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花に惑いて虫を食い  作者: モトオ
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【コオイムシの屋敷】・7(了)




 日が高くなれば相も変わらず蝉の声がやかましい。

 こんな大きな屋敷の中にいても、微かにでも聞こえてくるのだから相当だ。


 墓前での語らいを終えて、屋敷に戻って遅めの朝食をとる。

 先程の会話の名残は微塵も感じさせず、りるは無表情で、弥太郎もいつもの調子で飯をかっ込む。

 何を話したとて所詮は過去のこと。軟禁された日々も父娘を取り巻くあれこれも、何一つ変わらないままだ。

 それでも、意味がなかったとは思わない。


「よう、りる。しっかり食べとけよ。東京までは結構な距離あるからな」

「は、い。道中、よろしく、お願いします」

 

 隣で食事をとる彼女は小さく、本当に小さくだが笑う。

 どうやら神の娘は、僅か一歩程度ではあるが、人の領域に戻ってきてくれたようだ。

 それが嬉しくて自然と箸が進む。気分がいいと飯が美味い。みそ汁の味はやはり薄いままだったが、健康にはいいということで納得しておく。


「弥太、えらく楽しそうだな」

「ん、そうか? まあ、仕事がうまくいきゃ楽しいもんさ」


 虫篭の中のお姫様は、これから花街へ赴く。

 夜の蝶になれるか、蛾がせいぜいか。はたまた、もっと別のなにかと為るのか。

 その行く末を眺めるのは、悪趣味かもしれないが、少し楽しみでもある。

 少なくとも、虫の蔓延る狭い集落で朽ち果てていくよりは余程マシというものだろう。




 ◆

 



 朝食の後、村を発つ前に一応だが村長の屋敷へ。

 金は既に払い終えており、“商品”の方も受け取っている。しかし最低限の挨拶は礼儀だし、少し聞いておきたいこともあった。


「ああ、そうだ。こちらはお土産にでも」

「お、瓶詰の……こりゃいい。酒のアテにさせてもらいますよ」


 今日帰る旨を伝えれば、お土産にと村で作った佃煮の瓶詰を貰えた。

 佃煮はごはんのお供という人も多いが、弥太郎はもっぱら酒の肴だ。米に合う濃い味は、酒にも合う。晩酌の楽しみが一つ増えて、少しいい気分になる。


「弥太郎さん、この度は、ほんにお世話になりました」

「いやいや、俺もいい買い物が出来ましたよ」


 和やかな言葉は社交辞令だけでもない。

 幼げだが見目麗しく、スレていない女。

 墓前での会話で少しは中身を覗き見ることもできた。

 娼婦としての評価はこれからになるが、事実いい買い物だった。

 お土産に美味しそうなものも貰えたし、今回の商談は上々である。


「ところで村長さん。一応聞いとこうと思うんですがね」


 後は、ちょっとした疑問を解消すれば、気持ちよく東京へ戻れる。

 立つ鳥は跡を濁さないものだが、生憎とこちらは蓼虫。飛び立つ羽音が多少耳ざわりだとて、そういうものと諦めてもらおう。


「なんで、りるを売ろうと思ったんだ? あんたは、意外とあの娘を気遣っているように見えたんだが」


 最後の疑問は村長である嘉六の立ち位置だ。

 憐憫、同情。あるいは、純粋な行為?

 理由は分からないが、彼は言葉の端々に、りるを心配するような響きを滲ませていた。


 けれど女衒がこうして呼ばれ、りるは売られることとなった。


 人身売買が村民の望みでも集落の代表ならばある程度の強権は許されるし、そもそも引き取って育てるだけの資産が嘉六にはある。

 なのに、なぜ女衒に売り飛ばすという、およそ人道的ではない手段を率先して選んだのか。

 そこだけは聞いておきたかった。


「以前も話しましたが、伊之狭村は、かつては養蚕が盛んでした。何十年も前に病気でカイコが全滅してそちらは打ち止めになってしまいましたが」


 返答は、まったくの見当はずれ。

 けれど誤魔化そうとしているのではない。重さのない語り口だが、そうと思わせるだけの空気を纏っている。

 初めて吐露する、彼の本当なのだと訳もなく察した。


「カイコというのは非常に弱い虫でして。餌を与え外敵から守り。なにもかも人が世話をしてやらないと生きていけないのです」


 カイコは、野生回帰能力を完全に失った唯一の家畜化動物として知られている。

 幼虫は腹脚が退化しているため樹木に自力で付着し続けることができず、風が吹けば容易に落下してしまう。

 繭を作る際も人工的なまぶしに入れてやらないとうまく作れない。

 成虫もはねはあるが小さく退化しており、飛ぶことはできない。

 餌がない状況でさえ、そこから逃げ出そうとはしない。

 人の管理下でなければ生きることさえままならないのがカイコという虫だ。


「その意味で、りるはまさしく神の娘。オザシキさんの御子でした」


 オザシキさんは養蚕の守り神にしてカイコの神格化。

 その御子である白髪の御子、りるもまた同質の存在だと嘉六は語る。


「父が亡くなれば、もう生きてはいけない。自分で餌をとれないし、現状から逃げる術も持たない。生きるために必要な知識を、教えてはもらえなかった。たぶん、私は、哀れんでいたのでしょうなぁ」


 婚約者の裏切り、不義の子供。それを端とする富豪の所業。

 およそ本人には関係のない事情で生きる術を奪われた。

 それが、人の手で家畜に変えられたカイコと被った。

 ならばその終わりだって相似形に収まる。管理されなくなったカイコが何も出来ずに死んでいくと同じ、りるは父を失った時点で為す術なく死んでいくと初めから決められていた。


「だったら、引きとりゃあよかったろうに」

「それでどうなりますか。遠からず、伊之狭村は破綻します。そうなれば、結局は同じこと。人の手から離れた神の娘は、地べたに這いつくばったまま息絶えるのです」


 養蚕が駄目になり、療養所も潰れ、若者は都会へ流れる。

 戦災復興が進み、日本の経済は首都部を中心に大きく発展し……代わりに昔ながらの農村は衰退していく。村長である嘉六には、いずれ辿り着く末路の景色がよく見えていた。


 そういう彼には、りるの終わりも容易に想像がついてしまう。 


 遠くない未来、伊之狭村は過疎化し、その時にはやはり、誰かの庇護を失った神の娘は無意味に息絶えるだけ。

 今度は誰も救いの手を差し伸べない。

 地面に落ちたカイコは、土に還るしかないのだ。


「時代というのは、どうにも勝手に進み過ぎる。昔ながらの私達では、もはやついていけないのですよ」

「だとしても、だ。女衒に売りつけるたぁ大した善人だよ」

「善人を気取るつもりはありません。ですが、この村で朽ちていくよりは、余程あの子の為になると。私は、そう思っております」


 破綻は目に見えている

 だからその前に売り飛ばしたかった。

 そうすれば少なくとも娼館という虫篭の中には居られる。餌を与えて貰える。

 村の恩人が遺した娘だ。たとえ日の当たる場所ではないとしても、生きていてほしいと思う。

 歪ではあるが、これも愛情の一つといえば多分そうなのだろう。 


「なるほどね。だから、俺をご指名な訳か」

「はい。なにせ“蓼虫の弥太”は娼婦がモノになるまで、ちゃんと面倒を見る珍しい女衒との噂だ。どうせなら、そういう男に売りつけたいと思うのが人情でしょう」


 どこか勝ち誇ったような嘉六の顔に、弥太郎は肩を竦める。

 長々と語ってくれたが、つまりはていよくお世話を押し付けられたということ。

 まったく青線の女衒を舐めてくれるものだ。


「まあ、文句はありませんがね。俺は満足、あんたも満足。うん、いい商売だった」

「そう言っていただけると」

 

 別に、ほだされた訳ではない。

 売る側は望み通りに売れて、買う側は良い買い物ができた。なら取引はここでお終い。

 言いたいことは色々あるが、きっと、それでよかった。


「ああ、と。ちょいと長居し過ぎたかね。そんじゃ、そろそろ」

「そうですか。今回は、重ね重ねありがとうございました。もし機会があれば、また村に」

「勘弁してくれや」


 最後に苦笑を一つ落として、逃げるように背を向ける。

 ように、もなにも実際逃げた。

 いい買い物だった。そこに嘘はないが、できればもうこの村とは関わりたくない。

 なにせこれから山越えをしなければならないのだ。余計な荷物は背負いたくなかった。

 そういう弥太郎だから、誰にも聞こえないよう、舌の上で自嘲の言葉を転がす。


「まったく。俺ぁ、子負虫コオイムシにゃなれねえなぁ」


 いくつもの命を背負って泳ぐ。

 さてもコオイムシは偉大である。


 面倒を背負いたくない事なかれ主義者からすれば尚更にそう思う。

 それでも最低限の良識は持ち合わせている訳で。

 預かった義理の一つくらいは背負わにゃならんか、とほんの少しだけ口元を緩めて、弥太郎は独り言ちた。





 ◆




 そうして男二人で越えてきた山道を、今度は三人で辿る。

 雨は数日前だったが、まだ地面は少し湿っていて歩きにくい。

 けれど雨のおかげで木々は元気になり、陽光を受けた緑の葉も実に鮮やか。なんとも景観がよく、それで収支はとんとんということにしておく。

 行きと同じくほとんどの荷物は正義に任せてある。その為に雇ったのだから、しっかり働いてもらわねば。


「……なぁ、何故りるを背負っているんだ?」

「俺ぁ今、コオイムシ代理だからよ」

「すまん、まったく意味が分からんのだが」


 代わりという訳ではないが、弥太郎はりるを背負っている。どういう訳か、えらく自信満々な顔付きで。

 ついに壊れたか。割かし真剣に正義は考えてしまう。


「真面目な話、ほとんど軟禁状態で過ごしてたんだ。山越えは辛いだろうし、この娘の足に合わせてたら俺らも辛いからな。多少しんどくても背負っていった方がいい」

「それは、確かに。……ちなみに、眠っているのは体力温存のためか?」

「いや、こいつが図太いだけ」


 彼女の足では山越えは辛かろうと背負った。

 すると、しばらくして耳元で心地よさそうな寝息が聞こえてくるではないか。

 どうやらりるは弥太郎の背中で寝てしまったらしい。

 朝も早くから墓参りなどしたからか、歩く際の微妙な振動が眠気を誘ったか。

 それとも、誰かに背負われるなんて初めてで、安心してしまったのか。

 理由は分からない。けれど正義の生暖かい視線に、安らかな寝顔をしていることくらいは分かった。


「ったく、女衒相手に無防備晒してくれるぜ。自分の境遇、ホントに分かってんのかね」

「分かっているから、だろう。この村にいるよりは、弥太の下にいる方がまだいいと俺は思う」

「どっかの誰かと似たようなこと言ってくれるじゃねえか」


 どいつもこいつも蓼虫の女衒を何だと思っているのか。

 溜息一つ零せば、なにがおかしいのか、正義は珍しく表情を崩して噴き出した。荷物の上にりるを置いてやろうか、こんにゃろ。


「それにしても、弥太は嘘吐きだな」

「あん?」

「“子供を愛さない親なんていない”……笑顔で娘を売る親なんていくらでもいると、お前が一番知っているだろうに」


 村長の家へ行っている間に、りるから話を聞いたのだろう。

 弥太郎が口にした恥ずかしいセリフを、違えずに正義はなぞる。

 だが女衒をしていれば、子を愛さない親などいくらでも目にする。紅葉のところもその典型だった。

 そういう情のない家庭を幾つも見てきた蓼虫の女衒が『親の愛』を語る。

 なるほど、大した嘘吐きだ。


「いいじゃねえか、嘘で」


 けれど、嘘でいい。


「ガキを捨てる親だっている、世の中そうそう甘くない。そうやって訳知り顔でキビシイ現実を語ってなんになるよ。多少の嘘で安心して眠れるなら、その方が健全だろ?」


 弥太郎は悪びれもせず、滔々と語ってみせる。

 口八丁手八丁でケムに巻くのは女衒の本懐というものだが、これに関しては掛け値のない本音だ。


「だいたい、“一夜の夢と消える恋を囁く”……花街ってのは、そういうところだぜ? こいつは花街の娼婦になるんだ。冷たい夜を越える為の嘘くらい、大目に見てくれると嬉しいね」 


 上辺だけの恋に興じ、嘘で出来た温もりを抱いて眠る。

 目が覚める頃には恋も温もりも消えて、何一つ残りはしない。

 花街は、そういう場所だ。

 だからって、弥太郎はそれが悪いとは思わない。

現実はいつだって辛いから、眠れない夜の傍らに優しい嘘が、せめてもの慰みがあってもいいじゃないか。


「……ああ、勿論だ」


 言葉にしなかった言葉をきちんと受け止めて、穏やかに、心底満足げに正義は頷く。

 端から責めるつもりはなかったのだろう。山道を進むその足取りも、心なし軽かった。

 

「ただ、後になって責められるようなことにならなければいいが」

「そりゃあお前さん、りるを馬鹿にし過ぎだよ。この子だって、ちゃんと嘘だと分かってる。分かっていて、騙されてくれたんだ。そういう意味じゃ、娼婦の才能があるぜ」

「褒め言葉なのか、そうでないのか……」


 親の無償の愛なんて、りるだって信じてはいない。

 ただ弥太郎の吐いた嘘に、その優しさに報いようとしてくれただけ。その義理堅さは娼婦向きだ。

 それからも二人はなんだかんだと雑談を交わしながら、山道を進んでいく。

 ただちょっと声が大きかったらしい。後ろでりるが微かに身じろぎをした。


「ん……」

「おっと、悪い。起こしたか」

「い、え。大丈夫、です」


 今起きたにしては、つかえながらも割り合いしっかりとした口調。

 もしかしたら、と考えたが敢えて問うこともない。彼女は、寝ていたのだ。


「もう、見えま、せんね」


 首だけで振り返って、彼女は離れていく故郷を、折り重なる木々の向こうに眺めている。 

 一瞬立ち止まろうかと迷ったが、結局は歩みを止めなかった。

 りるも何も言わなかった

 背負っているから表情は見えない。

 胸の内は、多分、もっと見えていない。おそらくは正面から向き合ったとしても、心まで読み取れはしないだろう。


「まだまだ先は長い、別に寝てて構わねえぜ?」

「ありがとう、ございます。でも、ちょっとだけ。景色を見ていたい、です」

「そか」


 けれど手を回し、きゅっと背中にしがみ付く。

 その暖かさに弥太郎は口を噤んだ。なにも、言う必要はなかった。

 そうして奇妙な三人組は木々を踏み分けて、長い山道を越えていく。


 もう、コオイムシの屋敷は彼女を守ってはくれない。

 それを思えば少しだけ切なくもなった。

 

 横たわる夏、相も変わらず蝉はけたたましく喚いている。

 弥太郎は僅かな感傷を無理矢理飲み込んでグッと前を見た。

 東京まではまだ遠い。

 辿り着くまでには、騒ぐ蝉の声も少しは落ち着いてくれるだろうか。






【コオイムシの屋敷】・了

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