って、怜は深く息をついた。目の前の幼なじみは、鳩が豆鉄砲を食らったような、間の抜けた顔をして怜を見ていた。一体この男が何を考えているのか、怜には今を以てわからない。何故自分のような、気むずかしく愛想のない男に、自分を損なうほど執着するのか。そんなことをされるに値する人間だとは到底思えない。逆ならともかく。
陽は怜にとって、ほとんど唯一の友人、というよりは、まともな関係を結んでいる唯一の人間だった。母親は早くに亡くなり、父親は商売に忙しく、自分を「いずれ必要になる跡取り」以上に扱うことはなかった。ほとんど喋らない子どもだった彼は、長じても友達も好いた仲の女もいたことがなかった。唯一そう呼べるのは、近くの貸本屋の息子だった陽だけだった。
怜から見て、陽にはたくさん友達がいるように見えた。女と歩いているのも見かけたことがある。家族も彼を好いていたし、彼も家族を大切にしているように思えた。自分以外にも、好きな相手も好いてくれる相手もたくさんいただろう。
それなのに彼が、殺された自分を少なからぬ代償を払って呼び戻し、殺した男に復讐するほど自分に執着する理由を、怜は思いつかなかった。陽は人を傷つけることをいっそ恐れているフシすらあったので余計だった。
理由はわからない。しかし、そうまでして陽が共に生きようというなら、怜はそれに報いたいと思った。いなくなれと言われない限り、陽といよう、と。
「僕はどこへも行かない。これでもまだ、枷は必要か?」
「いや待て待て、俺はそんなつもり全くないよ。別にお前がどっか行くとも思ってないし」
どうにも信用がない、と、陽は小さくため息をついた。確かに自分は怜が好きだし、怜に対する執着が、あまりまともでないことには気づいている。それでも、どこへも行かせないという枷代わりにこんなものを用意したりはしない。
確かに、死んだはずの怜が、今こうして隣にいるのは自分の都合だ。彼の失ったものを補うため代償を払ったとはいえ、それによってこの世の理を曲げ、結果的に怜から自分以外全て奪った。恨んでもおかしくないと思うが、怜はそんなそぶりは一切見せなかった。
怜はいつも、死にたくならない限り自分は陽から離れない、というようなことを言うが、命をカタに、怜を自分に付き従わせるようなことはしたくない。大切な人だからこそ。
「むしろ逆……かな」
「逆?」
返ってきた怪訝な声に、陽は頷いて怜を見た。怜は困ったような顔をしている。二人で各地を転々として生活し始めてから、以前は見せなかった表情を、怜が見せるようになった気がする。これがもし、自分の分けた魂の影響だとすれば、それは少しばかり寂しいなと思いながら、陽はこの、ギヤマンの目を作った理由を口にする。
「俺は、お前に俺のためになんか生きて欲しくないの。確かにお前と一緒にいたいって望んだのは俺だけど、だからってお前が俺と一緒にいなきゃいけない、とか、俺を裏切っちゃいけないとか、そんな風に縛られることは望んでない。お前が普通に生きてた頃とは何もかも変わっちゃったけどさ……俺とお前の間ぐらいは、変わってほしくないんだよね」
どちらが上でも下でもなく。ただ、陽と怜として。自分が怜の生殺与奪を握っている以上、難しいことかもしれなかったが、少なくとも陽自身はそれを盾に取る気はなかったし、怜には怜のままでいてほしかった。
「今俺たちはお互い俺の目しか持ってないけど、そうじゃないものをお互い分けるってことで……俺たちに上下はないって、それを示したかったんだよ、俺は。だめかな? そういうの」
怜はしばらく、ギヤマンの目を見つめて何か考えていたようだが、やがてそれを手に取り、何事もなかったように、前髪の下へ押し込んだ。
「え、ちょ、怜?」
すぐに近づいて、怜の前髪をかきあげる。その右目を見て、陽は思わず息を呑んだ。
そのつもりで、ギヤマン職人の親父にはお願いをした。できあがったそれは、確かに似ていた。
しかしこれは。
その右目は、何も見えていないはずなのに、生きていた頃とそっくりに陽を見つめていた。見慣れた、怜の黒い瞳。
「……おかえり」
「ん? 何か……」
怜が言い終わる前に、抱きしめた。何をしている、と言われても離さずにいると、諦めたように怜も、背中に手を回してきた。
「僕は選んだ。お前も、そうしてくれるんだろうな?」
「当たり前だ。そもそもそのために、わざわざあの街へ行って、長い時間待ったんだから」
怜と対等にありたいというのは、嘘ではない。しかし、ギヤマンの目を怜の目そっくりの色にしたのは、帰ってきてほしかったからだ。あの頃の怜に。だからこそ陽は怜を呼び戻した。まさかこんなに、怜の目そっくりに作ってもらえるとは思っていなかったが。
「お前は……俺のものだ」
「上下はないんじゃなかったのか?」
「逆もしかりってこと。俺はお前のものだよ」
怜を腕に抱いたまま、陽はしばし目を閉じた。ギヤマンの目をほしがった最後の理由を、そっと胸にしまったまま。
「いや、瞳の色は……黒にしてほしいんだ。黒曜石みたいな優しい黒」
「それじゃあお前の目とは合わねえだろう? なんでまた」
そう問われてこちらを見た男の目は、明るい色をしているのに何故か昏い淵を思わせ、ギヤマン職人は思わず、小さく身震いした。
「俺は奪われたものを取り返したいんだ。それに……俺のものばっかり、あいつにあげてるからさ。俺も、あいつのものが欲しくなった」
「どういうことだ?」
「わかんなくていいよ。こっちの話」
そう言って笑った男の目に、もう昏い淵は見えない。ギヤマン職人は怪訝な気持ちのまま、その依頼を受けた。
こうして、彼らはお互いの右目を――怜の目にそっくりな右目を、取り戻し、手に入れた。
ようやっと着手しました。藤花走狗乃譚異聞から、もういっそBSCのスピンオフとして独立シリーズ化してしまえ! の第一弾です。
余談ですがこの「黒い羊は檻の中」は、BSCの没タイトルだったりします。羊二匹おるやん、複数形……羊たち……語呂が悪い……せや、訳したろ! というわけです(
陽人と怜司の二人と対比していただいても結構楽しいかと思います。また気が向いたら他の話も書きます(
追伸 ハッピーバースデー日向ちゃん!