8 少女の戦い
「うふふふ」
窓を開けると青々と茂る大きな木。そこには可愛い小鳥さんがうじゃうじゃいた。
朝食に出されていたパンを一口サイズに引きちぎると、それを勢いよく投げた。もちろん可愛い小鳥さんには当たらないように。しかし、投げられたパンからは、ブォン!と可愛らしくない音がする。
「ふふふ、あはは」
ブォンブォン!
元の世界にも勿論子鳥はいたが、餌付けはしたことがなかった。むしろ、むやみに餌を与えて懐かれても困るからと、餌を撒きたがる姉を口酸っぱく注意をしていた側だった。
しかし、ここの小鳥は関係ない。
私の代わりにたらふくパンを食べるといい。
「はは···ふふ···ふふ······はぁ············」
なにをしているんだ私は。
四日目だ。この世界に帰ってきて四日もの時間をこの狭く嫌にファンシーなお部屋で過ごしている。
一日目はわけも分からず必死だった。
二日目は隙を見せまいと気を張った。
三日目は疲れ果ててずっと横になっていた。
そして、四日目の私は···精神的に参ってきていた。
窓からぐっと身を乗り出して、このまま逃走してしまいたい欲に駆られるが、数メートル先には鉄の柵が隙間なく建てられていた。
ひとつため息をつくと、ぴちち、と控えめな鳴き声。
多くの小鳥は餌を貰えば用はないとばかりに去っていくが、一匹だけ私自身にやけに懐いた小鳥がいた。手にすり寄ってくる小鳥の頭を、親指の腹で撫でてやりながら、遠い目でこれまでの日々を思い返していた。
キノという人物にトワを呼ぶようお願いしてから、機関の人間が『話し合い』と言って代わる代わる私を説得しに訪ねてきた。
やがて何を言われても「トワを呼べ」の一点張りの私に焦れた機関の人達は段々と脅しめいた言葉で私に説得を試み出てきた。
「まぁ···脅しに応じてたらもうとっくに私なんか機関に所属してるわよね」
思い出すのはトワの恐ろしい威圧感。ふるりと肩が震えた。
小鳥が私の独り言に答えるように「ピ!」と鳴いた。思わず頬が緩みそうになってしまうのを慌てて引き締める。
とにかく、気を張っていかなければ。と決意を新たに、小鳥にもう一口パンを運んだ。
コン。
コンコン。
軽い控えめなノックの音。幸い?な事にここで衣食住に困ることはなかった。決まった時間に食事が運ばれ、また時間になると皿を下げられる。今日も同じように朝食の皿を下げに来てくれたのかと思い、ひとつ返事をすると何の抵抗もせず扉を開けた。
「朝からお疲れ様でー···」
言葉尻が口の中で消えた。私は瞬時に抱いた不快感を隠すことなく、ぎゅっと眉を寄せる。
「おはよう、異界帰り」
「···今何時だと思っているのかしら」
「午前七時。こちらも時間がないものでね」
そこに居たのは四日前私をトワの家から連行してきた男性の片割れだった。
こんな朝早い時刻から女性の部屋を訪ねるなんて、失礼にも程がある。いや、たとえ女性じゃなくても非常識だ。
それに、機関の人間はとにかく私のことを「異界帰り」と呼んできた。それも不快ポイントのひとつだ。
男はずかずかと遠慮なく室内に入り込むと、いつも機関から説得を受けている向かい合わせに座るタイプのテーブルについた。
仕方ないので私も反対に腰掛ける。
「して異界帰り、いつ機関に所属してくれるんだ?」
「だから···話し合いの場にトワを呼んでと言っているじゃない、聞こえないの?」
「生憎トワは忙しいんでな、そう簡単に呼べるものではない。なんだ、異界帰りは男がいないとなにも出来ないのか」
これだから女は。といった明らかに小馬鹿にした笑みを浮かべられ、頭痛がした。この世界の女性に対してもこんな態度なら一発腹に入れてやりたい。
最初のトワは忙しいという言葉にも「君と違って」という前置きが聞こえてくるようだ。
だが、ここで負けてはいけない。
トワは忙しい。この男はそう言ったが、それは真っ赤な嘘だ。根拠は今までに私の所を訪れた十人余りの機関の人間にある。
「トワは緊急で遠出することになった為、君とは会えない」
「トワという人に尋ねましたが異界帰りのことはご存知ない様子でしたよ?」
「ああ、来るように言ったのだが断られてしまったよ、はは」
老若男女。様々な人間がここを訪れ、トワのことを尋ねる度になんでもない顔で嘘をつく。
トワを呼ぶだけ。ただそれだけでこの生意気な小娘が穏便に、話に応じると言っているのに。
この四日間私は飽きるほど考えた。何故トワを呼んでくれないのか。考えて、考えて···浮かんだのは余りに現実性のない結論。
彼はきっと、恐れられている。
それはそれは大きなお屋敷に住んでいた、私も変わらぬ歳のトワ。
彼が来て、何かを口にすれば状況がひっくり返ってしまうような何かが起こる。情報が少なくて必死に捻り出した結論がそれだった。
では、どうしたらトワをここに呼んで貰えるのか。
目には目を、歯には歯を。嘘には嘘を。
私はこんなところで負けられない。
「なにもできない、ね」
わざとらしく口の端を持ち上げて、にたりと笑う。ついでに腕も組んで、しっかりと男性を見据えた。
「なにか、してもいいの?」
「ハッタリだ」
「···ねぇ」
小娘のハッタリなんてすぐバレてしまう。それは予想の範囲内。本当の狙いは、このままでは自身の身が危険だと思わせ、不安を煽ること。異界帰りの正体不明の人間と関わるなんて、元々不安を抱えていてもおかしくない。
私はこの場所に少しの危険を生むだけでいい。
「私が、何番目の世界から来たか。機関には教えていなかったでしょう」
「ようやく話す気になったか」
目をそらさないまま小さく「いいえ」と声を出した。
「三番目の世界は機械と魔法。五番目の世界は緑と破滅。謎に包まれた一番目···」
これは、本当のこと。
世界間はよく『ドア』を使って人間が行き来する。そうして行き来した人間によってその世界の情報が、知識が、異世界に蓄積する。
三番、五番目の知識は私のついこの前までいた世界、七番目にやってきた異世界の人間から持たらされた話だ。村の古い文献に残っていた。
「静寂の四番目···海洋生物しかいないという話の二番目······私は、どこから来たんでしょうね」
おちょくるように下から男の顔をのぞき込む。
「考えたことは無い?私があなた達の知らない力で、そうね、魔法なんかも使って、あなた達を害する可能性」
「っ···私を脅すのか小娘」
「ねぇ」
「質問に答えて」
思ったより、私にしては低い声が出た。
ピリリとわかりやすいぐらい空気がひりついた。あと一押し。
「穏便に済ませたいし私は口が上手くないから、トワを呼んでもらえれば良いとあなた達に従っていたわ。けれど、何日もの監禁状態に嫌気がさしてしまったの。これが最後だと思って」
「トワを、呼んでくれる?」
私のガラスのような冷たい目が、男に真っ直ぐに刺さる。こんな所で負けたくない、勝ちたい。この世界で平穏な生活を手に入れたい。それは、嘘偽りない本音だが、これで負けたらもう仕方ないと思う。最早これは最後の賭けだ。
思い出すのはこの世界に帰ってきた日。
余りに忙しく流れて行ったあの時間を、もう遠い日のように感じる。
そして、思い出すのは赤い瞳。私を受け止めてくれた腕と、嬉しそうに細められた目。
それと、冷たい青い瞳。傲慢で、わがままで、人の不幸は蜜の味といわんばかりの性格の歪んでいる人。
また、会いたい。
帰ってきたその日にちょっと親切にされて、少しばかり懐柔されてしまった。
私は本当に学習しない。
彼が、彼らがここに来てくれる可能性が低いだなんて、本当はとっくにわかっていただろうに。
それでも現状をひっくり返すには、彼らの力なくしては、何もできなかった。
なんて、無力なんだろう。
その時だった。
「は、はははははは···!見事だ!!これは久しぶりに良い拾い物をしたな!!」
「トワ〜···ちょっとは空気読んだ方がいいぜ?」
「ふむ、お前にだけは言われたくないな」
ずっと聞きたかった声が、聞こえた。
「トワ、コータ!!!」